第1章 忘れられた存在 1
「私たちはここに居て良いのですか?」
ハンドレッドは何の指示もされず、アルフレッドの横にいた。軍の規律も剣の訓練も受けていない王子を戦闘に出す事はしないだろうが、骸骨の数はだんだん増えていっている。アルフレッドも全く動かないので、ハンドレッドは不思議に思った。
ダリウスがやって来て、「アルフレッド様。フレッゾ隊長がお戻りです。」と言った。
「一騎で戦局を変える程度の力を持ちながら、敵に姿を見せないくらい慎重でいなければならない。王が取られては国が終わる。」
アルフレッドはそう言って、ハンドレッドの横を過ぎると階段を降りて行った。
アルフレッドに何かを言われたダリウスは頷き、兵舎の上に"赤星に獅子"の旗を掲げた。獅子とは伝説上の動物で、馬のような鬣が顔の周りに生えており、鋭い牙と爪を持つ。アルフレッドの指揮する騎士団の旗だ。
「やっぱりさっきの方は、先刻の方でしたね。ハンドレッド王子のご友人ですか?」
旗を上げながらダリウスは聞いた。
「ああ。カッツォ・エサムという男だ。」
「カッツォ・エサム?...カッツォ・エサム...はて、どこかで聞いたような。すいません、忘れてしまいましたが。」
「そうか。」
「やっぱりハンドレッド王子はオーネット領に入られていたんですね。ファムリアも酷い事をするもんです。こんな景色、目の前にしても夢を見ているかのようですね。」
「...兄様は、情報を集めていたのだろう?それでも、やはりファムリアの仕業だとお考えなのか。」
「わかりません。町の者から集めた情報がありますから、下へ参りましょう。」
「それは私が見ても良い物なのか。」
「わかりません。でもアルフレッド様は、アルフレッド様と同じようにハンドレッド王子に戦況を報せるよう、先程お申し付けになりましたので、王子に勉強なさいという事でしょう。」
ダリウスについて下の階へ行く。真っ赤な絨毯が敷かれている部屋は本棚が並び、その絨毯と机の上に巻紙や書類が散乱している。
「おかしな事にですね、私たちはここで得た情報を忘れてしまったんですよ。」
そう言いながら、迷いなく一つの巻紙を取り上げ、広げてハンドレッドに見せた。
「おかしな事にアルフレッド様もなんです。あのアルフレッド様がですよ?紙に書き記しておいて良かったですよ、本当。」
「...大きな黒いものがオーネット領を押し潰し...?こっちは...黒い壁の中で燃え、一瞬のうちに黒炭になり崩れ落ちる建物...空から巨大な何かが降り地面に消える...?」
「この町でオーネット領の異変を目撃した町民の話ですね。こっちは数日前までオーネット領に滞在していた商人などの証言がありますよ。」
ハンドレッドは新しく手渡された巻紙を読んだ。レオドフックで仕入れた酒をオーネット領に納品した、というだけで特に異変があったようには書かれていない。
「子息のソラミル・オーネットが"精霊学"に詳しく...精霊学?」
「本のタイトルだとわかりました。娯楽的な物のようです。」
「待てよ...?私は確か本を持って...。」
ハンドレッドが自分の荷物の中から、一冊の本を取り出す。その本の表紙には"精霊学 レイドン・ルディオーネット著"とあった。ハンドレッドの全身に、鳥肌がたつ。
「どうなさいました?...まさに、それは"精霊学"ですね。」
「これは、ソラミルが読みたがっていたから城にあったのを持って来たんだ。私も目を通したはずなんだ...その記憶はある。なのに何も覚えていない。」
「まさに、さっきの私と同じような症状ですね。」
ダリウスは両手を合わせて喜ぶように言った。
「...。」
「しかし、建物を一瞬で消滅させる空より降る黒く巨大な炎...恐ろし過ぎます!ファムリアの兵器だとしたら...。」
「そんな物が存在するとは思えないが。火矢...燃える投石、ではないか?巨大な。建物を押し潰す、と書かれている。」
「確かにそうですね。でもそうしたら一人くらいは、投石という表現をするんじゃないでしょうか?」
「うん...それに黒い物だと言っているな。私が見たオーネット領は、とても人の手でなされたとは思えない有様だった。」
「確かにそうですね。だからこそファムリアの攻撃だと思われるんですよ。」
と、ダリウスは何故か得意げな顔をした。
「ファムリアの姫は不思議な力を持つそうです。アルフレッド様はオーネット領をああしたのは、その力だと思っていらっしゃるんですよ。」
ハンドレッドは、ミスサリアの顔が頭に浮かんだ。優しく大きな目の笑い顔...。胸元に宝石をしまう華奢な手...。
(じゃない!何を考えているんだ私は!)
