2 宮殿前
「改めて来ると、でっかいよねぇ。」
町の北に構え立つ宮殿は、もしかすると町よりも大きいとペルシュは思っていた。
横幅は町の端から反対の端まで。入り口は広くて大きな階段になっており、てっぺんには白い石柱が並んでいる。その向こうにある宮殿は下からでは見えない。
「冒険って宮殿?」
背中に大きな袋を背負って、森に入る準備をしてきたトゥヴァリはペルシュに不満を言った。
「それ、何が入ってるの?」
「布団。」
やはりトゥヴァリは宮殿から垂直に走る大通りの一本向こうの家に住んでいて、「わざわざ西の林に行ったのに。」とここまで連れてくるのにもだいぶ苦労した。
ペルシュは周りに誰もいない事を確認して、
「宮殿の中だよ。精霊王と元老院の人しか入れないところ。」
「...そういう事かよ。」
トゥヴァリはちょっと驚いてペルシュの顔を見た。自分より大胆な事を考える人間がいると思わなかったからだ。
「よし、宮殿に忍び込むのならこんな荷物は邪魔だ。置いてくる。」
「トゥヴァリの家を見せてよ!一人で住んでいるんでしょ?」
ペルシュは無邪気に言ったが、トゥヴァリは少し嫌な気持ちになった。
(親がいない事をこいつも面白がるんだな。)
「何も変わらない。家なんてみんな同じだ。すぐに戻るからここで待ってな。」
と言って、トゥヴァリは一人で行った。
ペルシュは階段の下から三段目に座って待つ事にした。
空は青、森は緑、地面は茶色。家は白、宮殿も白、広場の石畳も白。
宮殿の下は広場になっている。西南地区と同じようにテーブルが並んでいる。トゥヴァリもここでさっき朝食を食べたんだろうなと、ペルシュは考えた。
広場のテーブルが無いところ、精霊たちがいつも肉を焼いたり食料を積み上げているところに、何人か集まって話をしている。
テーブルは自分のじゃないところには、絶対についてはいけない。みんなすごく怒るからだ。だから集まる時は、広場の中心を使う。
ペルシュは彼らの輪の外側に混ざりこんだ。
宮殿の近くの人の話を聴いたことがなかったので、興味があったからだ。
語り手は言った。
「我がドーデミリオンの家に伝わる最初の人の手記には、こうある。
『そうして、人も動物も精霊も、世界のただ一箇所に集められた。"ひとまとめ"。精霊王は、古語でその意味を持つ、アルソリオと国を名付けた。精霊王は人が暮らすための町を造り、動物が暮らすための森を造り、自分のために小さな宮殿を造った。
しかし、精霊王の周りにいた人々は不平不満を言った。そのため、精霊王はその人々の不死を叶え、彼らのために巨大な宮殿を用意した。』」
「私の家にはこういう日記があるわ。
『人の大精霊が、馬の大精霊に、人の数を増やさなければ、と言った。
大精霊が手を空に持ち上げると、今までの物は消えて、地面から白い町が現れた。
大精霊に、乱暴な男が、お前に人のことなどわかるものか。ちゃんとした人間に意見を聞け、と言ったので、側にいた十三人が選ばれて、宮殿の中に住むことにした。』
しばらく後の日記には、
『そういえば彼らはどうなっただろう。宮殿の中から出てこない者も多い。』
とも書いてある。」
二人の読み合わせを、周りは聴いて楽しんでいた。
「十三人の元老院のうちお名前がわかるのは、アイピレイス様とハーヴァ様だけだな。」
「ハーヴァ様の話はどこの家?」
「東のサキタリの家のを聴いた。『ハーヴァという女性が、みなを勇気付けた。』という一文が出てきた。」
ふと見ると、階段の方にトゥヴァリの姿があったので、ペルシュは広場を離れた。
