8. 【Side.トオル】 状況に甘んじる気はない
部屋に戻ってセレンとイチャイ……じゃなくて、親交を深めようとしていた俺の思惑は、待ち構えていた『イムリス様の使い』によってあっけなく崩された。
明日から修業を始める。自分の研究室近くに見習い用の部屋を用意したから、今からそちらへ移れ。修業に必要なものはセレンに用意してもらえ。だそうだ。
セレンに連れられてあちこちを回り、服や魔導士のローブ、魔道書など、諸々揃えているうちに、すっかり日が暮れてしまった。
まあ、買い物デートみたいでそれなりに楽しかったからいいけど。
新たに与えられた部屋に荷物を置きに行くと、今度は『メルクの使い』なる侍従が待ち構えていて、調査のため異界の服、つまり今着ている服を全て渡すよう要求された。
何を調べることがあるんだと思ったが、よく考えたらファスナーなんかは、まだこの世界にない技術かもしれない。
こちらの服も買ったことだし、了解して部屋で着替えようとしたら、本当に全部寄こすかどうか確かめるよう言われたとかで、着替えを監視された。
まぁいいけどね。むしろ男の着換えを監視しなきゃならない侍従が気の毒か。
着替えを終えて服を渡したら、下着と腕時計も要求された。腕時計はともかく下着もかと拒否しかけたが、やはりこの場合、気の毒なのは侍従の方と思い直して要求に従った。
洗わないままで申し訳ないという俺に、侍従は顔色一つ変えず職務ですからと受け取った。
ちなみにこの間、当然セレンは部屋の外だ。
侍従と入れ替わりに部屋に入ったセレンから、今度こそ大食堂へ行きましょう、と誘われた。もちろん断る理由はない。
二人で大食堂へ行くと、おばちゃんに大歓迎された。なんでだ。
困ったのが、メニューを見ても何の料理か想像できないこと。文字は読めても内容が分からない。ニギラギの煮物とかダリム炒めってなんだよ。魚か肉かそれとも野菜か?
メニューの前で固まっていると、セレンから『迷ったときはおすすめ定食』とのアドバイスがあったのでそれに従った。
肉料理だった。
予想以上に美味かった。
「ゆっくり食べてね」
同じものを食べながらセレンが言った。
「明日からは食事も満足に摂れないと思うから」
「なに、そういう時はここに来な! 夜だろうと何だろうと、何か食わせてやるよ!」
豪快に笑うおばちゃんに礼を言うと、俺たちは食堂を後にした。
「部屋まで送るよ」
「ううん、気にしないで。大丈夫だから」
「しかし」
「本当に大丈夫よ。第一、透はまだ王宮内部を把握していないでしょ? 下手に歩くと迷うわよ?」
確かに。
有事に備えてだろうが、王宮内は、結構複雑だ。ここ大食堂あたりまではまだわかりやすいのだが、奥へ行くほど入り組んでいる。
方向感覚を狂わす仕掛けもあるのかもしれない。
セレンを送った後、この場所に自力で戻れるかと問われれば、かなり危ういと答えざるを得ない。
「ね? 私なら大丈夫だから」
わかったと言いかけ、俺は言葉を呑んだ。
思い出したのだ。
夜の王宮を一人で歩いていると起きるイベントがあることを。
それは、その時一番好感度が高い攻略対象者と遭遇し、好感度に応じて、彼の部屋かセレンの部屋で………というものだったはず。
冗談じゃない。
「いや、やっぱり送る。道、教えて」
仮にイベントが起きてもゲーム通りの展開になるとは思えないが、俺は強引にセレンを部屋まで送り届けた。
彼女の部屋の前でセレンと別れ――別れ際、少々深いキスを交わしたのは見逃して欲しい――後ろ髪引かれる思いで戻る途中、カルロスに会った。
………なんで俺が会うんだ?
