2. 【Side.トオル】 既視感(デジャヴ)? それとも…
高2の修了式とHRが終わったところで、俺は幼馴染の二人に呼び止められた。
生徒会トップ2の頼みだ。仕事を手伝うのはやぶさかではないけれど、昼飯をおごらせるくらいは妥当だよな?
というわけで、今俺たち3人は、学園近くのラーメン屋で4人掛けテーブルを囲んでいる。
昼には少し遅い時間のため、店内はさほど混んでない。
「ここ、前からラーメン屋だったっけ?」
注文を終えた雑談の中、ふと思い出して尋ねてみた。
「『前』の定義が不明確。故に回答不能」
銀縁眼鏡を片手で直しながらそう返したのは岩崎悟。
生徒会副会長。
体言止めが好きで、話す時に多用する変な奴だが、成績もいいし仕事も早い。
実は視力は悪くない。銀縁眼鏡は瞳を隠すための伊達眼鏡だ。
悟の瞳は淡褐色。昔、ガイジンと仇名されて以来のコンプレックスだ。
何でも何代か前のご先祖に外国人がいたらしく、悟の家系では時々、髪や瞳の色素が薄い者が現れるらしい。
瞳の色くらい気にするな、とか思うのは、俺が標準的な黒髪黒目だからだろうか。
「少なくとも十年前はラーメン屋でしたね」
答えたのは伊集院忍。
女のような優しげな顔立ちだが、芯は強く意外と豪胆。
学園の理事長の孫で国会議員の息子。生徒会長だ。
「兄と一緒に、お祖父さまに連れられて来たことがあります」
忍の兄、実は、先日大学を卒業し、父親の秘書になっている。
「………そうか」
「何か気になることでもありましたか?」
「いや、なんだか、前はここ、駄菓子屋だった気がして」
「ただの勘違いと推察」
「……みたいだな」
「透の『勘違い』、ですか………? 少し気になりますね」
「……ふむ。確かに。何故そのような勘違いをしたのか説明を希求」
うわ、二人の気を引いちゃったよ。
俺――神薙透は、とある神社の跡取りだが、どういうわけか俺のところには情報が集まる。
宮司さんには言い難いんだけど透君なら……みたいな打ち明け話や相談事をよくされる。何でかわからんが。
加えて勘がよく、何かを選択する際、選んだ結果はおおむね間違いがない。
そのせいで色々な人から色々な相談事を持ち込まれ、更に情報が集まり、気が付いたらかなりの『情報通』になっていた。
忍は将来、兄と共に国政に参加する予定、悟は某大手グループ企業CEOである父親の跡を継ぐ予定なのだが、二人とも俺のところに集まる『情報』が有益と考えている。
その上、一見何も関係がないような事が、大きな事件の一端だったりすることがざらにある世界にいるせいで、ほんの些細なことでも自分の『気になること』は納得するまで突き詰めるのだ。執拗に。
しかし、この件は………。
「……大したことじゃないんだが」
「へい、お待ち!」
運ばれてきたラーメンに話が寸断された。
「……とりあえず食おう。腹減った」
「そうですね。いただきましょう」
そろってラーメンに集中する。
三人とも大盛りラーメン半チャーハン付だが、腹ペコ男子高校生の敵ではない。
器は瞬く間に空になった。
「今少し物足りないと判断」
「だな。餃子頼むか?」
「6個入りですね。3人で分けますか?」
「1人2個じゃ足りなくね?」
「同意。4個が妥当と考察」
「では2皿頼みましょう」
追加の注文をすませると
「で、何があったのですか?」
忍が話を蒸し返してきた。
「ほんっとうに大した話じゃないぞ?」
一応前置きして話し出す。
「最近、多いんだ。来たことのない場所なのに、覚えがあるとか、昔から知っている場所なのに、前はこうじゃなかったって思ったり、全然見たことがない景色が頭に浮かんで、何故か懐かしいと思ったり」
「いわゆる既視感という奴ですか?」
「相違あり。既視感は、実際は一度も体験したことがないのに、どこかで体験したことのように感じること。最初と最後の事例はともかく、2番目の事例は非該当」
いつの間に取り出したのか、悟がスマホで検索を始めていた。
「見慣れたはずのものが未知のものに感じられることを未視感というらしいが、2番目はそちらの方が近いと推察」
アクセスが遅いとブツブツ言いながら悟がスマホを操る。
あいかわらずこいつの入力は早い。指が高速で画面を滑る。ちなみにPC入力の時は、もっと凄まじい。
「単なる記憶違いか、過去の体験を忘れていただけのような気もしますけれど?」
「ワスレンボウのせいか?」
「妖怪のせいにする年ではないでしょう?」
「興味深いサイトを発見」
そう言って悟が俺にスマホを差し出したので、受け取って画面をのぞきこむ。
