序章 2
ピークはカッツォの肩から飛び降りると、地面から虫を掘り返しそれを啄ばんだ。
その様子を無意識に顔を引きつらせて見ているハンドレッドを、カッツォがまじまじと眺めている。
「いやー、ドレ、ハンドレッド王子。うん、大して隠してないのに気がつかないもんだ。」
「...それでもついてくるのか?」
「国境周りを王子様が一人でうろうろしていたら危ないと思うなぁ。」
ハンドレッドとしても、旅慣れているカッツォが同行してくれたほうが好都合だった。
「私の情報を売らないと約束してくれないか。もし金が必要なら言い値で私が買おう。」
そう言うとカッツォは、へっと苦笑いをした。
「王子様から見れば俺は貧乏でがめつい庶民かも知れませんがね、旅の仲間に金をせびろうなんて思っていやせんよ。」
と言って、早足でズンズンと行ってしまう。ピークが首を傾げた後、地面を跳ねてカッツォを追いかけた。
「すまなかった。ちょっと君を誤解していたようだ。」
ハンドレッドも慌ててカッツォを追いかけた。踏まれそうになったピークが迷惑そうにピィ、と鳴いて、カッツォの頭の上に飛び上がる。
「随分、正直者の王子様だなぁ。」
カッツォは呆れて振り向いた。
「俺は旅をする時は大抵誰かにくっついて歩く。話を集めてる俺自身の旅には面白い事も無いんでね。」
「私がオーネット領に行くのに面白い事は無い...が、旅をするのは初めてなんだ。」
真剣にカッツォの目を見ているハンドレッドの顔を見て、カッツォは頭を掻いた。
「良かった良かった、馬車に乗り合わせたのが俺で。こんなの放って置けないよ。あっという間に騙される。ファムリアに捕まったりなんかして、南オルミスが危ないな。」
「...よく言われるんだ、馬鹿正直だって。」
「はっは、良い王子様じゃないか。」
「王子王子と言わないでくれ。兄様も近くに居るんだから。さっきの通り、ドレと呼んでくれて良い。」
カッツォとは、良い友だちになれそうだとハンドレッドは思った。これまで友だちは一人しかいなかった、そのソラミル・オーネットでさえハンドレッドに敬語を使っていたのだが、カッツォに無礼に話されるのは寧ろ心地良くさえある。
オーネット領に何らかの攻撃がなされたという情報は、十日程前にこのフラネールの町から王の元へ届けられた。フラネールはいつファムリアと衝突しても拠点として機能出来るように、町を囲う防壁、兵舎、高い見張り塔が昔から整備されている。
元々南オルミスとファムリアは、別大陸にあったオルミスという世界にたった一つの国から分かれた、王家の血を同じくする二国だった。先にこの大陸にファムリアが造られ、本拠地のオルミスが国内の反体制派に押された時に王家がファムリアを頼って亡命し、南オルミスが築かれた。その頃はまだオルミスが本国でファムリアが従国という体裁を保っていたが、決定的にファムリアが南オルミスを抜いたのは、本拠地オルミスをファムリアの船団が取り戻した時だと考えられている。建国当初からファムリアの方がより優れた国家体制だった、という学者の論が多くあるが、誇り高いオルミス王家は見て見ぬ振りをしてきた。
オルミスとファムリアの両国に顔の利いたオーネット・サキタリという人物にオーネット領を与えたのはファムリアだった。その後オーネット領の管理を任された家筋がオーネット領を隔てて南オルミスの建国を助け、間にあったオーネット領が国境とされた。オーネット領が間となったのは単純に端から土地を埋めて行っただけの事だった。
だがオーネット領は二国間に大きな働きをする事となった。南オルミスがファムリアの台頭に不満を持ち、ファムリア王家との関係にヒビを入れても、仲を取り持ち修復してきたのがオーネットの領主だった。オーネット領主の仲裁を見越して南オルミスはファムリアに喧嘩をふっかける。ファムリアも定例行事のようにそれを受け入れ形ばかりの緊張が国内に走る。百年以上そんな関係を続けてきた。オーネット領は本来はファムリアでも南オルミスでも無く、一つの小国であると言うのが実際のところだ。
そのオーネット領をファムリアが攻撃したーーとあらば、もう仲裁は要らぬという苛烈な宣戦布告に他ならない。賢く穏やかであったファムリアの王家にも遂に愚王が誕生したのだ、と南オルミスの国民は大きく一息を吐き、今や各々誇りを持って剣を握り締めていた。
この十日のうちにこちらに残っていたファムリアの商人たちが大慌てで国境を越えて行ったのだろうか、その逆もあったのだろう、閉鎖されている東側の門辺りには、轍が無数に残されている。
ハンドレッドとカッツォは南の門から出て行った。南は西南のウィストリアへ続く街道があり、オーネット領に向かう東側には道が無く森が広がっている。オーネット領は北南に長いので、見張ろうとしたって必ず穴が開く。とカッツォは言った。
「何たってファムリアの強みは船団だ。だからアルフレッド王子もきっと、ファムリアは海から来る可能性があると予測してる。」
「...ならベアトール兄様が海に出ているはずだ。」
