1. 【Side.セレン】 夢か記憶か
「異界の『記憶』かもしれませんね」
私の話を一通り聞き終った老師は、そう言って紅茶を一口飲みました。
「明らかに『時空覗き』とは違います」
『時空覗き』とは、異界の様子を覗き見ることのできる力です。
この能力がないと召喚術が使えません。
いえ、使ってはいけないことになっています。
理由は簡単。何を召喚してしまうかわからないから。
「『時空覗き』は、視覚だけ、ですよね」
「いえ、力のある者なら、音までは何とか」
それは知りませんでした。
「ですが、姫の『夢』は、味覚や触覚まで、あるのですよね?」
「はい」
最初は『夢』だと思いました。
見たことのない景色。
見たことのない人々。
なのになぜか覚えがあって。
あまりにも頻繁に見るので『時空覗き』の力が芽生えたのかと、上司に確認してもらいましたが、結果は『否』でした。
それでは一体何なのだろうと訝っているうちに、『夢』はどんどん鮮明になりました。
そして今朝は。
聞いたことのない音楽を聴きながら、見たことのない料理を食べる夢でした。
起きた時に、食感と味が舌先に残っていました。
料理の才があれば再現できるのではないかと思うくらいに。
上司に事情を説明し、引退した賢者にして私の魔道の師である老師のところにやってきたのが2時間前。
私の話を聞いて老師が出した結論が
「異界の記憶………ですか?」
「前世の記憶、と言ってもいいです」
「………老師は転生を信じておられるのですか?」
「あるという証拠もないという証拠もありません。だったら、あった方が楽しいじゃないですか」
「楽しいとかそういう問題でしょうか……」
「良いではありませんか。実害はないでしょう?」
「それはそうですが」
「姫の前世は異界人だったのですね」
「……面白がってますね、お師匠様」
「はい」
そうです、こういう人でした。
ニコニコと笑う恩師を前に、私は深くため息をつきました。
セレンティア・ディートリット・ヴィクトリア。
愛称セレン。16歳。
ここアグライア王国を治めるヴィクトリア王家の末子。
それが『今の』私。
5歳年上の兄と、2歳年上の姉がいます。
末っ子の私は本来、王宮で育てられるはずでしたが、何の因果か7歳の時、魔導の素質があることが判明しました。
魔導の素質を持つ者は、例外なく魔導士になることが定められています。
ですので、以後、老師の下で修業することになったのです。
老師は、呼び方こそ『姫』でしたが、その扱いは全く『姫』じゃありませんでした。
厳しい修行でしたが不満はありません。
王宮での姫教育よりも、ずっと私に向いていたと思います。
「ただいま戻りました」
魔道省に戻ると、帰還の報告をするため、上司の研究室兼執務室へ向かいました。
「老師は何と言っていた?」
書類を捲る手を休め、聞いてきたのは私の上司『上級魔導士』ルード・ゴラン。
同じ老師に学んだ修業仲間です。年齢も一緒。
なのに私は未だ『魔導士』。
あっちは『上級魔導士』。
さらには何故か直属の上司。
元の素質が違うから仕方ないのですが。
でも、結界の能力だけは私の方が上なんですよ!
ちょっと自慢!
