第1章 忘れられた存在 3
ソラミルは、柔らかい人あたりで遊びがあっても根本は真面目な青年だった。この"精霊学"を読んでみると、娯楽に分類される空想の学問だったとしてもソラミルが趣味にしていたというのは理解できる。著者のレイドン・ルディオーネットはオーネット家が世話をしたルディである事を意味している。
(自分の家が輩出した作家なのだからソラミルが興味を持つのも当然だ。)
百年近くも前に孤児院出身者が世界を周り各地の伝説に基づいて、城に置かれる程の文章を書く教養を身に付けていた事にハンドレッドは感心した。"精霊学 第5巻"とあるので、1巻から4巻も城にはあるのだろう。
赤い絨毯の敷かれた部屋の固いベッドで目を覚ました。眠りについたのは夜明け前だったし、何度も目が覚めてしまったので寝た気がしない。その間にもアルフレッドが同室のベッドに入った様子はなかった。
朝になると、兵舎内の兵士たちが騒ついていた。前線が随分後退してしまい東門から目と鼻の先くらいの距離に、一列に壁のように並んだ兵士たちが死者を留めるのに苦戦しているのが兵舎からも見えるようになっていた。
下の階のベッドには、怪我をした兵士たちが運び込まれ仕事を得た医者があっちこっちと動いている。
「情けない...恥ずかしくて下に降りれんよ私は。」
入り口近くのベッドにいる老兵が、腕に包帯をぐるぐると巻かれながら医者にこぼしているのが聞こえた。
「あんな相手に怪我をするとは。」
「夜は見え辛く神経を使います。疲れも出ますし...得体の知れない不気味さがそれを倍増させているのでしょう。仕方のない事です。」
「不気味も不気味な死骸の群れよ。腕次第では簡単に倒せる、しかしまた湧いて出てくる。延々と続く修練のようじゃわい。」
ふぅと顔を上げた老兵が、側に立っているハンドレッドに気が付いた。
「や、これはハンドレッド殿下。愚痴をこぼしているところなぞお見せしてしまい申し訳ありません。」
と医者の腕を払って忠誠を示す姿勢をとろうとするので、「良い、良いんだ。」とハンドレッドは老兵を抑えた。
「難儀していると聞いたが。」
「我が身の情けなさに返すお言葉もございません。殿下は渦中の戦場にて始めに"あれ"と相対し、迷い込んでいた一般市民を守りつつ戦われたとか。そのご武勇は兄君にも遅れを取らず、真に南オルミスの誇りにございます。」
(...そういう話になっているのか。)
さてはダリウスが吹聴したな、とハンドレッドは察した。自分の力では一体を倒せもしなかったとはとても言えない。
「しかし、アルフレッド兄様の獅子騎士団が苦戦とは信じられないな。」
「私どもも同じ気持ちにございます。"あれ"は打ち崩せば骨となって地面に散らかるのですが、良しと思い前進すると己の背後にてまた形を持ち直しているのです。
そういった事を何度か繰り返し、いい加減に辟易した若い者が骨を踏み砕いて粉々にしましたがまた時間をかけて再生しました。」
「それでも優勢なのだろう?」
「それがどうやらですな、"あれ"は近くの者を襲っているだけではなく西...このフラネールに向かって進む事を目的にしておるようでな。」
「成る程な、押されているのはそういうわけか。」
背後から低い声が肩に触れ、ハンドレッドはぎくりと身を竦ませる。医者と老兵が慌てて跪こうとしたのを、アルフレッドは手で制した。
「これは総団長、アルフレッド殿下。このような身を晒し...。」
「レッグ。配下の兵士たちは畏まった報告の仕方に気を取られてばかりで、肝心の真実が私に届いていないぞ。」
アルフレッドはレッグと呼んだこの老兵に気を許しているようで、ハンドレッドには兄がいつもより言葉や態度に若さを滲ませているような気がした。老兵の前に二十九歳の兄も子どもに見えるだけかも知れない。
「ダリウス、ショベルを用意しろ。農作業用の鋤でもいい。フレッゾ小隊と共にとにかく似た形状のものを掻き集めろ。フレッゾ隊長は私のところへ呼べ。デルバーリもだ。」
「わかりました。...ショベルですか?」
疑問を口にしながらも、アルフレッドが答える前にダリウスは素早く階段を駆け下りて行った。
「レッグ、良い機会と思ってゆっくり休めよ。」
アルフレッドは笑いかけ、階段の上に上がって行った。最上階から今の指示の結果を確認する為にだろう。
他のベッドでは、睡眠をとりながらうなされている若者もいる。死者の厄介さを夢の中でも味わっているようで、ハンドレッドは哀れに思った。
負けているわけではないのにいつまでも勝てないのでは、相当に不満が溜まる事だろう。などと考えていると、
「人を殺すのは嫌なものです。」
レッグはハンドレッドの視線の先を追って、呟いた。