「既視感が起こる仕組み? ……は? 前世の記憶? 私たちは前世の記憶を忘れるだけで、無くすわけではありません。何かの拍子に記憶の断片が蘇ることがあります。それがいわゆる既視感……ってなんだよこれ」
「なるほど、『前世の記憶』ですか。確かにそう考えると辻褄が合います」
「忍、お前って、前世とか生まれ変わりとか信じるタイプだったか?」
「あるかないかわからないなら、あると思った方が楽しいじゃないですか」
「……高校生の厨二病って痛いよな」
「スピリチュアルと言ってください」
「転生の立証はともかく、それで説明できることについては同意」
「悟、お前もか」
「『来たことがないのに覚えがある』のは、前世で来た場所。『前はこうじゃなかった』のは、前世で来た場所が時を経て変容しているため。『見たことがない景色が懐かしい』のは、前世で馴染んでいた景色」
「確かに説明できますね」
「いや、納得するなよ、大体」
「へい、餃子お待ち!」
………ここの店員は俺の話を寸断するのが趣味らしい。
「………冷めないうちに食うか」
3人で2皿の餃子を分け合っていると
「え、うそ! 伊集院先輩?」
「あ、岩崎先輩もいる!」
後ろで黄色い歓声があがった。
「………最近の女の子はこういう店にも平気で来るんですね」
女生徒から表情が見えない位置なのを幸いに、うんざりした顔で忍が呟く。
「予想外。ファミレスでは遭遇する可能性ありと判断してこちらにしたが、不覚」
「……甘かったな」
この二人、イケメン、成績優秀、スポーツ万能、将来有望、金持ちと揃っているから、やたらモテる。
俺自身も容姿はそこそこと自負しているが、二人には及ばない。ついでに成績は中の上、スポーツは、まぁ下手ではない程度。
なので、この二人と一緒にいると目立たなくて助かる。要は一種の弾除けだ。実に優秀な。
俺たちは速攻で餃子を平らげ席を立った。
「あ、あの、伊集院先輩!」
「もしよろしかったら」
「はい、お待たせしました」
上気した顔で話しかけてきた4名の女生徒に、忍は完璧な営業スマイルで振り向いた。
「この席、もう空きますから、どうぞお座りください」
期待されていたのとは絶対に違うセリフを、甘い声音――俺と悟はタラシボイスと呼んでいる――で囁き、彼女らが真っ赤になっている隙に悟が会計を済ませ、店を出た。
「タラシボイスに磨きがかかってないか?」
「同意見」
「何事もスキルアップは大事です」
将来こいつが立候補したら、女性票を根こそぎ持っていきそうだ。
「しかし相変わらずの人気ぶりだね」
「いつでもお譲りします」
「全くだ。この上なく不便」
「ならいっそ、誰か決まった相手を作ったらどうだ? お前たちなら選び放題だろ?」
「…………そんな理由で選べません。第一、私は将来、家や仕事の都合で伴侶を決めなければならない身です。別れなければならないことが確実なのに付き合えません」
「妙にまじめだよね、忍って。高校生で、将来まで考えて付き合ってる奴なんて、ほとんどいないだろうに」
「………俺は、違うと思う」
あ。
悟がマジになった。
体言止め使わないで話してる。
「仮に将来別れなければならないとしても、今、誰とも付き合わない理由にはならない。それは、どうせお腹がすくからと、目の前の食事をとらないのと同じだ」
「食事はとらなければ死んでしまいますよ? 男女交際と一緒にされても……」
「なら、一度しか食べられない上等の食事を、それを食べたら普段の食事が不味くなるから食べないままでいる、と言ってもいい」
「……………」
「例えを変えようか。今のお前はどうせ取り壊すから、外すからと、文化祭の飾りつけや体育祭の応援旗を作らないのと同じだ。失うから意味がないなんてことはない。例え失うとしても、一時の事だったとしても、それを得たことが大事なんじゃないか?」
「………そう、かもしれませんね」
忍は自嘲気味に嗤った。
「私はただ、私自身が傷つきたくないだけかもしれません……」
「ま、お前のことだ。本気で惚れたらあっという間に前言撤回して口説くだろ、と推察」
いきなり悟の話し方が戻った。
マジな話はここまで、か。
「個人的には、諸々のしがらみを覆したいと思える女性との出会いを希望」
「つまり悟は、家やら仕事やらどうでもいいから一緒になりたいって思えるくらいの女性に会いたいってこと?」
「ああ、それはすごく良くわかります。女性はみんな可愛らしいですが、そこまでの方は、残念ながらいらっしゃいません」
「そこまでの方、か………」
いきなり一枚の絵が脳裏に浮かんだ。
一人の女性の絵。
意志の強そうな瞳で眼下の景色を見据えている立ち姿。
…………なんだ、この記憶は………?