……ルードには、お前は戦闘に出ないで大人しく籠ってろってことだと、鼻で笑われましたけど。
「ちょっと言いにくいんですが」
「言え」
はい、こういう人です。
「前世の記憶だそうです」
「…………は?」
わ、珍しい。
ルードの呆気にとられた顔なんていう滅多に見られないものを拝ませていただきました。
老師、流石です。
「お前、前世は異界人だったのか」
「らしいですねーー」
「棒読みだな」
「実感ないですから。あれが『前世の記憶』と言われましても……」
「しかし『時空覗き』よりは納得できる?」
「のは確かですが」
「じゃ、そうなんだろう」
そういって書類に目を落とします。
新たな『力』ではないと知って、どうやら興味を失ったようですが、
「……どうせなら、もう少し役に立つ『記憶』だったら良かったわ」
「思い出せ」
「は?」
「役に立つ記憶を思い出せと言っている」
「はぁ………」
どうやら私の呟きで、有益かもしれないと思い直した模様です。
「思い出したらすぐ報告しろ」
「………承知しました」
思い出したら、ですけどね。
溜まっていた仕事を片付けていたら、お昼になりました。
王宮内の大食堂に向かいます。
ここは王宮に勤める者なら誰でも利用できます。
もちろん、王族が利用する食堂は別にあります。
出てくる料理のグレードも違います。
でも、全くもって気になりません。
最初のうちは侍従長が、
内廷の食堂をご利用ください! と、口やかましく言っていましたが、
昼食の時間がいつになるかなんてその時にならないとわからない。
皆と違う時間に自分のためだけの食事を用意させるなんて非効率もいいところ。
大体、私は魔道省勤めの魔導士だから使う権利がある
等々、その都度反論したおかげか、最近はすっかり諦めています。継続は力です。
「姫!」
おばちゃんおすすめの日替わり定食を手に、座るところを探していると、声をかけられました。
振り向くと、3人の男性が4人掛けのテーブルについています。
「オジリス? メルクとケビンも?」
声をかけてきたオジリスは、王宮に仕える医師団の一人で32歳。
白衣がずいぶんくたびれています。
また、当直だったのかしら。
独身だからよく押し付けられるんだと言ってましたっけ。
「よろしければどうぞ」
オジリスは空いているイスを引いてくれました。
「珍しい組み合わせね」
「偶然です」
片眼鏡を光らせながら、冷やかに答えたのはメルクです。
宰相の息子で兄上と同じ21歳。
今は宰相の補佐を行いながら、政務のあれこれを学んでいるらしいです。
将来、兄上のよき片腕になると言われています。
「では、相席させてもらいますね」
「はい! 光栄です!」
少し上気した顔で返答したのはケビン。
2週間前に、近衛騎士団の見習いになったばかりの12歳。
制服が初々しいです。
正直、助かりました。
こちらが気にしてなくても、『姫』と同席するのは恐れ多いとか思う方は意外と多いのです。
逆に、これを機会に王族と懇意に! ついでにお願い事を! という下心満載の輩もいたりするので、座る場所はいつも結構気を使うのです。
「朝早く出られたようですが、どちらへ?」
座った途端、メルクの質問が飛んできました。
本人は普通にしゃべっているつもりなのでしょうけど、詰問されている気分になります。
もう慣れましたが。
「何故、出かけたことを知ってるの?」
「馬車が王宮を出るのを見ました」
ああ、そういうことですか。
「老師のところよ。ルードの許可はちゃんと取っているわ」
「老師のところに? 何か問題が?」
「個人的な相談ごと。政務とは関係ないわ」
暗にメルクには無関係と告げたら
「個人的?」
今度はオジリスが食いついてきました。
「体調不良とか魔力酔いとかそういうことでもないから大丈夫」
「では、何かご心配なこととか、悩み事とかでしょうか?」
とケビン。
顔全体に『心配です』と書いてあります。わかりやすい子です
「悩みというか……。まぁ、悩み事には違いありませんが……」
「失礼ですが、それは老師のところへ行ったことで解決されましたか?」
「………されてません」
メルクの問いに正直に答えると
「よかったら、教えていただけますか? 医学的なことでなくても、何かアドバイスできるかもしれませんから、ね?」
「ぜひ、お聞かせください。姫様のお力になれるかどうかわかりませんが!」
オジリスとケビンに促され、多少迷いながらも、私は『理由』を説明しました――
「……………」
説明を終えましたが、三人とも無言です。
うーん、やはり信じられませんよね……?
「あの、とりあえず忘れてくれると嬉し」
「無理です」
メルク即答。オジリスとケビンも頷く。
「アルに………殿下にこのことは?」
アルは兄上アルファルドの愛称です。
蛇足ながら、兄上はメルクのことを『メル』と呼びます。
メルクは女みたいだからやめろと嫌がってますがやめません。
多分わざとだと思います。
「言ってません。兄上だけでなく、父上にも母上にも姉上にも話してません」
言うほどの事ではないですしね。なのに
「………僕、うれしいです」
はい?
なんか、感動している坊やがいますよ?
