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セレニアの国の物語  作者: さなか
アルソリオのトゥヴァリ
19/320

19 善と悪の分離

 さっき見た光景が、頭から離れない。

 廊下を進むに連れて、トゥヴァリの罪悪感が増していく。


(吐き気がする。)


 セレニアの体は治る。部屋中にぶち撒けられた血潮も、体内に戻される。


(なんなんだ...。)


 トゥヴァリの体じゅうから、怒りが込み上げてくる。

 あの光景に体を硬直させていた自分自身に対しての、そしてそれが頭をよぎるたびに何度も襲ってくるその感覚に対しての、怒りだった。


(くそっ。あんな事に、あんなひどい事に、絶対に俺は意味など見出すものか!)


 石の床の 廊下がずっと続いていた。あの部屋を過ぎてから、何の気配も感じられないくらい静かな状態が続いている。

 廊下の突き当たりに、ただ、真っ白いだけの扉があった。白い壁に、見逃してしまいそうな同色の、何の飾り気もない扉だ。


(俺は違う...。)


 トゥヴァリはそっと壁に体を寄せ、扉を開いた。

 部屋の中には、真ん中に大きなベッドがあり、一つだけ書棚があった。アイピレイスはいない。


 トゥヴァリは扉を閉めて、部屋を出た。


 奥へ進むと、廊下はまた赤い絨毯の装いに戻る。ただの白い壁と柱が続いていた。像も絵も何もない。しばらく進むと、大きな空間に出た。

 真ん中に大きな下への階段があって、周りに幾つか扉があった。奥にも廊下がある。トゥヴァリは奥へ行ってみた。




 散策は徒労に終わり、トゥヴァリはまた階段のところへ戻ってきた。いろいろな部屋はあるものの、アイピレイスどころか誰もいない。

 その時、人の気配がしたので、トゥヴァリは柱の陰に潜んだ。アイピレイスの部屋にいた時、歩いていくのが見えた女が、階段を降りて行く。


 トゥヴァリは女が完全に見えなくなってから、そっと後を追った。

 絨毯のおかげで足音はほとんど立たなかった。上の階よりもずっと薄暗い廊下は、異様な空気が漂っていた。冷たく、そして何かの臭いがある。


 女は一層、暗い所へ歩いて行った。そこは今までで最も異質な場所だった。

 左右には、黒い金属が何本も間隔を空けずに並んでいる。その先は行き止まりになっていたので、トゥヴァリは廊下から女を覗いていた。


「アッハハ!本当に捕まってるのね。」


 女は鉄格子の中に向かって、笑った。


「...助けにきてくれたのか?」


 低い声は、アイピレイスのものだった。彼である事は確かだが、いつもよりずっと低く、力の無い声だった。


「何となく見に来ただけよ。」


「ハーヴァ...君もナサニエルの手先か...!」


 がしゃん、と鉄格子にぶつかる音がした。


「別にそういうわけじゃ無いわ。」


(ハーヴァ...?)


 トゥヴァリは一瞬、アイピレイスが何を言ったのか、わからなかった。わかったところであれがハーヴァだとは信じられなかった。雰囲気が違いすぎる、だが、言われてみれば声はそうだった。


「私は自分を守ってるだけなの。」


「ここにいるロズウェルやグルジエフの事は?」


「知ってるわ。誰も彼には敵わないって事なのよね。あなたもよ、アイピレイス。思った通り。」


「セレニアはどうしてしまったんだ!彼女がナサニエルに負けるはずがない!」


「あの子が決めた事を覚えてる?私たち元老院の願いは、可能な限り叶えるのよ。」


「...ああ。そうだった。」


「あの男の願いを叶えた結果なんじゃないかしら?色々と理由をつけているけど、自分が王になりたいってだけよね。人を見下したいの。言いなりにしたいの。捌け口がいないと生きていけない。もともとそういう人間だったんじゃない?社会不適合者。

 フフ。でももう社会はないわけじゃない?あれが一つの人間の形だというなら、セレニアは否定しないのよ。」


「だからって何故あんな傀儡のように...。」


「洗脳されちゃったんじゃない?」


「洗脳?」


「ああ、あれを見たわけじゃないのね。暴力で恐怖と痛みを植え付け、尊厳を踏みにじり、精神を破壊する行為。」


「君は知っているのか、この宮殿で何が起きていたのか。」


「あなたが知らなすぎるのよ?町の人間なんかに夢中になって。馬鹿じゃないの?あの、私の子...トゥヴァ、トゥヴァン、トゥヴァリ、122番目、どうせそれしか意味を持たない子よ。無駄に知識を付けさせたところで、精霊に生気を吸われても死ななかった!なんて馬鹿げた実験をするくらいの脳しかない。あなたとあの子の喜びようったら、笑えたわ。所詮、冴えない事務職員と、顔だけで選んだ男の子どもよね。」




