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セレニアの国の物語  作者: さなか
オルミスの三人(ルワレー)
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21 入江

 小さな入江の砂浜に一艘の小舟が打ち上げられた。浅瀬の岩礁を泳ぐ様に避けたので、その岩の上にいた黒い毛並み艶やかな一匹の膃肭臍(オットセイ)ははじめ、その小舟を生き物だと勘違いした。

 なので、下顎を岩につけて舟が入るくらいに大口を開けて待っていた。

 小舟がすい、と自分をも不思議な角度で避けて行った時、膃肭臍は泡立つ深海の色をした目だけを動かしてそれを追い、半時ほど経った後に残念そうに口を閉じた。




 ドラギエルとカラットは光り輝く薄い青色をした波打ち際に降り立つと、小舟を流されない様に浜の上までしっかり押し上げた。ずぶ濡れの服を脱いで海水を絞り、既に脱いでいた靴と一緒に小舟の縁に干した。

 この暖かく穏やかな浜辺に着くまではとても酷い目に遭ったのだが、二人ともすっかり気を失っているうちに大半の時間が過ぎていた。

 ドラギエルが岩場にいる黒い毛並みの得体の知れない生き物に気がつき、小舟の陰に隠れたり恐る恐る寄ってみたりしたが、いくら待っても海を見たまままったく動かないのに呆れ放っておく事にした。


 二人はぴくりとも動かないヘイスを抱え、船から下ろした。湿った小舟の木の板よりもじわりと暖かい砂浜の方が良いかと思ったからだった。カラットはヘイスの心臓に耳を当て、かろうじて弱々しい脈がある事を確認した。


「水と食べる物がなきゃ、目を覚ましても死んじまうかもしれない。」


 カラットは言ってふと小舟を見やると、不機嫌仏頂面の精霊(タタディア)は小舟の先に座っていた。


「こんなところに着けるなんて奇跡だ。あの精霊のおかげなのかな。」


『早く飢えて動けなくなれ。』


 とタタディアは伝えてきたので、カラットは慌てて視線を外した。自分たちには、(いや、ドラギエルを侮れないが少なくとも自分には、)ヘイスの様に精霊に願いを叶えさせるなんて事は絶対に無理だと感じた。


『悔しい...悔しいぃいいいい〜!』


 タタディアは一人地団駄を踏んでいる。


「変な木だが森みたいなのがあるな、探しに行くか。俺たちだって何か食わなきゃ動けなくなる。」


 カラットはタタディアを見ない事にして、ドラギエルに言った。


「その前にあの箱を見てみよう。...ドラギエル、取ってきてくれ。」


「ええ...俺...?」


 ドラギエルはあからさまに嫌そうな顔をした。ドラギエルだってタタディアは苦手なのだ。


「お前はコカトの加護とやらがあるんだろ、俺には何も無いんだよ!」


 開き直ったカラットは無理矢理にドラギエルの背中を舟の方に押す。


「ヘイスを助ける...ためだ...!」


 とカラットが言うので、ドラギエルは仕方なく引き受ける事にした。

 一歩一歩タタディアの様子を伺いながら進んでいく。カラットも「早くしろよ。」とは言えなかった。


(コカト様コカト様...。)


 ドラギエルは夢中で祈った。遠く離れたコカトの森を思い出しながら。


『きいいぃい〜!腹が立つ!』


 タタディアは頭を掻き毟る様にして、ドラギエルをキッと睨みつける。それだけで心臓が止まってしまうのではという思いがした。


 ドラギエルはようやく小舟に近づき、腰掛の奥にある銀色の重たい箱をそうっと持ち上げると、一目散にカラットの方へ駆け戻った。


「はあ、ああ、怖かった...。」


「よくやったドラギエル。俺が隠れた時からずっと積んであったんだ、非常用の食料や道具が入っていると思うんだよ。」


 銀の細長い箱には、狼の絵が彫られている。

 カラットが開けようとしたが、隙間すら開かない。


「はあ。頼むよ、ドラギエル。」


 自分に力が足りないからだと情けなく思い、ドラギエルに託したが、その大きな手で狼の顔をぐっと掴んでも同じ様に微動だにしなかった。


「何だこりゃ。仕掛けがあるのかな。」


「ヘイスに聞こう、頭が良いから。」


 ドラギエルは言った。そうだな、とカラットは頷いた。


「海の生き物以外は動物も何もいないんだよな。だからあの森に入っても襲われる事は無い。」


「うん...。」


「あいつみたいに、海と陸の間の様な奴がいるかもしれないけど...。」


「うん...。」


「まあ、他に道は無いぜ。俺はヘイスを見てるからドラギエル、行ってきてくれ。」


「......え?」


「お前、森は得意だろ?任せたよ。」


「得意じゃない。」


「ん?」


「コカトだからって得意じゃない!トガの実で死にかけたし転ぶし迷うし森の事なんかわからない!」


 と一息で言って肩を上下させた。

 カラットは面食らって尻もちをついた。


「そ、そうなのか。悪かったよ。」


 そして立ち上がり、「じゃあ俺が行ってくる。」と手足に付いた砂を払った。

 膝がガクガク揺れ、太陽の光に立ち眩みがした。


(俺たちも体力が限界だ。急がないと...。)


 特にカラットはここ数日、一日一食しか摂っていなかった。砂に足を取られて歩くのもただではいかない。


(ここはサルト=カティスなのかな。だとしたら俺たちがはじめて足を着ける事になるなんて...。)


 カラットは砂浜に残る自分の足跡を振り返った。


(色々あったけど、これってすごいことなんじゃないか?)


