第2章 古き友の咎 20
林の中、草木の間を掻き分けて行く細い道はあった。キチキチと地面に近いところで虫の羽音だけが聞こえる。
先頭のリサーナと、後ろにいるミスサリアの持つランタンの明かりにハンドレッドがカッツォの顔を見上げると、彼は慎重に辺りの木々の合間の暗がりに目を凝らしながら歩いていた。
ハンドレッドの足裏にバキンッと強い衝撃があり、小枝が折れて飛んで行った。「痛っ!」とダリウスが小さく呻いた。
「足元、川だからよく見て。」
リサーナが溝を飛び越えるのに続く。ハンドレッドは着地した場所が手前過ぎて、斜面によろけたところをダリウスが支えた。
「おーい、ロカ君ー!」
ミスサリアがランタンを揺らし木々の暗がりに向かって叫ぶ。
「もし迷っていたら、その辺りにいるかもしれないよ。」
「なるほど...そうですね、」
「いや、...。」
カッツォは冷静を装った。
「呼ばない方がいいかもしれない。向こうが先に俺たちを見つけたら、出て来ないで余計に奥に行ってしまうかも。」
「どういう事だ?」
ハンドレッドはより慎重に足元を確認するように気をつけながら、聞き返した。
「...ラナに嘘をつかせたのは、ロカじゃないかと思う。何でかはわからないけど...。」
「ロカ?」
「うん。ここに俺がいたのは誤算だったんだと思うよ。それで嘘がバレるから慌てて逃げた。」
「...まさか。旅の間ずっと私たちを騙していたと言うのか?」
ハンドレッドは今までのロカの様子を思い出していた。彼の態度はハンドレッドには好意的に思えていた。
「確かに、あのラナ様が一人で私たちやロカ殿に嘘をついていると言われても信じられませんが、ロカ殿がと言うのなら、今の状況も納得出来る気がしますねぇ。」
ダリウスは調子良く、感心したように言った。
「でもカッツォ殿がラナ様のお兄様だという事は、私も知っていたんですよ?もし私が初めから覚えていればあんな嘘成り立ちません。」
「お前は忘れていたんじゃないか。」
「...そうなんですが。」
「あなたたちが探している子どもも、悪い事をしたのなら、きっと、谷にいるでしょうね。」
話を聞いていたリサーナは、振り向きもせず、からかう様子でもなく、抑揚の無い声で言った。背の高い少年の頬の傷跡のようなへこみが気になっていた。暗がりに照らし出されると片頬だけがえぐれた様に影を作り、顔立ちを奇妙に見せていた。何か訳がある少年たちだろうと想像される。しかしよく喋る彼らの話を聞いていると、何か企んでいる様子には思われなかった。
この二月の間、谷への案内は初めてではない。毎晩女一人で山に入っていると知られれば、様々な目的の人間を呼び寄せる。
少しだけ脅かしておこうと考えた。
「あの谷は、咎人を呼ぶと言われているわ。」
「王家の恨みの亡霊が...。」
カッツォが呟く。
「良く知っているわね、誰かに聞いた?」
(お喋りの木こりの夫妻かしら。)
リサーナは音階を正しくは歌わなかった。喋るのと変わらないような調子で口遊むのは、夜の木々の合間に恐ろしく響いた。
「王家の恨みの亡霊が
お前の足を引っ張って
谷の底へ落とすだろう
おいでおいで、悪い子だあれ。」
ハンドレッドは行く道の先に、自分を呼ぶ何かの気配を感じたように気がして、寒気がした。
「マリーゼの子どもを躾ける時に歌われる歌よ。」
「リサーナはどうして咎捨谷へ行くの?」
また沈黙を破ったのはミスサリアの屈託のない声だった。
「...。」
「道もよく知ってるし。」
「...。」
カッツォは説明しようかと迷ったが、本人の前で訳知りに事情を言うのも憚られた。
「友だちがいたのよ。子どもの頃、その子に連れられてこっそり谷へ行って遊んだわ。」
リサーナは後ろを一度も振り向かないまま答えた。
「谷に呼ばれて死んだのよ。同じ罪で私も呼ばれているの。」
「罪って、」
ミスサリアがなおも問いかけようとした時、カッツォが会話に割り込んで言った。
「もうすぐ着く?」
「...そうね。」
「明かりを下ろしてくれないか?それから静かに...。」
「...お兄ちゃん?」
心細くラナが言った。こうしてもう何時間になるだろう。林を走っている時に転んだ擦り傷と、枝を引っ掛けた切り傷が痒く痛んだ。さっきまで考え事の中心となっていた空腹は今は感じなくなっている。またしばらく経ったらお腹が空くだろう、と思うとより不安が増した。
(私...こんな山の中に来た事なんて、無いよね?)
周りを囲む木々、植物、湿った地面、それらに見覚えはない。だがこの心細さに懐かしさを覚える自分がいる事にラナは疑問を抱いていた。ロカは隣に座って、空の闇が落ちて来てそれが溜まってしまったような真っ暗な谷を無言で見つめている。
何となく道のような道を兄に手を引かれるままに走ってくると、ここで行き止まりになってしまった。もし崖に近い場所の木々が乱雑に切り倒されて見通しを良くされていなかったら、止まらないまま真っ逆さまに落ちていたかもしれない。
(ここが咎捨谷...。)
ロカが息を切らせて足を止めた、その時はまだ日は明るく谷の姿をラナに見せていた。夕陽に落ちて行くその光景は、ラナに南オルミス城の塔の上から見た景色を思い出させていた。どのくらいか見当もつかない谷の底もまた森になっていた。ラナは今まで話を聞いて、咎捨谷は岩山のようなところで、寂しい谷底に恐ろしいものが色々と落ちているのだと思っていた。でもここは、実際に目にしてみれば、世界の続きがある所だった。この先に人はまだ到達していないと言う。垂直にえぐり取られたような谷の先には、遥か先まで続く大地に山々が連なっていた。
ロカが何も言わないので辺りは静まり返っていた。
(ここで寝るのかな...。どうして町を出たんだろう。少し、肌寒い...。)
両腕を抱いた時、背後で微かに音がしたような気がした。ラナが振り向こうとすると、ロカは既にそちらを向いて、ラナを背に剣を抜いていた。
どうしてロカがそんな事をするのか、ラナには全くわからなかった。
「お兄ちゃん...。」
「しっ...。」
ロカに制止されるままに慌てて口を噤もうとしたが、ラナは軽い咳が出てしまった。




