9 ヘイス・カフェトー
ヘイスは視線を動かす事なく、体をこわばらせる事もなく、ただ鋭い一端が自分に向くのを見つめている。かと思いきや、そうしている事に飽きたかのように何の躊躇いもなく視線を外し腰のベルトに手をかけると、船乗りがロープを切るために持っているナイフを鞘ごと外し、横に向けてオーネットに差し出した。
その時目は真っ直ぐオーネットを見つめていた。
「床に置き蹴飛ばしてこちらに寄越せ。」
と指図するオーネットの方が臆病な強盗のように見える。
ヘイスは言われた通りに行動し、次に上の服を脱いでそれをそこらに放った。
「...君は。君が今、弁明しようとしていると信じていいのだとすれば、君たちが今まで何をしてきたか良く知っているようだな。」
オーネットは背後を一度確認し誰もいない事を見てエッカーナをより自分の後ろに下げ、鞘には戻さないまま、剣を下ろした。
「何故本名を名乗る。...どちらにしても。」
「俺は、」
ヘイスは早口過ぎず、語気を強める事もなく、空模様を見てこの後の天気を予見してみせる時と同じように言った。
「反体制派の考え方にウンザリして家を出ました。やりたくない事が多すぎて。それは俺がこそこそしなきゃならない理由にはならない。
自由民の国オルミスでは、俺が生まれついたまま生きたって良いはずです。」
オーネットはその言葉で自分が警戒を解かないよう、気をつけなければならなかった。彼の答えは納得できるものであり立派に過ぎた。用意していたにしては言葉が足りないと思った。この少年に自分が感銘を受けているのがわかっていた。
しかし今この波の上でオーネットは【セアラ・エッカーナ号】という一国の、王である。
剣を収めたい気持ちに抗い、質問を続けた。
「'やりたくない事'とは何かね。」
ヘイスは、自分の置かれる状況を見る確かな洞察力によってそう聞かれた意味を理解した。
「'封印されし狼王の剣'、それから'精霊付きの第三王女'の強奪…。」
今までよりも小さく低い声に、エッカーナはしゃしゃり出て口を挟むような愚かな王女では無かったが、微かに反応したのをオーネットが身を揺らして隠す。
懐にある王の書状が気になりだし、オーネットは落ち着いている体を保つのがやっとだった。
「四男の俺が仕込まれました。八日前、俺は計画を遂行する筈の日にオルミス城を素通りして逃げて来ました。」
とヘイスは言った。
そうしてオーネットはすべての合点がいき、ようやく剣を鞘に収める。
まだ幼さを残す彼の目を見つめ返し、少し悩んだ後、言った。
「君は北に生まれた精霊王の祝福だ。」
それは人が受ける最高の賛辞だった。
「そして君は知らなければなるまい...。反体制派のリーダーでありながら穏健派であったカフェトー家は、対立していた過激派のファルトーソー家によって...壊滅した。」
エッカーナもこれには驚きを隠せなかった。
それは書状に書かれていた内容である。約九十年間オルミスが平穏を維持していられたのは、比較的交渉を受け入れるカフェトー家が抑えているからだと言われていた。
しかしファルトーソー家は、すぐにでもオルミスに攻め入るべきと反体制派に唱え、時に単独行動で事件も起こす厄介な火種だった。
そのファルトーソー派がカフェトー派を、特にカフェトー家は皆殺しにされたという事が書かれている。
エッカーナ王女が船旅を許されたのはこれから始まる紛争から第三王女だけでも逃がすためでもあり、到着地に急ぎオルミスの別拠点を構える為でもあり、彼女の持つ'精霊付き'という価値が敵から狙われる為でもあった。
それを引き起こしたのが、オーネットの前で裸を晒して自分を認められようとする、まだ少年とも言える彼だった。
'封印されし狼王の剣'、'精霊付きのエッカーナ'。オルミスの権力の象徴と、反体制派の求めてやまない精霊王の力の一欠片を狙っていたという事は、カフェトー家にも相当の危機感があったのだろう。もし彼が自分の任務を投げ出す事なく遂行していたら、それが完璧に成功していたら、今頃エッカーナは反体制派の檻の中にありメルキド王はかつてない要求に頭を抱えていたはずだ。
カフェトーの要求を受けるのと、この先起こるだろうファルトーソーとの紛争のどちらがオルミスにとってマシだったか。というのは未だ知れぬ事だが、少なくともエッカーナが自由でいられるのは彼のおかげで間違いなかった。
賢いヘイスでも自分の行動が家族の命を奪う事まで予見してはいなかった。彼の手が初めて目に見えるほど激しく震え、彼の目はそれを見て驚いていた。何かを伝えようとオーネットに向けて口を開くものの、息も発せられずにまた閉じられてを繰り返している。
オーネットはその子の元により、上着とナイフを拾って持って行ってやった。古い傷跡のある肩に手を置いて言った。
「君を守ろう。新大陸の地に、反体制派と何も関係の無いカフェトーの名を持つ君を、他の者と同じ暮らしをさせると約束する。」
ヘイスは黙って頷き、オーネットに応えた。
その時、オーネットと全く同じ気持ちでヘイスを見ていたエッカーナは大変な事に気がついた。そっと黒い帽子を上げて、上目で中を覗き込む。
(...いない!?)
服の中に入れていたが、オーネットから帽子を奪ってからはその中にいたはずだった精霊がいない。
(そういえばさっき...。)
ロベリタスに挨拶をする時、迂闊な事に帽子を取った。
精霊はエッカーナの言う事を都合良く聞いてくれるものではなく、『強く願い行動する者に寄る』とはいうものの、ただくっついて回る光の球という程度にしか意識したことがなかった。思い返してみれば、アルソ島に上陸した際に取り憑かれたのではなかったか。
(帰った...か?)
自分は重責から逃れられたのだろうか、とエッカーナは考える。
もし精霊が本当に付いたものの願いを叶える存在なのであれば、エッカーナがこうして船に乗っているのはエッカーナ自身が引き起こした事になり、その為にヘイス・カフェトーの行動が変えられた可能性さえあると言える。
エッカーナは自分に付いた精霊が大嫌いだった。自分の願いは精霊のおかげでなく、自分自身の力で叶えていると信じたい。
上で階段近くの床を踏みしめる音が聞こえ、エッカーナは咳払いを一つした。
オーネットは立ち上がり、ヘイスも身を持ち直し服を着て何事もなかったように取り繕うので、エッカーナは感服した。
「エスラ様。」
降りてきたのは、アキリだった。
「船長、上で男が挙動をおかしくしてますがァ...。」
というので、オーネットたちは上に向かった。