 勇んで足を踏み出すと、足の裏が湿っぽく柔らかい感触に変わった。森に向かうまでは短い草がちらほらと生えている。


「痛っ。」


 小指の横側に鋭い痛みを感じて、カラットは右足をあげた。足に小さな穴が空いていて、周りが赤く腫れている。草のあたりをよく見ると小さな虫が動いている。


「虫はいるんだな。裸足じゃまずいか。」


 カラットは右足を庇いながら小舟へ戻った。




「くそ...結構痛いな...。」


 どんなに絞っても靴は濡れたままだ。気持ちの悪い足は更に痛みを増したが、カラットはやせ我慢をした。軽く右足を引きずりながら、森の前についた。

 カラットがはじめて見る不思議な木だった。枝が削ぎ落とされたのか一本も無く、毛羽立った幹が高く伸びていて、上の方にだけ大きな緑色の葉が広がっている。

 背の低い植物も似た様な濃い緑色の大きな葉を持つものがある。小さな白い花や、ひょろっと上に伸びた不思議な形の赤い花。

 黒い斑点かと思えば小さな虫がびっしりついている青い実や、黄色く細長い実が連なるものもある。


(食べれそうなものは取り敢えず持って行くか。)


 棒を拾い、足のひりつきに耐え背伸びをして黄色い実を叩き落とした。

 来た道がわからなくなる前に、浜辺へ戻ることにした。





 ヘイスの横に座っているドラギエルの背中が見える。ヘイスは相変わらずだった。


「...大丈夫なのか、これ。」


 カラットの声にドラギエルは振り返る。足でずーっと線を引きながら、黄色い細長い実を抱えていた。


「ヘイスだよ。何かした方がいいんじゃないか...。」


 カラットは倒れこむ様にドラギエルの隣に座った。右足の靴を脱ごうとするが、「痛っ...!」と言ったまま俯いて動かなくなった。


「大丈夫?」


 ドラギエルが言うが、カラットは返事もままならなかった。目をきつく瞑り痛みに耐える。足は焼ける様に熱く、靴の革が擦れると右半身に激痛が走った。


「む...虫に噛まれたんだ...っ!」


 カラットはナイフを出し、靴を破いてしまおうとした。なかなか刃が通らず苦戦する。ドラギエルが見かねて、カラットの震える足を押さえつけた。ふくらはぎを持たれるだけでも痛みはあったが、「脱がせてくれ...。」とカラットは言った。


 ドラギエルは泣きそうな顔をして、しかし思い切り靴を引っ張った。

 彼があげた叫び声はカラットを殺してしまったのではないかとさえ思った。


 カラットの足の小指がもう一つの親指の様に赤く腫れ上がっている。海水を含んだ靴で擦れて、膿んだ皮膚は裂けていた。

 海水でない水で洗わなくてはいけないと、とドラギエルにも一目でわかった。


 水を探しにドラギエルは森に入ることにした。 カラットはしばらくすると熱が出はじめ、大量の汗をかきはじめた。迷う時間もなかった。靴を履き、砂浜を登って行った。


 あまりにコカトと違うので、これは森じゃない、とドラギエルは思った。

 羽音が耳触りに聞こえた。やたらと虫が多いのだ。葉の間に蠢く者たちの音の奥に、流れる水の音を聞いた。


「川がある...。」


 水が手に入る!ドラギエルは大喜びで奥へ進もうとした。すると、細長い木の上についている葉に何かが当たるバラ、という音がした。

 何かは葉を滑り落ち、ドラギエルの上に降ってきた。


(雨だ!)


 ドラギエルは大急ぎで入江に駆け戻った。


 ひどい雨だった。舟で嵐にあった横殴りの雨よりももっと強い、水の壁の様な雨だった。ヘイスとカラットはなすすべも無く打ち付けられて皮膚が雨粒模様にへこんでいた。

 ドラギエルは呻いているカラットを抱えて、岩場の洞窟に運んだ。すぐにヘイスを運びに戻った。どちらが重症なのかドラギエルにはわからなかったが、声を出している者を後回しにすることがドラギエルには出来なかった。ヘイスを持ち上げながらドラギエルは、彼らはもう死んでしまっているのではないかと思った。そのくらい体が冷たくなっていたからだった。


 ヘイスを洞窟に寝かせるともう一度、ドラギエルは雨の中に戻っていった。波が高くなり舟が動いている。もっと浜の方へあげておかなければならなかったが、カラットが取ってきた黄色い実と銀色の箱が目に留まる。

 ドラギエルは舟にかけていた服を取り、黄色い実と箱の上に乗せて岩場を上がっていった。

 見ると、小舟は海へ流されてしまっていた。



 自分は失敗したのではないか、と罪の意識に苛まれながら洞窟に入ると仄かに明るくなっていた。タタディアが中にいたからだった。


『こちらの男はもう駄目じゃろ。いただくぞ。』


 と、カラットの傍らにいて言う。


「駄目だ!」


 ドラギエルは言った。


「まだ...まだ助かる!」


『まったく余計な約束をしたものじゃ妾とした事が...。』


 そう言ってしゃがみ込むタタディアは、少し髪が伸びているように見えた。


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