9 誰が罠を仕掛けたか
ケンシーを封印して一時、二時、いつでも箱を開けられるようエディメルはレイドンの部屋にいた。
一時目は気持ちが悪くなった。箱を開けようかと悩んだが、レイドンとイシュハームがそれを止めた。
「辛いだろうがもう少し様子を見てくれ。ケンシーがいないという不安で起こっている症状かもしれない。ケンシーの魔法を信じるんだ。」
二時もすれば体調はだいぶ落ち着いていた。
「少し外へ行ってみよう、外からの刺激が君の病を引き起こしていたんだから。」
「でも外でエディメルが倒れてしまったらどうするんだ。」
「庭師のガルシオをこの部屋に居させましょう。彼は力持ちだから。」
エディメルの母、クローレアが部屋に様子を見に来ていた。
「気分はどう?エディ。」
「全く問題ありません。」
クローレアは涙ぐんで息子の頬に触れた。
「彼女には本当に感謝しなくては...。」
エディメルはレイドン、イグニーズ、レラを従えて屋敷の外に出た。屋敷の中では感じなかったが、風や光が、今までは心地よくもどこか気を許せない思いをしていたものがとても美しく感じられる。
「絵を描きたい。」
とエディメルが言ったので、レラが画材を用意した。彼がミシュワの花畑を描くのを彼らは暫く見守った。
「昔、学校に行って三時ほどで倒れた事がありました。」
屋敷の窓辺からその様子を見ていたクローレアはイシュハームに言った。
「環境にもよります。正直なところ一日では、治ったと明言するのは難しいですな。」
「あのレイドンは私よりも息子の状態を把握していますから...。」
「存じております。精霊研究家のレイドン・ルディオーネット...彼は他分野にも詳しい。城下ではアイピレイスの再来かとまで噂されているんですよ。彼を疑う事はありませんが、今回は友人として動いている。医学書に残すには数日の実験結果が欲しいですね。」
昼食をとった後、エディメルは離れで短い昼寝をした。窓辺にケンシーの姿を思い浮かべながら、ソファに横たわりうとうとと夢に沈んでいく。エディメルは港にいた。大きな船が泊まっている。これからこのファムレ号に乗ってーーと思ったところで、ああこれはこの前読んだ小説の夢だと気付き眠りから覚めた。
レラがいつものお茶を運んでくる。レイドンとイグニーズもやって来て、楽しい一時を過ごした。
「セヅウェル医師の言う事は尤もだ...。ケンシーには申し訳ないが、二、三日は様子を見るべきだ。」
イグニーズが言うので、エディメルは怒った。
「ケンシーには明日の朝、箱を開けると約束している。二、三日もあんなところにいさせては可哀想だ。」
「でもエディメル。君は、大切な又従兄弟であり友人だから言うんだ、君は彼女に依存し過ぎている気がある。しっかり病が治った事を証明するのはこれからのケンシーの為にもなる。」
「つまりイグニーズが言いたいのはだね...愛の試練を受けよ、という事さ。」
エディメルは二人の説得に納得しかねていた。
夕食をとり夜になる。
エディメルは寂しさを募らせてはいたが、ケンシーの為にも情けない姿を見せまいと堪えていた。体調は問題なく良好だった。
「もう一日だ。」
エディメルは言った。
「三日は待たせられない。明後日の朝、箱を開ける。」
次の日の朝、両親は息子の英断に感心した。
そうして一日が同じように過ぎていった、その夜。
「そろそろ屋敷の寝室に戻ろう。」
イグニーズが言う。
「ああ...。」
「エディメル、ケンシーが居るのは向こうの僕の部屋だ。そうやってミシュワ畑に想いを馳せているのはなんだか滑稽だよ。」
レイドンはからかうように言ったが、エディメルを気遣っていた。
「ふっ...本当だ。」
エディメルは笑って、皆で扉へと向かった。レラが扉の横に立っていた。
レイドン、イグニーズと離れを出て、ーー扉は閉まりカチリと音を立てた。
「...あれ?」
レイドンが扉に手をかける。
「エディメル...レラ?大丈夫か?」
「どうしたのだろう。」
イグニーズも心配そうに言った。だが、顎に手を当てふうん、と言って、
「もしや...レラも募らせていた想いがあるのでは無いか?ケンシーのいない機会は貴重だものな。」
「いや、レラは...。」
しかし、人の心まで理解しているというのは奢りだ。と、レイドンは思った。
「乱暴に押し入るものでもあるまい。少し庭園でも散歩していようじゃ無いか。離れは見えるから、何かあれば駆け付ければ良いんだ。」
「...そうだな。少し心配ではあるが...。」
イグニーズに促され、レイドンは共に離れを後にした。
「何をしている...レラ...!」
鍵をかけた扉を背後に、レラはまず手にしていた灯りの火を消した。離れの中は部屋の窓辺からの僅かな月明かりしかなく、エディメルの目には扉も鍵も所在がわからない。
レラがするりと衣服を脱ぐ、衣摺れの音が聞こえた。
「私はエディメル様をお慕いしてはおりません。ですがオーネット家に受けた多大な恩...。」
真っ暗の中にレラの姿はよく見えない。朧げな輪郭がエディメルに近づき、怖気付く彼の手を取った。
柔らかい温もりが手のひらに触れる。
「私の身で返せるならば、喜んで。」
「誰が...母か?父か?従わなくていい、こんな...。」
唇が塞がれる。
後ろ向きに歩かされて行く、エディメルは部屋に戻された。月明かりにレラの細い身体が照らし出される。
次の日、エディメル・オーネットは朝夜を徹しケンシーに呼びかけ続けたが、その蓋はぴくりとも開かずーーーその日以来、生涯二度と箱を目にする事は無かった。




