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セレニアの国の物語  作者: さなか
アルソリオのトゥヴァリ
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21 白い山

 ぎゅむ、ぎゅむ、と白い地面は踏んだことのない感触がした。


 "雪。"


 口に出す前に、ナランサはトゥヴァリの疑問に答える。

 歩き始めは楽しいと思えた柔らかさも、進むほどに辛く、とられる足は疲れを増していく。


 "寒くて雨が凍るのだ。"


「じゃあこれは水なのか。」


 トゥヴァリは手にひと掬いすると、白い砂はじわりと溶けて流れ落ちた。


「不思議だ。」


 "この寒さでなければ生きられぬ物のためにある。そして、この地では生きられぬ人間を、寄せ付けないためにある。"


 《ーーーーーオオーー》


 その声は時々聞こえてくる。

 何か恐ろしいものだという気配だけわかる。


「あれがいるから?」


 "そうだ。"


 トゥヴァリは馬の背のセレニアを見た。

 白くくっきりした顎筋に細い首。黒い髪に、ちらつく雪は触れていない。ナランサの魔法の中に護られていた。草色の馬毛も濡れてさえいまかった。


「...あなたはどうして、俺を助けてくれるんですか?」


 "お前の声が聞こえたからだよ。"ナランサの言葉は優しかった。

 "強く、揺るぎなく願わなければ精霊に言葉は届かない。お前の声が聞こえたから、お前が選ばれたのだよ。私はセレニアに与するものだ。お前がしようという事を、見届ける役目を負ったのだ。"




 彼らはようやく、山の麓まで来た。雪が無ければ、西南地区から宮殿へ行くくらいの遠くない道程だった。

 山はひどく吹雪いている。

 登って行く道に一歩足を踏み入れた途端、トゥヴァリの目から涙が溢れ出した。


 ペルシュが死んだ時、それを受け入れない、ペルシュを必要とする自分の叫びと、

 それでいてもう生き返ることはないと知っている悲しみが、

 今がその時、あの日のようにトゥヴァリに思い起こされていた。


 ぼろぼろと、頬を流れて筋になった。もし魔法が効いていなければ、その涙は凍てついてトゥヴァリの体を固めただろう。


 "ここはセレニアの結界と、あれの力がぶつかり合い激しい嵐になっている。様々な感情の渦が襲ってくる。それでも進むか?"


「俺に必要な力がここにあると、誰かが言っているんだ。それがなければアイピレイス様も、精霊王も救い出せない。」


 トゥヴァリは泣きながら、涙を拭いながら、そう言って歩を進めた。


 道無き道だった。斜めに降る強い吹雪は目を閉じさせ、視界を奪い、足は雪に深く沈む。腰でかき分けながら進まなければならなかった。

 木の一本も生えていない岩肌で、影になる場所もどこにもない。進む先は勘でしかなかった。

 しかし、呼び声に従って進むと、その大変な苦労をしながらも、先へ先へと足を着く場所は、あるのだった。


 そのうちに、山の中腹まで来ただろうか。

 洞穴が空いているのをトゥヴァリは見つけた。そこに入り、一時的に吹雪から身を休めることができた。

 ナランサもセレニアを自分の体に横たわらせたまま、四肢を折りまげた。


「ずっと眠ったままだ。」


 よほど深い夢を見ているのか、ぴくりとも瞼が動かない。トゥヴァリは、人が眠っている顔をじっくりと見るのは初めてだった。眠りとはこんなに死のような静けさで、微かに息をする口元に愛らしいと情が湧くものなのだろうか、と思いながら彼女を見つめていた。


 精霊が親切に火を起こし、トゥヴァリの衣服を乾かした。寒さは感じていなくても火の揺らめきを見ているだけで心が落ち着く。疲れは十分にあった。意識が朦朧としていた。


(やめろ!)


 自分自身の声に脅かされ、トゥヴァリはハッと目を醒ました。そして、困惑した。

 セレニアが髪を乱し、虚ろな目でこちらを見ている。口元は感情をなくしたまま少しだけ開いている。白い体が目の前にあって、トゥヴァリの両手にはまさに今引き破っている彼女の服があった。


「...俺が?何で...。」


 体はひどく興奮していた。

 心臓が体を揺らすほど強く脈打っていた。

 トゥヴァリの足は彼女を組み敷いて、動けないようにしている。しかし彼女は抵抗すらしていない。


 トゥヴァリは苛立った。

 なぜ彼女はされるがままになっているのか。

 どうしてありったけの力で、トゥヴァリの手を振りほどこうとしないのか。


「私には罪があります。」


 セレニアはその表情のまま、わずかに唇を動かして、そう答えた。


「私は謝罪します。人々を傷つけ、尊い命を奪い、貴方の友を殺しました。彼らの痛み、悲しみを一時も忘れることはありません。

 私は贖罪します。過ちを繰り返さないよう、己に出来ぬ戒めに、貴方の手を借りて罰を受けます。」


 トゥヴァリは衝動的に、右手を振り上げた。少女はぴくりとも表情を変えなかった。

 華奢な少女の頬に比べれば、骨ばって大きな、男の手だった。筋肉のついた腕も、逞ましい肩も、少女に振り下ろすには力が余り過ぎていた。


 トゥヴァリはその手を、ゆっくりと降ろした。

 そして、セレニアの肩を掴むこともしなかった。


 後ろを向いて、「ごめん。」と、ひとこと言った。

 また嵐がやってきたのだ、とトゥヴァリは理解した。そうであって欲しいと思った。涙のように、いつかの自分の感情が呼び起こされたのであれば、この衝動は自分があの扉の前で抱いたあの時のものだった。


 自分にもあの恐ろしい欲望があったのだ。

 それはとっくに気がついていたことだ。


(それを剥き出しにしたところで、俺が理性に留まらないとでも?)


 呼吸を整えて、彼女の服を元通りにしてもらおうと辺りを見回すと、精霊とナランサがいなかった。


「うう...」


 背後から、セレニアの苦しむような声が聞こえた。


「どうした、」


 意識のないうちに自分が何かしてしまったのか、とトゥヴァリは不安になる。


「ううううう...いや...いやあああーーーっ!」


 セレニアは突然、耳を劈くような悲鳴を上げた。トゥヴァリは驚いて、気にする間も無くセレニアに駆け寄った。


「来ないで!触らないで!あああーーー!!」


 トゥヴァリの手を突っ撥ね、破れた服で必死に体を隠し、部屋の隅に後ずさっていく。

 セレニアは顔を恐怖に歪め、涙を流し、歯をカチカチと鳴らしてその震える瞳には、トゥヴァリを映していた。


 "彼女もまた、感情を呼び起こされている。"


 洞穴の入り口に、ナランサがいた。精霊も一緒だった。


 "お前が試されている間、結果を待っていたのだが、彼女はこれを越えられまい。"


 ナランサは、しゃくり上げるセレニアのもとに行き、彼女の前にそっと身を横たえる。

 セレニアは気を失って、背の上に倒れた。


「...彼女は本当に...。」


 セレニアか?と言いかける。

(何を馬鹿な。彼女がセレニアでなくて何だと言うんだ?)


 "何か?"


「いや...何でもない。先に進もう。」

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