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セレニアの国の物語  作者: さなか
オーネットのエディメル
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7 彼女は彼を...

 例え君が、私の願いを叶えてくれなくても。


 あの日、最後にエディメルは言った。

 あの日以来、私は穏やかな気分で日々を過ごしている。絵に描かれるのが嫌だと伝えたらエディメルは驚いたけれど私を描くのをやめた。レラが景色を描く事を勧めて、彼はそうすると言った。

 私は彼の願いを叶えようと躍起になり過ぎていたのね。そうしなくても良いと思ったら、エディメルと過ごす日々が今までよりずっと楽しい。


『海に?』


「勿論、ミシュワの花畑でも良い。」


 エディメルは離れにこもらず、よく外に出るようになった。私を連れて、そう遠くまでは行かないけれどオーネットの領内のあちこちでお昼を食べたりする。人間の恋人同士の過ごし方なのですって。

 ミシュワ以外の生気の溢れる場所に行くのは、私にとっても新しい刺激になる。


『町にも、行ってみたいわ。』


 私が言うと、エディメルは困ったようだった。


『嫌?』


 人が多い場所は怖い。と、エディメルは頭の中で言う。


「君が美しいから心配だ。」


『エディメル?』


「...格好つけたって良いだろう。私ももう子どもじゃないんだ。」


『あら、子ども扱いなんてしていないわ。』


「いいや、しているね。君がいかに私を幼く見ているかよくわかっている。」


『してないわ。』


 エディメルはなんだか頑固になった。でも決して嫌な気持ちじゃない。彼も、こんな時間を前よりも楽しいと感じている。


「町にもいずれ行こう。私がもう少し外に慣れてから。」


『楽しみね。』


「ああ、そうだね。」


 この穏やかな感情を何というのかしら。エディメルの考えている事が、勿論前から読み取れてはいたのだけれど...。


「エディメル様。」


「ああ。じゃあケンシー、仕事の時間だ。待っていておくれ、また後で」


 レラとエディメルが連れ立って歩いて行く。

 エディメルが仕事をするのはほんの二、三時の間だけれど、その間がつまらなくて仕方ない。

 もっと彼と話していたいし、もっと彼の側にいたい。でもエディメルがダメだと言ったわ。私がいるととても仕事にならないし、彼の父親の部屋に入るのは許されていないから。

 私もエディメルの為に何か出来ないかしら。レラのようにずっと一緒にいられたなら、どんなに良いかしら。

 レラのように...。







「お茶を...。」


 離れに帰ってきたエディメルは驚いて、テーブルを見た。


「君が?」


『ええ。』


 レラも驚いている。私はとても満足した。

 水を湯に沸かし、ティーカップを呼んでミシュワの花を浮かべた。無機物のカップを私一人の時に認識するのが少し難しいけれど、いつも向こうの棚からレラが出してくるのは知っていたから、ほんのちょっと疲れるくらいの事だったわ。


『レラ、ここでは私がエディメルの事をするわ。あなたは屋敷へ帰って。』


「エディメル様のお世話をするのは私の仕事です。貴女に指図され放棄するわけにはいきません。」


『雇用主は誰?』


「奥様です。」


 クローレア...。彼女は苦手。


『...じゃあそこにいてもいいわ。』


 悔しいけど仕方がないわ。

 オーネット領にいる私がエディメルにとって、良いものだと思ってもらわなければ。


『エディメル、昨日の続きを読んで。』


 私は窓辺ではなく、エディメルの座る椅子に後ろからもたれかかった。

 最近は、こうするのが気に入っている。


「いいよ。」


 エディメルは私が側にいる事に喜びを感じている。テーブルの上の本を取り、栞のページを開く。


「...私たちが東の荒野から帰還すると、誰よりも先にエッカーナ王女が一行を出迎えました。多くの捕虜を引き連れている私たちをねぎらいつつも、エッカーナ王女は高い頭のてっぺんを更に高くしてとても落ち着かない様子で行列を眺めていましたので、私は何だかそれが可愛らしくも可笑しくなってきて、二日間の疲れがすっかり吹き飛んでしまいました。

 皆同じ気持ちだったのでしょう。


 "ヘイス殿ならあちらにおわしまするぞ。"