 怒りと悲しみでどうにかなってしまいそうなほど、体が震えている。

 精霊からも怒りを感じる。トゥヴァリの心が伝わっているのだ。

 トゥヴァリは、その場を離れた。



「...いい気味だわ。セレニアよ、あの子のせいで私はすべてを失ったんだもの。私はあいつがしていることを見たって、何も感じないの。」


「君は、セレニアを助けないのか。」


 アイピレイスは呆れたように、ぽつりと言った。


「非難したいわけ?何も知らないで、馬鹿にしないでよ。最初にやられたのは私なの。元老院に女は一人だもの。いくら不死だって私は人間だわ!」


 ハーヴァは声を荒げる。


「 それは...いつ?」


「オーウェンが出て行ってすぐ後よ。」


 しばらく、沈黙が続いた。







 トゥヴァリはハーヴァの言葉を聞いた時、飛び出して殴りかかりたい衝動に駆られた。ハーヴァなら倒せると思ったのだ。そうしたら、アイピレイスと会話も出来たはずだ。

 だが、トゥヴァリの脳裏にあの男の形相が思い浮かんだ。自分より弱い女に暴力を振るう姿。


(男に立ち向かい少女を救おうとしなかったくせに、女だったら勝てるから衝動に従おうというのか。)


 トゥヴァリは自分を恥じた。


(でも俺は、理性で拳を押しとどめられる。)


 体はガタガタ震えていた。裏切られたという悲しみで、心が体の下の方に落ち込んでしまったように、胸のあたりが冷たく感じられた。怒りは頭の中でズキズキと脈を打っている。




 《 ーー 》




「?」


 それは、言葉ではなかった。

 何かがトゥヴァリを呼んでいる。

 トゥヴァリの足は、惹かれる方へと自然と動いた。呼ばれるままに、薄暗い廊下を曲がる。


 ドン。と、何かにぶつかった。


 ぶつかったものは、力なく絨毯の上に倒れた。白い布だった。黒い髪だった。


「君は...っ!」


 赤い絨毯の上に転がるその白い肢体は、流れる黒髪は、狼の口から覗いた光景をトゥヴァリに思い出させた。


 少女は何も言わなかった。トゥヴァリを見てほんの僅かに驚くような表情を浮かべたが、ただ気怠そうに細い体を起き上がらせた。


「待ってくれ。逃げよう。俺と一緒に行こう、ついてくるんだ。」


「...。」


 少女は何も言わなかった。

 足を引きずるようにして、先へ進もうとした。


「どうして?嫌だろう、こんなところにいるのは!」


 トゥヴァリは少し苛立っていた。


「...私は精霊王セレニアです。」


 少女は体のように細い声で言った。


「私は謝罪します。人々を傷つけ、尊い命を奪い、貴方の兄を殺しました。彼らの痛み、悲しみを一時も忘れることはありません。

 私は贖罪します。過ちを繰り返さないよう、己に出来ぬ戒めに、貴方の手を借りて罰を受けます。」


 早口で、聞き取れないくらい小さな声で言った。


「君がどんな事をしたからって、あんなに酷いことが許されるわけがない。」


「私がしたのは、それ以上の事です...。」


「それ以上って、何を?」


 トゥヴァリは、セレニアの事も、もはや許せないと思っていた。彼女が受け入れるからあれが起きるのだと、そう思い始めていた。


「ナサニエルの兄を殺しました。たくさんの人の命を奪いました。」


「それはさっき聞いたよ。」


「私は覚えていません。覚えていないことが罪です。私はセレニアになる前の事を、何も覚えていないんです。」


「じゃあ、ナサニエルに言われるがままに贖罪をしているっていうのか!君は自分が何を謝るべきかも知らずに、謝罪をしているっていうのか!そんな意味のないことで物事は解決しない、ただ、彼の暴力を助長しているだけじゃないか!」


 トゥヴァリが声を強くしたのに、セレニアは怯えていた。トゥヴァリは拳を強く握りしめ、そして、力を解いた。


「わかった...それなら、俺が知る。君の代わりに、俺が識るよ。それで本当に君が悪いとわかった時は、俺が一思いに、君を殺す。」


 トゥヴァリは自分の言葉に確信を持ち、セレニアの手に初めて触れた。


「だから、俺と行こう。俺は正しいと思うことをする。揺るぎ無く、人として俺が正しくあり、ナサニエルが間違った悪だという事を精霊王セレニアに証明しよう。

 ――俺は、君を助ける。」


 彼女は何も言わなかったが、手を振りほどきもしなかった。

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