第2章 古き友の咎 7
("古き友の事を振り返る。多くの人間に騙され友を騙し精霊を騙すに至った彼の咎。年月を経て怒りは溶け謎と憐れみだけが残る。
偽物の箱は入れ替えられた。エディメルが開く事が出来なかった箱にはじめから蓋などは無かったのだ。哀れなエディメルは大変に自分の愛を責めた。全てが罠だったのだ。"
ーーー?何の話だ?
"箱を入れ替えたのは庭師のガルシオに違いない。事件の後、クローレア夫人に暇を出された彼の足跡を追った。ガルシオも孤児院出身だ。レラが彼の出自を知っていた。彼の故郷はマリーゼ。咎捨谷ーー頭の中に浮かぶ。確証は無い。しかし行き先の無い物は、あの底見えぬ大崖から捨てられるのが定め...。")
咎捨谷という文字を目にして、ハンドレッドはどきりとした。南オルミスの歴史を葬る場所、王家の咎を捨てる谷ーー。新しい所ではサンドラゴンとベルトール兄弟の争いが有名だが、咎捨の名は建国当初まで遡る。
(他の家系を排除してオルミス=ルペッサンの血のみで国権を独占しようとした責...近親交配の結果産まれた奇形児が秘密裏に処分された断崖絶壁の大穴...。)
王家の秘密であったはずが、人の目を避けきる事は出来無かったのだろう。落ちれば上がれぬ大穴は誰が名付けたか咎捨谷と呼ばれるようになった。
現在も裁判で死刑になった罪人は咎捨谷に落とされる。歴史を少し調べれば王家の失敗が名の由来だと知る事は出来るが、知らない者はその処刑によってそう呼ばれていると考えている事も少なくない。
「ダリウス!そっちに教授はいるか?」
大声を張り上げると、何とも気の抜けた声で
「いらっしゃいますよー。」
と返事が来る。ハンドレッドは階段を上がり二階へ行った。壁一面の本に囲まれて二人はのんびりとお茶を飲んでいる。
「父と母の馴れ初めなどを教えていただきましてね。」
ダリウスは自室かのような緊張感の無さで言った。一応、いつも自分といる時も彼は仕事をしていたのだなとハンドレッドは思った。
「ウィルマートン教授はそんな事まで知っているのか。」
「随分と親しかったそうで...レニサス王のコーディになるお話があったそうですよ。」
「父上の?」
「...。」
ウィルマートンは顔を伏せカップの水面に映る自分の顔を見ていた。
「先に聞きたい事があるんだ。この本のイグニーズの項に書いてある"箱"の話は、一体どういう意味なのだろう。騙したとか騙されたとか。ぼかしているようで話が見えないんだ。」
「それでしたら、レイドンの研究室にヒントがあります。一階の扉の奥に。」
ウィルマートンは鍵を開け、また研究室の暗幕を開けた。眩しい日の光が差し込み、ハンドレッドとダリウスは目を細める。
中はごちゃごちゃと様々な物で溢れていた。大きな書き物机が一つ。本棚から本が溢れ、精霊の像や大きな地図が壁に掛けられている。
「彼が亡くなった当時のまま保存しているのです。貴重な本などはレプリカに差し替えています。」
こちらです、とウィルマートンが呼ぶ。
「これは本物です。いや...本物の、偽物です。レイドンの資料と考えれば本物で、ある本物から見れば偽物なのです。」
彼の足下に横たわるそれは銀の重そうな箱だった。両腕を左右に伸ばした程の幅、膝程の高さ。上面には何か恐ろしい動物が大きく口を開けている装飾が彫られている。
「"封印の箱"、"銀の狼の箱"、"アンズィルの牙の箱"、などと呼ばれます。本物はアルソリオ時代から存在する、オルミス王家の元・家宝です。これは偽物なので蓋が開きません。開かないように作られているのです。」
「どうせ作るなら開く方が良いのではないか?箱なんだから。」
「殿下は研究の才がお有りですね。では何故、この偽物が作られたのか紐解くとしましょう。レイドンは どの本にもその件の詳細を記していませんから、その他あらゆる書物の記述から推測をするしかありません。このウィストリア大学の誇る全ての蔵書の中に、その箱の本物について記したと考えられる資料は三つあります。
一つ、その箱は精霊王が"アンズィルの牙"という触れるだけでも危険な魔法のかかった武器を封じた物である。
一つ、その箱はサルト=カティスの発見前の"エッカーナ号事件"の際に封印を解かれ、武器は取り出され空になっている。
一つ、封印を解いた方法は、中に入っている魔法の性質と同じ感情が外側から触れる事。」
ハンドレッドはウィルマートンが何を言っているのか殆どわからなかった。言葉を追うだけで精一杯で、だから何を言いたいのかまで考えが間に合わなかった。黙って聞いているとウィルマートンは答えを教えた。
