第2章 古き友の咎 2
「お前がハンドレッドに出し抜かれるとはね。フラネールで何日も何をしていたんだ。」
しわがれた無感情な声だった。フェルネェルは机の書類に拡大鏡を近づけて、深い皺を更にくっきりと浮かび上がらせるように片目をぎゅっと瞑りそれを覗き込んでいる。花模様のあしらわれた高級な布張りのソファに座っているアルフレッドには、一瞬も視線を動かす事はなかった。
「...何故兵を下げさせた。問題が無くなればそのままファムリアに進軍すれば良かったのに。」
「馬鹿だねお前は。国を自殺に導こうというのか。自分があの軍事強国に本気で勝てると思っているなら、お前はかのサンドラゴンと同じ愚か者だ。」
「...。」
アルフレッドは黙っていた。オーネット領の異変の報せを受けた時、「戦争だファムリアより先に兵を出せ」と言ったのはフェルネェルだった。
「しかし今のファムリアにならば勝てるかもしれん。あの壮健だった王も年を取り後継が産まれないというだけで随分気弱になったものだ。」
「ミスサリア姫がいるだろう?」
「病か死んだかしたのだろ。和平交渉に来た使者が存在をおくびにも出さなかった。隠しているのなら、まともに育たなかったか...。
まあいい。兵を下げたのはファムリアにもう一度使者を出させる為だ。今度は王同士の会談を申し入れてくるだろう。勿論、オーネット領で知り得た事は話すなよ。ハンドレッドだろうがアルフレッドだろうが、南オルミスの内で解決した事は喜ばしい。」
アルフレッドは腕組みをして、どことはない絨毯の毛先を見つめている。
「...ハンドレッドが言っていた"精霊"というものを信じるか?」
「信じるかどうかはね、今後の調査次第だ。精霊の力がーーハンドレッドが"精霊"と呼ぶ何か強大な力がオーネット領をああしたと言うのなら、我々はそれを手中に収めなければならない。」
「なるほど。それで何者とも知れぬ城外のコーディの授与を許した訳か。」
アルフレッドは目を閉じて深いため息をついた。
「その強大な力の手がかりにと。」
フェルネェルは初めて顔を上げ、窓に目を向けた。細長い採光用の窓は曇硝子になっていて外の景色が見える事はない。
「偶然か運命か...わざわざ居並ぶ剣の前に引き出されて来るとはな。」
「?知っている人間なのか。」
「...城外の小僧など知るものか。もういい。もう行け。お前のような役立たずは、精々自分の騎士団の中では威光を保つように努める事だ。ハンドレッドは放っておきなさい、お前は下の弟妹の面倒など見られないのだから。」
立ち上がる前に一度だけフェルネェルを見上げると、皺だらけの肌の切れ目に覗く厳しい眼光がアルフレッドを捉えていた。
「では明日の朝だ。準備は任せる。」
馬車を降りるなりハンドレッドが言ったので、扉を閉めていたダリウスは慌てて、立ち去ろうとする王子を追いかけた。
「何が明日の朝なんです?準備って何です。」
「聞いていただろう。ウィストリアの大学に行くんだ。」
「ちょ、ちょっと待ってください。学者を城に呼ぶのではなかったですか?」
ハンドレッドは速歩で廊下を進んで行く。
「本を見たいんだ。持って来させるよりも直接出向いた方が早い。」
「...あまり行かないほうがいいと思いますけどね。フェルネェル殿が良い顔をしませんよ。」
ダリウスは駆け足でハンドレッドを追いかけながら、ふと廊下の先を見て真っ青になった。
まとめ上げられた灰色の髪に紫色の、裾が広がらないドレス。光り輝くようなマリージア王女の背後に影のように控えている。
距離があったので聞こえていなければいいと思ったが、すれ違うところに来て足を止めたフェルネェルは言った。
「私はどのような顔をしていますか、ダリウス。」
「ええ、あの〜...。」
マリージアは思わずくすくすと笑ってしまった。
「ウィストリアへ行かれるのですか。ハンドレッド殿下。」
「そうだ。探している本があって...その本があれば、オーネット領の一件をもっと詳しく説明出来るような気がするんだ。ダリウスを連れて行くから許可してくれるか、フェルネェル。」
