25 北に残された人々の唄
ドラギエルが戻って来て水を飲んだヘイスはさすがに腹が減ったというので、カラットが黄色い実を採りに行った。
食べさせてやると今度は起き上がりたいと言うので起こして背中を岩に預けさせてやり、体がギシギシすると言うのでドラギエルがおぶって川に行くことになった。
二人が火をつけることが出来ない、と言うと木の枝を拾っていくようにヘイスは指図した。
川岸について降ろされたヘイスは肘をついて木の根に寝っ転がって、三日間何があったかを聞いた。
何だか港の宿泊所にいた時のことを思い出すとカラットが思っていると、その視線に気づいたヘイスが、
「冗談はこのくらいにするか。」
と言って自分で軽々と起き上がったのだった。
「...最初から動けたんじゃないだろうな。」
一日中働かされたカラットが不満を十分に顔に出して言うと、ヘイスはふん、と笑った。
ドラギエルは安心した。
「タタディアはどこかにいるのか?」
服と体を洗った後で、木の枝を使っていとも簡単に火を起こしたヘイスが聞いた。
「たぶん。お前に負けたって随分不機嫌だった。」
「そうか。」
「なあ、教えてくれないか。何でこんなことになったのか、【セアラ・エッカーナ号】で何が起きていたのか。
ヘイスが、何者なのか。」
カラットが言うと、ドラギエルも強く頷いた。ヘイスは焚き火越しに二人をジッと見ていたが、やがて火に視線を移し、話し出した。
「ヘイス・カフェトー。
俺の名前を聞いて、お前たちは何も反応しなかった。港のやつらもそうだ。オルミスってのは本当に、自由に生きる人間を受け入れてくれるんだと感動していたが、お前たちは知らなかっただけなんだな。」
その言葉は、ヘイスが失望しているように感じられた。
「俺たちはロットと聞けば大農場の主人だとわかるし、サキタリと聞けば商会の総元締めだとわかる。城内の人間しか危機感が無いなんて、オルミスが心配になるな。」
「俺たちって?」
「北の人間。自分たちをアルソリオと呼んでいる反体制派。
俺はそこのリーダー...だった、'北の狼'カフェトー家の四男。」
カラットはやっぱりそうかと思った。
ドラギエルは、ゴクリと喉を鳴らした。ドラギエルも反体制派の事は知っていた。コカトの北の川向こうに住んでいる人々で大人たちが悪し様に罵ることが多い。
「精霊王セレニアを呼び戻しかつてのアルソリオの国に戻る。それが北の人間の悲願だ。オルミスが出来た頃から争いを仕掛け負け続けている。もう二百四十年も経ち、精霊王も眠りオルミスは発展を続けている。自分たちだって生きていくためにそれぞれ役割を持って働くようになった。なのにまだ、精霊王を戴いて精霊が何もかもをやってくれる国を渇望している時代遅れの情け無い連中だよ。」
「...。」
散々人をこき使っておいてお前が言える事なのか、とカラットは思った。それが伝わったのか、目が合ったヘイスはふん、と鼻を鳴らした。
「今更、精霊が戻って来たって人は退屈を覚えている。北の多くの人間は今だに精霊王こそ自分たちの王だと精霊王崇拝をしているが、実際に行動を指示している上部の考えは既に違う。人間の自由を推奨する精霊王は二度と姿を顕さないと理解している。北の連中のやっている事はもはや無意味だ。だがもう北の人間はオルミスに結合する事は出来ない。
だから自分たちも一つの国になろうとしている。カフェトー家は、精霊王しか認めない奴らを従える為に、精霊王の代わりになる精霊とアルソリオの正当後継者の証が必要だと考えた。」
ドラギエルには難しい話で端々しか頭に入って来なかった。
ヘイスは続けた。
「俺はオルミスから、代々オルミス王家の誰かについて回るという精霊と、アルソリオが崩壊した時に精霊王に'封印されし狼王の剣'を盗み出す為の訓練を受けて育てられた。
アルソリオの正当後継者を主張し、オルミスに並び立つ国を立ち上げる為にだ。
二百四十年の差を埋めるにはオルミスに弱体化してもらうしかない。東の海岸を回って港からオルミスに攻め入る計画も立てていた。オルミスは北ばかり警戒して他の地域はほったらかしだからな。北に集中させる為につまらない事件を起こしていた。
...コートナー料理長が言ってた北の防壁の戦いもその一つだ。四十年前にカフェトーが仕掛けた小さなちょっかいだったが、オルミスが本気になったせいで随分大事になった'失敗'だったと聞いている。
俺が港町でお前たちと会った日、その前の夜が計画の日だった。俺はオルミスに侵入し、城を素通りして港に行った。」
「裏切った?」
「そうだな。アルソリオの奴らは馬鹿みたいだと前から思っていたし、辛い訓練をした親父たちに腹も立っていた。...攫われる'精霊付きの第三王女'が不憫だとも。
ふん。人間を攫う計画じゃなかったら俺は言われた通りやっていたかもしれない。」
カラットは、自身を少し不思議そうに言ったヘイスの事がわかった気がした。
「なんだかんだ言ってさ、優しいんだな。」
ドラギエルも頷いた。
「誰が。」
「お前だよ。」
「はあ?
