第2章 古き友の咎 8
「しかし、あくまで現在わかっている事柄から推測した歴史に過ぎません。それこそが真実なのだと信じ込まないでいただきたい。多くの人間がそれぞれの思惑を持ち時代を生きている...。書物が残っているとして、それを書いた人の目は天に浮かび世界の全てを見渡していたわけではないのですから。」
レイドンの研究室を出て、二階の閲覧室に戻る。ウィルマートンは新しく湯気の上がるお茶を用意して二人の前に置いた。
ハンドレッドはウィルマートンが補足した内容を踏まえて頭の中を整理した。
エディメル・オーネットはケンシーを愛していた。人間と精霊の愛を応援したレイドンは精霊の研究者となった。二人が結ばれるように、各地の精霊を訪ねその方法を探した。しかしエディメルの母のクローレアは二人を応援していなかった。息子からケンシーを引き離そうと考えた。そこでサンドラゴン王子の為に精霊を捕らえようとするイグニーズを利用してーークローレアはケンシーを追い出す方法を持たず、親友のイグニーズの説得でエディメル自身がケンシーを箱に入れる段取りが必要だったのだろうーーしかし彼らに力は与えず、箱を偽物とすり替えた。
エディメルは結局イシュハーム家の者と結婚した。イシュハームの家系図にその記録がある。
渋みのあるお茶を啜りながら、ハンドレッドはウィルマートンに聞いた。
「それはそうでしょう。彼女だけではありませんよ、レイドン、エディメル...サンドラゴン王子にイグニーズを立てていたルペッサン家の人々...。」
「でも...人は死ぬ。精霊には死がないと書かれていた。もしケンシーの封印が解かれたとしたら。」
「それはもう積りに積もる恨みでしょう。相手のエディメルにしろ、彼女への愛を貫かず結婚してしまったのですから。」
お茶は暖かいのに、ハンドレッドの首筋には鳥肌が立つようだった。他にどうする事も出来ず、大きく溜息をついた。
「そうか...そんな事で...昔の人間のそんなくだらない思惑が、今になってオーネット領を滅ぼしたというのか...。」
ウィルマートンとダリウスが驚いてハンドレッドを見る。ハンドレッドは黒土の上に咲くミシュワの花を思い出していた。
(あれはケンシーだったのだ。)
イグニーズの名を呼ぶ死者の、風のような声。ソラミルの喉を鳴らして伝えた恨み事がハンドレッドの頭の中に響いている。
「そうだ。そういう事だったんだ。ケンシーの封印がどこかで解けたんだ。そして怒りがオーネット領を焦土に変えた。子孫にまで及んだ恨みが。...王家が原因だという事まではケンシーはわからなかったんだろう。もし気付いていたら、今頃城は土塊になっていたかもしれない。」
「オーネット領の異変の事は耳にしていましたが、何が起こったというのですか?」
ハンドレッドはウィルマートンにオーネット領で経験した出来事を説明した。ミスサリアの魔法はぼやかして、全てをミシュワの花の所為にした。ウィルマートンは相槌を打ちながら真剣に話に聞き入っていた。
「解決したのは、ハンドレッド様なんですよ!」
とダリウスは胸を張った。
「もちろんアルフレッド様もです。」
「解りました。それで、殿下は精霊の事を思い出された訳ですか。」
「...私は思い出したわけでは無く、"精霊学"を一通り読んだだけなんだ。ソラミルが遺した手がかりと思って...。」
ウィルマートンはゆっくりと深く、三回頷いた。
「オーネット領の規制は解除されたのでしょうか?詳しい調査をしたいものです。」
「どうだろう...まだファムリアとの緊張は続いているのだと思う。国境付近は封鎖されているだろう。」
「...。」
ウィルマートンは何か言いたそうな顔をしていたが、自分の内に留めているようだった。ハンドレッドは話題を逸らした方が良いと感じ、考えた。
(...何か良い質問は無いか。精霊に関する事...セレニア..."アンズィルの瞳"...。駄目だ、余計な事を話さなくてはならなくなる。ならば...。)
「そう言えば先程、教授は父のコーディだったと言ったな。ダリウス?」
「あ...そうなるご予定だったと伺いました。」
ダリウスは、失言をしたかもしれないと緊張した。色々な昔話を聞いている内につい口走ってしまったが、『予定だった』ということはそうはならなかったという事だと、今更気が付いたのだ。
「カルラ王妃の計らいでした。随分反対の声が上がったとか...。」