階段を上っていく。トゥヴァリはたったたったと、段飛ばしで駆け上がっていく。ペルシュは息が切れてきた。振り返ると、家々の屋根と、町と森をすべて囲い込む白い壁が見える。
その向こうに荒れ果てた地と海が霞んでいる。海には海の大精霊がいて、海の生物を守っている。精霊王は海のことはわからないので、役割を分担したのだという。
『海を除いて、ここより他に世界はなく、すべてがこのアルソリオにある。』
壁の外に出かけていくのは精霊と鳥だけ。人はこの壁の中で一生を終える。
「早く来いよ。」
トゥヴァリは焦ったそうに伸びをした。
階段の上に着くと、ペルシュが何人で手を繋げば一周できるかもわからない石柱が何本も並んでいる。
それを抜けてようやく、太陽光を反射して真っ白に輝く宮殿が姿を現わす。
と言っても、建物まではまだまだ遠い。間に広場がある。町の広場とは比べ物にならない広さだ。
ペルシュもトゥヴァリもここまでは来たことがある。アルソリオの祭りの時は全国民がここに会し、真ん中にある精霊王の像に感謝を捧げる。
「この先は、あのたった一つの扉しかない。」
トゥヴァリは、像の先の巨大な扉の事を言った。ぐるっと見回しても、その他は窓があるだけで入り口は見当たらない。
「あんな大きな扉が開いたらすぐに気付かれる。鍵がかかっていたら入れないぞ。」
ペルシュは宮殿に近づいて、窓から中を覗いてみた。
「うわ!」
「どうした?」
「...違う、全部像だ。すごい...。」
恐ろしい獣の姿に驚いたが、それは精霊王の像と同じように石を削ってできているようだった。窓から見えたのは廊下だった。赤い絨毯がずーっと敷かれ、一歩歩くごとに様々な像が並んでいる。
人は見えない。
「おい、離れろ。扉が開く!」
トゥヴァリに言われて、ペルシュは慌てて窓から顔を離した。
「アイピレイス様だ。」
扉から出てきたのは、真っ赤な帽子に真っ赤な服を着て、真っ赤な靴を履いている背の高い男性だった。彼はすぐに二人に気がつき、近くに歩いてきた。
「やあトゥヴァリ。それと君は...。」
「ペルシュです。」
「ペルシュ。西南地区のミスラとパムーシュの子だ。」
アイピレイスは、黒くて短い顎髭に触れながら言った。
「君は私に会ったことがないかもしれないが、私は国民の名前をみんな知っている。私はそれを全部記しているのだ。この国が建国されて以来。」
「どうしてそんな事をするのですか?」
ペルシュは言った。
トゥヴァリは、ペルシュが顔に似合わず時折見せる度胸にまた驚いていた。
「うーん、それは、生まれては死んでいく君たちの命を、尊く扱いたいと思っているから、かな。」
アイピレイスは髭を撫でながら、とぼけた表情をして、言った。
「他の元老院の方々も何かされているのですか?」
「うーん、これだけ広い宮殿で、好き勝手しているからね、もう百年以上も会っていないのもいるなぁ。生きているのかも、怪しいね。」
「ハーヴァ様は?」
ペルシュが聞いた時、アイピレイスが一瞬表情を変えたのをトゥヴァリは見逃さなかった。
「彼女とはたまに会うよ。うろうろするのが好きな同士でね。」
「最後にもう一つ聞いても良いですか。」
「うーん、良いとも。君は賢い子だ、ペルシュ。」
「精霊王様はどんな方ですか?」
「...最近、ずっと、お見かけしていない。...私は、ね。」
ペルシュがお礼を言うと、アイピレイスは町へ降りていった。
トゥヴァリは町に来たアイピレイスに話しかけられた事はあっても、あんなに会話を交わした事はない。
「お前って、すっごいな。」
尊敬と侮蔑と両方の意味で、トゥヴァリは言った。
「怖いもの知らず。」