第2章 古き友の咎 21
「あなたたち...。」
林の中から姿を現した女性を見て、ロカはほっと剣を下ろした。すっかり暗さに慣れた目にランタンの明かりは眩しく、今まで見えていた周囲を黒い闇に変えてしまった。
「こんな時間にどうしてこんな所にいるの?迷子?」
女性はさして驚く様子も無く、表情にも言葉にも、興味も無いのに人がいるので仕方なく声をかけた、ロカはそんな印象を受けた。
「...マリーゼの方ですか?」
この行き止まりの崖についた時、ロカは愕然とした。何故町を出るのにこの道を選んでしまったのだろう。膝をつき、うな垂れた。戻るしか道が無い。戻れば真実を知ったハンドレッド王子がいる。どこまで知れるのか、ラナがカッツォ・エサムの妹だという事と、ロカがカッツォ・エサムの暗殺を諮った事まで知れるのか。そもそも何故カッツォ・エサムは生きているのか。彼の家にあった人の死体は一体何だったのか。ロカの知らぬところでロカの計画が遂行された事を知ったあの瞬間、安堵感と、一線を越えた自分への恐ろしさに手が震えた。そしてもう後戻りは出来ないのだと、気持ちを奮い立たせてこの町まで来た。
(そう、後戻りは出来ない...進むしか無い...。計画はどう進めるつもりだった?ここで何か適当な、サンドラゴンの痕跡を得る計画だった。"適当な何か"?)
ロカは自分の浅はかさに吐き気がした。用意していたものは嘘しか無い。あとは行き当たりばったりの計画だ。
遠くの方から見えなくなって行く景色を眺めながら、ロカは考えていた。
計画を修正するにはカッツォ・エサムを殺すべきだ。でもそれは、ラナの兄が彼だと知られない為のものだった。もうハンドレッド王子とダリウス・ドーデミリオンが知ってしまったのならば、彼らを殺してしまうべきか?
(...彼らの死の言い訳にどんな嘘をつけばいいと言うんだ。)
例えば、ロカたちが引き返したとしても、人の良いハンドレッド王子は「聞いてくれロカ!ラナの兄はカッツォだったんだ!」。そうして皆で仲良く城下町へ戻る。ラナが言ったことが単なる勘違いだったと、事をうやむやには出来るかもしれない。そうしてラナはハンドレッド王子と婚約し、カッツォ・エサムは次の王妃の兄であり王の友人となる。
(それなら、僕のした事は何だったんだ...。僕のしようとした事は...?)
ラナを手放したく無い。他人に渡したく無い。養子に迎えた子どもとその家の子が一緒になる事は珍しい事では無い。親戚同士の結婚が禁止されている状況では、家督を独占し続ける手段としては最も有効だからだ。だがラナを養女に迎えた父の魂胆はそれとは違う。ロカがラナを愛していると言ったところで聞き届けてはもらえないだろう。
「そうよ。」
女性は答えた。
「町へ道案内をしましょうか?」
「...。」
「でも、それなら待っていてね。私も用があって来たのだから。」
ランタンをロカに手渡して、彼女がとった行動にロカは驚いた。後ろで見ていたラナも小さく悲鳴をあげる。
「あ、危ないですよ!」
彼女は何の迷いもなく崖へと歩を進め、あろう事か、その淵に腰かけた。
「良いのよ。」
「...。」
彼女はまともな人では無いのだ、とロカは思った。足を空中に投げ出して、じっと谷底を見つめていた。彼女が谷に吸い込まれてしまいそうで、ロカもラナも気が気では無かった。
「何でそんな事を、するんですか?」
何とか彼女を戻させようと、ロカは慎重に聞いた。
「...迎えに来るのを待っているのよ。」
「迎え...?」
「初めはロープを持って来たの。でもいくら伸ばしても伸ばしても、底に届きやしないわ。彼が助けを待っているかも知れなかったのに。」
「...彼って?」
「罪人よ。死刑になったの。」
彼女はふふ、と笑った。明かりがかすかに映し出す彼女の顔は、痩せて病的であるけれど、元はきっと美しい人だろうとロカは思った。
「もう一月以上経って、自分がなんて馬鹿な事をしているのかと思ったわ。ここから落ちて生きているわけがないでしょうに。」
「...その人は、何の罪で死刑に?」
彼女が片足を地面に戻したので、ロカはほっとした。
「...略奪愛よ。」
微かに笑う彼女に、ロカの背にゾクリと悪寒が走った。この女は本当に存在しているのだろうか。谷がロカの心を読んで見せている幻では無いだろうか。ここに着いた時から感じている怖気がはっきりと正体を現したように思えた。
詰まる所、死に呼ばれているようなーー。
「人は言うわ。何故二人で逃げなかったのかって。でも逃げるなんて...この町には、家族がいるんだもの。
何故初めから二人が結婚しなかったのかって。私が親の期待を裏切れなかったからだわ。彼もその方が幸せだって思ったのよ。
じゃあ、何故罪を犯したのかって?...遅すぎたのに、気が付いてしまったからよ。私と彼が愛し合っていたということに。」
ロカとラナを見る彼女の瞳に、ランタンの火が揺れる。
「一緒に死ぬくらいなら出来たかもしれないわ...。」
(これは女の姿をした、死、そのものに違いない...!)
