4. 【Side.トオル】 もしかして、ここは
気が付いたら全身が痛かった。
高いところから落ちたような……
そうだ、落ちたんだ。
足元の地面がいきなり消えた。
なんだったんだ、あれ……。
ゆっくり身を起こす。
……どこだ、ここは?
少なくとも学園の医務室ではない。
医務室というより客室だ。
調度品もかなり良いものを使っている。
その辺の見る目は確かなつもりだ。忍や悟の家に見本がいくらでもあるからな。
「あ、気が付かれました?」
掛けられた声に振り向き、固まった。
「良かった、気分はどうですか?」
視線の先で微笑んでいたのは、ついさっき思い出したばかりの顔。
栗色の長い髪
意志の強そうな栗色の瞳
長い睫
緩やかに弧を描いた桜色の唇
薄紫のドレスに黒いローブ。
セレンティア姫、その人だった。
何故だ?
もしかしてあれか?
ラノベで流行りの異世界召喚?
それもゲームの中へ入るあれ?
……マジ?
「えーと……もしかしたら、言葉が通じていないのかしら?」
混乱していて、彼女に返事をし損ねた。
「あ、いや、分かります」
あわてて答える。
一瞬だけ、姫が固まったように思えた。
「……よかった。あの、ご気分は?」
本当に一瞬だけだった。すぐににこやかな笑みに替わる。
「全身痛いですが………大丈夫です。あの、俺は、どうしてここに?」
「どうしてかは………後でお話しします。あ、私、セレンティア、と申します。セレンティア・ディートリット・ヴィクトリア」
………知ってます、という言葉を、すんでのところで飲み込んだ
「俺は透。神薙透です。あ、神薙は家名で、透が個人の名前です」
「……透さん、ですね」
変だ。
彼女に呼ばれただけで、自分の名前がものすごく特別に思える。
「透でいいです。呼び捨てで」
「では、私のことはセレンと呼んで下さい」
え、いいのか?
姫、だよね?
いきなり愛称呼び許しちゃっていいわけ?
それも、こんな素性も知らない男に?
と思ったが、よく考えたら、彼女はまだ『姫』とは言っていない。
もしかしたら、ゲームの世界そのものではない、のか?
「セレン、さん?」
「呼び捨てで構いませんわ」
「………セレン」
「はい」
やばい。
なんだこれ。
ものすごく、ドキドキする。
「あ、全身が痛いっておっしゃってましたね。とりあえず医師を呼んできますから、少しだけお待ちください」
そう言って踵を返したが、すぐ振り向き、
「やだ、私ったら。忘れてたわ」
ベッドに近づくと、枕元にあった薬瓶を取り、こちらに差し出した。
瞬間、ふわっと甘い香りが漂う。香水だろうか。あるいは、彼女自身の……?
「目が覚めたら飲んでもらうように言われていたんです。どうぞ」
「………ありがとう」
受け取った薬瓶の中には、少し黄色味を帯びた液体が入っていた。
「ただの栄養剤ですよ」
姫……セレンが説明してくれたが、わからないものを飲み干すのは少し勇気がいる。
ためらっていたら、彼女は俺の手から瓶を取り上げ、一口飲んでみせた。
「ね? 大丈夫ですから」
微笑みと共に返された。
これで飲まない奴は男じゃない。
一気に飲み干した。
漢方薬系の味だった。
……彼女が口をつけたところにあえて口をつけたのは見ないふりをしてほしい。
俺が薬を飲んだのを見て取ると、彼女は、すぐ戻りますから、と部屋を出て行った。
扉が閉まるのを確認してから、ゆっくりとベッドに倒れこむ。
「ウソだろ、おい………」
鼓動がうるさい。
顔が火照る。
3次元の彼女は2次元よりもずっと、ずっと、俺好みだった。
「軽い打ち身でしょう」
診察してくれた医師に見覚えがあった。
グレーの髪にグレーの瞳。
ぼさぼさの前髪をきちんと整えて、無精ひげを剃ればそれなりに整った顔立ちをしているのに、いつも眠そうなだらしない格好をしている医師。
オジリス・キシャル。攻略対象の一人だ。
孤児院を増やしたり、病院を増やしたり、弱者に優しい国を作ると好感度が上がる。
序盤は普通だが、好感度が一定以上になると豹変し、ところかまわず口説きだす。
32歳の男が16歳を口説くなと、画面のこちらで何回文句を言ったかわからない。
その上、口説き文句がかなり際どく、もしやこれはR18かとあわてて見直したが、12歳以上だった。基準がよくわからん。
というのがゲームのオジリスだが、目の前にいる彼は、そのオジリスなんだろうか。
「1日2日で治るでしょう。あまり痛むようなら湿布を用意しますが」
「いえ、大丈夫です」
「では痛みがひどくなるようなら、すぐ言ってください」
「はい、ありがとうございます」
礼を言って、脱いでいたシャツを着る。
「入っていいかしら?」
ドアの外で、セレンの声がした。
「ええ、どうぞ」
俺が服を着たのを横目で確認して医師が答える。
入ってきた彼女は、なぜかワゴンを押していた。
「おや、姫様自らお給仕ですか?」
オジリスのセリフに、どきり、とする。
「姫……?」
やっぱり『プリくに』のセレン姫なのか?