戸惑っている横で、悟が足を止めた。
黒塗りのリムジンが停まっている。
その傍にダークスーツに身を包み、右目に片眼鏡をかけた壮年男性が立っていた。
悟の教育係である辻村さんだ。
悟の『教育』には、忍と俺もよく巻き込まれた。マナー教室とか色々。
右目は昔、事故で失ったため義眼だそうだ。
義眼は視線が動かず、違和感を与えてしまうので、誤魔化すために片眼鏡をかけていると聞いている。
ちなみに外したところは見たことがない。
「悟様、忍様、伊集院理事長がお二人をお呼びでございます」
「お祖父様が?」
「俺と忍?」
「透は?」
忍と悟が交互に問う。
「伺っておりません。ですが、お望みでしたらご自宅までお送りいたします」
言いながら辻村さんはリムジンのドアを開け、乗るように促した。
「いや、いいよ。電車で帰るさ。神社にそんな車で乗り付けたら参拝客の邪魔になる」
分相応。庶民は庶民に相応しく、だ。
そう、俺はバリバリの庶民だ。
そんな庶民がセレブ達と幼馴染の理由は簡単。
うちが神社だからだ。
忍の祖父さんが理事長であり、俺らが在籍している樫木学園の敷地の一部は、元々うちの神社が所有していた土地だ。
この土地を気に入った忍の曽祖父が、俺の曽祖父を説得して譲り受けたそうだ。
神社に用意された代替地、すなわち今の神社の敷地は、面積は元の土地より狭いものの、日当たりも交通の便もよく、氏子の人たちも喜んだという。それ以降、家族ぐるみの付き合いだ。
また、悟の家系はいわゆる『地元の名士』で、代々うちの神社の氏子総代になっている。
今の総代は悟の祖父さんだ。
ついでにいうと悟の父親は忍の父親――現役国会議員――の後援会長だが、知り合ったきっかけはやはり神社絡みらしい。詳しいことは知らないが。
リムジンが走り去ったあと、俺は一人、駅に向かって歩き出した。
「………あれ?」
改札前で、定期がないことに気が付いた。
「あ、もしかしたら」
先程の『手伝い』で、中庭の片づけをした時、制服の上着を脱いだことを思い出す。
「………戻るか」
学校には新学期になるまで来る予定はないが、春休み中、出掛けるのに利用するつもりで、定期券は月末まで買ってある。
「送ってもらってたら気がつかなかったな」
その場合、来る予定のない学校に片道料金払ってやってくる羽目になったはずだ。
リムジンを断って正解だと一人納得しながら、俺は学園に戻っていった。
樫木学園。
幼稚園から、初等部、中等部、高等部までの一貫教育を行う私立学園だ。
今年創立50年。中等部と高等部には寮もある。
広大な敷地の中央に巨大な樫の木が立っている。
学園のシンボルツリーだ。
創立前からここに立つその木は、樹齢300年と言われており、高さは約20m。枝が四方に広がっている。
長く伸びた枝は垂れ下がり、地面につき、また上に向かって伸び、あるいは地を這うように横へ伸びている。
ファンタジー世界に出てくる樹木のようだ。
この木を維持することが、土地を譲る際、俺の曽祖父が出した唯一の条件だった。当時はご神木扱いだったと聞いている。
樫の木の傍らには、その経緯が書かれた立札があるため、俺は『あの樫の木の神社の人』とよく言われる。慣れたけどな。
木の周りにはテーブルとベンチが何組か置いてある。生徒たちの憩いと交流の場所だ。もっとも幼稚園や初等部には、ベンチより枝の方が魅力的だ。俺もよく登った。
「あ、あったあった」
ベンチの脇に見覚えのある定期入れを見つけた。上着のポケットに入れて、改めて周囲を見渡す。
いつも賑わう中庭が、シンとしている。
吹く風が気持ちいい。
何となく、もう少しこの雰囲気を味わいたくて、ベンチに座る。
目の前の樫の木を眺めていたその時、また、あの絵が脳裏に浮かんだ。
一人の女性の立ち姿。
一体、誰なんだろう、彼女は。
軽く目を閉じ、集中する。
長い栗色の髪をゆらめかせ、薄紫のドレスの上に黒いローブを着ている。
