序章 3
カッツォはしゃがみこんで黒い地面をよく見た。指で輪を作ったくらいの大きさの土塊が地面を作っており、見た目だけはよく耕した畑にも似ている。覚悟を決めて、えいと一歩を踏み出すと、土は柔らかく足が何処までも沈みこんでいくように感じられた。足首まで沈めると踏みしめる地面はあり、まとわりつくような土は足を抜くともろもろと落ちていった。
呆然としていたハンドレッドもカッツォを倣って、歩き始めた。左を向くと黒いばかり、右側は森が端の一部分だけ丸く抉られたように残っている。木がどうあってもお構い無しに、そこを削り尽くされていた。可哀想な木々に遺されているのは焼け焦げのようではあるものの、火事に燃え広がった炎の痕では無い。
丘の上に立って、二人はため息も出なかった。
丘陵の南に海が見えた。それだけだ。とうとうこの一帯に本当に何も無いという現実が突きつけられてしまった。墓地?村?屋敷?最初っから何も無かったとしか思えない。
カッツォは鉱山の崩落事故を思い出していた。土砂の中には鉱山の残骸もあったし、当然人の形もあった。
「...戻ろうか。」
ハンドレッドは言った。
「そうだなぁ。」
カッツォは、ハンドレッドの胸中を案じた。泣きそうなのを堪えている彼の目元を見て、哀れながらも良い王子だなぁと思った。
ピィーッ!とカッツォが指笛を鳴らした。ピークはもう一つ向こうの丘の向こうから現れ、飛んで来た。あっという間にカッツォの元に舞い降りる。
「空が飛べるって良いな。」
ハンドレッドはピークを羨ましく思った。
「良いよなぁ。俺もよく、飛んでみたいって思うんだ。」
両腕を広げてカッツォも言った。
「空を飛ぶ船...。」
「...おい、おいドレ!」
空を見上げていたハンドレッドの背中をカッツォが叩く。
「何?」
「人だ。」
カッツォが指差す先、ピークが見た方向を見ると、丘の上に今登って来た人影が、二人に向かって手を振っていた。
ソラミルでは無い。という事はすぐにわかったが、ハンドレッドは急いで丘を駆け下りた。黒い土に足を取られ、「うわっ、とっ、とっ、」と情けない声を上げて滑り落ちた。
「あーあぁ。」
カッツォが慌てて後を追い、ハンドレッドを助け起こした。
「大丈夫ー?」
向こうの丘の人も駆け下りて来て、女の声でそう言った。
「...。」
ハンドレッドは黙ったまま立ち上がり、体についた土を払う。彼の顔は赤くなっていて、相当恥ずかしいのだろうと見たカッツォは笑いを堪える。
女はカッツォの肩にいるピークに目を留めた。
「この人が君のご主人様なんだね!」
「ピィ。」
ピークは不思議と彼女の言葉がわかるように、返事をした。
青みがかった髪は肩につかないくらいで短く、幼い丸顔は二人よりも年下のように思われた。背はカッツォよりも低いハンドレッドより、少しだけ高い。隙のあるように見えて、可愛らしくも大きな目が印象的な面持ちだった。
「うん、本当に優しそうな人だね!」
彼女はピークに応えて、ぱっと顔を上げてカッツォを見た。彼女を観察していたカッツォと目が合う。
「...ピークの言ってる事がわかんのかい?」
「ううん!ボクが勝手に想像しているだけ。」
と言って、笑う。
ピークがカッツォの肩から、彼女の肩に飛び移った。ピークは人に慣れてはいるが、カッツォ以外に懐くのは珍しい事だった。
「俺はカッツォ・エサムだ。それは...精霊?」
彼女の周りに漂うふたつの光の球を指して、カッツォは言った。
「そうだよ。ガイタンとコールイっていう名前。ボクはミスサリア。そっちの君は?」
「ハ...あ...えっと、ドレ。」
彼女の勢いに押されて、ハンドレッドは思わず本名を言いそうになった。
「よろしくね!」
ミスサリアはぼんやりしているハンドレッドの手を取って、握手をした。
「...うん。」
「ここってさ、オーネット領があった場所で合ってるよね?」
「そのはずだけどなぁ。」
「酷いね。困っている人さえいないなんて。」
辺りを見回して言うミスサリアに、カッツォは頷く。
「なあ。どうやったらこんな事になるんだろう、ファムリアは一体どうやって...。」
「ファムリア?ファムリアはこんな事しないよ!」
と怒った顔をして言った。その様子を見てハンドレッドが聞いた。
「もしかしてミスサリアは、ファムリアから来たのか?」
「うん。ミスサリアって呼び難いでしょ。ミザリーって、皆呼んでる。」
「じゃあミザリー、ここで何が起こったかわかるの?」
「それを調べに来たんだ。ガイタンとコールイは精霊の...仕業だって...。」
言いながら、ミスサリアが突然何かに気づいたように、遠く海の彼方を見つめる。ピークも同じ方向を向いていた。
一瞬、ほんの一瞬だけ空気が揺れた様にハンドレッドは感じた。
しばらくしん、と静まり返っていた。
ミスサリアが口を開いた。