「だろうなぁ。陸のアルフレッド、海のベアトール、城塞のマリージア。とはいえ誰も戦争を経験した事はない。一体、誰がつけた異名なんだ。」
「兄様たちだよ。兄様たちと姉様は石並べという遊びが好きだった。石を兵隊に準えて戦争になったらどこをどう攻め守るかっていうゲームなんだけど、陸の盤面ではアルフレッド兄様に、海の盤面ではベアトール兄様に、城の防衛戦ではマリージア姉様にそれぞれ勝てなかったからそう呼び合ってた。それを騎士たちが面白がって広めたんだ。」
「へー、聞いてみるもんだなぁ。良い話を知ったよ。ところでもう一人、南オルミスにはハンドレッド王子という末弟がいるはずだけど...。」
「...彼は一人だけ歳が離れていて、一緒に遊んではもらえなかった。」
「成る程ねぇ。」
カッツォはハンドレッドの肩を、軽く叩いて慰めた。
「...もしファムリアが森から抜けて来たら、どうなるかな。」
ハンドレッドはふと、一抹の不安を覚えてカッツォに言う。するとカッツォは近づいて来た森の中を指し示し、
「アルフレッド王子はそこまで計算尽くさ。」
と言った。森の周りには既に、一つの小隊が野営地を整えていた。
「どうする。このまま行けば止められるだろう?」
「どうかな。ピーク、頼むよ。」
カッツォが小さく指笛を鳴らすと、ピークはカッツォの肩から力強く飛び立った。そのまま高く舞い上がり、小隊のいる野営地の上に飛んで行く。
空に円を描きながら、ピーィ、ピーィ、と鳴き続けた。
野営地は騒ついて、外にいた騎士兵たちは皆、得体の知れぬ空の動物に注目していた。何かの兆しではないかと手に剣を構える者もいる。ピークは時折意味ありげに、北に向かって滑空したりした。その隙にカッツォとハンドレッドは素早く、こっそりと木々の中に身を隠した。
「残念ながら、あれはアルフレッド王子では無く、彼の置いた石に過ぎない。」
はぁ、はぁ、と息を吐くハンドレッドの横で、同じく音を立てない全速力をしたはずのカッツォは涼しい顔をして言った。
「...空のカッツォだな。」
ハンドレッドが感心して言うと、カッツォは目を瞬かせ、それから照れ臭そうに自分の目の横を掻いた。
「いやぁ、これは、ズルだよ。」
森に入ってすぐ、小川が流れていた。ここから先がオーネット領になる。
「オーネット領の全てが焼け野原ってのは、間違いだったなぁ。」
橋を渡るハンドレッドに、小川を飛び越えたカッツォは言った。
「じゃあ、もしかしたら...。」
生きている人間がいない、という情報も間違いである事をハンドレッドは期待した。
「...まだ、希望を持たせる事は言えないよ。」
ピークが颯爽と戻って来て近くの木の枝に止まった。見つからないようにわざわざ他の方向から森に入り、低く木々の間を飛んで来たようだった。何て賢い動物だろうかとハンドレッドは感心した。
「森から出ると丘陵があって、墓地だ。小さな村がある。ドレが行きたいのは、領主の屋敷の方なんだよな。畑がずーっと続いているんだったか...。」
カッツォの頭の中には、オーネット領の詳細な地図が広げられているかのようだ。そう思った事をハンドレッドが言うと、彼は「前にこの辺りの話を聞いた事があった。」と答えた。
「往来する商人たちがオーネット領の惨状を話したんなら、通るのは領主屋敷の側の街道だ。焼け野原の情報はその辺りの事だろう。もしかしたら、村なんかは無事だった可能性がある。ドレの友だちってのが、誰かだけど...。」
「...ソラミル・オーネット。」
「だ、よなぁ。」
領主の息子に自分たちと同じ年頃のがいたはずだと、カッツォはちょうど思ってはいた所だった。王子の友だちに値する人物なんてその人を差し置いて無い。何か用があって、ソラミルが屋敷を離れていたんでもなければ、生存は絶望的だ。いや、まだ焼け野原をこの目で確かめたわけではない。いやしかし、アルフレッド王子がフラネールに来ている時点で情報が真実だという事は確認されているのだ。
カッツォとハンドレッドは鬱蒼とした森の中を、お互いそれ以上の言葉を発さずに進んで行った。森を抜けるまでは希望を持っていたかったし、希望を持たせておいてやりたかったからだった。
しかし、儚い願いは突然突き付けられた現実に打ち破られた。
ある一線を境にーー不幸にもその線上に生えていた木は線から向こうだけがそうなり、線からこっちを未だに残したまま立ち続けている。ーー黒い焼け焦げ跡を境に、森は突然、喪われていた。木だけでは無い。同じように真っ黒な地面がずっと視界に広がっている。
「焼け野原...どころじゃない。」
カッツォもその光景に愕然とした。
「何だこりゃ...本当にファムリアの攻撃なのか...?」
二人はまだ森の中にいた。その一線を越えられずにいた。一歩踏み出してそれに触れてしまったら、自分たちも黒さに侵されてしまうのでは無いかと思う程の禍々しい有様だった。
ピークは飛び立ち、数キロは草木一本無いであろう焦土の上の広過ぎる空にはしゃぐかの様に。一羽悠々と、風に乗っていた。




