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セレニアの国の物語  作者: さなか
アルソリオのトゥヴァリ
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10 したいこと

「やさいはたけ、にせいれいが、たね...。」


 トゥヴァリが黙り込んでしまうと、


「まく。」


 背後にいたアイピレイスが答えた。


「たねを、まく。」


「まく?」


「こうして散らす事だ。」


 アイピレイスは握った手からこぼし散らす動作をして見せた。


「これはどういう意味ですか?」


「うーん、野菜というのは、種...種子とも言う。耕した土に種を蒔くと、芽が出て苗となる。苗が育ち、花が咲き、実がなる。その実を野菜として食べることが多い。」


「ミズハ草とか?」


「あれは、葉を食べる。肉を消化するのに良いんだよ。」


「ショウカって?」


「胃の中で食べ物を溶かすことだ。」


  アイピレイスはそう言って、自分の腹をさすった。


「お腹が空いたんですか?」


「うーん、いいや、この中に胃という器官がある。食べ物は口に入り、喉を通って胃に落ちるのだよ。」


(キカン?アイピレイス様のお話は知らない言葉ばかり出て来る。)


 トゥヴァリは申し訳なく思って、それ以上聞かなかった。


 初等教育の重要性をアイピレイスは痛感していた。文字の読み書きは、親が子に教える。家に伝わっている自分の先祖が残した日記などは、内容まで理解している者が多い。


 トゥヴァリがアイピレイスに申し出たことは、現状ではとても難しい事に思われた。

 だが、トゥヴァリはひと月あまりで殆どの字を読めるようになった。食事以外の時間はすべて本に向かっていた。


 アイピレイスはトゥヴァリの肩に手を置いた。


「遠慮する事はない。君は知りたいことを何でも聞いてくれて良いんだよ。私が知っていることはすべて教えよう。」


 やり甲斐を感じていた。子どもが成長する過程を見ることが、それに自分の手が加わることが、こんなに自身に喜びをもたらすものだとは、アイピレイスは知らなかった。


「この本は誰から借りてきたのかね?」


「南のエサムの家です。俺にアイピレイス様が教えて下さっていることを知っているので、みんな快く貸してくれます。」


「うーん、君が町に溶け込んでいることが、嬉しいね。物事を知るのに一人で出来ることなど無いのだから。」


 アイピレイスが言うと、トゥヴァリは口をへの字にした。みんなと仲良くできていることが知られていて、気恥ずかしい気持ちがした。


 アイピレイスはトゥヴァリに頼まれてから、町を見る時は必ずトゥヴァリの家に寄るようになった。

 宮殿にいる時間は、以前よりもずっと少なくなっていた。


「では、私は町を一回りしてこよう。」


「俺も出かけてきます。」


 トゥヴァリは言って、本を大切に閉じた。






 トゥヴァリは違う赤表紙の本とペンを持って、東の野菜畑に走って行った。


 家の区間が終わったところから、開けて緑の葉がそよぐ。

 精霊の光の球が、畑の上に、畝の間に、ふわふわと飛び交っていた。


(食事じゃない時はこんなところにいたんだ。)


 トゥヴァリは、畑に近づいてみた。葉や実をよく見ようと思ったのだ。

 真っ赤な三角の実が、瑞々しく成っている。

 手を伸ばすと、精霊がひとつ、スイッと警戒するように飛んでくる。精霊が赤く光るのではないかと、トゥヴァリは体を強張らせた。


「精霊は心を読む。」とアイピレイスは言った。


(見てるだけ見てるだけ!...精霊王の物を勝手に取ったりしません...っ!)



 恐る恐る手を引くと、精霊は離れて行った。

 トゥヴァリは道に座り込んで、畑の様子を本に描き写した。






 夕食時に、アイピレイスが戻ってきた。不死の彼は食事を必要としないが、トゥヴァリが食べるテーブルに一緒に座っている。

 精霊は彼に食事を運んでこない。


「精霊は働き者ですね。」


「うーん、そうだね。それはそうだ。」


「野菜に触ろうとしたら怒られました。人が手伝ったりはできないのかな...。」


 トゥヴァリは皿の赤い三角の実を手に取り、まじまじと眺めた。


「農産物には出来るだけ近づかないほうがいい。この国が出来たばかりの頃には、罰を受けた若い者はいた。」


 トゥヴァリは西の林の中で、熊がー大きくて黒い毛むくじゃらの動物の名前がそうだということをトゥヴァリは最近知ったーペルシュを襲った時、赤い精霊がやってきてすぐに倒れたことを思い出していた。


「人は、すべき事は無いんですか。みんな毎日、ただ起きて、食べて、眠るだけ。」


「うーん、あとは、適度な運動、かな。」


 アイピレイスは髭を手で遊びながら、言った。





 ***********


 その夜は、暗い空に星が、蒔かれたように輝いていた。


 空のことも教えてやらなければならない。

 流れる雲のこと、星までの距離、周る月。


(もしオーウェンがいたならば、彼がトゥヴァリの良い師になっただろう。)


 アイピレイスは空を見上げながら、ゆっくりゆっくり白い階段を上る。


 精霊王の像が星空の下に、ぽつりと立っている。アイピレイスはその像を見ながら、果たしてセレニアはこんな姿だっただろうか、と考えた。

 姿を見なくなって七十年は過ぎている。畏怖し敬愛した対象を忘れてしまうとは、不死といえど痴呆は進むのだろうか。


 瑠璃色の扉は元老院の為だけに開く。

 アイピレイスは、まっすぐ自分の部屋に帰った。


 金色の廊下が赤い帽子、赤い服、赤いとんがり靴を幾重にも映し出した。




(常識程度の事を教えて、優越感に浸って満足か?)


 自分の姿に問いかける。


(私のすべき事は町ではなく、違うところにあるのでは?)


 "臆病者め"


 頭の中で、ナサニエルの声が言った。


 大きな木の扉が、静かに丁寧に閉められた。

 あれ以来、宮殿の、自分の部屋より奥へ行く事は無い。


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