「蓋が開かない偽物で"騙した"という事は、彼らは空の箱に何かを入れて蓋をしたという事でしょう。入れ替えられる前は本物だったはずです。その箱の成り立ちからいって、レイドンが中に入れようと思うのは魔法のかかっている何か...もしくは精霊に関するもの。
"イグニーズについて"の散文を当てはめてみましょう。蓋を開ける役目を負っていたのはエディメル・オーネットである。蓋が開かなくて彼は自分の愛を責める。エディメルが愛していたのは誰ですか?」
「精霊のケンシーだ。」
「その通り。彼らが銀の箱に入れたのはケンシーです。その時、蓋を閉めると銀の箱には再び封印がかかる、もしくはかかると彼らは考えていた事を前提とします。その封印は、エディメルとケンシーの愛によって当然、再び解かれるはずだったのです。
愛を試す事を発案したのはイグニーズでしょうか、しかしエディメル、レイドンの同意の元で行われたのは間違いありません。"騙した"と言うのですから。そして彼らが目を離した隙に庭師のガルシオはケンシーの入った箱を偽物とすり替えた。」
「そうなんだ。何故、突然庭師が出てくるんだ?なのに何故イグニーズが悪者のように書かれているのだろう。」
「そこで話は一度脱線しなければなりません。この時代、ちょうど南オルミス王家では兄弟間の諍いがありました。」
「サンドラゴンとベルトールだろう?...そうだ、大嘘付きのイグニーズ...!」
「その話を御存知でしたら話が早く済みます。イグニーズは?」
「確かサンドラゴン派だ。"ファムリアと同等の力"を持って王子の前に。」
「そうです。ファムリアの力とは、精霊の力。サンドラゴン王子は精霊の力を求めていた。イグニーズは親友に上手い事を言ってその気にさせ、ケンシーを箱の中に捕らえ、王子に差し出してしまいました。計画性のある裏切りです。
レイドンは研究対象である精霊を大切に扱っていました。親友イグニーズの行動は彼の意に大きく反したものです...。」
ハンドレッドは頷いた。ウィルマートンは続ける。
「その後、レイドンはベルトール王が即位した際にコーディの称号を授与されています。レイドンは当時、"精霊の友"と呼ばれていました。穏健派のベルトール王子が得た力は、レイドンという一人の学者だったのですね。彼らは王の即位前から親交があったようです。派閥は敵同士ながら親友であったはずのレイドンとイグニーズの決別は、諍いの決着に大きく影響を及ぼした事でしょう。」
「...でもイグニーズが騙したのなら、イグニーズが偽物を手にしたのは変じゃないか。」
「そうです。イグニーズもまた騙されていた。
レイドンは箱を入れ替えた犯人がガルシオだと突き止めました。そして彼に暇を出した、クローレア夫人こそが黒幕だと言っているのです。
では何故クローレア夫人がイグニーズを騙したのか?まずは当時の情勢を当てはめてみましょう。オーネット領はサンドラゴンとベルトールどちらの王子に即位してもらいたいのでしょうか?」
「オーネット領は代々南オルミスとファムリアの仲を取り持つ国境だ。普通なら穏健派のベルトール王子が良いと思う、と思う。」
「その通りです。戦争が始まれば被害を被るのはオーネット領...戦争派のサンドラゴン王子に同調するとは考えられません。」
「だからイグニーズを騙して、失敗させる様にしたと言うのか。しかし仮にもオーネットの領主が、そんな回りくどい真似をする必要があるだろうか?それに少し考えればイグニーズだって、オーネット領がベルトール王子につく事はわかるだろうに。」
「では、クローレアの視点から考えてみましょうか。エディメルとレイドンを騙す為に共謀しているとイグニーズに思わせる。その為には少なくとも一つは、イグニーズとクローレアの目的が一致していなければなりません。王子の件に関して言えば二人は敵同士です。イグニーズが納得する何か...一致する目的とは何だったのでしょうか。」
「待ってくれ...よくわからない。どういう意味だ?」
「イグニーズの行動の中でクローレアにとって都合の良いことがあります。サンドラゴン王子に箱を差し出す前までの過程の中で。
ええ、勿体ぶらずにお答えしましょう。詰まる所それは、ケンシーを封印してしまう事だったのです。そしてガルシオが箱を咎捨谷に捨ててしまう事で、完全に達成されました。」
「ケンシーを...何故?」
「憶測の限りで出せる答えが一つだけあります。理由は一人息子のエディメルがケンシーを愛し過ぎていたから、です。」
「ようやく私にも話がわかりましたよ。」
今まで同じ場にいないかのように静かにしていたダリウスが、少し得意げな表情をして言った。
「精霊とは結婚出来ない、という事ですよね。」