「あれ、まだ教えていなかったのかな?」
「……ええ。こちらの世界の事を何も知らないのに、王女なんて言っても混乱するだけだと思って」
言いながら、ポットを手に取り、カップへお茶を注ぐ。って、それは侍女とか侍従の仕事じゃないのか?
「軽食を用意しましたわ。ベッドで召し上がりますか?」
「あ、いえ、そちらのテーブルで」
「オジリスもどう?」
姫が医師に声をかけた。
……やっぱりオジリスか。
「いや、すぐ戻るよう言われているからね」
「だと思ったわ。じゃ、これだけどうぞ。朝食、食べそこなったでしょう?」
そう言って彼女は、バスケットを手渡した。
中にはサンドイッチが入っている。
「これは助かる。いただいていくよ」
バスケットを受け取ると、オジリスは部屋を出て行った。
ベッドを下りながら腕時計を確認する。
この時計がずっと動いていたのだとすれば、俺は2時間ほど気を失っていたらしい。
テーブルの上に並べられたのはサンドイッチ、スコーン、野菜スティック、果物など。
一人分にしては少し多いかな、と思いながらふと見ると、セレンはお茶を入れたカップを2つトレイに乗せていた。
「実は、私も朝食を食べていなくて……お相伴させていただいてよろしいかしら?」
「え、あ、ええ、もちろんです」
ドギマギしながら席に着くと、目の前にトレイが差し出された。
「お好きな方をどうぞ」
あ、そうか。
2つのカップのどちらを選んでもかまわない、つまり、妙なものは入ってない、ということだ。
軽食が大皿に乗せられているのも同じ意味だな。
好きな食べ物を選べるようにという意味もあるだろうけど。
「……ありがとう」
礼を言ってカップを取り、セレンが目の前に座るのを待って、口をつけた。
「……美味い」
思わず口に出た。
忍のところで飲む紅茶より美味い。
さすが王族。
「良かった。沢山召し上がってくださいね」
セレンがホッとしたように微笑んだ。
一応、テーブルマナーは身につけている。辻村さんにしごかれた成果だ。
だが、目の前にいるのは本物の『姫』。流石に少し緊張しつつ、軽食に手を付ける。
物凄く美味かった。
うっかり全部平らげそうになるくらい。
2時間前に昼食を済ませてはいるが、そこは男子高校生の胃袋だ。普段ならペロリとたいらげていただろう。
しかし、目の前にセレンがいて。
彼女もまた同じ皿から食事をしていて。
緊張するなっていう方が無理だ。
かくして俺は、無事、通常の1人前で食事を終わらせることに成功した。
食事の間の会話は他愛のないものだった。
こちらのサンドイッチはいかが?
果物は何がお好き?
こちらとそちらではどちらがお好み?
紅茶をもう一杯いかが?
等々。
それでも食事を終えるころには、緊張が少しほぐれていた。ランチョンテクニックってやつかな。初対面が打ち解けるには有効って聞いたことがある。
食後にもう一杯入れてもらった紅茶を飲みつつ、そんなことを考えていたら、セレンが不意に居住まいを正した。
「最初の質問にお答えしたいのですが、よろしいでしょうか」
最初の質問?