大きく首を振るハンドレッドをダリウスが不思議そうに見ている。
「色々と調べる時間が必要だな。」
「同じ事をアルフレッド様も仰いました。だから動かずにいたのですが、戦闘が始まってしまったというわけで。」
「ならば兄様の代わりに、目となり耳となり手となって私が調べよう。まずはこの"精霊学"...。」
「それはいいと思いますよ。...って、そっちですか?ファムリアの姫の事ではなくて?」
「気になるんだよ。自分が持っていた物だから。」
本当は、ミスサリアについて調べるというのが自分のやましい気持ちに起因するように思われたからだった。
アルフレッドのよく訓練された騎士団は、"人の姿に程近い何か"にも怯む事なく立ち向かい優勢を保っていた。はじめこそ一般人に剣を向けるのには躊躇していたが、襲いかかってくるそれを力で振り払えば体が崩れ、已む無く叩けば骨が砕ける。次第に騎士兵たちもこれが人間ではないという事を理解し、攻撃にも迷いが無くなった。
しかし彼らは苦戦を強いられていた。ばらばらの骨に戻し倒したはずの敵は再度組み直され立ち上がってくる。下手に進軍すれば復活した奴らに背後からも挟まれる。
単純に持久戦で済むのであれば、まだ西門の野営地に控える兵を出し代わる代わるに戦わせる事がアルフレッドには出来た。
「死者には死があるのでしょうか。」
本部に戻ったフレッゾ隊長は疲弊していた。
「敵は非常に脆く...打ち負けはしませんが、終わりが見えないのが恐ろしいのです。」
「一体をどう倒してもか?」
アルフレッドは言った。
「どう、と言いますと...。」
「生身の人間ならば脳天、首、心臓を一突き、腹を掻っ捌けば容易く死に至り、指、腕、足の部分によっては生き残る事も出来る。骸となった骨にも狙うべき部位があるのではないか。」
「...スティーギー殿の細身の剣で肋骨を縫うように突き刺しますよりは、ワーミの重剣で頭蓋骨を粉砕する方が再生に時間がかかっているように感じます。奴らの体のあるうちに急所を狙っても風の吹いたように崩れるのみ。」
フレッゾはふう、と溜息を吐くと、髭の土汚れをふと思い出して確かめるように撫でる。
フラネールは夜を迎えようとしていた。"人の姿に程近い何か"は、活動をやめる気配も無い。騎士兵たちも、夜通し戦う羽目になるのか、と不安を感じ始める。
町民たちは落ち着かなく、他の町に伝手がある者の中には家財を纏める者もいた。段々と前線が町の方へ寄ってきたからだった。
「ダリウス、精霊って知っているか?」
本を読み耽っていたハンドレッドは、灯を点けてまわるダリウスに声をかける。
「知りません。どんな内容だったか教えていただけますか?」
「この世界は精霊王セレニアという不思議な力を持つ者が治めている、という話だよ。精霊という不可触の生物は花や人にも宿る...。」
「それは、獅子と同じように伝説の類いではありませんか?」
「うーん...。」
ダリウスの問いかけに、ハンドレッドは納得しかねるように唸った。




