第2章 古き友の咎 5
「あのねぇウィル。グラスゴートなんてのはただの田舎。領主の娘だからって気を使わないで。」
ボリュームのある黒髪をいつも薄いピンク色のリボンでひとまとめにしている以外には、飾りっ気のない少女だった。
「歳下のあなたの方が物知りなんだし。」
腰に手を当てて、つーんとしているようなのが彼女の癖の姿勢だった。だから初めは偉そうにしている領主の娘なのだと思われがちだが、そういう姿勢をしているからといって誰もが嫌味や高慢を口にするとは限らない。
「僕はこういう話し方の方が楽なんです。」
十一歳のウィルマートンは何故か十六歳のカルラ・グラスゴートと気が合って、いつの間にか一緒に過ごす事が多くなっていた。
カルラはこのウィストリアの他の学生たちの中で浮いていたわけでは決してない。明るく夢のために勉学に励む彼女は教授にも学生にも好かれていた。だから何故ウィルマートンが毎日一緒にいるような友達になったのかはわからないが、彼女と一緒に過ごす事は、ただウィストリアで学生生活をするだけよりはずっと楽しかった。
「今日は何をするんですか?」
「精霊探し!」
なるほど、とウィルマートンは納得した。だから今日は朝から植木の茂みをガサゴソしたり、木に登ってみたり、すれ違う全ての人に握手を求めたりしていたのか、と。
「それは徒労に終わると思いますよ。このウィストリアには精霊はいないんです。」
「わからないでしょ。」
「それがですね、ちゃんとした理由があるんですよ。」
ウィルマートンはこういう時にちょっと得意げにしてしまうのが癖だった。その顔を見るとカルラは、しぶしぶ彼の話を聞くに回る。彼がそういう素振りを見せたら、彼はその事を必ず知っているという事を話す前から信じてくれているのだ。
「レイドン教授は精霊を研究していましたが、精霊と人が共に暮らすような状況には反対でした。人が精霊を悪用してしまうのを懸念したんです。だからこのウィストリアからは精霊払いをしました。ここには元々、あまりいなかったようですけれどね。」
「だから今でもいないって言うの?」
「そうです。教授たちはみんなレイドン派ですからね。精霊には畏れを抱くべき、人と精霊の棲家は分けるべき、精霊の棲家には敬意を持って訪れよ。」
「そうなんだ。なんだか寂しい話ね。」
「どうしてカルラさんは精霊を探していたんですか?」
「また、精霊にお願いしようと思って。」
カルラはしゃがみこんで頬杖をついていた。近場に精霊を探すのは諦めたようで、ため息をつき空を見上げる。
「私ね、精霊に空を飛ばせてもらった事があるんだ。」
「本当に?」
「本当。グラスゴートって、精霊がいっぱいいるのね。丘にも、森にも。暖かいお天気の日に空を飛びたいなって思っていたら、身体がぶわーって浮かんだんだよ。」
カルラは立ち上がり、目を輝かせて両腕を広げた。
「誰かに持ち上げられてるみたいだった。それですーっと地面に降りたの。」
「...それだけ?」
「それだけ!自由に動けなかったけど、高いところから見る眺めは最高だったな。」
街道に車輪を跳ねさせながら、一台の馬車がやって来た。随分ガタガタと音を立てながら揺れている。やがてカルラとウィルマートンがいる芝生の横に馬が足を止めた。
ドアが開き、二人の男が降りてくる。随分と身なりの良い二人組みだった。
「誰でしょう?」
「あれはレニサス王子だわ。」
「王子?」
カルラはウィルマートンに植木に隠れるように身を屈めさせた。
「これ以上走ると危険ですよ。車輪が外れかけています。」
「誰かの陰謀か?」
「...山道で無茶をなさったからでしょうね。あそこは歩いて行くものです。」
「俺のせいだと言うのか?サルキニス、お前が足を痛めているからそうしてやったのに。」
「おや、そうだったのですか!でも足を痛めたのも王子のせいですけどね。」
「男のくせに執念深い奴だな。」
