15 落海の刑
夜、カラット・ロットは考えていた。仕事をしていないと体が疲れることがないのだ。うろうろして指を差されるわけにもいかず、大部屋でいつも寝たふりをするくらいしか居場所がなかった。
(どこへ行ってもみんなに嘘つき呼ばわりだ。)
なんとも情けなく悲しい事だった。
(問題は俺が、嘘を言おうと思っているわけじゃないって事だよ。俺のは嘘じゃない、間違ってるだけなんだ。)
カラットはドラギエルの口下手さが羨ましいと思っていた。カラットは緊張したり、心に不安があったりすると口が自分から切り離されて勝手に喋ってしまうタチなのだった。「知ってるか?」というのがどうにも格好の悪い口癖だというのは自覚しているのに、気が付いた時には発しているのだった。
そして、そのあとに続く内容は大抵間違っている。
(間違えたくて間違えるわけがない。本で読んだり人に聞いたのを勘違いしてしまうんだ。それかその本やその人が元々間違っていたんだ。俺が合ってることだってたまにはあるし。)
船長オーネット・サキタリ。
彼のようになりたかった。そう、彼のように多才に様々な分野の知識を持ち、多くの人に頼られるようなそんな人間になりたかった。
だから子どもの頃から難しい本を開いたりしていたのだ。わからないことばかり、ちんぷんかんぷんだったけれど、ロット家にあったたくさんの本をカラットは読んでいた。
訪ねてくる人と父親の話もよく盗み聞いていた。そうして使用人たちに言ったのだ。「知ってるか?」と。彼らは答えた。「よく勉強なさるカラットの坊ちゃんがいれば、ロット農場は安心だ。」
弟も小さい頃は兄の事を尊敬していたはずだった。どこに行くにもついてきて、「この農場で兄さんが一番立派だ。」と自慢していた。今はあまり話さない弟だ。いつの頃からか彼の方が賢くなり、兄が虚栄である事を見抜きーーきっと嫌っている。
航路が見つからないというトラブルにも持てる知識を駆使し、冷静に対処しているオーネット船長が正に彼の理想だった。
例えば農場が危機に陥った時、カラットは彼のようにしてその危機を救おうと考えてきた。野菜を育て売るだけでなく、料理を作ったり薬を作ったり出来たら格好良いのに。
そうすれば母も喜ぶ。
(...くそっ。)
「やめろ...やめろよ...っいやあーっ!」
「...何か、聞こえませんでしたか?」
真っ暗闇の夜だというので、船は碇を下ろしていた。船内にいるとわからないが甲板に向かう階段から闇に吸い込まれてしまいそうな、星も月も見えない薄広がりの曇りだった。
雨風が立たないだけ救いがあるが、いよいよ誰も何とかなるとは信じ切れなくなっていた。
ドラギエルはまた遠くに悲鳴を聞いたような気がして、ワイロフに聞いた。グィオ機関長は今は休んでいる。オーネット船長が船長室で番をしているらしかった。
ワイロフは、今夜は灯りの元で手帳に何かを書き付けていた。
「...何を書いているんですか?」
ドラギエルは興味本位に聞いた。
「ただの...日誌だ。遺書になるかもしれん。」
答えながらワイロフは手帳を閉じてしまったので、ドラギエルは悪い事をしたと思った。
「本当だぜ。この船はもう遭難してる。雲行きが怪しくなってきたって事ぁセレニアの加護の外に出ちまったんだ。」
今日は当番が皆起きていた。苛々している者、不安そうに足を揺らす者、ドラギエルは唯一落ち着いているワイロフとだけ話したいと思ったがそういうわけにはいかなかった。
「加護の外?」
ドラギエルは仕方なく、爪を噛む男に聞いた。
「船乗りなら誰でも知ってる。何で船が今までルワリ島の周りくらいしか行っていないのかって事さ。アルソリオがなくなっても陸地はセレニアの加護の中にある。大きな嵐、船いっぱいに降る雨、光る空。そんなの誰も経験した事なかった。セレニアだか精霊だかしらねぇが、俺たちが生きやすいように出来てんのさ。
作物が必要な程度の雨が降る。洗った服が乾く程度の陽射しが当たる。気持ち良いくらいの風が吹く。
ルワリ島から少し離れた所までは海もそうなってる。だが一度加護の外へ出れば、空は俺たちの味方を全くしてくれなくなる。」
「行くなら行きゃいいのさ。」
ワイロフはしっかりした調子で言い、男の早口を噤ませた。
「この大きな船は元々、外海を目指すための物。大きな嵐、船を沈める雨、そんな物は想定されて作られている。戻ろう戻ろうとするから行けねえ。とっとと旅立ってしまえば良い。」
「そうだな。そりゃそうだ。」
と足を揺らす男が答えたので、ドラギエルは驚いた。てっきり不安でそうしていると思っていたからだ。
「乗った時点で覚悟は決めてる。それでも夢を見ているんだ、僕らは。」