桜色の唇は微かに笑みを浮かべ、髪と同じ色の瞳が眼下の景色を見据えている。
何だろう。
何と言うか……胸が締め付けられる。
でも、何故だろう。嫌ではない。
むしろ、ずっと味わっていたいような……変な感じだ。
声が聞きたい。
その瞳をこちらに向けてほしい。
そこまで考えて、はっと目を開ける。
なんだ、この感情は……。
名前も知らない、会ったこともない女性に。
ふと思いついて、樫の木に近づく。
この木に触れれば、もっと何かが分かるような気がした。
直感のままに硬い幹に触れ、目を閉じる。
ふわっと風が吹き、今まで以上にリアルな映像が浮かんだ。
バルコニーの彼女が急に振り向いた。
「……レン……姫」
誰かの声が微かに聞こえる。
「………がお呼び………」
「父上が?」
彼女の声に、心臓が跳ねた。
もっと……もっと聴きたい。
こっちを見てほしい。
胸が甘くうずく。
………触れたい。
その艶やかな髪に。
細い指に。
……………
これは……
この感情は………
……一体………なんなんだ……?
「急ぎ……の間に……ください、セレンティア姫」
セレンティア………!?
瞬間、記憶があふれ出た。
セレンティア・ディートリット・ヴィクトリア。愛称セレン。
アグライア王国の王女にして魔導士。
魔導士王女。
そして
そして彼女は
実在しない
彼女は
ゲームのヒロインだ………。
タイトルは『プリンセスの国造り~愛しのあなたと理想の国を~』。通称『プリくに』。
ジャンルとしては乙女ゲームだが、実際は国づくりシミュレーションの要素が強い。
主人公セレンティアは、父王を手伝って、小国アグライアを発展させていく。
どんな国になるかで、攻略対象者の好感度が変わる。
国のレベルが一定以上になるとヒロインが女王あるいは王妃になって終わる。
ただし、凶作、他国からの侵略など、いくつかある強制イベントまでに、定められたパラメータが一定以上に達していないと、アグライアは滅んでしまい、ゲームオーバーになるのだ。
ゲームオーバーはあるが、ノーマルエンドはない。
誰ともくっつかない孤高の女王エンドが、ある意味ノーマルエンドかもしれないが、妹に言わせると、あれは一種の逆ハーエンドだ、とのことだった。
そう、ゲームのきっかけは妹だった。
「この乙ゲー、激ムズッ!! お兄ちゃん、こーゆーの得意だよね、手伝って!!」
どうしてもゲームオーバーになるらしい。
せがまれるままに全エンドクリア&スチルゲットをさせられた。
乙女ゲームとしてはどうかわからないが、国づくりシミュレーションとしては中々面白かったので、妹が別のゲームに夢中になった後も、時々プレイしていた。ヒロインのスチルが好みだった、というのもあるが………。
「…………なんだよ、これ」
がっくりと、その場に座り込んだ。
ゲームのヒロインに惚れるとか、危ないにもほどがある。
「………帰るか」
ノロノロと立ち上がると、樫の木を背に校門に向かって歩き出して………
ギクリ、と、足が止まった。
そうだ。
何故、気が付かなかった?
いないじゃないか。
俺に、妹なんて。
茫然と立ち尽くす。
俺は一人っ子だ。
なら、さっきの記憶は……何なんだ?
慌ててスマホを取り出し、『プリくに』を検索してみる。
「………ない」
該当するゲームは、なかった。
過去に発売されたものだとしても、丸っきり検索に引っかからないなんてあり得ない。
「マジかよ………」
つまりこの世界には、今に至るまでそういうゲームは存在しないということで………。
これはもう、既視感とか未視感じゃない。
「下手したら『前世』ですら………ない?」
だとしたら………
「一体………何なんだ………?」
…………
…………
まぁ、いい。
これ以上、ここにいても仕方ない。
止まった足を動かしたその時。
目の前の地面がいきなり消えた。
「………!」
俺は声を上げる間もなく落ちていった。