自信に満ちながら無邪気なその表情をフェルネェルは懐かしい思いで見つめていた。真面目で遊びのないアルフレッドには無い、悪戯をする子どものような、今は亡きカルラ王妃の面影だった。
「構いませんよ。身辺くれぐれもお気を付けて。」
フェルネェルは口端だけをほんの少しニコリとさせて言った。
「ありがとう。」
ハンドレッドは喜んで、廊下を飛び跳ねるように歩いて行った。
「...落ち込んでいるかと思いきや、随分とご機嫌の宜しい様子。」
後ろを見やりながら、フェルネェルは冷たい声で言った。
「そうねぇ。」
「ダリウス、何か理由が思い当たりますか。」
ハンドレッドを追いかけようとしたところ、話を振られたダリウスは緊張した面持ちで言った。
「思い当たるも何も、ハンドレッド様にとっては良いことばかりですよ。」
マリージアとフェルネェルは納得して軽く頷いた。
今まで存在感の無かったハンドレッドが獅子騎士団の兵たちに認められ、新しい友人も出来た。何より次にやる事もある。ソラミル・オーネットを喪った悲しみも日々癒やされて行くのだろう。
「でもハンドレッド様が浮かれていらっしゃるのは、...女性ですね。」
「え?」
「さっき馬車の中で仰っていました。女性は何を贈ったら喜ぶかと。私が、服や宝石では無いですか、と申し上げましたら、なるほどとそれっきり上の空で。」
マリージアはフェルネェルを見た。フェルネェルも凝り固まった表情を変えたわけでは無いが、ほんの少し見開かれた目が驚きを伝えている。
「今日出掛けていたのはマルメロ・ルペッサンの屋敷でしたね。」
「じゃあこの間の...あの子かしら。」
「ラナ様ですね。今日はご体調が優れないとの事で、ハンドレッド様は労られておりました。」
「まあ。」
「そうですか。...ハンドレッド殿下は贈り物をなさりたいと仰っていたのですね。」
「はい。」
「ずるいわフェルネェル。私が選びます。」
「私はラナに会った事があります。殿下の感覚でドレスを選ばれては、あの娘には酷な話です。」
「私だって、ラナを見ました。懐かしいわ。小さい頃に着た赤い小さな花の刺繍にレースのリボンを沢山あしらったドレスとか...。」
「仕立人の部屋に参りましょうか。」
「そうね、ミナモザも喜ぶわ。ハンドレッドが王女だったらっていつも言っているでしょう。」
女性二人が楽しそうにお喋りを始めたので、ダリウスは静かに退散する事にした。こういう話が始まったら女性同士の間に入る隙は無い。フェルネェル執政官は仕事こそ男勝りな働きぶりだが、彼女の仕事部屋などを見ていると女性らしい装飾を好んでいる事がよく分かる。
「城外では」
そろそろと足を進めるダリウスに、フェルネェルはしわがれた低くよく通る声で言った。
「ハンドレッド殿下から目を離さないように。」
「はい。」と返事をして、ダリウスは廊下を後にした。
ハンドレッドは自分の部屋に戻り、服のままベッドにぼーんと腰を降ろした。カッツォが家でそうしていたように、「あー疲れた!」と言って四肢を伸ばした。大きな欠伸をして、頭の後ろに手を組んだ。
(服や宝石か...。)
ミスサリアの姿を思い浮かべると、顔がにやけてしまうのが抑えられないでいた。
ハンドレッドには名案があった。南オルミスとファムリアの歴史を塗り替えるただ一つ最高の方法を思い付いたのだった。戦争も起こらず、南オルミスが確執を忘れ、この大陸にこれ以上悲しい出来事が起こらない素晴らしい事だった。自分が第三王子で、ミスサリアがたった一人の姫である事も運命のように思われた。
(フェルネェルに言えばいいのか?...いや、これはまだ誰にも秘密にしておかなければ。)
逸る気持ちを押し留め、ごろごろとベッドの上を転がった。
(そうか、宝石などで飾ったらミザリーが本来の姫である事がばれてしまうかもしれない。)
着飾ったその姿を見てみたいけれど彼女を危険にしてはならない。
ハンドレッドは他に誰もいるはずのない部屋を見回して、溜息をついた。