「今...何かが、変わらなかった?」
「いや...何だろう。」
「何か変な感じはする。...?ミザリー、何か落ちてる。」
ハンドレッドがミスサリアの足元に落ちていた石を拾って渡した。赤い石と青い石、光にユラユラと煌めく美しい宝石のようだった。
「綺麗だね!何?これ。」
ミスサリアは手のひらに乗せた二つの石を転がして、ハンドレッドを見返す。
「あれ、君のじゃなかった?」
カッツォは(へー、ハンドレッド王子は意外と手が早いなぁ。)とその様子を見ていた。ハンドレッドがミスサリアを気に入って、まわりくどく宝石をプレゼントしたと思ったのだ。
「うちにあるどの宝石よりも綺麗だよ。」
太陽に透かしながら、ミスサリアはじっくりと赤い宝石を眺めていた。
彼女自身は装飾品を何一つ付けておらず、粗野な服装をしていたので今の言葉はとても似つかわしくなく不思議だった。
「ふぅん...ミザリーの家には、宝石がたくさんあるのかい。」
「うん。壁とか像とかにもあるし、お母様はいつも色々な物を着けているよ。お父様の冠も杖にも青い石が入ってる。」
「...冠?」
「ボクの家、ちょっと変わってるんだよねー。」
これ、貰っていいの?とミザリーは言って、ハンドレッドが頷いたので、二つの石をごそごそと服の中にしまった。
「あぁ...わかった。もしかして君の家は、王都エッカーニアにあるんじゃない?」
呆れ果てて、カッツォは言った。
「そうだよ。よくわかったね!」
カッツォは、自分の身に何かが起こってしまった事を知った。一日のうちに南オルミスの王子とファムリアの姫に同時に出会うなんて偶然が起きるだろうか。しかもこの、オーネット領で。
ミスサリアが宝石をしまうのに胸元に手を突っ込むのを見ていたハンドレッドは、
「私の家と似ているな。割と何処にでもあるものなのかな、カッツ...お?」
と言ったので、カッツォはがっくりとうなだれた。
気を取り直したカッツォはハンドレッドの頭を抱え込んで、ミスサリアに聞こえないところに連れて行く。
「このすっとぼけエロ王子!確かに彼女は可愛いけどさぁ。城だよ、王だよ、彼女が言ってるのは!ファムリアのミスサリア姫だよ!」
と、小声で説明した。ミスサリアも大概だが自分たちの戴く王子も大概だとカッツォは思った。
「ファムリアの姫!?」
ハンドレッドは驚く。
「しーっ。見てわからないもんなのか?」
「いや...ファムリアの王族に会ったことは無いよ。」
「これから戦争になるかもって時なんだから、ドレが王子だってバレないようにするんだぞ。」
「ねえ、ところでさーぁ!」
ミスサリアが二人を呼ぶ。
「あんなのあったっけー?」
指差すのは南の丘陵の下に広がる平野の先だった。一部分だけがキラキラと青く輝いている。
「や、何も無かったよなぁ。」
「行ってみよう!」
「いや...待って...動いていないか?」
一箇所にまとまっていた青い何かはハンドレッドの言う通り、散り散りにばらけていった。四方に移動して行くその輝きの一つが、やがて三人と一匹のいる丘の上までやって来る。その正体を見たカッツォが驚いて声を上げた。
「花...!?」
青い下膨れの花が、三人の足元を通り過ぎて行った。緑の葉が腕の様に、根は地面の上に出て足の様に動いていた。彼らが地面の奇妙な光景に立ち尽くしている中、ピークは空に現れた黒く丸い物を見つめていた。
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「アンズィルの瞳...!」
空を見上げていた犬は、突如出現した二つ目の黒い太陽を見つめて呟いた。周りの景色はさっきと違っている。アレによって、何処かに飛ばされたようだ。
「まずいよ、ねえ、セレニア...!」
黒い毛の体に茶毛の足、顔の中央から胸にかけて白い毛並みがふさふさとした体の大きな犬だった。バーニーズという種類の犬だ。ぐしゃぐしゃの赤毛の少女は、その犬の事をよく知っている。
「シュロ?お前犬なのにどうして喋っているの?」
「僕の名前、シュロ...だったっけ?」
シュロと呼ばれた犬は、小首を傾げる。
「なんだかおかしいなぁ。それよりほら、空を見てよ。僕たちがアレに負けたから、世界が変わっちゃったんだ。」
ついさっきの記憶はどんどん薄れていって、元々あった世界の事を忘れていくのがわかった。自分の事さえわからなくなってしまう。アレはアンズィルの瞳を使って、全ての精霊を封印しようとしているようだ。
「何とかしなきゃ...!」
「そうだね。さっきまで人がたくさんいたのに...すごく怖かった気がするけど...みんなどこに行ったんだろ。シュロが一緒にいて良かった。」
少女はそう言って、犬の首筋を撫でた。
「セレニア?」
「セレニアって何?私はイヴェットでしょ。ねえ、シュロと喋れるなんて夢みたい!ここは天国なのかな?」