俺は...自分のしたいようにしただけだ。計画を失敗させたせいで、カフェトー家は潰れたらしい。皆殺しにされて。」
パチ、と木の枝が音を立てた。
ヘイスはまったく無表情のまま言った。
「嘘の情報って可能性もあるけど、多分本当だろうな。俺が裏切って慌てている隙をつかれたか、
...よく考えれば俺が裏切ったからじゃなくて、はじめから強奪を成功させた俺と一族を殺す計画だったんだろう。カフェトー家がアルソリオの実権を握るのを阻止されたんだ。」
「オルミスに?」
「...カフェトー家はオルミスからの交渉も受け入れる穏健派だった。それが気に食わない奴らがいる。過激派のファルトーソー家についている連中はオルミスと戦争をしたがっている。国を作るだけでなく、精霊がいないならオルミスの奴らをこき使おうとしているんだ。」
「そんな!」
カラットは憤慨した。
「そうだ。今まではカフェトーが抑えていたがもう歯止めはなくなった。もうオルミスで何か起きていてもおかしくない。」
ドラギエルとカラットは絶句した。森に、農場に住んでいる家族の顔が思い浮かんだ。
同時に、ヘイスがそれを全て失ったのだと思うと何と言ったらいいかわからなかった。
「オーネット・サキタリに毒を盛ったのはそのファルトーソーの人間だ。」
カラットはぎょっとして、「いたのか!?あの船に?」と叫んだ。
「トガの実が出てきた時に気が付いた。オーネットの症状がファルトーソーの得意とするシロンの毒だって。」
ヘイスは悔しそうに言った。
「ファルトーソーが潜り込んでいたとすると、ロベリタス副船長は殺されたのだろう。あの日甲板員や見張りは眠らされて、船は遭難させられたんだ。
だがタタディアに魔法をかけられたのは予定外だったはずだ。
生贄が必要だという話を聞いて毒を使ったに違いない。俺とドラギエルは疑いをかけられて海に落とされるはずだった。もう一人はエスラ...カラットが食事を運んだのはエスラ夫人が偶然交代した事だったからな。」
「誰が?誰がファルトーソーなんだ!?」
「...オーネット、エスラ夫人、西訛りの男、あの女。ここにいる三人は違う。」
「...わからないってことか?」
ヘイスはため息をつき首を振る。
「目的もわからないしな。逃げられたんだから勝ったようなもんだ。俺はずっとカフェトーを名乗ってたからいずれ殺されただだろうし。」
三人はすっかり乾いた服を着た。カラットとドラギエルも久しぶりに垢を落とし、痒みのない体になって満足した。
またすぐにつけられると言って、足で蹴飛ばして焚き火を消した。
森の中を入江に戻りながら、ヘイスは歌った。
「オルミス、人の新しき王は盲目の彼らの手を取り...。」
「どうしたんだ、ヘイス。歌なんて歌って。」
と、カラットがからかう。
「...オルマも南へ向かう時はこんな気持ちだったかと思ってな。」
ヘイスが照れていると気づいて、カラットは喜んで指をさして笑った。
「はは!お前、楽しいんだ。お前が歌を知ってるなんて意外だなあ...待て待て、ごめん!冗談だってもう言わないから...」
「何の歌?」
枝を突き刺されるカラットの後ろで、ドラギエルがはっきりとした声で言った。
「ドラギエル?」
「今の歌は何?」
ヘイスもドラギエルの真剣な様子を訝りながら答える。
「北に残された人々の唄だ。歌なんてこれしか知らない。」
「へえ。何だっけ、オルミスは...。」
ヘイスはじろりとカラットを睨んだ後、ぼそぼそと小さな声で歌った。
「オルミス、人の新き王は
盲目の彼らの手を取り
赤児を揺籠に置き去りに
南へ、南へーーー真っ新な地を求め
白き山の遠吠えに耳を塞ぎ
我らの王を連れ去りなん
南へ、南へ。」
ドラギエルは、歌を聴きながら、黙っていた。
心臓は飛び出しそうに強く脈打ち、身体中汗が出そうなのに冷たくて酷く気分が悪くなった。
(この唄は...北の人たちしか知らない唄...?)
ドラギエルは何度も唾を飲み込んだ。ヘイスに言わなければ、と思ったが口に出すことが出来ない。
「あ、そうだ!あの箱もヘイスなら開けられるんじゃないか。火もつけられるし箱も開くし、ヘイス様のおかげで俺たちは生きていられるよ。」
カラットが調子良く言った。
「箱?」
「小舟に積んであった箱だよ。多分緊急用のなんかを入れるやつだろ?このぐらいで狼のおっかない顔が彫ってあ」
ヘイスは突然、カラットの胸ぐらを掴んだ。
「狼の、箱?」
「いきなりこれやるのやめて...。」
カラットが言ったので、ヘイスは「悪い。」と手を離した。
茶色い大きな羽を広げて甲虫がぶうんと飛んで行った。




