第2章 古き友の咎 13
マリウスはマリージアに呼び止められ、足を止めた。マリージアは今日の客を招いた昼の会食を楽しみにしているようで、テーブルに飾る花などの確認を朝から何度もした。
「本日のお客様は誰だっけ?」
別の仕事で通りかかったイリウスがマリウスのところにやってきて聞いた。
「マルメロ殿の所のラナ様だよ。」
「へえ。あんなにウキウキしたマリージア様は久しぶりに見る。」
「どうやらラナ様はハンドレッド様との仲がうまくいっているらしいんだ。ダリウスが言っていた。」
「兄さんは最近、すぐに城から居なくなるよね。」
「ハンドレッド様がよくお出かけになるからな。」
「それにしても...ハンドレッド様のお相手を楽しみになさるという事は、やっぱり王位はハンドレッド様にお譲りになるおつもりなんだ。」
「しっ。そういうことを公に言うんじゃない。ご結婚なさるのは王位継承者だけというのはオルミスの規則だけれど、隠居して恋人と暮らした王族も過去には大勢いるんだ。」
「しー!兄さんこそ、そんなこと言っちゃダメだろ。一応、知る者が限られている秘密なんだから。」
(まったく、イリウスは口が軽いのだから。ダリウスよりはマシだけど。)と、マリウスが思った。
イリウスは、(兄さんは弟には口煩いけど自分はそそっかしいんだ。ダリウス兄さんよりはマシだけど。)と、考えた。
「おや、ラルハイン殿。」
廊下にその姿を見つけ、マルクスウェンは朗らかに声をかけた。
「お久しぶりです。こんな所でお会いするとは、お珍しい。いつも王のお側に片時も離れずいらっしゃるのに。」
「...気安く話しかけてくるのは誰かと思えば、マルクスウェンか。」
ラルハインはいつも眉間に皺を寄せているが、一層不機嫌な顔をしてマルクスウェンを見た。
「大きくなったものだ。ママはどうした、逸れたのか?」
長年愛用している使い込まれた鎧は、"鎧の輝きは臆病の証"と言われる騎士界では異彩を放つ綺麗な表面をしており、今までに身体に剣を受けた事がないという伝説を語るかの様に誇らし気にラルハインの急所を覆っている。
「...相変わらずご冗談がお好きですね。母はアルフレッド殿下と国境でしょう?私は留守の間、城内の様子を任されただけですよ。」
「後を継ぐ準備かね。具合でも悪いのならば結構な事だ。いやいや、心配で仕方がない。」
ラルハインは小馬鹿にする様に笑ったので、マルクスウェンもさすがに頭に来て言った。
「そうですね。母も歳を感じてはおりまして...ラルハイン殿もそろそろ跡目を考えられている頃でしょう。どうなさるのかと気になっていたんですよ。何せ、お子様がいらっしゃらないので。」
「...貴殿らに考慮してもらう必要はない。」
ラルハインはとうとう気分を害したのか、マルクスウェンを睨みつけたまま踵を返した。
マルクスウェンは軽くお辞儀をした。彼が極端に自分を嫌っている事は、幼少の頃から気付いていた。何せあのように、態度に隠そうとする努力すら見られない。彼も昔結婚していたが、子どもが出来なかったからだろう。
マルクスウェンは廊下を後にした。ラルハインに会うという目的は果たしたので、もう城内に用は無かった。気の合わない人間はどこにでもいるもので仕方がない事だが、ただ挨拶をするだけでこんなに嫌な気持ちになる人間は稀だと思った。
南の廊下に出ると、マリウスとイリウスの兄弟が今日も仲良さげにお喋りをしている。
「やあ、マリウス、イリウス。何か面白い事があったかな?」
「マルクスウェン殿!」
「マルクスウェン殿、もしかしてベアトール様をお探しですか?」
イリウスが困った顔をして言った。
「はは、彼の行き先は知っているよ。"海賊について調べる為に"キヌート港へ行っているんだろう?」
マルクスウェンは肩を竦めた。
「キヌートはファルマ嬢だったかな?」
「ヘリオット様とケイティ様ですね。」
イリウスは答えて、ため息をついた。
キヌート港はすっかり賑わいを取り戻していた。兵士の数もだいぶ減り元の姿に戻った港の人々は、また海賊に襲われるのではという不安は少なく、ようやく日常を取り戻したという安堵感が優っている。
それでも一部の人々は心の傷を忘れる事は出来ない。親しい人を亡くした者たちは日陰にすすり泣いている。他の者が港を取り戻そうと強く輝く程に明暗の差は大きくなる。
「...おや?」
町外れの墓地の新しい墓にだけ摘んだばかりの小さな花が供えられているのに、ベアトールは気付いた。よく晴れた日も静かで寂しい雰囲気の場所だった。
ベアトールの声に気付いて、一つの墓の前でうずくまっていた人影が立ち上がった。
「あれは私の父の墓です。」
ベアトールを案内していた男が言った。
「父をご存知ですか?あなたは...?」
男が急ぎ足で声をかけるとその女は慌てて顔を背けたように見えたが、少し間があって彼女は二人の前に身なりを整えた。
「いいえ。私は旅行中の者です。通りがかったところが墓地だったので...私は、墓守の家系に生まれたものですから。」
女は二人に軽く会釈をすると早足で横を通り過ぎて行った。地味な顔をした女だった。声にも張りがなく、特徴といえる部分がない。ベアトールの好みでは無かったが、通りすがりの墓に祈りを捧げる物静かな女、というところに興味を持った。
「ふむ...。」
「ベアトール様?」
「ああ、いやいや。...彼女が花を置いて行った墓が海賊の?」
「...ええ、そうですね。あと向こうの二つもです...犠牲者は九人ですから。」
男が指し示した木の墓標の一つ一つにベアトールは膝をつき祈った。
(王子がこんなに気にかけてくださるなんて、命を賭して海賊と戦った父も喜ぶだろう。)と男は思った。
(...さっきの男...騎士か?)
