第2章 古き友の咎 3
森の中でカッツォは短剣を振るっていた。
相手が振るってくる武器の位置を思い描く。ハンドレッドのように自分より低い相手。ワーミのように背の高い相手。クルマーシュの乱暴な剣筋や、ソラミルのような人間離れした力の重みーー。
(特訓なんていくらしたって、生きるか死ぬかはきっと運なんだろうな。)
頬の傷は残ったままだった。ミスサリアの魔法は傷を塞がずに、抉れた形のまま痛みのない肌に戻していた。物を食べる時、話す時、口の中から感じるその部分の薄さに未だ慣れない。
ミスサリアの魔法の準備が出来るまではこの違和感としばらく付き合わなくてはならない。彼女はオーネット領から帰って以来、似合わない考え事をする事が多くなっていた。シュロが言うには「彼女は人体の構造について考えを巡らせている」らしい。オーネット領の人々が"その人の性質"を取り戻しながらも生き返らずに敵になってしまったのが、つまるところ何故彼女の魔法が失敗したのかわからないで悩んでいるのだそうだ。
汗で濡れる前髪を払う。癖っ毛の薄茶色の前髪は伸ばすと顎まで届いていた。
(髪も切らなきゃなぁ。)
「お兄ちゃーん。」
イヴェットの呼ぶ声に、カッツォは剣を振るうのをやめた。
「お客さんだよー。」
「お客さん?」
イヴェットはタオルをカッツォに渡した。ふわふわして肌触りの良いタオルというものがないので、出来るだけさらさらしている布を買ってきて小さくしたものだ。カッツォはいつも汗だくになっているので、風邪を引いてしまいそうで心配だった。
シュロはイヴェットに、「君にしかできない事は山ほどある」と言って慰めた。シュロとミスサリアのように魔法を使えるでもなく、王子やカッツォのように剣が使えるでもない。何かを練習し始めようと思った。何故ならシュロは、この間のように誰かと戦ったりする事がまたあるかもしれないと言ったのだ。
知らない所からカッツォの家に戻って落ち込んでいたら、「イヴェットが争いや血が流れる事に対して、他の人間たちと同じくらいの拒絶反応を示す事はわかったよ」と言ってシュロはイヴェットの足元にやって来て伏せた。いつもイヴェットが元気が無い時にそうしていたように。
「...でもね、シュロ。私...血が出た事に驚いただけなんだと思うの。」
シュロを撫でようと屈みこんで、イヴェットはそのまま床に寝そべった。こう言う時はいつもこうしてくっ付いてシュロに悩み事を聞いてもらっていた。以前は、シュロは喋らなかったけれど。
「そういえば、人がいっぱい死んだんだよね。あなたと歩き始めた時、あんな数じゃ無い死体がそこら中にあったし、お父さんやお母さんや友だちが死んだのも思い出したし、あの時私は、ああ、もうこうなっちゃったんだって、仕方ないんだなって、そう思って歩いていたの。」
シュロは何も言わずに、ただ黙って聞いていた。シュロはどう思っていたのか聞きたかったけれど、シュロは優しい犬だから、賢い犬だから、あの光景を思い出したくもなかったかもしれない。
「...私のことを覚えてる?シュロ。私って、戦争のニュースに酷く心を痛めていたっけ。どこかでどうでもいいって、私はあの街での平和な生活をもちろん続けたかったけど、お祈りの時世界平和を心の底からお願いしたりはしてなかったよね。友だちと二人で人がたくさん死ぬお話を考えたりしていたの。そういう子どもだったよ。」
「ふうん。」
「なんだか昔のお話みたいだね。馬車があってお城があって王子様が剣で戦って...。主人公はお兄ちゃんたちかな。勇敢な剣士と、王子様と、魔法使いのお姫様。私は本の中に迷い込んだアリスみたいな感じ...。
あのね、シュロ。海賊って悪い人だよね。私とお兄ちゃんを攫ったし、港を襲って人を殺したでしょ?なのに私、クルマーシュさんを悪い人だって思っていないみたいなの。お兄ちゃんもお姉ちゃんも王子様も、みんなが敵だと思っているのにね?」
「君がそう感じるなら君がそういう意見でいたっていいんだよ。オルミスとファルトーソーの戦いに僕らは関与して来なかった。人間の社会は人間自身に形成させると決められたし、人間同士が争ったところで失われる生気の数もたかが知れてる。君がどちらかを選びたいと思っているなら、人間にとってきっと選ばれる時なんだろうね。君は、その思い浮かべているアリスっていう性質を自分に重ねているんなら、それは大きな間違いさ。君は迷い込んだわけじゃないよ、この世界にずっと、ちゃんと居たんだからね。」
