第2章 古き友の咎 9
("ーーその力が咎捨谷にあるとサンドラゴン王子を呼び出して殺したのだろう。"
どうやって殺したんだ。決闘?
"オルガッテはシロンの毒を混ぜていた。その毒酒を一口飲みーー。"
...毒も良いな。
"カフェトー家を襲撃し皆殺しにしてしまった。北に入り込んでいた諜報員はーー。"
...野蛮だな。
"ハーヴィオ王暗殺の為に雇われたと自供したが、その黒幕までは明かされずーー。")
小さく、風で窓枠が軋んだのと変わらないようなノックの音がした。ドアの鍵を開けると、不安そうな表情で可愛い妹が立っていた。
「入る?」
ロカが優しく微笑むと、ラナの顔はいくらか明るくなった。
「お兄ちゃん、ずっと部屋にいるから...具合が悪いの?」
「ごめんね。そういうわけじゃ無いよ、調べたい事があっただけなんだ。」
本棚の本が山積みに出しっ放しになっている。途中のページを開いたまま伏せてある物など、普段の几帳面なロカにしては珍しい光景だった。
「私に手伝える事はある?」
「...ラナがしなければならない事があるよ。今度話す。僕の準備が出来たらね。」
「...?」
「大丈夫だよ。僕たちはずっと一緒に居られる。」
ロカが髪を撫でると、ラナは安心したように頷いた。部屋から送り出した後、辺りを伺いまた慎重に鍵をかける。
(暗殺者を雇う...。)
ロカはドアを背に決意した。
"オルミス史"の続きに詳細を求めるが、暗殺者についてそれ以上の記述は無い。
部屋を出る。屋敷の者はみな掃除や食事の仕度をしている時間で、部屋の周囲は静かだった。
廊下には、偉大なる先祖ロンダルクの肖像画が飾られている。残念ながらあまり上等な腕を持つ画家の作品では無い為、価値も無ければ似てもいないと子どもの頃、大叔父が教えてくれた。一般兵士から騎士の称号を得るに至ったのはロンダルクの剣技の功績だったという。ルペッサンの名を持つ娘と結婚し城下町に入る前、ロカの家系はロンダルクの家名を名乗っていた。成功者や偉人がいればこれまでの名を捨て、その人の名を名乗るのは昔からの習わしである。ロンダルクの時代の家名はエルムンダス。エルムンダスはオルミスの兵士で長く続いた反体制派との戦いで活躍した兵士だった。父はロンダルクの肖像画に興味がなく、いつ自分の物と掛け替えてしまおうかと考えている。大叔父はもう亡くなってしまったが、「どいつもこいつもルペッサン、ルペッサンで誰も不便に思わないのかね。」というのが口癖だった。何せルペッサンの家名を名乗る家は城下町に分家を含めて十三家、城内に二家もあるのだから。
廊下の掃除をしている使用人が何人かいたが、ロカは挨拶に適当に返事をして通り過ぎた。
外は晴れていたが、雲が多く薄ら寒かった。
(...雨は降らないだろう。)
玄関前に待機している馬車を無視して門まで歩いて行く。この踵の尖った靴は道に敷き詰められた石の隙間に引っかかって歩き難い。半分くらい来て、門まででも馬車に送らせれば良かったと後悔した。
城下町の町並みは対して面白いものではない。屋敷の周りは鉄柵や塀ばかり、中に入ればそれは美しい庭や立派な屋敷、騎士団の訓練場があるのだろうが、城下町自体も壁に囲まれているし、二層の城門も石壁の塊のようなものだし、馬車で通り過ぎるだけの為にただ道路が敷かれている。
商人の馬車がガラガラと荷を引いているのとすれ違う。御者台に乗る男はロカを珍しい商品でもあるかのようにじっくりと見ていった。
自分の他に歩く人間なんて居ないだろうと思っていると、一人の人物に出くわしてロカは驚いた。相手も目があうと、ロカをまじまじと眺めた。彼のクセの強い長い赤毛は三年前に見た時と変わっていない。
「マルクスウェンさん!」
「やっぱりロカか。大きくなったな。」
マルクスウェン・ルペッサンは駆け寄るロカの頭に手のひらをかざし、微笑んだ。それでもマルクスウェンが自分よりずっと背が高い事にロカは少しだけ落ち込んだ。
「どうしてここに?」
「休暇だよ。」
笑顔ではいるものの、彼は浮かない表情をしているように見えた。
「そう言えば妹君と末王子の縁談が上手くいっているそうじゃないか。叔母に聞いたよ。」