「私も戦争の経験はありません。いざという時オルミスの誇りを守る為、訓練に勤しんで参りました。特にアルフレッド王子が団長になってからはとても厳しく鍛錬を積んだ。おかげで我々は死人を出さずに事を成していると言えましょう。しかし、"あれ"が何か分からずとも人の姿をしているというだけでとても嫌な気持ちになる。本当にファムリアと戦争になろうものなら、精神を病む者も出ましょうな。 昔の人はよくやったものだ。元々は皆たった一つの国から別れた兄弟だというのに...。」
「俺たちはいつから農家になった?」
手押し車を押しながらワーミがぼやくのにダリウスは応じた。
「私に文句を言うのはずるいですよ。」
町長が許可したので、避難して留守になった家々を含めて掻き集めた道具を手押し車に山積みに、兵舎への坂道を戻る。森に野営していた筈のデルバーリ隊が慌ただしく、木材を肩に東へ向かって行く。
「あっちは木こりだ。」
ははぁ、とワーミは馬鹿にしたように笑う。ダリウスが見咎めて言った。
「わかりました。その態度、アルフレッド様にお伝えしましょうか?」
「待て待て。昨日は隊長のせいとはいえ、ハンドレッド殿下にも失礼をしてしまったからな。甘菓子をやるから黙っていろ。」
「私を子供扱いしないでくださいっ!」
と肩を怒らせているのを見てワーミは満足気に笑った。
ダリウス・ドーデミリオン。北オルミスの時代から代々兵士の家系で、この少年も小姓でありながら近衛兵の一人に数えられている。とは言っても彼の技量は嗜み程度で、近衛扱いの好待遇は伝統的なものに過ぎない。
兵舎の前まで来ると、フレッゾ隊長が待っていた。
「来たな?新たな作戦を開始する。これより我が小隊は東門を出で、このショベルを手に前線の支援に向かう!」
「じゃ、頑張って下さいね。」とワーミに言って、ダリウスは兵舎に戻っていった。
「ショベルで何をするのですか?」
と別の者が聞いた。
「骨を後退させる。」
とフレッゾは言う。
「は。」
「現在前線でスティーギー隊が戦っている。"あれ"は倒すと骨になり地面に散らばっている。それらをすくって、」
フレッゾはショベルを取り、土をすくう真似をする。
「集めて、」
すくった空気をまだショベルの積まれている手押し車に乗せた。
「離れた所に捨てに行く。これが我々の役目である。」
「...今度は掃除夫。」
ワーミはうんざりして呟いた。
「そうして前線を下げたところでデルバーリ隊が壁を築く。敵の足止めに成功したら我々も壁作りに加わる。以上だ!」
アルフレッドとハンドレッドとダリウスは、兵舎の展望台から戦場の様子を見ていた。
「...まるで城の大掃除を見ているようですね。」
ダリウスが言ったので、ハンドレッドはあそこにいるのがアルフレッドの獅子騎士団だというのが一層可笑しくなって、笑いそうになるのをこらえる。
せっせせっせと手押し車が行ったり来たり、手押し車の上で再生した骸骨に驚いて骨を散乱させる兵士や、その後ろでデルバーリ隊が木を組んで壁か檻かの準備をしているのはもう祭り前の騒ぎのようでもあった。
「どんなに力があっても動かし続ければ疲弊する。兵は石とは違うという事は今後の教訓になる。」
アルフレッドは無表情にその光景を見下ろして言った。
「事態を収拾すればようやくオーネット家の安否も調べられる。」
「兄様...。」
マリージアが、いつかアルフレッドの事を「あまり怖がらないであげて。」と言ったのをハンドレッドは思い出していた。母を亡くした妹弟、特に父にも会わせてもらえないハンドレッドを強く育てようと厳しくしているのだと...。
「あれ、イリウス?」
直ぐ下の通りを見たダリウスが言った。
間も無くして展望台に現れたのは、ダリウスがほんの少し大きくなったような、ダリウスにそっくりの少年だった。彼はイリウスといってダリウスの弟である。並んでいれば違いがわかるが一人ずつ見ると誰だか判別しかねる。弟の方が背が高いというのも更に混乱を招く。
「お疲れ様です、アルフレッド殿下。ハンドレッド殿下。マリージア様より御書簡がございます。」
イリウスはアルフレッドの前に跪くと、赤い封蝋付きの巻紙を差し出した。アルフレッドは開いた巻紙を視線だけで読み上げると、
「...それでベアトールは。」
「既に海に出られたようでございます。」
「そうか。」
「どうなさったのですか?」
表情がいつも以上に険しかった為にハンドレッドが恐る恐る聞くと、アルフレッドは巻き直った紙を握り潰していつも以上に低い声で言った。
「東の水平にファムリアの船影...あの骸骨どもはやはりファムリアの陽動だったのだ。」
「...そんな!ベアトール兄様は!?」
「迎え討つ支度を整えたと書かれている。」
「もう海に...。」
ファムリアは、北オルミスを奪還した歴史のある通り海軍が強い。海のベアトールとは言ってもゲームの話だ。
「"あれ"を封じ次第、進軍する。ダリウス、マリージアに書簡を。」
「わかりました。」
アルフレッドの周りの空気がびりびりと張り詰めている。また近寄りがたい人になってしまったとハンドレッドは思った。その上気にかかる事もあった。
(ミザリー...君は嘘をついていたのか?)