と彼は続けた。
「あのおっかねぇ奥方の方が船長に向いてるぜ。」
「だなぁ、そうとも。」
「このまま安全なはずの海域で腹を減らし続けるよりは、海の化け物王の足に船を叩き壊されたり、大きな嵐にひっくり返された方が死に甲斐があるってもんだ。」
「それだよ、そうなんだ。」
彼らは口々に言いあった。
ドラギエルは彼らの言うようになったらなんて恐ろしいだろうと思った。
夜が終わり明るくはなっても、船の上の空がまだ白い雲で覆われていた。
遠くの空は青いのが見える。方向からすればそちらがルワリ島ではあるが、ドラギエルはもう二度とあの空の下には行けないような気がしてならなかった。
舵をグィオ機関長が握っているので、いよいよかと思われた。しかし、オーネット船長には舵を委任する別の理由があったのだった。
「この者は、この船の、オルミスの、精霊王セレニアの掲げる重要な規律を汚したために本日処分される!」
オーネットはいつも細い目を大きく見開き、大きく太い声を張り上げて、ロープで後手に縛られた男の肩に強く棒を打ち当てた。
空気を切る音を立てた棒は、当たったところで割れ裂けてしまった。
「女を差別しない事!人の尊厳を侵さない事!その二つを破った重大犯罪人は、落海の刑に処す。」
そう言ってオーネットは、その男を縛ったまま細い板切れへと追いやった。男は足をよろけさせながら、「許して下さい、許して下さい。」と懇願している。
男が細い板切れに乗ると男の手を縛っていたロープを切り板切れの上を歩かせた。板切れは男の重みに耐えかねて割れ、落ちていった。
恐ろしくて見ていられなかったドラギエルは、男がどうなったかわからないが水音だけは聞こえた。
「甘かったな。船内に牢をつけておくべきだった。そうすれば小舟も彼の命も失う必要は無かった。」
オーネット船長がそんなにも冷たい顔をするのを、ドラギエルは初めて見た。
エスラ夫人の後ろには、ナバルが隠れるように立っていた。いつもの威勢はなく頭から体が隠れるほどの大きな布を被って、気づかなければ帆か荷物かのようにそこにいた。
ドラギエルは昨日の悲鳴を思い出していた。みんなが話し出したのですっかり忘れてしまったが、その時事件は起こっていたのだった。つまりナバル・パームシュカが先程の甲板員に暴行を受けていたのが、ドラギエルが聞いた悲鳴だったという事だ。
「両手両足を縛っておくのではいけなかったのか。」
エスラ夫人もオーネット船長の様子に、調子を落として訊いた。
「' 馬の群れに狼が一匹混ざれば、馬は減り狼は増える。'
厳罰で知られるオルミス三世ペルシア女王の側近エセレスク・ローレウスが条文に記載した前書きです。
集団の中に一人犯罪人を混ぜておけば他の者も同じ罪を犯すようになる。という意味です。」
「では見せしめに、指を切るなどはどうか。」
「こうもあります。
'馬の詩が得意な狼。'ーー言葉巧みに同情を買い、逃亡の手助けや犯罪の代理を行わせる。罪の連鎖を食い止めるには排除しか有り得なかったという教訓です。」
オーネット船長はそう話す間、一度もにこりともしなかった。エスラ夫人はそれ以上何も言わなかった。
しかし舵を取っていたグィオがいつからかそこに来ていて、言った。
「しかし、犯罪人を生む環境を整えたのはあなたではありませんか、船長。」
そう言うのでドラギエルは驚き焦った。そんな事を言ったらグィオ機関長まで罰を受けてしまうのではないか、不安に駆られた。
「...今この船が遭難している失態の責任はもちろん取るつもりでいる。しかしその状況が犯罪を犯しても仕方ないという理屈にはならない、グィオ機関長。」
オーネットは厳しい顔でグィオを一睨みする。
「操舵を任せていたはずだが。」
「不安に思っているのは私だけではありません、船長。」
そう言いながらグィオは戻っていった。
ドラギエルはとても不安になった。オーネット船長が間違っている事もあるのではないかと、思ったからだった。
同時に安心してもいた。カラットのした事は大きな罪ではなく、彼が赦されているとわかったからだった。
大部屋に向かう時、
「ドラギエル。」
と声をかけられた。
振り返るとあの布を外したナバルが、自分の腕をさするように組んで立っていた。
「あたしもこれから寝るんだ。あんたの上のベッドで寝かせてくれ。」
「...?」
「あたしが乗ったものだから、船長は船室を一つ女部屋にしてくれてたんだよ。でも...また誰かが海に落とされたりしたら...嫌だ。」
ナバルはそう言って大きな目を伏せた。
「何で俺に?」
「あんたはでかいからな。それにこの船の中では一番信用してる。」
と、ドラギエルを見上げた。