おまけに彼は、もはや『攻略対象者』とは言えないだろう。
「トール君、良かった。探してたんだよ」
「俺をですか?」
「部屋に行ったら侍従が『お部屋を移られました』って言うから驚いたよ。何があった?」
「イムリス様が、研究室近くの見習い用の部屋へ行くようにと」
「ああ~~~。なるほど。そういうことか」
そりゃそーだよな、なんで気が付かないかな、俺、と独り言ちるカルロス。
「俺に何か御用ですか?」
「んーー、ま、立ち話もなんだし、せっかくだから君の部屋まで一緒に行こう」
「はぁ……」
まぁ断る理由もないか。
とりあえず迷子は回避できそうだ。
「はい、プレゼント」
あてがわれた部屋でカルロスから渡されたのは、白っぽい丸薬のようなものが詰まった瓶だった。
「なんですか、これ?」
「避妊薬」
「は!?」
「する前に女性に飲ませるんだ。した後でもいいけど前の方が効果的。効き目は半日くらい。瓶に入れておけば半年くらい使えるよ」
「はぁ………」
ええと、つまり効果半日、消費期限半年か。
って、まてよ、これを渡されたってことは
「………そういうことをしても良いと?」
「したくない?」
「う………」
「したいよねぇ」
わかるわかると頷く。
カルロスって、こういうキャラだったっけ?
「………水で飲ませればいいんですか?」
「いや、そのまま噛んで飲み込むんだ。微かに甘いから大丈夫。なんだったら口移しで飲ませてやればいい」
「……してるんですね、口移し」
「たまにね~」
知らなくていい情報を知ってしまった。
「こっちでは飲み薬が主流なんですか?」
ちょっと好奇心を抱いたので聞いてみる。
「え? 異界は飲み薬以外に何かあるの? もしかして塗るとか?」
「どこに塗るんですか………。かぶせるんです。男性の方に」
「ええー? そんなことしたらつまんなくない? えと、感度的に」
「そう言って嫌がる人もいるようですが、避妊だけでなく病気予防にもなりますし普通は」
「え!」
いきなりカルロスの様子が変わった。
気のいいお兄さんから為政者に。
「病気予防になるのか?」
「………もしかして、病人多いですか?」
「花街にな。文字通り死活問題だ。客を選べる高級娼婦ならまだしも……」
そういえば昔の遊郭とか、悲惨だったって聞いたことはある。
「えーと。実際に使ったことないのであまり詳しいことはわからないのですが」
「え、チェリーボーイ?」
やかましいわ。
「あ、いや、別にバカにしてるわけじゃなくてね」
「いいですよ、無理にフォローしなくて。で、何が聞きたいですか? 素材とか言われてもゴムとしか答えようがないですが」
「ゴムってなに?」
「ええと……ゴムの木ってあるのかな……」
互いの基礎知識に差があるため、説明は遅々として進まなかったが、俺は何とか、知る限りの知識をカルロスに伝えた。
途中で、昔は魚の浮き袋とか動物の盲腸や膀胱などを利用したっていう話を思い出したので、それもついでに話しておいた。
しかし、夜中に男とゴムの話って……。
なんだか哀しくなってきた。
とりあえず『プレゼント』は有難くいただいたが、使える日は来るんだろうか……。
修業は初日から容赦なかった。
「……疲れた」
ベッドに倒れこみ、大きくため息をつく。
「こんなのが1ヶ月続くのか………」
その日は瞬く間に眠りに落ちていった。
1週間ほど経つと余裕が出てきた。
『遠話』をマスターしたことが大きいだろう。
イムリス様から呼び出しを受けても、指示を受けるために慌てて駆けていく必要がなくなったからだ。
そして俺は、ようやくセレンに遠話をとばすことができた。
『セレン、聞こえる?』
『透? ええ、大丈夫。遠話を覚えたのね』
『ああ、ようやくね』
『お疲れ様。修業、大変でしょう?』
『滅茶苦茶辛い…………』
ふと気づくと、俺はセレンに延々と愚痴をこぼしていた。
『あ、ごめん、俺、こんな話ばっかりで』
『構わないわ。誰かに愚痴らないと、やっていけないわよね?』
なんでそんなに優しいんだよ……。
『うーんと、経験者だから?』
ってあれ?
『俺、さっき遠話送ってた?』
『あら、もしかして送るつもりなかった? 初心者は心の声がそのまま遠話に漏れてしまうことがあるから気を付けて』
『え………』
それって結構ヤバくないか?
『そうね。でも、すぐ慣れるわ』
あ、また漏れてた。
『ふふ、そうみたいね』
あ………なんかダダ漏れだな。
『そうね、でもちょっと嬉しいかも』
なんで?
『心許した相手には漏れやすいんですって』
ああ。
何となくわかる。
そうでない相手には無意識に身構えるだろうから、心の声は漏れにくくなるんだろう。
『だからね、ちょっとだけ、ううん、かなり嬉しいかも』
『セレン………』
会いたい。
今すぐあって抱きしめたい。
『………私も、会いたいけど……』
うわ、また漏れてた!?