ロカは自分でも意識しないまま、剣を抜いていた。
「お兄ちゃん?」
ラナが腕をつかもうとする。が、もうロカは歩みを進めていた。
「ロカ!」
林の中から飛び出したハンドレッドに、ロカは驚いた。
「何をしているんだ!?」
「...。」
ようやく自分の行動に気づき、自分の手にしている剣をまざまざと見つめる。
「そうか...僕は初めから、剣を向ける相手を間違えていたんだ...。」
「ロカ?」
眉を潜めるハンドレッドに、ロカは切っ先を向けた。
「...僕と決闘して下さい。殿下。」
「ロカ殿!?何を...許されませんよ!」
ダリウスが追って出た後に、カッツォとミスサリアの姿を確認する。
ふとラナを見ると、不安そうにロカを見つめている。彼女はいつもそうしていた。いつも、何かの陰に隠れて人に怯えていた。
(僕が守ってやらなくては...!)
「ラナがサンドラゴン王子の末裔だというのは、大嘘です。」
ロカは言った。
「全部僕が言わせた事です。」
「...!やはり、そうなのか!?」
「ようやく気がつきました。僕の敵が、誰なのか。それは父と、貴方です。ハンドレッド殿下。」
前に出ようとするダリウスを、ハンドレッドは止めた。ハンドレッドの両手は体の横にあった。
「それは...、何故だ?」
「愛する人を同じくしたからです!」
「え!?」
予想外の言葉に、ハンドレッドは驚いた。誰もが驚いたけれど、ハンドレッドが最も驚いた。
(そんな、ロカがミザリーと会ったのは、ついこの間の少しだけなのに...!?)
「い、いつ...そんな、愛するようにまで、?」
動揺しながら、ハンドレッドは聞いた。
「ずっと前からですよ。貴方よりも、ずっと。」
ハンドレッドには、ロカのその言葉が、真剣な表情が、自分を通り越してミスサリアを見ているのだとさえ思えた。
(...!ミザリーがミスサリア姫だと気付いたのか!)
ハンドレッドは気を引き締めた。
「ダリウス、手出しをするな。男としてこの決闘は受けなければならない。」
ハンドレッドは上着を脱いでダリウスに渡し、目を閉じて深呼吸をすると、剣を引き抜いてロカに答えた。
リサーナは崖から戻って来て、不思議そうに彼らを見つめていた。
「な...え?うーん...待てよ、何か、色々間違っている気がするんだけど...。」
唖然としていたカッツォは、しかしハッと気が付いて、「あの子を連れて来てくれないかな。」とミスサリアに頼んだ。ミスサリアはハンドレッドたちの横をぐるっと回ってラナのところへ行くと、ニッコリと笑いかけ、「こっちにおいで。」と林側へ連れて来た。
はらはらと落ち着かないダリウスの横で、ハンドレッドとロカが睨み合う。
ハンドレッドが剣を構えると、おもむろに息を吸い込んだロカは素早く間を詰め、細身の剣で薙いだ。
ハンドレッドは鋭い音を立ててその剣を受け止める。暗闇の刃にランタンの明かりがちらつき、集中を乱そうとしている。ロカはハンドレッドの剣に自分の剣を滑らせて、更にもう一打ちした。華奢で美しい容姿に期待通りの、美しい剣筋だった。
次々とロカが打ち込むのをハンドレッドが受けているだけなので、カッツォはハンドレッドが劣勢なのだと思った。ダリウスは奇妙に見ていた。ハンドレッドがわざと打ち返していないように見えたからだった。
(似ているな...。)
ハンドレッドはロカの身のこなしを受けて、ソラミル・オーネットとの稽古を思い出していた。型を正しく守った、騎士に受け継がれる優雅な剣技。
そうやって受け手に徹しているハンドレッドに、我慢出来なくなったダリウスが叫んだ。
「何をやっているんですか!ラナ様を奪われても良いのですか!?」
「え?」
ハンドレッドは聞き返し、思わずダリウスを見た。
「あ!」
ハンドレッドが余所見をして受ける所作をしなかったので、ロカも慌てたが動きは止められなかった。
ロカが振るった切っ先が、ハンドレッドの首筋をかすめる。
「痛...っ!」
ハンドレッドは顔をしかめて首筋を手で抑えた。見ると、手のひらにほんのりと血が付いていた。
我に返ったハンドレッドは、僅かに動揺しているロカに今度は攻めの態勢を取った。
「ダリウス?何を勘違いしているのか知らないが...。」
ロカは腕が立つ、とハンドレッドは思っていた。稽古の相手として面白い。けれど稽古中では無かった、決闘中だったという事をようやく思い出した。
(負けるわけには...いや、格好の悪いところを見せるわけにはいかない!)