 と誰かがからかいました。エッカーナ王女は彼女自身の赤毛のように顔を真っ赤に染めて慌てふためいておりました。


 それから数日後、戦いの功労者であるドラギエル・ドーデミリオンが、かのナバル・パームシュカと結婚すると申しましたのでメルキド王の命により祝いの品を運びました。祝いと労いに城下に来ていたコカトの兄弟でドラギエルとナバルの家はとても窮屈でした。

 同行したオーネット・サキタリは、"そろそろ王陛下にも、彼らの結婚を許すよう説得をせねばなりませんね。"と私に言いました。」


『結婚...。』


「家族になり同じ家名を継ぐ事だよ。」


『私とあなたが結婚したら私はケンシー・オーネットになるのね。』


「...そうだね、君に家名がなければ...。」


 オーネットの中にモヤモヤとした一つの思考が生まれようとしている。私が今言ったことについて、なのだけれど...何故かしら。

 怖い。

 違う話をすれば良かった。


『オーネットは結婚しなかったのにどうしてあなたはエディメル・オーネットなの?』


「私の家のオーネットは地名だ。元々はルペッサン。オーネット・サキタリの死後この領地を任されたからオーネット領の領主、わかりやすくオーネットと名乗ったんだ。」


『そうなのね。さあ、続きを読んで。』


 私なんであんな馬鹿な事を言ったのかしら。

 エディメルの中からその思考が消えたので、私は安心した。








『おはようレラ。』


「...何か御用ですか、ケンシー。」


『ケンシー様と呼ばないの?あなたは人を呼ぶ時、いつも様をつけるでしょう。』


「人を呼ぶ時、ですね。」


 レラの感情はチクチクしている。


『セレニアは?』


「...セレニア様です。何か御用ですか、ケンシー。」


 レラは嫌いだけど、落ち着いて見ればまだまだ子ども。たった十数年しか生きていないんだものね。私だってその頃は、食べる事しか頭に無かったわ。


『私、エディメルの為にもっとたくさんの事をしたいのよ。』


「私の仕事を魔法に奪われては困ります。」


『そんな事言わないで。クローレアにはばれないようにするから...。私、まだまだわからないの。人間の生活の中で女が何をしたら良いのか。』


 レラはとても驚いたようだった。


「...それは、エディメル様の願い以上にという意味ですか。」


 レイドン様にお伝えしなければ、と彼女の頭の中はざわついている。


『そうね、レイドンがいたらすぐに聞けるのだけど。』


 と私が言うと、レラは不快感を抱いた。思考を読んだのが気に入らなかったのね。


『レラが何をしているか識りたいの。』


「...。」


 邪魔...という声と、断っても無駄か、という声がしてレラは私から離れて行った。私は後を追いかけた。



 レラは屋敷の中のエディメルの寝室へ向かう。レラが目から取り込んだ情報を私は見ている。ベッドで寝ているエディメルを起こす。


「おはようございます、エディメル様。」


『おはようエディメル。』


「おはよう...ケンシー?」


 エディメルは驚いて微睡みの意識から覚めた。


「本日は午後にイシュハーム様が...。」


「どうしたんだい、朝起きて一番に君の顔を見られるなんてこんなに素晴らしい目覚めはない。」


『まあエディメル。やっぱり外見が好きなのね。』


「顔と言ったのは一つの言葉の流れなんだ。当然、君のすべてが愛おしい。」


「...。イシュハーム様がいらっしゃいますので、お召し物はこちらに。」


「わかった、ありがとうレラ。」


 エディメルはレラの持って来た朝食を食べている。朝は食事と...服ね。


 部屋を出て、レラは屋敷の使用人の部屋へ。使用人は男と女と三十人ほど居るけれど、エディメルのところへ来るレラ以外はあまり知らないわ。

 いつも庭園にいるガルシオは少年の頃から知っている。木や花の手入れをしている。ミシュワの花畑もたまに見に来る事がある。


「レラ...何故ケンシー様がこちらに?」


「申し訳ありません。私について来てしまって...。」


 彼女たちは私がいる事に困惑しながらもぞろぞろと部屋を出て行った。

 私はレラについて行く。レラが廊下に止まり何かをしている。じっと探ってみると、小さな小さな光にもならない微かな気配が、レラが何かをする度に移動している。


『...何をしているの?』


「掃除です。」


 吸っても生気の足しにもならないわね。この微弱な生気は、気が付いてしまうとそこら中にあるものなのね。今までは大きな生気の塊しか見ていなかったから識らなかったけど、識ってしまえばどこを見てもそれがいる。