「どういうこと?」とイヴェットが聞くと、シュロは「眠り続けていたんだ。」と教えた。イヴェットはあの、ひとまとめにどこかに集められて以来ずっと眠らされていた。その間に一から国が作り直されたというのだ。そうして何百年もの時が過ぎた。
「人間は何もないところからやり直す羽目になった。だからイヴェットの知っている事が殆ど無くて、世界が昔に逆戻りしたと思うのも無理はないんだ。」
「どうして私は眠っていたの?他の人も眠っていたの?シュロは?」
「それはまた今度教えてあげる。君がそれを受け入れられるようになった時にね。でも、君には君にしか出来ないことがあるんだよ。それも山ほど。」
イヴェットはせめて出来る事をしようと思った。自分がやって楽しいだけじゃなく、カッツォやミスサリアの役に立つような事だ。
「大丈夫かな。また変な奴じゃないかい?」
汗を拭いながらカッツォは言った。
「うん。シュロがね、大丈夫だって。王子様のお使いの人だって。」
「ドレの?」
急ごう、とカッツォはイヴェットを連れて早足で家に戻った。
家に戻ると、ハンドレッドと同じくらいの身長のおかっぱの少年が庭に繋いだタランを撫でていた。フラネールにいたアルフレッドの従者ダリウス・ドーデミリオンだ。ハンドレッドに聞いたところによれば、かのドラギエル・ドーデミリオンの直系の子孫だという。ドラギエルは大男だったというが、ダリウスはどちらかといえば背が低い少年だった。物腰も丁寧で名前の印象とはそぐわないように思える。
「あ、カッツォが帰ってきたよ。」
ミスサリアが指差すのを見てダリウスはカッツォに気付き、礼儀正しくお辞儀をした。
「どうも、お久しぶりです。突然の訪問で稽古の邪魔をしてしまい申し訳ありません。」
「いや...。」
「良い馬ですね。どうも、ハンドレッド様がお選びになったとか。」
「最近、ようやく慣れてきたみたいなんだ。」
タランは大人しくダリウスに撫でられている。ダリウスは、タランから離れると家の玄関口の方へカッツォを誘導しながら、
「今日はハンドレッド様より贈り物をお持ちしました。」
と言った。
「授与式でお召しになるようの着衣一式と剣ですね。」
それは、短剣よりは長く長剣よりは短い。ちょうど肘から指先までと同じくらいの長さの剣だった。
「正装用の剣ですよ。」
「この服は...随分きんきらしているなぁ。」
赤の上着に金色の帯、銀色に光るの上掛け。着ているだけで目を痛めそうな豪奢な服だった。
「カッツォ殿は騎士ではありませんからね。式典にはこれくらい豪華な衣装の方がよろしいですよ。」
カッツォはしかめた顔のまま、服を自分に合わせてみる。とても派手なステージ衣装のようで、イヴェットはカッツォには似合わないと思った。ミスサリアとイヴェットの顔を見てカッツォは苦笑いした。
「...やっぱり、出なきゃだめかなぁ。辞退するっていうのは...。」
「お気に召しませんでしたか?違う服をお持ちしましょうか。」
「いや...服は何だって良いんだけどさ。」
「というと?」
「ドレと友だちでいられるってだけで十分だよ。俺なんかが城下町や城に入る必要はないし...正直なところ俺が何の役に立ってるわけでもないんだ。買い被ってるんだよ。」
ダリウスはそれを聞いて、ふう、とため息をついた。
「カッツォ・エサム殿。失礼ですが、調べさせていただきました。城下町に入るのが気がひけるのですね?七年前の事、私の兄も記憶にあるそうです。」
「...そっか。そんな奴に...称号なんて、授与式なんてしちゃだめなんだじゃないのかい?」
「授与を許可したフェルネェル執政官もその件はご存知です。問題ないと判断されています。マルメロ・ルペッサンに配慮して王子の申し出を断るという事にこそ問題が生じます。...大丈夫ですよ。マルメロ殿は、地位を気にするお方です。養女の兄が王の友人になったとすれば過去のしがらみなど忘れ、寧ろ諸手を挙げて喜ばれる事でしょうよ。」
「......。」