「...、そうですか。」
ロカはすっかり落ち込んだ。
(城ではもうそういう話になっているのか。)
彼の叔母は執政官のフェルネェル・ルペッサンだ。フェルネェル執政官に認められてしまえば、反対する者は滅多にいない。
ロカが思案を巡らせていると、マルクスウェンは言った。
「君は、結婚は?」
「僕はまったく決まっていません。ほら、父はマリージア王女殿下に僕を気に入ってもらおうとしていたのですが...。」
「ふふふ...彼女は難しいだろうな。とにかく上の二王子とマリージア王女の身持ちの固さは、叔母も困っているそうだよ。本来なら十年も前に結婚して良いはずなのだからね。ベアトール王子は女性と遊ぶのがお好きであるから、却って結婚しない方が問題が起きないのかもしれないけどね。」
と、ベアトールのコーディは言った。
「マルクスウェンさんは結婚されないのですか?」
ロカが聞くと、彼はまた寂しげな表情をして東の空を見つめる。
「...話は進んでいたのだけれどね。マミ・オーネット嬢と...。」
ロカは名前を聞いてハッとした。
「会ったのは一度きりだったが聡明な女性だった。...オーネット領に墓があるらしいね、一度行こうと思っているんだけれど...行けば死んでしまったのだと頭が理解するだろうね。でも行かなければ、会う暇がないまま今までと同じように過ごしているようにも思える。私はオーネット領の惨状をまだ見ていないんだよ。」
「マルクスウェンさん...。」
「いや、まだ情もわかない間柄だよ。私が浸っている感傷はね、大きな事件に巻き込まれて消えた未来に対してかな...自分自身のね。それが尚更寂しくもある。どうせ生まれたのなら、喪って正気を保てなくなる程の恋愛をしてみたいものだ。」
そう言うマルクスウェンの視線は、振り向かないまま背後の城を見たようだった。ロカは頷く。もしラナを喪う事があれば、自分はどうなってしまうだろう。
「そういうわけでね、何かに出逢いたいと思いながら行く当てもなく歩いていたら君に会ったという事だよ。」
「...オーネット領に行ってみては如何ですか。きっと、思っていたよりお相手の方を気に入っていたんだと思うんです...。」
「そう見えるかい?」
マルクスウェンは驚く事もなく言った。
「私もそうだろうかと思っていたんだ。」
「...。」
「君も気に入っている相手がいるんじゃないかな?」
マルクスウェンは明るい表情に戻り、面白そうに口元を緩めて言った。
「え?」
「素面のやつはこんなつまらない町をのんびり歩いたりしないからね。」
「...それはあの...考え事が...。」
「ふふ。私で良ければ相談に乗るよ。」
自分の慕う人からの申し出はありがたいものだった。知りたいと思っている事は幾つかあった。
(でも...。)
誰かに教えて欲しくても聞けない事柄もある。例えば、暗殺を引き受ける人間の当てがあるかどうか、など。ロカは考えに考えた。マルクスウェンとの邂逅は再びは望めない機会だ。
「誰にも秘密で他所の地の人へ贈り物をしたいのですが、手段が無くて困っているんです。」
「...!なるほど。」
マルクスウェンはにやりとして言った。
「出入りの商人なんかは口が軽いからね。親たちに良い顔をしようとする。私たちの味方にはならないな。だけど...。」
ロカは頷いた。
「この壁の向こう側にはね、ロカ。銀貨一枚で何でも言うことを聞いてくれる人間がいる。」
と、まるで思惑を見通されているような答えに、ロカは緊張した。しかしマルクスウェンはただ恋愛話の相談だと受け取ってくれたようで、何でもない事のように続けた。
「色々な所から集まった色々な人間がいるよ。近付くのに用心した方がいいのもいるし、兵士が通りかかっただけでお礼の花をくれる愛らしい少女もいる。よく頼む人を見極めて、人目につかないところで依頼するんだ。
いいかい、銀貨を使うんだよ。いきなり金貨を出せばすぐに壁の中の人間だとバレる。秘密の仕事を求める人間が君を求めて大騒ぎになってしまう。銀貨なら袋に詰めていっても平気だよ。それが壁の外の常識なんだ。」




