23 集結の場
ハーヴァの部屋の白い扉が、突然、無作法に開かれた。
「なっ...。」
ハーヴァはベッドから立ち上がり、テーブルを後ろ手に、部屋の奥へ逃げるしかなかった。
出口は扉一つしか無い。
ナサニエルが、立っていた。
「行くぞ。仕度はできたか?」
彼はハーヴァの様子御構い無しに、言った。
ハーヴァは声を震わせながら、ナサニエルから視線を外さずにいた。
「何よ...私に何をしようっていうの。セレニアはどうしたのよ。」
ナサニエルは太い首を左右に動かしながら、
「いない。あの畜生の首輪を繋いでおくのは、お前の役目だったか?」と、ハーヴァを睨みつけた。
「ふん。あいつには後で制裁を加えてやる。お前は俺と一緒に来るのだ。この宮殿に迎え入れる女どもに、王の正妻として挨拶でもしろ。」
「正妻ですって?」
ハーヴァの背中が、壁に着いた。ナサニエルは部屋の中に踏み込んでくる。
「あんたの思考回路って、ほんっとわからないわ。私はそんなものになるつもりはないわよ。」
「俺が、わざわざお前を立ててやろうというのだ。大人しくいうことを聞け。俺はなぁ、お前の'つもり'など、どうでもいい。」
ナサニエルはハーヴァの髪を掴んで、彼女の部屋から追い出した。顔の右側を青く腫らし、ハーヴァは赤い絨毯に倒れこむ。
「セレニア...どこへ行ったのよ、セレニアアアア!」
激しい叫び声を上げながら、ハーヴァはナサニエルに引き摺られて行った。
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トゥヴァリは、一人だけ草色の馬の背中から降りた。アンズィルの牙が毛並みに擦りもしないように、十分に注意して体を動かした。
"その牙は、魔法で不死の者を殺すことが出来るだろう。しかしその牙を持つ限り、お前を魔法で助けることも出来ない。"
「わかりました。」
トゥヴァリの手には、新しい傷が出来ていた。どんなに注意して触れたとしても、手にする度に、持つ者を傷つける、アンズィルの牙はそういう物だった。
「やっぱり、一緒に行きたい。」
馬上のペルシュが不安そうに言った。
トゥヴァリは近付いて、出来る限りの優しい力で、彼女の頬に触れる。
「あの男の視界に、二度と君を映らせない。」
石の床の上を歩かせる事も。と、トゥヴァリは言い、冷えた黒い扉を力強く開いた。
「アイピレイス様!」
その声は頼もしく地下牢に響いた。
アイピレイスは、反射的に顔を上げ、夢から覚めた。
「トゥヴァリ!どうしてここへ来た?今、恐ろしいことが起きている。ナサニエルが...。」
「待ってください。これは、どうやって開けるんですか?」
トゥヴァリは鉄格子を揺らしたが、硬度のある黒い棒は天井から床まで突き抜けていて、腕の力では動かない。
「鍵があるはずだ。扉の辺りに...。」
アイピレイスは地下牢の存在を知らなかった。牢に入れられた経験はないが、概ね牢の檻とは、そういうなっているものだ。
「扉?扉なんて、...ありませんよ?」
「何だって?」
アイピレイスは檻を隈なく調べた。
(無為な時間があって何も調べもしない、私はどこまで愚かなんだ?)
トゥヴァリの言う通り、鍵穴も扉も無い。鉄格子だけが、端から端まで並んでいる。
(...ルヨはどうやってここに私を入れたんだ?)
「アイピレイス様、離れていて下さい。」
トゥヴァリは牙を振り上げ、鉄格子を横に切った。牙と鉄格子は金属音も立てなかった。触れた部分の格子が姿を消していた。
「やっぱり!魔法の檻だったんですね。」
「一体何をした?」
「...その人たちは?」
消えた鉄格子の向こうに、薄暗がりに、ピクリとも動かない蹲る人がいた。それは何か置いてある荷物のように見えたが、よく見ればそれらはすべて、人だった。
「もう動かない...話さない...生きている、物だ。」
彼らも元老院だった、とアイピレイスが説明しようとした時、
「ーーーセレニアアアアア!」
と遠くから、激しく叫ぶ声が聞こえた。
「ハーヴァの声だ。」
アイピレイスは天井を見上げ、言った。
「...ハーヴァは俺たちを、騙していたんですよね。」
低い声色で、その目は憎しみを浮かべ、牙を強く握りしめる手の平からは、血が滲んでいるのをアイピレイスは見た。
(柄の無い剣...?)