「ミザリー!」
ハンドレッドの打ちおろす剣は、まだ幼いその容貌からは想像を超えて力強く、ロカは驚いた。ロカの細い腕と剣では、打ち流すのが精一杯だった。
「うん?ボク?」
「私はこの決闘に勝ち、君に結婚を申し込む!」
ロカの剣が、弾かれて地面に落ちた。
「はぁ、はぁ...。」
尻餅をついたロカは呆然と、ハンドレッドを見上げていた。胸を大きく上下させながら、言った。
「...っ...ミ...ミザリーさん、ですか...?」
「君も、そうなのだろう?」
「いえ...僕は、ラナを...。」
「...ラナ?」
ハンドレッドがラナを見る。ラナは顔を覗かせたまま、ミスサリアの後ろに隠れた。
「えっと...ラナとドレって、どういう関係なのかな。」
カッツォは頭の後ろを掻きながら、ダリウスに聞いた。
「はい、婚約のお話が進んでいるところです。」
「婚約だって!?」
ハンドレッドが声を裏返らせて、咳き込んだ。
「マルメロ殿がお連れになって、ハンドレッド様が気に入られたご様子でしたので、マリージア様がお話を進めていらっしゃるところですよ。」
「何でそんな事になっているんだ!私がラナを気に入っているなんて言ったことがあったか!?」
「ええ、だってハンドレッド様はラナ様のお屋敷に足繁く通ったり、何を贈り物をしたら良いか私に聞いたじゃありませんか!」
「それは、海賊についてマルメロを調べていたんじゃないか!贈り物なんて、話した覚えはない!」
「海賊って何ですか!?服や宝石をお贈りになったら、とお話ししたじゃないですか。それでマリージア様がドレスをお作りになったのですよ!」
「だからそれはラナじゃなくて、ミザリーの話なんだ。」
言い合うハンドレッドとダリウスの間に、カッツォが割って入って止めた。
「えっと...ドレはミザリーが好きなのに、ラナを気に入っているってみんなが勘違いしていたって事だな。」
「ええ...?」
「はぁ...。」
カッツォは大きなため息をつき、座ったままのロカの方に向いた。
「何でおかしな嘘をつかせたのか、ようやくわかったよ。ドレとラナが結婚出来ないようにしたかっただけなんだな。」
「...っ。」
ロカは近づいて来るカッツォに、後退りした。
「おいおい、危ないぜ。落っこっちまうよ。こっちに来なよ。」
手を出そうとするとロカが睨みつけたので、カッツォは彼から離れた。
「取り敢えず、町へ戻らないか。」
「ちょっと待って。」
全員の目の前を横切って、きらきらと薄い光を放つ髪の毛をなびかせて通り過ぎた。今、誰の目にも見えていた。シュロに跨ったイヴェットは、崖の手前で彼らに振り向いた。
それは、イヴェットであってイヴェットでは無いような虚ろな目をしていた。シュロも彼女と同じ物かのように、同じ光を帯びている。
「この下にある。」
イヴェットが言うと、シュロは崖に向かって足を進めた。そして谷へと消えたので、皆慌てて崖の方へ寄った。薄く光る彼らは、暗い闇の中へゆっくりと降下していく。ピークのように、空を浮いているようだった。




