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セレニアの国の物語  作者: さなか
オルミスの三人(ルワレー)
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20 真実の海

「逃げるぞ、カラット。」


 コートナーがライルズに言われて調理場を調べに行っているうちに、ヘイスは小声でカラットに言った。


「逃...!」


 カラットは危うく大声を出しそうになった口を手で塞ぐ。


「...どこへ。」


「小舟だ。」


 ヘイスは言った。


「海へ逃げる。」


「そんなの無理だ...。」


「このままじゃ誰かに、俺たちは落とされる。俺とドラギエルとお前だ。」


 ヘイスはライルズ、グィオ、入り口のアキリ、ワイロフ、そしてコートナーの行ったその先を順に見た。


「穏便な落とされ方じゃないぞ。そうなったらもう助からない。」


「そんな事したら余計に疑われるんじゃないか?」


「もうこの場を覆す事こそ無理だ。三人生贄を出せばルワリ島に戻れる。船長が生きているうちに戻れれば助かるかもしれない。船長を助けたい奴にも殺したい奴にも都合よく俺たちは三人。」


 それを聞いて、カラットの顔はますます青ざめた。


「あの白髪の爺さんのいない今しかない。入り口の二人が邪魔だが、やれると思う。」


「やれるって?」


「問題はドラギエルだ。あいつをどうやって連れて行くか。」


 ヘイスは少し考えて、


「無理矢理引っ張っていくしかないな。」


「なあ本当に...。」


「俺は、」


 ヘイスは腕に絡まっていたロープを外した。軽くでも縛ったのに、とカラットは思った。


「一人でも行く。助けたいと思ったから声をかけたんだ。信じられないならついてこなくていい。」


「捕まったら...?」


「終わりだ。」


 カラットは迷っていたが、


「行くぞ!」


 グィオが机の向こうで屈んだ隙にヘイスは走り出したので、カラットも後に続いた。

 物音に振り返るエッカーナの横を通り抜け、ヘイスは入り口のワイロフを肩で突き飛ばし、「行け!」とカラットに言いながら、咄嗟に身構えたアキリの側頭部に蹴りを入れる。


「な...っ!」


 カラットは「ぅぶっ...!」と無様な呻き声を発し倒れるアキリを見て(ざまあみろ、)と思った。唖然としているドラギエルの手を掴み、「お前も来い!」と腕を引っ張る。

 ドラギエルはとても驚いて、すぐに動く事はできなかった。カラットの力ではドラギエルを走らせる事はできなかった。


「走れ!」


 ヘイスがドラギエルの背中を蹴る。

 転びかけたドラギエルはカラットに引かれるまま走り出した。

 ヘイスはワイロフと目があったが、彼は特に動こうとする気配はなかった。


「くっそ...っ!あいつ!」


 アキリは眩む頭を押さえて立ち上がり、三人の後を追った。

 三人は階段を駆け上がる。甲板に出ると、変わらない星空で辺りはよく見えた。


「船首の小舟に乗れ!」


 ヘイスは叫んで、カラットはもうどうにでもなれと思って甲板を駆け抜けた。


「...ヘイス!何故だ!」


 響き渡る声はエッカーナだった。


「何故逃げるんだ!正々堂々と、身の潔白を...。」


 ヘイスはドラギエルを小舟に押し込み、「しっかり捕まっていろよ。」と言って繋いでいるロープを緩め、海に降ろした。


「待て!」


「やめろ、その舟は...!」


 三分の一くらい降りた時、コートナーとグィオが迫って来ていた。ヘイスは腰からナイフを抜き、ロープを切った。軋む音を立てる小舟にヘイスが飛び乗り、最後の一本を切る。そうして繋ぐものがなくなった小舟は落ちて海面に打ち付けられた。