「ご家族にもお話しされていないことを僕にお話ししてくださったんですね」
「いや、『僕』じゃなくて『僕たち』だよね、そこ」
オジリスが苦笑しつつ指摘します。
「姫は、たかが夢と思っていらしたのでしょう? であれば、お忙しい陛下方に、お話しするはずもない」
冷静な突込みありがとうございます。
そのとおりです、メルクさん。
「それに、老師のいうように、特に実害はないようだし………ね?」
食後のお茶を飲みながらオジリスが……って、食べるの早ッ!
「そうですね。ルードの言う通り、役に立つ知識を思い出していただけるなら、むしろ有難い」
と、メルク。
「難しいと思いますが……」
なんだかよくわからない仕掛けとかあった気もしますが、どんな仕組みなのか、全くわかりません。
そう言うとメルクは
「それでもかまいません」
と断言しました。
「仕組みはわからなくとも、どういう用途で、どんな動きをするか、だけでも、技術省の者には重大なヒントになります」
「そういうものですか?」
「はい」
「そうですか………。なら、ちょっと真剣に思い出すように頑張ってみます」
「お願いいたします。あと、このことはアルファルド殿下にお話ししておきますので」
「………はい」
お話ししてよろしいですか? じゃなくて、お話ししておきます、なのね。確定なのね。
別に隠すつもりはないからいいですけど。
とりあえずおばちゃんおすすめの日替わり定食は今日もおいしかったです。
ごちそうさまでした。
自分の研究室に戻ると、机上に新しい申請書が提出されていました。
内容を読んで眉をひそめます。
それを手にしたまま研究室を出ると、申請者がいるであろう場所に向かいました。
「マリ! マリティアーナ・シルバード!」
「はい!」
元気よく返事したのは5か月前の試験で『魔術師』になったばかりの12歳の女の子。
亜麻色の髪をなびかせ、青い瞳をキラキラさせている素直で可愛いらしい子なのですが………。
「これは却下」
意気揚々と近づいてきた彼女の目の前に、申請書を突きつけます。
「え、えええ~~~!? 何でですか!?」
「それは私のセリフです。何故指摘した個所を直さず、前のまま申請してくるのです?」
申請書は、実験室の使用許可願いです。
『魔術師』から『魔導士』になると自分の研究室兼執務室が与えられますが、それまでは共同部屋です。
机上の研究だけなら共同部屋で十分ですが、大がかりな実験を行う場合は、事前に許可を得て実験室を使用することになります。
当然、申請書には、どんな手順でどんな実験を行うのかを詳細に書かなければならないのですが………
「前にも言ったとおり、『召喚術の実験』だけでは許可できません。もっと詳細に記載しなさい。これじゃ判断できないわ」
「………………」
「大体、あなたは『時空覗き』の力がほとんどないでしょう?」
「ですからそれは、協力してもらって……」
「誰に? 協力者の名前も書きなさいって、言いましたよね?」
「えーとそれは………」
「とにかく、これは却下」
目の前で申請書をビリッと裂いて、彼女の手に押し付けます。
厳しいようですが、実はこれで3度目なのです。
「ねえマリ、あなた本当は何をしたいの?」
「………え?」
「本当にやりたいことは『召喚術の実験』ではないのでしょう? だからこの申請書に書くことができない。違って?」
「…………」
「話してくれなければ協力してあげることもできないわ。あなたの本当の」
「すみません、二の姫様、次はちゃんと書いてきますから!」
話を途中で断ち切って、マリは駆けていってしまいました。
「…………」
去っていく彼女の中で、何らかの感情が渦巻いているのを感じながらも、私はこれ以上どうすることもできず、そのまま彼女を見送るしかありませんでした。
「後輩指導も大変だね、魔導士王女?」
いきなりかけられた声にびっくりして振り向くと、そこに、柱に寄りかかって微笑んでいる青年がいました。
どうやら、一部始終を見られていたようです。
「カル兄さ……じゃなくて、カルロス大佐。お見苦しいところをお見せしてしまって申し訳ありません」
彼の名はカルロス・リンド・ゴドウィン。19歳。
私の従兄でゴドウィン公爵家の跡取りにして近江騎士団の大佐であり、かつ、姉上の婚約者です。