栗色の髪に白い肌、よく鍛えられた身体は姿勢良く、マントを留めている銀色の宝飾が太陽光に輝いている。
御者台にいた男も降りて来て、車輪を確認して言った。
「これ以上進むのは危険です。代わる馬車を呼んで参りますのでお待ち下さい。」
「ラルハイン、俺にこんな道の真ん中でただ待っていろと言うのか。」
「街を散策なされては如何ですか。サルキニス、くれぐれも殿下に危険が無いように。」
「近衛騎士団長のラルハイン・ルペッサンもいますよ!」
ウィルマートンは小声で興奮して言った。城下町で行われる式典などにはとても入れる身分では無いが、伝え聞く武勇伝で騎士ラルハインに憧れを抱いていた。
「海賊と一騎打ちをした話を聞きたいなぁ!」
「関わるのはごめんだわ。私レニサス王子ってどうも好きになれないの。」
カルラはぷいとそっぽを向いて植木から離れた。
「カ...カルラさん!」
「晩餐会で挨拶した事があるけど、感じの悪い人だもん。あんなのが次の王様になるなんて、南オルミスがちょっと心配になるくらい。」
「カルラさん!」
ウィルマートンがあんまりしつこく諌めるので、カルラはくるりと向き直って文句を言おうと思った。もしくは彼を納得させるような説明を。
しかしそこには縮こまっているウィルマートンだけでは無く、不気味ににこにこしている従者とじっと睨むような目をしている王子が立っていた。カルラの顔はあからさまに引きつっている。
「こんな田舎娘を晩餐会に招待したのか?サルキニス。」
意地悪に王子は言い、カルラはムッとした。
「グラスゴート領主の御息女、カルラ様ですよ。」
「お久し振りですね、レニサス王子様!」
カルラは乱暴に言って、適当に服の裾を持ち上げ挨拶をした。
「よりによってこんなくだらない場所で暇を潰すはめになるとはな。グラスゴートもウィストリアも礼節を学ぶ事も出来ない片田舎のようだ。」
「ちょっと!くだらないって事はな...ありません!ウィストリア大学は南オルミス一の勉学の場であって...。」
「城下町から追い出された二流者の集まりが偉そうにしているだけだ。」
「何ですって!?」
カルラがこんなに人に突っかかるのは珍しい事だった。ウィルマートンには王子にからかわれているようにしか見えなかった。ちらりとサルキニスを見ると彼もウィルマートンに気づき、肩を竦めて助け舟を出してくれた。
「街の案内をお願いするんじゃ無かったんですか?」
「ああ、そうだとも。」
「何?」
「お前は俺が嫌いなようだから、嫌な奴と一緒にいさせるという嫌がらせをしようと思っているんだ。嫌なら断って構わないが、そんな無礼な学生がこのウィストリアにいるだろうか?」
王子はとびっきり意地悪な顔をしてカルラに言った。
サルキニスは二人のやり取りに困惑しているウィルマートンの肩を叩いて、
「あなたも御同行下さいね。お二人では喧嘩ばかりなさるでしょうから。」
と微笑んだのだった。
懐かしい青春の日の出来事を、思い起こすのは間違いなく十年以上ぶりだった。彼女が亡くなった悲しみはそれまでの全ての輝かしい日々をも暗雲の内に閉じ込め隠してしまったのだ。
「どうしたのウィル?」
「いや...何故か突然、記憶の蓋が開いてね。戸惑ってしまったんだよ。」
エルレチカは暖かいお茶を彼の前に置いた。
「ありがとう。」
カルラに抱いていた感情は幼いながらも、恋や憧れでは無かったはずだ。同じ勉学の途を辿る友、あるいは姉として慕っていたか。しかし、今になって彼女を思い出したのがエルレチカという恋人の存在のおかげだとすれば、無意識の中にそれはあったのかーー。
ウィルマートンは自身を諌めた。良い歳をして若い恋人に心を夢中にさせるなど、恥ずかしい事だ、と。
窓の外を見ると、一台の馬車がやって来た。立派な馬車から降りて来た二人を見て、ウィルマートンは思わず食い入るように窓に両手をついていた。