『あと3週間、ね?』
……長いな。
それから、部屋に戻るとセレンと遠話で話をするのが日課になった。
まるで遠恋中の恋人たちが夜中に電話で話してるみたいだ。
遠距離じゃないけど。
ていうか、遠距離じゃないのに会えないって何なんだよ………。
うう、セレンに会いたい。
会って抱きしめたい。
セレンの匂いが懐かしい。
キスしたい。
触れたい。
触れて。
そして………
…………いや。
………触れられなくてもいい。
一目でいいから………
「セレン………」
遠話の後、セレンを想って自分を慰め、ため息をつきつつ、ベッドに突っ伏して寝入ってしまうのも、また日課になっていった。
この遠話の後の一連の思考が、全部セレンに筒抜けだったことを知り、いたたまれなくなるのは、かなり後の話である―――。
見習いになって2週間後、見習いとは全く関係のない用事が増えてきた。
原因は異界の知識を知りたい技術省だ。
最初は、カルロス経由でゴムの話を聞いてきた。服に使われていた伸び縮みする素材と靴底の素材のどちらがゴムか確認された。
うん、両方ゴムなんだよね。
他にどんな用途があるのかと聞かれ、長靴やレインコート、タイヤなんかの話をした。絶縁体は意味が分からないと思ったので省いたが、パッキンの話はした。
ただ、どのように加工してそうなるのかはわからないとも。
こんな話でいいのかとは思ったが、翌日は、技術省の職員が直にやってきた。
制服の胸ポケットにさしてあったシャーペンの用途を聞いてきたので、見た方が早いと手近の紙に書いて見せた。
こちらの紙は表面があまり滑らかでないので、少し引っかかったが、何とか書くことはできた。えらく感動された。
とはいえ、まさかシャーペンは作れないと思ったので、鉛筆の話をした。
芯が黒鉛と粘土を練り合わせて焼き固めたものだということくらいは知っていたので、前よりは役に立っただろうか。
どのみち配合とかはサッパリわからないので、技術省がこれから試行錯誤するのだろう。シャーペンの中に予備の芯が3本くらい入ってたしな。
更に翌日。
魔道書を調べていたところ、印刷なのに、字の大きさが一定でないことに気が付いた。
製法を聞いてみたら、案の定1頁丸々彫って刷っていた。グーテンベルク以前だ。
活字の話をしたらイムリス様は驚かれ、その場で技術省に遠話を飛ばし、すぐに技術省の職員が飛んできた。
職員は、他にも何か思い出したら必ず連絡してくれと、再三再四、頼み込みながら戻っていった。
技術省に感謝されても言いつけられた仕事は減らない。おかげで調べ物が遅くなった。
暗くなったため、備えてあった燭台のろうそくに火を点ける。
実は、王宮内は魔石で光る魔灯――電池式のライトのようなもの――が整備されていて、明かりのためのろうそくはない。
王宮内での火事を防ぐためらしい。
なのに魔道書保管庫はろうそくだ。
それこそ火事になったらまずいと思うが、それより魔力の暴走の方が高リスクらしい。
魔道書の中には魔力を感知して術が発動するものもあり、それらは一応封印されてはいるが、以前、たまたまその効力が薄れた時に、魔灯の魔石が接触し、物凄い騒ぎになったことがあったとか。
そのため、ここ限定で明かりはろうそくなのだ。ちなみに魔灯を使えるのはやはり王宮だからで、一般家庭はろうそくだそうだ。
しばらくして、気が付いた。これ、時々、芯を切らなきゃいけないやつだ。
昔のろうそくは芯の先に煤がたまり、照度が落ちる上に発煙するので、時々先端を切る必要がある。
実家が神社で、そういうタイプの、いわゆる『和ろうそく』を知っていたから判ったが、知らなかったら焦っただろう。
燭台の脇にあった芯切バサミで先端を切り取りながら、いわゆる西洋ろうそくはまだ発明されていないのだろうかと考える。
あれは確か芯の『編み方』が違うだけだ。
子供の時、何故こっちのろうそくは切らなくていいのかと親父に聞いたときにそう言われた覚えがある。
その編み方だと、自然に先が曲がり、煤の溜まる先端が最も温度の高い外炎部に触れて燃えるので、切る必要がないのだと。
じゃあ具体的にどんな編み方なのだと聞かれてもさっぱりわからないのだが。
翌日、技術省に連絡する前に王太子とメルクがやってきた。
メルクと直に会うのは初めてだ。
自己紹介後、いきなり礼を言われた。
理由は活字だ。