「カル兄様でいいよ。じき、本当に義兄妹になるし?」
二人の結婚式は半年後です。
「今日も打ち合わせ? お疲れ様です」
お許しが出たので、魔導士バージョンから従妹バージョンに切り替えます。
「ああ。こういうのって、結構色々、手間がかかるものだね」
「それもまた楽しいって、姉上はおっしゃってましたけど?」
「うん、シアは楽しそうだよ。だからまぁ、我慢してるんだけど」
『シア』は、姉上グレイシアの愛称です。
「今日は確か、ウェデングドレスの最初の打ち合わせでしたっけ?」
姉上と母上が、妙にはしゃいでいました。
「………うん」
二人の様子を思い出したのでしょう。
げんなりした様子でカル兄様は深くため息をつきました。
「ドレスなんて、何でもいいのに」
「それ、姉上に言わない方が良いですよ?」
「そうか? シアは何を着たって綺麗なんだから、何でもいいと思うけど」
「………ハイハイ、ゴチソウサマデス」
「それより、セレンは?」
「はい?」
「シアが心配してたよ。まさかいつもの格好で参列するつもりじゃないかしらって」
「………いけませんか?」
『いつもの格好』は、魔導士の象徴である黒のフード付きローブのこと。
内側に沢山のポケットがついていて、魔道に使うあれやこれやを仕舞っておくのに大変便利です。
私のは、襟と袖に金色の線が2本入っています。
ちなみにこの線の数は、階級です。
線なしは見習い。
1本は魔術師。
2本は魔導士。
3本は上級魔導士。
4本が賢者。
魔導士は、このローブさえ着ていれば、その下に何を着ていようとも正装になります。
というか、ローブの前を止めてしまえば、下に何を着ていてもわかりません。
私は、公の場ではローブの下に、王女・王子にのみ許される薄紫色のドレスを着ます。
魔導士王女と呼ばれる身としては、問題ないと思いますが……。
「『王女』として参加しなさいっていうことでしょうか」
「というより、シアは多分、君に普通のドレスを着てほしいんだと思うよ?」
「………キツイから嫌です」
ローブの下に着るのは、コルセット不要のゆったりしたドレスです。どうせ分かりませんから。
でも、『普通の』王女としてのドレスはそうはいきません。
「それ、シアに言わないとね」
「聞いてくれないですよ、多分………」
「だろうねぇ。でもその1か月前には君の誕生パーティーもあるんだし、どのみち作らされるんじゃないかな?」
はい、私の17歳の誕生日は5か月後です。
二人の結婚式の1か月前です。
誕生パーティーもできれば無視したいのですが、流石にそれは無理なので諦めてます。
「下手したら2着つくる羽目になるかもね。ま、頑張って」
「……カル兄様、それを言いにわざわざここへ?」
「まさか。イムリス様にちょっと用があってね。取次ぎ、頼めるかな?」
「少々お待ちください」
現在、王宮に勤める賢者は3名。
イムリス様はその中で唯一の女性で、カル兄様のお婆さまの妹君。
それでも勝手に押しかけるわけにはいかないお方です。緊急時は別ですが。
『風』を操りイムリス様の居場所を確認します。
運よく研究室にいらっしゃいました。
『イムリス様、カルロス大佐がいらしてます。お通ししてもよろしいでしょうか?』
『おや、何の用だか。構わないよ、こっちに来るよう、言っておくれ』
遠話で了解をいただくと、カル兄様にその旨を伝えます。
カル兄様は、礼を言うとイムリス様の研究室へと向かっていきました。
自分の研究室に戻ると、今度は机上に薬の瓶が置いてありました。
「……? ルードから?」
添えてあった置手紙によると、この薬は、忘れてしまった記憶を呼び起こす作用があるらしいです。
「つまり、これを飲んで『役に立つ』記憶を思い出せってわけですね」
成分表と注意書きを確認します。
「あら……この配合、面白い。ルードが作ったのかしら。服用は就寝前、ですね」
独り言ちながら、残っていた仕事に取り掛かります。もう少し片付けておかないと。
今日の夕食も大食堂にしましょう。
下手に内廷で食べたら、母上や姉上とドレスコードで一悶着起こしそうですから。
で、この薬飲んで寝ましょう。
メルクにも頑張るって言っちゃいましたし。
「何か思い出せると良いのですが………」
薬瓶を持ち上げると、中で薄茶色の液体がチャプン、と揺れました。