 小舟は斜めに落ちたので、ドラギエルが海に転がり落ちた。しっかりと縁に捕まっていたカラットは頭を強く打ちつけ、意識をなくして倒れた。ヘイスは水音を頼りにドラギエルの重たい服を掴み、暴れる大きな体を苦労して小舟の上にに引っ張りあげる。

 甲板で誰かが叫んでいるが、黒い影となって誰かは見えなかった。


「...。」


 小さく口を動かしただけだったが、ドラギエルにはヘイスが呟いた言葉が聞き取れた。


「ぜえっはあ、はあ、ぜえ、...エッカーナ?」


「【セアラ・エッカーナ号】...と言っただけだよ。」






 小舟の上は大きな船の影になり甲板とはうって変わって光が少しも届かなかった。

 その中でふわり、ふわり、と船尾から近付いてくる小さな光の球があった。


「さっそくおでましか。」


 そう言ったのはヘイスの声だった。カラットの声は未だに聞こえない。

 光の球はおかしな動きをしていた。近付いたかと思えば戻り、跳ねたかと思えば回り、少しずつ少しずつ小舟の方へやってくる。


『ふん♪ふん♪ふーん♪』


 球は近づくにつれ、少女の形になっていた。上機嫌の精霊が唄い踊り狂っているのがドラギエルにはわかった。


『言った通りの三人か。けっこう、けっこう。』


 タタディアは瞳の無い目でじっくりとドラギエルたちを順番に眺めた。その淡い光のおかげで、ドラギエルが座っていたのが舟ではなくカラットだった事がわかり、慌てて尻を上げる。


『欲を言えば様々な味が欲しかったところじゃが、三人揃って若い男とは。』


 ヘイスですらも、その存在には体が萎縮した。本能が、人間が精霊の食物として存在している事を教えていた。選ばれたものとして、いただきますの声に喜んで精霊の生きる糧となるのが運命だと体が知っていた。

 船に紛れ込んでいるファルトーソーと戦う方がよっぽどマシだったと後悔する程だった。


『くくく...人間自ら差し出したのじゃ。これは契約、セレニアもコカトも文句を言えまい?』


 タタディアはヘイスの鼻の先まで寄ってきて、ご馳走の匂いを嗅ぐようにした。

 ヘイスは自分を奮い立たせた。カラットとドラギエルの生命を預けさせたのだ、せめて抗うくらいはしなければならない。


「契約というのは、生贄を差し出せば魔法を解く約束の事か?」


 手も声も震わせずにヘイスは言った。


『魔法?何の事かな。あの船を遭難から救ってやろうという親切な計らいよ。』


「俺たちも生命を差し出そうというんだ。先にあの船が助かるところぐらいは、見てから死にたいものだ。」


 ヘイスは船を見上げた。


『そうして次は死にたく無いとでも言う算段かのう?』


 タタディアは人間には真似出来ないくらいに首を大きく右に傾げた。


「頭の中を読むんだったな。」


 精霊との対峙は何度も訓練を受けていた。頭の中を空にするために何も無い部屋に何日も閉じ込められ、’第三王女(エッカーナ)'を得る事だけを考え続けさせられた。食事や排泄の要求をしようものなら訓練が足りないと言われ罰を受けた。

 頭の中を読める人間はいない。ヘイスが成功していようが失敗していようが関係なく、何度も何度も、執拗にその訓練は繰り返された。


 頭の中でただ一つの事を考える。

 廻り海の魔法を解け、と。


『ふん、まあ良いわ。』


 タタディアは言った。

 空が、満天の星が、硝子のようにみしりと無数のヒビが入った。比重が崩れ空は落ちてきた。ばらばらではなく、全体的に一枚布に貼り付けられた鏡のように、くっついたまま重みに任せ星空模様の黒い天井が海面に落ちてきた。

 そうかと思えば海面はぐんぐん上がり、船と小舟とを押し上げた。ついに船を沈め波模様の床は空をも飲み込み、そして、まやかしは解かれた。


 うねる大波が小舟を高く持ち上げた。黒い空は(いかづち)を海に撒き散らしながら、木の葉のように翻弄される小舟と【セアラ・エッカーナ号】の甲板とに強く雨粒を叩きつける。

