第2章 古き友の咎 10
ロカは一度家に戻り食事をとった後、身支度を整え直した。持ち物は袋いっぱいの50リグと懐に1ガルズ。服は使い古した地味な飾りの物に変え、屋敷の中ではいつもの上着を羽織っている事にした。稽古用の剣を差し、いざ出掛ける。出かけ前に鏡を見ると、全身の格好に滑らかな金髪だけが浮いていた。一度縛っている紐を解き、適当に乱してみる。
(これで縛れば良いだろう。)
もう一度綺麗に漉き直し、髪をまとめた。
馬車に乗り、一度城外へ出る。キヌート港で馬車を降り、歩いて城下へ戻る計画を立てた。城下町の門番は堅牢の騎士団が担当している。例え他の兵士でも同じだが、城下町を歩いて出て行くなんて滑稽で目立ってしょうがない。
「キヌートですか。お珍しいですね。」
御者が余計な事を聞いて来るので、「父の騎士団が手柄をあげたそうだから。」と答えた。
馬車の狭さがロカは嫌いだった。いつか子どもの頃に旅をして、母の膝の上に寝ていた事を思い出しながら、草原の向こうの海を眺めていた。
キヌート港に着き、馬車を待たせる。わざわざ城下へ歩いた後、帰りはまたここへ戻って来なければならない。
ロカはキヌート港の人の多さに驚いた。広場に人々が集まって、海や船を眺めながら屋台の食事を楽しんだり、話し込んだりしている。子どもたちが町の端から端までを走り回ってはしゃいでいる。何を売っているのかわからない店がそこら中にあって、油断すると目を奪われそうになる。
上着を馬車の中に置き、御者に小遣いをやって、キヌート港を楽しむように言った。日が暮れるまで四時も無い。港から城下町への街道は流石に目立つと考えたロカは、町を住宅街の奥に抜け、石段を上がり、畑の広がる道を森の方へ急いだ。
事前に地図で調べてはある。この道の方が、城下町の正面南門、人々の群がる城下の外側には近道になる計算だった。森は深くなく地図に載る道がある。
(大丈夫だ...。)
町の外れに家が一つあるはずだ。そこから森に入れば良い。
(...あった、あの家だ。)
思ったよりも大きな家だった。たった一軒だけこんなところに住む人間は、よほどの変わり者なのだろう。
森へ行く道を見つけた。家の横に一頭の白い斑模様の馬が繋がれている。脚の付け根の筋肉線が美しい、良い馬だとロカは思った。馬を借りて森を行けば予定よりもずっと早く行動出来るだろう。
(...余計な事はしないでおこう。)
ロカは足早に森の中を進んで行った。
妙な音が木々に響いて聞こえてきた。剣を打ち合う音のように思える。別の方角からは桶をひっくり返したような水音も。
(?...。)
人に見つかるのを嫌い、ロカは森を走り抜けた。
光る太陽は雲の後ろでだいぶ傾き、空は暗さを帯びてきていた。
壁外、城下と呼ばれる集落は馬車の中から遠くに見る事もあるが、"町"という呼称がいつまで経っても付けられないのがよくわかる光景だった。
(人、人、人...建物が無い。)
何かを求めて雑踏をかき分けて行く。不思議なのは皆汚れてはいるがそれなりの身なりをして肌つやも良く、活気を持っている事だった。小さな茣蓙が敷かれており、寝転がっている人や食事を取っている人がいた。荷馬車があちこちに止まっており、露天商のところにはこれまた羽振りの良さそうな商人がいて何やら話し込んでいる。
(...、)
小さな男の子が一人で座っていたので、ロカは声をかけた。
「ねえ、君...。」
「ん?」
彼は薄汚れた顔を上げ、ロカを見る。七、八歳くらいだろうか、父母がいなければ孤児院に連れて行かれるはずの年齢だ。
「ここは難民が集まる場所だと聞いているんだけど...。」
と辺りを見回すロカに、少年は「ああ!」と笑った。
「兄ちゃん、初めて来たのかい?どこかで大きな事故でも起きた?」
「...いや、さほど大きな事故ってわけじゃないんだ。」
「何でぇ。騎士様たちが大勢やって来てくれるかと思ったのに。今日は施しの時間は終わったぜ。」
「そう...。」
「また海賊がどっか襲えばいいなぁ。」
がっかりして寝転ぶ少年を見て、ロカは違和感を感じた。
「困ってんなら組頭んとこ行きなよ。」
「...組頭?」
「奥にテントがあっからよー、飯と寝床を貰うんだったらそっちで聞きなよ。聞けばわかるよ。」
「君は、一人なの?」
「何だよ、うるさい兄ちゃんだな。孤児院の紹介はご無用さ。父ちゃんも母ちゃんも、ちゃんといるよ。」
少年はごろんとロカに背を向けてしまった。
「ここの事に詳しそうだね。」
袋の中に手を突っ込み銀貨の音を鳴らして聞かせた。少年はゆっくりと起き上がる。
「何だ。そういう事なら、早く言ってくんな。」
少年はテスと名乗った。ロカを連れて城下を歩きながら、彼は言った。
「奥の壁際にいる方が偉い人たちさ。その手前にそれぞれの区画の組頭がいて、兄ちゃんみたいな運の悪い難民の面倒を見る。その手前に商人たちのテントがあるだろ。騎士様たちの施しと生活に必要な物を交換したり売ったりするんだよ。」
「施しを交換?」