ハーマットは港の人混みに紛れた所で足を止め、背後を振り返った。
「...。」
あのように立派な身なりの人間は辺りに見当たらなかった。
(...さて、どうしたものか。)
「お嬢さん、一つどうだい。ここの名物だぜ!」
思案しているハーマットに屋台の店主が声をかけて来た。
「詰めバナナ焼き。何と言ってもハンドレッド王子のお墨付きだ。」
「...一つ。」
「5レーノだ。」
ハーマットは財布から銅貨を五枚、屋台の店主に差し出した。威勢の良い男は商売がうまくいって満面の笑みで、甘い香りのパンのような物を手渡した。
仕方なく、買った物を頬張る。
「...!」
一口かじったハーマットの表情を見て、店主は満足そうに頷いた。
「何故、私が旅行者だと?」
ハーマットは暖かいバナナの付いた親指をペロリと舐めながら、店主に尋ねる。彼は意味がわからないようでしばらくハーマットと目が合った。
「...こんなに人が多いのに。」
「はは!そりゃ、町の人間はわかるさ。他の町からだって、しょっちゅう来る奴は見覚えがある。」
「そうですか...。」
会話をしても表情に代わり映えのしない、冴えない娘だった。きっと貧しい、トロプス鉱山かどこからか来たのだろうとスライは考えた。意外にも娘は会話を続けた。
「...思ったよりも明るい町ですね。」
「ここはいつだって賑やかだぜ!」
「...最近、海賊に襲われたと聞いたので。」
無表情でじっと見つめられているのは睨まれているようだった。まるで、町中が悲嘆にくれていないのが悪いとでも言うようだ。
(それで、可哀想な町の様子を見に来たってのかい?あんたは。)
スライはすんでのところで声を飲み込んだ。その言葉は意地が悪すぎる。
「大丈夫かなー、ハーマット。」
ユイは気怠そうに呟くと、女たちの家の窓にもたれかかった。
「何が?」
いつものように裸で身体の手入れをしているアジャールカが興味も無さそうに聞いた。
「情報を集めるって言ってたけど、向いてないじゃん。あの人、そういうのに。」
「そうねー。」
「どうだって良いのさ、そんな事。」
階段を上がって来たサビアナは、はん、と鼻を鳴らして言った。
「あいつはそれでも上手くやる。脱走者を殺してイヴェットを連れ戻してくりゃぁそれで良い。」
「でもサビアナ、彼は何も言ってないんでしょう?いいの?勝手な事をして。」
そうして首を後ろに回すのがアジャールカの癖だった。長い豊かな髪と、大きな胸の重みに肩がこって仕方ないのだと言う。
「はん。その勝手な事にも何も言ってこないんだから、良いんだよ。」
「可哀想ね彼女。私たちの中で一人だけそんな役割で。」
サビアナは少しだけ口を尖らせて、アジャールカを見た。彼女が一人いれば世界中の男の欲求は満たされるかもしれない。クルマーシュの他の妻たちが何か自分の仕事をしようとするのは、彼女の存在が原因に違いない。と言ってもここに連れて来られる女たちは、元々その何かは持っているのだが。
サビアナはハーマットに唯一親近感を抱いていた。黙っているハーマットと同じ部屋に何時間いたって平気だ。サビアナも仕事となれば海賊として人を殺す。
「あいつにそういうのは無いさ。子どもの頃からそれが生業だ。昔王妃を暗殺したのだって、あいつなんだぜ。」
「でもイヴェットが悲しむんじゃないかなー。お兄ちゃんの事、大好きだったし。」
「恨まれ役はあたしがやるさ...この入江の事をバラされるわけには、いかない。」