少し考えて気が付いた。
俺がどうしてここにきたのか、だ。
「ええ。ぜひ」
頷くと、彼女はゆっくりと話し出した。
「つまり俺は、こちらの術者が異界に転移する際のミスに巻き込まれた?」
「はい、その通りです」
「元の世界に戻れるのは、最短で半年後?」
「はい」
「その術者って?」
「さきほどわかりました。マリティアーナ・シルバード。魔術師になったばかりの12歳の女性です」
女性っていうか、女の子、だな。
「何故、彼女は異界に?」
「……わかりません。彼女は以前から召喚術の実験をしたいと申請していました。でも、内容が不明確だったので、実験室の使用許可を出さずにいたのですが……」
「本当は召喚術ではなく、異界へ転移するのが目的だった?」
「そのようです。そのあたりをごまかして申請するには、彼女の技量が足らなかったのでしょう」
「技量も何も、適当に書けばいいような気がするけど……」
「そうはいかないのです。『申請書』には、『嘘』を書くとすぐにわかる仕掛けがしてあるので」
「『嘘』がわかる仕掛け?」
「ええ。正確には、記入している本人が『嘘』と認識している事柄を記入すると、その文字だけ赤く浮かび上がる仕掛けです」
「……なるほど。逆にいうと、本人がそれを嘘だと認識していないと意味がないわけか。つまり申請書を記入する時だけ自己暗示をかけていればいい?」
「……おっしゃるとおりです。でも彼女には、その技術がなかったので」
「『召喚術の実験』としか書けなかった。ま、確かに召喚術の一種か」
自分の代わりに『異界の何か』が、召喚されるのだから。
「許可が下りる見込みがないから無断で?」
「ええ、おそらく。本当に、申し訳ありませんでした」
そう言って彼女は頭を下げた。
「え、セレンのせいではないでしょう?」
「いえ、私が、もう少し踏み込んで、事情を確認していれば防げたことです」
それはどうだろう。
そのマリティアーナという子は、仮にセレンが事情を聞きだそうとしても、頑なに答えなかったのではないか?
そもそも答えられるなら、無理やり使用する前に相談に来るのではないだろうか。
そう言うとセレンは
「………そうかもしれませんね」
と、少し寂しそうに答えた。
「結局私は、彼女から信頼されていなかったのですね………」
「え、あ、いや、そんなことは」
「いいえ、そういうことですわ」
気まずい。
どうしよう。
「えーと、やっぱり、あなたのせいではないです。だってその、マリティアーナさん? が使った魔石の量って、どう申請しても許される量ではないのでは?」
「……ええ、まあ、そうですね」
「彼女の方にどんな事情があったのかはわかりませんが、あなたの対応がどうあろうと、仮にあなた以外の人が上司であったとしても、彼女は結局、同じことをしたと思います」
「そう……でしょうか……」
「そうですよ。そうだ、それに、もしかしたら彼女は、あなたを巻き込むまいとしたのかもしれませんよ? だから相談しなかった」
「あ………」
その発想はなかったのだろう。彼女は少しびっくりしたように眼を見開いた。
「どちらにせよ、過ぎたことです。それに、半年経てば帰れるのでしょう? 気にしないでください」
そう言って、忍の営業スマイルを意識しつつ微笑んでみる。
途端に、彼女の頬が赤くなった。
………忍の技ってすごい。
「……あれ?」
そういえば
「マリティアーナさん、12歳ですよね?」
「ええ」
「等量交換……でも、俺と同じ質量のわけがない」
12歳の女の子と、17歳の俺と。
普通に考えて20キロ以上差があるんじゃないか?
「ええ、それもわからないことの一つです」
セレンは、ふぅっとため息をついた。
「彼女が何を異界へ持って行ったのか、が」
なんだろう。
変なものじゃないと良いんだが……。
ノックの音がした。
「セレン、いいかな?」
「カル兄様? どうぞ」
………カル兄様?
カルロスか? 確か、セレンの従兄の。
ドアが開いて、プラチナブロンドに緑の瞳の、背の高い男性が入ってきた。
間違いない。カルロス大佐だ。
セレンの従兄でゴドウィン公爵家長男、近江騎士団の大佐。攻略対象の一人で19歳。
全体的にバランスよくパラメータを上げていくと好感度が上がる。
序盤は『世間知らずのお嬢さんにどこまでできるかな?』と、ニヤニヤしながら傍観しているが、好感度があがるにつれて、助言したり手助けしたり、協力的になっていく。
「トール・カンナギ、だったね。私はカルロス・リンド・ゴドウィン」
やっぱり。
「セレンの従兄で、半年後には義理の兄になる予定だ。よろしくな」
………はい?