「トゥヴァリ。それは?」
「ああ...これは、北の山で手に入れました。アンズィルの牙です。セレニアの魔法を、打ち消すための力です。」
アンズィルの牙は宮殿に入ってからより鋭く、熱く、山の上のアンズィルと同じように唸りを上げているようだった。
(そうか。この子は、私たちに死を与えに来たのだな。)
「君はもう、私の知らないところで物事を成し遂げていたのだね。トゥヴァリ...君はこの国を、この世界を変えるのだろう。私たちの、終わりが来たのだね。」
アイピレイスは牢の中の八人を見た。
死もまた救済であると、その姿を見て思う。
(私たちに三百年という時の意味は無かった。)
死ななかっただけで、生きてはいられたわけではなかった。アイピレイスは肩を落とした。
「ハーヴァ...彼女は、私たちを騙したわけでは無い。」
トゥヴァリの肩に手を置き、
「どの言動も全部彼女の本心なんだ。随分前から...。だから、どうか救ってやって欲しい。今の叫び声はただ事じゃないだろう。」
行こう。と、トゥヴァリを促した。
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広場に、王は現れた。
先日とは違う女を、横に従えていた。髪を振り乱し、悲鳴を上げながら、彼女は国民の前にその姿を晒された。ただ静かでいた精霊王とは正反対だった。
レニスもミスラも言い争いをやめ、王と女を見上げる。
「何か問題でも起きているような有様だな。」
ルヨは平然と、
「君の提案にみんな納得していないようだよ。」
と報告した。
「ふん。」
ナサニエルは事もなげに、その広場を見渡した。悠然とした顔つきで、ゆっくりと視線を全体に動かしていた。
「お前が主犯だな?」
レニスに目を合わせ、つまらなそうに笑う。
高慢に胸を張り、強く腕を掴んで嫌がる女を引っ張りながら、真っ直ぐレニスに向かって階段を下り始めた。
「ひっ...!」
ラナが小さく悲鳴を上げる。
"セレニアよ。
元老院とて人間だ。彼らだけ精霊王の決まりから外れているというのは、私は以前から間違っていると思っている。"
その言葉は広場にいた全員に届いていた。レニスも、ミスラも、騒ぎに様子を見に来た者達も、ナサニエルと、今藍色の扉を開けたトゥヴァリにも。
頭上にいる、風にそよぐ草色の毛並みをした、馬だった。足で空を蹴り、宙を進み群衆の間に着地した。ナサニエルから目の届かない、人の中に降りた。
背には、赤毛の少女が乗っていた。ミスラはそれを見て叫び、駆け出した。
「ペルシュ!?」
「何だって?」
レニスはその名前に憮然としたまま、ミスラが馬の元へ行くのを見ている。
「俺の邪魔をするな!忌々しい駄馬め。」
ナサニエルは声を荒げ、歩を進めた。
「それ以上、みんなに近づくな。」
階段の上のトゥヴァリが声を上げた。大きく自信に満ちて落ち着いた声だった。堂々として、風格のある姿だった。
「精霊王セレニア!どこかで見ているならば、この男の欲望に勝る俺の願いを聞き届けるがいい!この悪の廃滅と、人々の自由を!」
トゥヴァリはいよいよ抑えの効かないアンズィルの牙を振りかざし、階段を飛び越え、ナサニエルに切っ先を向け、体当たりする。
ナサニエルは白銀の刃が体に触れようとする寸前、ニヤリと笑って右手を掲げた。
右手に掴まれていたのはハーヴァの腕だった。
高く持ち上げられたハーヴァの胸に、長いオレンジ色のドレス越しに、アンズィルの牙は突き刺さった。
「母さん!」
ナサニエルは高らかに笑い、ハーヴァを地面に落とした。
ハーヴァは気を失ってはいたが、傷一つついていなかった。
「はははは!何だ?その武器は!」
腫れ上がった顔をしているハーヴァを思わず助け起こそうとしたトゥヴァリは、強い衝撃を受け階段に頭を打った。
ナサニエルは蹴り飛ばしたその足で、トゥヴァリの腹を踏みつける。
「あぐっ...う!」
蹴られた時に瞼が切れ、耳の中に温かいものが流れ込む。段差の角に押し付けられている背骨が軋んで悲鳴を上げていた。
「力とは!振るい方を知らねば、災厄を己に呼ぶだけのものだ。なれば手にする者が選ばれる!」
ナサニエルは、トゥヴァリの腕を踏みつけた。
トゥヴァリの意思と関係なく腕は震え、痺れ、裂けた掌中はアンズィルの牙を溢れ落とした。
精霊がすかさずトゥヴァリの元へ飛んでくる。
「何だその手は?例えではなく本当に、自身を傷つけていたか。刃物を扱うのは初めてか?馬鹿め。」
ナサニエルは、アンズィルの牙を拾い上げた。
牙はナサニエルの堅い手の平を、指を、強く焼き、焦げ付く匂いと煙を出させた。
「ぐうううっ!何だ、これは!」
"手にしたな。"
ナランサは言う。
"その牙に触れた以上、彼は不死ではない。"
「ふ...ふざけるなああぁっ!」
焼かれ爛れた右腕と額に血管を浮かび上がらせ、片膝をつき、恐ろしい形相でナサニエルは叫ぶ。
アンズィルの牙は再び落とされた。
「セレニアァ!」
ナサニエルは怒鳴り声を上げた。
右腕の熱傷に泡が立つ。徐々に傷が消えていく。ナサニエルもまた、トゥヴァリと同じように、再生されようとしていた。
「精霊か...?」
「トゥヴァリ!ルヨだ!」
その声は、アイピレイスだった。
階段の上から遅れてやって来たアイピレイスは、立ち上がりまさにアンズィルの牙を取ったトゥヴァリに言った。
「そいつは元老院じゃない!セレニアの代わりに魔法を使っていたのは、すべてその、子どもだ!」
と、傍観者であったルヨを、指差した。
「いっ」
ルヨは、驚いて逃げ出した。
「いやだ!僕はまだ、死にたくない!」
下に群衆がいるのを見て、ルヨは上に駆け上がる。
アンズィルが反応している。
右手は、気を抜けば内側から八つ裂きにされそうで、痛みをこらえ、しっかりと牙を握りしめる。
ルヨは精霊王の像に背をついて、懇願する。
「僕を切らないで!助けてセレニア!」
それは、白では無く深淵の闇だった。