 碇を下ろしている【セアラ・エッカーナ号】は高波に大きくその船体を揺らし、小舟は一波の動く間に随分と遠くへ離れた。


「捕まれ、ドラギエル!」


 海水が小舟の上を通り過ぎていった。カラットが目を覚まして起き上がろうとするのを、ヘイスは咄嗟に押さえつけた。


「二人とも、三人で助かる事だけ考えろ!」


 ヘイスの怒鳴り声は風と水と雷音にかき消される。ドラギエルには聞こえた、言われなくてもそれしか浮かばないが、(助けて、助けて)と願い続けた。しがみついていたって船ごとひっくり返ってしまうのは時間の問題だった。


「これは魔法か!?」


 ヘイスは変わらずに目の前に浮いているタタディアを責める。頭の中は三人生き延びる事を一瞬たりとも途切れないよう考え続けた。


『これが現実の海。妾は優しいじゃろ?』


 ヘイスは船にしがみついたまま空を見上げた。少し離れた場所の空は雲が途切れ晴れ渡っている。あれがセレニアの加護の中、オルミスの陸地の方向のはずだった。


(お前も知らなかったんだろ!じゃなきゃとっくに魔法を解いているはずだ!)


 もはや喋ってはいられない。時々襲ってくる波をかぶり、顔を上げるのが精一杯だった。


『ふん、賢しい小僧め。...ん?』


 タタディアは突然、【セアラ・エッカーナ号】を気に留めた。そしてふわりと飛んでいく。


(...まさか!)


『ああー、これじゃ、これじゃ!』


 タタディアの光が見えないほど離れていたが、言葉は頭に伝えられた。


『そうじゃな、妾は失敗を認めよう。さっさと魔法を解けば良かったのう。』


 タタディアは戻ってくると、とても機嫌を良くしていた。それが、伝わってくる。


「誰を食った?落ちたのは誰だ!」


 ヘイスは声を枯らして叫んだ。


『誰、など関係の無いことよ。』


 タタディアはにんまりと笑い顔を作り、『今のは数には入らぬからな』とヘイスに伝える。


『さあ、どの順番で食おうかのう。』


 と、舌舐めずりをして手をこすり合わせる。

 この状況で精霊と渡り合わなければならない事は、ヘイスの想定をまったく超えていた。


(それでも俺たちは生き延びる!)


「俺たちはまだ、死ぬと決まったわけじゃ無い!」


 ヘイスは言った。


「自分の意思でこの舟の上にいるんだ。捨てられた命じゃない。食う事がセレニアに、許されるのか?」


『悪あがきじゃのう。』


(お前の力で俺たちを助けろ!)


 ヘイスの頭の中にあるその言葉を聞き、タタディアは怒った。


『生贄が、殺さないでならまだ可愛げもあろうが、助けろと妾に命ずるか?』


「俺たちだけじゃないぞ。あの船を遭難から救うとお前はさっき言ったんだ。【セアラ・エッカーナ号】をセレニアの海域に戻せ!」


 タタディアはあまりに不遜なヘイスの言い様に、全身を揺らめかせるほどの怒りを覚えた。

 しかし、その願いはあまりに強くタタディアを惹きつける。己の持つ力を使いたいと、タタディアの本能が叫び始める。


(助けて、助けて、)

(助かれ、早く助かれ。)


 と小舟からは二人からも延々と魔法を求める声が聞こえ続ける。タタディアは金切り声を上げた。

 三人の頭の中の言葉がその叫びに霧散しそうになる。


 小舟はどんどん流されていった。波に翻弄されながら、潮流に乗りぐんぐん、ぐんぐん、【セアラ・エッカーナ号】から遠ざかって行った。


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