「義理の兄………?」
「カル兄様は、私の姉上の婚約者なの」
「え………?」
姉上?
確かセレンは一人っ子じゃ……?
「お姉さんがいるの?」
「兄と姉がいるわ。3人兄妹よ」
………あ。
思い出した。
『幼い頃、流行り病で兄と姉をなくし、第一王位継承者となった』っていう設定だった。
ということは。
ここは『プリくに』だけど、兄と姉が死ななかった並行世界?
「それでカル兄様、何のご用ですか?」
「いや、噂の異界人を見に来ただけ」
「………噂なんだ」
「あ、その、あなたを最初に発見した魔術師が、うっかりみんなに知らせてしまって」
「でも、そのおかげで君のことを知らない者はいない。説明の手間が省けてよかったと思えばいいさ」
「はあ………」
まぁいいけど。
「それにしてもセレンがいて良かった。でなければ今頃、双方言葉がわからなくて右往左往していたろうからね」
「………え?」
ちょっとまて。
どういう意味だ?
そう言えば『プリくに』の世界の言葉というか、スチルの中の書類や本に書かれている言葉は日本語でも英語でもないよくわからない記号だった。
ゲーム上の演出と思っていたが、もしかしたら本当に言語が違う?
だとしたら、俺は日本語で話しているのに、なんで言葉が通じるんだ?
「………翻訳の術」
「え?」
混乱する俺に、セレンがぽつりと呟いた。
「そういうのが、あるんです。異国の言葉を使えるようになる便利な術が。それをさきほど、寝ている間に施させていただきました」
「あ………そういうことなんだ」
納得。
自動翻訳機をつけているようなものか。
あれ?
でもそしたら何で『セレンがいて良かった』になるんだ?
「えーと、その術はセレンしか使えない?」
「この場合は、そうだな」
何故かニヤニヤしながらカルロスが口をはさむ。
「この術は便利だが、一つ問題がある。術者が、両方の言語を操れないと施せないんだ」
「………え?」
「つまり、この国で君の世界の言葉を知っているのがセレンだけだったということさ」
「……知っている? 異界の言葉を……?」
「カル兄様」
ふぅ、と息を吐くと、セレンはカルロスに向きなおった。
「後は私からお話ししておきます。カル兄様はそろそろ姉上のところへ行かれた方がいいのでは?」
「おやおや。私はお邪魔かな?」
「ハッキリ言って邪魔です。カル兄様がいると話が混乱します」
「……本当にハッキリ言うな。まぁいいさ。じゃあね、トール君、また後で」
ヒラヒラと手を振りながら、カルロスは部屋を出て行った。
何しに来たんだ。
本当に俺の顔を見に来ただけか?
「………透」
呼びかけられて気が付いた。
彼女の呼びかけは『透』と聞こえるが、カルロスは『トール』だ。これも、彼女だけが日本語を知っているためか。
「あの、信じられないかもしれませんが、私『異界の記憶』があるんです」
「……異界の記憶?」
「老師は、前世の記憶、と言っていました。私の前世は異界人だったって」
「前世………」
ぎくり、とした。
前世の記憶。
それはついさきほどまで、自分にもあるのではと考えていたもの。
「それでその『異界』が、おそらく透と同じか、あるいはその、すごく近い世界なんだと思います。だから日本語が………」
………異界の記憶。
前世が、異界人。
そうか。
俺もそうなのかもしれない。
『プリくに』を検索しても出てこなかったのは、異界で作られたゲームだからだと考えれば辻褄が合う。
「……驚いたな」
「ですよね。でも、その、本当なんです。だからその……」
「あ、いや、驚いたのはそこじゃなくて」
「………え?」
「俺もなんだ」
「は?」
「俺にも、『前世の記憶』がある」
「…………えッ!?」
「それもおそらく、『異界の記憶』が」
セレンは、これ以上ないくらい大きく目を見開いて絶句した。