ウィルマートンは覇気のない声で、自分の手元を見つめながら言った。そして決意した顔を上げると、これまでと違う厳しい表情でハンドレッドに向き合った。
「殿下、ルペッサン家の気質は現在もイグニーズの時代と変わっていないのです。血を分けた同じ家系の中で争い頂点を奪い合っている。私が若き日、ルペッサンの人々が城外の私がコーディとして城に上がる事を嫌い...授与式のしばらく前にならず者がやって来て私を脅迫しました。『コーディの称号を辞退しろ』と...若い私は逆上し、『この脅迫はカルラ王妃への侮辱である』と言葉を返しました。」
組んでいるウィルマートンの両手が震えていた。
「今でも後悔しています...何故言いなりにならなかったのか...授与式を目前に控えた日、グラスゴート領でカルラ王妃は...!」
「何を仰ろうとしているのです!?ウィルマートン教授!」
ダリウスが立ち上がって、諌めるように声を荒げた。
「ルペッサン家による陰謀であったと、そう言うのですか!」
小さいなりで俯くウィルマートンに詰め寄り、その顔を見上げる。ウィルマートンは落ち着いた様子でダリウスを見返した。
「私は事故とは思っておりません...サルキニス殿の船が海に行方不明になったのも。」
「何ですって!?」
「...今まで誰にも話しておりません。壁の内とは縁が切れ、我が身可愛さに研究に没頭する事で目を逸らして来ました。しかし、カルラ王妃とサルキニス殿にそっくりなお二人を見ていると...ご注進いたします、殿下。どうか身辺お気を付け下さいますよう。」
「...ルペッサン家の陰謀だとして、誰かあたりは付いているのか。」
ハンドレッドは慎重に聞いた。母の死を、今までそんな風に考えた事が無かったので正直面食らっていた。しかし思い当たる事はあった。
(マルメロ・ルペッサン...。)
自分でも何か秘密があると踏んでいる、その名が出る事を期待する。
ウィルマートンは力無く首を振った。
「わかりません。ですが執政官のフェルネェル・ルペッサン...彼女はカルラ王妃の行動に最も反対していたと聞いています。」
「フェルネェル?」
ハンドレッドが眉を潜める。ダリウスの口は無意識に反論しようとしたがそれを抑えた。父親の死について、彼も思い直す所があった。だがフェルネェルは先日ダリウスに言ったはずだ。
(「城外では、ハンドレッド殿下から目を離さないように。」...あれはどう言う意味だったのだろう...。フェルネェル殿も何か思う所があって...?)
ダリウスは身を引き締めて辺りを見回した。館内はただただ静かなばかりだ。
「...注意はする。何であれ昔、母が亡くなったのは事実だ。好奇心ばかりで行動すれば危険にも遭うだろう。」
ハンドレッドは立ち上がり、ウィルマートンの前に右手を差し出した。
「教授にはこれからも知識を借りたい。称号など飾りでしかないんだ、父と母の友人に会えた事を嬉しく思う。また時間のある時には昔話を聞かせてもらいたい...城では母の話は厳禁のようで、私は母という人をほとんど知らなかったんだ。」
ウィルマートンは王子の手を取った。「ウィル、次は城で会えるわね。フェルネェルったら私がここへ来るのも煩いんだから。」と3年ぶりに取った彼女の手が、自分より細く小さくなっていた事を思い出す。あの時は自分が成長したのだと誇らしく感じた。
今は自分のゴツゴツと節くれだった手が、若々しい王子の手を握っている。
(心配だ...そうやって素直に人を受け入れるのがカルラさんに似て。)
「いつでもお越し下さい。」
自分は古い世代なのだとウィルマートンは思い知った。彼らはカルラとサルキニスでは無い。あの日に戻ったように自分が彼らを追いかけて行く事は出来ない。
資料館の外へ出た。資料館でレイドンと過ごす時間はいつも、オルミスの歴史の中を彷徨っているように感じられる。外に出て静閑な庭の風景を見た時にようやく、意識が現代に戻って来る。
「お二人がミスサルに迷いませんように。」
馬車に乗り込むハンドレッドたちにウィルマートンは言った。
「ミスサル?」
ハンドレッドは足を止め、怪訝な顔つきで振り返る。
「古語で"精霊"と言う意味です。精霊は人の味方です...しかし、オーネットの件しかり人に良い事ばかりもたらすとは限りません。」
「わかった、ありがとう。」
ダリウスが馬の背に手綱をピシリと当てると、車輪はゆっくりと動き出した。美しく佇む馬の像、頭や肩から枝の生えた少年の像、視界の端にそれらを追いながらハンドレッドは揺れる窓に頬杖をついた。
(精霊...?)