「だって食いもんは別だけどさ、豪勢な服や宝石なんか貰ったって生きてくのに要らないだろ。ご婦人たちがくれるらしいけどさ。」
「そう...。」
ただ雑に人が混んでいるだけだと思ったが、よく見れば説明された通りに区別されていた。
「でも騎士団が働いているのにどうして茣蓙なんかに...施しを受けたならどこかへ移って暮らしていけるんじゃ無いのか?」
「そりゃあ真面目な人間はそうするよな。でもさー、ここにいりゃ毎日飯は出て来るし、たまに何だかんだと貰えるし、どっかで汗流して働くよりよっぽど良いじゃんか。だから事故や事件が無くても人が減らないんだぜ。ここにいりゃあ、そうなんだって、一回気づいちまったらさ。馬鹿らしいじゃん。わざわざ他で生きていくのなんて。」
「...。」
ロカは唖然としてしまった。今まで城下の人々は可哀想な境遇で、騎士団は競い合って善行をしているのだと思っていた。
「でも雨や風が吹く日もあるだろう?余裕があるならせめてテントくらい...。」
「そりゃあ兄ちゃん、出来るだけ可哀想に見えた方が騎士様たちだって施しがいがあるってもんだろ。それにあんまり酷い日は家に帰る...っと、いけねぇ喋りすぎだ。見なよ兄ちゃん。」
城門の正面から続く街道の周りだけは人が途切れている。街道を越えたところでテスは奥の壁際に顎をくいっと向けた。その薄汚いテントの小路は、異彩を放って暗いように思えた。
「壁際にはあまり行かない方がいいけどさ、こっちの壁際は特に近づかない方がいい。」
「...何故?」
「俺たちもロクでもねぇ生き方してるとは思ってるよ。でもあの辺は本物の犯罪者の巣窟なんだ。難民に混じってやって来たスリやら人殺しやらが行き着くところだよ。そういう奴らってやっぱり臭いが違うんだよ。こっちで一緒に生きてはいけないんだ。」
ロカは話を聞きながら、その闇の中に蠢くものを見つけようと目を凝らしていた。自分の求めている人間は、あそこにいるーー。
「やっぱりな。やめとけよ兄ちゃん。」
テスを見ると、呆れたような顔でロカを見上げている。
「何かやばい仕事を持って来たんだろ?...俺を雇いなよ。大抵の事はやってやるよ。小さいってのは案外有利に働くんだぜ。」
「いや...何故そんな事を?」
「だって、物珍しそうにきょろきょろしてたし、俺みたいなガキに大金ちらつかせちゃってさあ。慣れてないのが丸わかりだよ。」
「な...何を言うんだ。」
少年の顔はこれまでとはうって変わった悪意があった。人混みの中に湧いた鋭い視線がロカに集まっている。
「案内は済んだ。金をよこしな。」
ロカは平静を保とうと、一呼吸置いた。腰に剣はある。大丈夫だ。子どもとゴロツキぐらい何人いても相手に出来る。
(時間も無い...今日はここまでか。)
袋から5リグを出して、渡した。受け取ったテスが少し驚いた顔をしたのが妙に心地良く感じた。
自分が優位だとロカは気付いた。
「役に立ちそうならまた使ってやる。」
考える間も無く、台詞が口を滑る。わきまえの足りない貧乏な少年を面食らわすには成功したようだった。
「!?」
「今日は帰るよ。あまり大人数集めると、分け前が減るんじゃないか?テス...。」
城下から離れ、森の道へ戻る。ロカは自分が異常に落ち着いている事が不思議だった。呼吸も、鼓動も、手の平も、まったく普通で当たり前のようにただ歩いていた。
(たぶん僕は...。)
テスが仲間に自分の後をつけさせていた事はわかっていた。テスが、口の悪い少年から生粋の悪童に豹変したあの時から、ロカの神経はむしろ研ぎ澄まされていく。自分が剣の腕に確固たる自信を持っている事を初めて知った。
(僕は人を殺せる。)
ロカが突然、振り返ると、背後から殴りかかろうとしていた二人の男はとても驚いて、動きを止めた。鞘に手を掛けた時にいつもの細身の長剣ではないのに気が付いて、咄嗟に一歩余計に踏み出した。刃が肉を切り裂いていく感覚は小気味良かったが、血が滲み出てくるのはかつてない程の不快感を覚えた。
同時に正しさを感じていた。外側から見た自分を含めた三人の、今この有り様が世の中の正しさであるかのような感じがあった。人は本心では悪い奴ばかりなのだ。自分が善い人間でない事に安心した。ロカ・ルペッサンは、自分の手を汚さずに人を殺させるという悪事が行えるのだとーー。
「カッツォ?」
背後の茂みから出て来た人は、ロカの後ろ姿を見てぽつりと言った。
聞き覚えのある声だった。
止まっていた時が動き出したかのようにロカは現実に引き戻される。男たちは胸と腕から血を流し、情けない悲鳴を上げていた。さほど深い傷は与えていない。
「君は...ロカか?」
鼓動は落ち着いたままだ。呼吸だけが奇妙に深く、低い風鳴りが自分の体の中で響いていた。ロカはゆっくりと振り向いた。振り向けばまずい事になるのはわかっていたが、その人が本当にそこにいるのかを確かめたい気持ちが優っていた。
「何故ここに...?殿下。」
ハンドレッドは瞬きをして、真っ直ぐにロカを見つめていた。