あのおかげで安価に本を作ることができる。教育に役立つと感謝された。
そういえば彼は、知を重んじていて、図書館や学校をつくると好感度が上がるんだった。
他に何か思い出したことはないかと問われ、昨日思い出したろうそくの話をしてみる。
いまいち納得できない表情の王太子に、そこらの紙に簡単に図を描き、芯がこう曲がるのだと説明する。炎の外側、すなわち外炎部が一番温度が高いということを説明すると、王太子よりメルクが反応した。
このスケッチをもらっていいかと問われ、了承すると、早速その余白に、今俺が言った説明を書きこんでいく。
そんな話でいいのかと問うと、一向に構わない。もっと何かないだろうかと逆に問われ、しばし首をかしげる。
ふとメルクの手元の紙とペンを見て、手紙を連想し、そういえばこの国の郵便事情はどうなのかと問いかけた結果、ポストや切手、消印などの話をする羽目になった。
そんなこんなで一向に進まない修業に業を煮やしたのはイムリス様だった。
結局、俺は一日の終わりに思いついた事柄を書き記し、翌朝それを技術省へ届けることを約束し、王太子とメルクと技術省は、俺への質問は書面とし、対話による問答は修業期間の終了後にすることを約束させられた。
おかげで魔道の修業に集中することはできるようになったが、夜、部屋に戻るたびに技術省からの山のような質問状に毎日頭を抱えることとなった。
だーかーらー! 具体的な配合だの比率だのは分からないんだってーの!
その日、俺は庭園でどんぐりを集めていた。
言っておくがこれも修行だ。
魔石に魔力を込めるやり方を教わるのだが、最初はどんぐりを使うんだそうだ。
何でも、どんぐりの方が魔力はこめやすいのだが、すぐに漏れてしまうため、練習以外に用途はないらしい。
季節なのか、かなり沢山落ちているそれを、最初は律儀に1つずつ拾っていたのだが、途中で面倒臭くなったので『水』を使ってみた。
既に水だけは結構扱えるようになっていた。
俺は空気中の水分を集めて一定量の水を作り出すと、それを庭全体に流し、水流でどんぐりを一か所にまとめた。
もちろん、そんなことをすればどんぐり以外のゴミも集まってくる。
なので今度は集めた水を筒状に上に伸ばした。軽く撹拌して先ずは上に浮いた枯葉などを除けた。
それから水の密度を若干変えて、比重の関係でどんぐりだけを浮かせて一気に収穫。
うん、魔法は使いようだな。
一人悦に入っていると
「たいしたもんだな」
いきなり声がかけられた。
びっくりして振り向く。
気配を感じなかった。
水の流れを今まで以上に読めるようになっているのに。
が、そこに立っていた男を見て納得した。
ルード・ゴラン上級魔導士。
セレンの上司、攻略対象者の一人だ。
彼なら自分の気配を消して近づくことなど容易だろう。
「………なんだ、お前か」
予想外だったのは向こうも同じようだ。
おそらくここを通りかかったのは偶然で、見習いが洒落たことをしてるから誉めてやろう、くらいだったのだろう。
それが俺だと気づかずに。
………ってあれ?
俺、ルードとは初対面だよな?
「イムリス様の見習い、透と申します。上級魔導士様とお見受けしますが、御名をお尋ねしても?」
一応、両腕を重ねる魔導士の礼をしながら丁重に聞いてみる。
「……ルード・ゴランだ。お前がここに召喚された時に会っている」
「ああ、お話は伺っております。その節は」
「せいぜい励むがいい」
俺のセリフをぶった切って、吐き捨てるように言い放つと、ルードは踵を返した。
一瞬。
本当に一瞬だけ、どす黒い感情が向けられ、すぐに消えた。
なるほど。
こいつもセレンに惚れてるわけだ。
で、それを必死に隠している、と……。
流石は上級魔導士。感情が漏れ出たのは、本当に一瞬だけだった。
………こいつはヤバいかもしれない。
ゲームのルードは常に沈着冷静だったが、自分の大事にしているものが損なわれると激高する性格だった。
対策を講じておく必要があるな………。
場合によっては、元の世界へ逃げ帰るのもありかもしれない。
勿論、セレンを連れて。
――仮に将来別れなければならないとしても、今、誰とも付き合わない理由にはならない。
ふいに悟の言葉を思い出す。
あの時は特に反論もしなかったが、今ならこう返すだろう。
ならば、別れなければならない状況の方をひっくり返してやる、と。