『人間の目は何でも見えているのね。』


 レラはしばらくすると移動して、またエディメルの部屋へ向かった。

 エディメルはもう部屋を出ていて、絵を描きに行ったのかしら、屋敷の外に気配があった。レラは掃除を始めて、エディメルのベッドからシーツを剥がして、それを持ってまた移動して、シーツは水で洗われて...。


「洗濯です。」


『衣服、シーツ...布を清潔にするのね。』


 懐かしいわ。アルソリオで私たちはこうして人間の世話をしていたもの。やっている内容は少しずつ違うけれど、求めている結果は同じね。

 つまりアルソリオでしていたような事をすればエディメルの役に立てるのだわ。


(どうしよう...。)


 レラの声だった。部屋中をあくせく動き回っている彼女は私に語りかけている訳ではないようだった。


(もしケンシーが魔法を使ったら...私たちルディはこれから何処へいけば良いんだろう...。)




 掃除が終わるとレラは屋敷の外へ出て、エディメルの元へ向かう。離れにいたエディメルはレラの後ろにいる私を見て笑った。


「君たちが仲良くなったみたいで嬉しいよ。」


 レラは否定したいみたいだけれど、黙っている。


「でもケンシーがいないと私がここにいる意味もないな。」


『退屈させてごめんなさい。今日一日だけよ。』


 レラがお茶を入れている間、私はエディメルの側にいた。


『エディメルの役に立ちたいの。』


「ケンシー、そう思ってくれているというだけで充分だ。」


『レラが、私に仕事を取られるのが困ると心配しているのよ。』


「仕事は人間の生き甲斐だ。役割を持つ喜びは与えられてみるとわかる。」


 エディメルも、父親の仕事を手伝うようになって嬉しいのね。


『掃除と洗濯をするわ。見ていて...。』


 部屋の壁、隙間にいる微小な者たち。エディメルの服の編み込みの中にいる小さく逞しい者たち。外へ出て行って、もう二度と戻らぬよう。

 思考とは言えない単純な性質しか持っていないから言い付けるのは簡単だった。

 ほら、もう何もいないでしょう?


 お茶を持って入って来たレラは驚いていた。部屋を見回し、そして本棚を指でなぞると彼女は勝ち誇って言った。


「確かに綺麗にはなっていますが、掃除の出来る目を持つ人間が必要なようですね。」


 レラの目に映っているのは指に付いた埃、テーブルに積まれた本、椅子の背に投げっ放しのコート、エディメルが飲んだ薬の包み紙...。

 この部屋にそれらの物があった事を私は今まで識らなかった。


『散らかっているという事ね。エディメルの目にはどうして映っていなかったのかしら。』


「あ...!申し訳ございません、エディメル様。」


 レラが慌てて頭を下げたのを見て、エディメルは「くっく、」と笑った。

 彼女の羞恥を愛おしむように。




 ズキ、


 と私の全てが割れるような痛みを覚える。


 痛み?


 以前、私は死を知るためにーーシロンの沼地にいた頃だったわ、人間同士が争って死にゆく者の感覚を識ろうとしてーー情報を取り入れた時に、とても恐ろしい思いをした。

 その痛みが今、私の身から起こっていた。


 何故...?まだ人間になったわけでもないのに。


 エディメルにすがろうとすると、彼はまだレラの事を見て、いつも私に思うように彼女を可愛いと思っている。


 ...彼女に手を伸ばさないで!


 エディメルはそんな事をしようともしていないのに、私の中にゆらゆらと怒りの感情が湧き上がる。

 エディメルが彼女の髪に触れてしまうんじゃないかと恐れている。



 彼が...彼の手が...彼の指が...触れる...どんな感覚かしら。

 彼が私に触れられたなら...。

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