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ノック

作者: 蒼原悠



 コンコン。


 ドアが叩かれたような音が響いたのは、春先のある日の、夜中のことだっただろうか。


 こんな夜に、誰かが?

 寝ぼけ眼をこすりながら、ベッドから起き上がって私はドアを開けた。

 そこには、誰もいなかった。無機質なコンクリートの廊下が、ずっと先まで延々と続いている。

「…………?」

 なんだろう。イタズラのつもりで、ピンポンダッシュでもした不届き者がいたのかな。

 不審に思いつつも、私は部屋の中に戻った。そりゃあ、ピンポンダッシュそのものは不快な話だけど、そこまで迷惑をこうむった訳じゃないし。深追いしようなんて思いもしなかったんだ。




 次の日。


 コンコン。


 今度は朝一番に、あの音が鳴った。

 二回続けてドアをノックする音。本を読んでいた私は、今度も何の違和感も抱かずにドアのところへ歩いていって、開いた。

 またもそこに、人影はなかった。

「…………」

 何なのよ、もう。二日連続でイタズラってわけ? てか、誰がやったの?

 念のためにと廊下を覗いた。長い廊下にはところどころの窓と蛍光灯から光が差し込んで、明暗の繰り返される床に人の形の影は落ちていない。

 不審というよりも不思議に思いながら、私はまたドアを閉めたのだった。


 その五分後、またしてもノック音に導かれてドアを開け、そこが無人であることを再び確かめることになるだなんて、想像だにせずに。




   ◆




 大学通学時、奨学金をもらって生活する貧乏学生だった私にとって、家賃節約のために学生寮に入ることは当たり前の選択肢の一つだった。

 大学から自転車で三十分の場所に、その寮はあった。周囲にお店はないし大学からも遠いし、何よりも設備が絶望的に悪い。そして、汚い。そんな有り様だったので、家賃はウソみたいに安かった。

 もっとも、いくら寮が汚くたって、寮にはほとんど寝に帰るだけの私には何の関係もなかった。朝と昼は学食で、夜はバイト先のお店のまかないで食べていたから、台所には手を触れたこともない。壊れて脱水のできない洗濯機は、天気のいい休日にまとめて回すから問題ない。時間がなくてシャワーしか浴びないから、湯槽の汚れだって気にはならない。私にとってこの寮は、十分に寝床としての環境を整えていたわけだ。

 そんなわけで、私は今のこの寮が気に入っていた。よほど不人気だったのか、他の入寮仲間はみんな退寮してしまったけれど。




 ある日、ある時、何の前触れもなしにドアがノックされる。出てみれば、そこには誰もいない。

 そんなことが、一週間も続いた。


 さすがの私も、もう不思議とかでは片付けていられなくなってきた。

 だって薄気味悪いじゃない。入寮生は私だけだから、余所者の侵入を禁じているこの寮内に私以外の人がいるはずがないんだもの。誰かがドアをノックするなんて、有り得ないはずなんだ。

 薄気味悪さを解消すべく、私は考えた。そして家電量販店で録音機を買ってきて、部屋に設置することにした。

 言うまでもなく、目的は犯人の特定だ。ノック音のしている時間帯が判明すれば、寮の入り口の防犯カメラを管理人室で閲覧させてもらうことで犯人が分かるかもしれない。そう考えて、私が大学に行っている間のドア付近の音を、全て録音させようとしたのだった。




 その結果は、とてもにわかには信じられないものだった。

 私が寮を離れていた十数時間もの間、ノック音はほとんど一時間に三回ほどのペースで鳴り続けていたんだ。

 これが本当にノック音なんだとしたら、その執念の強さにぞっとする……。この音の主は、そこまでして私に会っていったい何をする気なの? いや、それ以前にどうして、私が顔を出すといつも姿をくらますの?

 イヤホンを恐る恐る外した私は、再生を止めて録音機をパソコンから引き抜いた。暗くなったパソコンの画面に、蒼褪(あおざ)めた私の顔が大きく映っていた。

 直後。


 コンコン。


 あの音が、狭い自室に響き渡った。

「誰!?」

 私は大声で叫んでいた。叫びながら、ドアに駆け寄って思いっきり引き開けた。

 ばたんとドアの跳ねた音が、長い長い廊下に遠くこだました。当然、そこに人影はない。

「誰なのよ!?」

 負けるもんか。薄暗い廊下に向かって、私は怒鳴った。

「私に用があるの? そうじゃないの? そうじゃないならもう叩かないでよ! 私を呼び出さないでよ!!」


 コンクリート色も顕な廊下の壁へ、床へ、私の声は呆気なく吸い込まれていった。




   ◆




 翌日。大学で私の悩みを聞いてくれた友達は、開口一番こう言い放った。

「その寮、なんかヤバいモノでも()いてるんじゃないの?」

 憑いてる、って。唖然とする私を前に、友達は声を潜めた。

「詳しくは私も知らないけど、あんたの住んでる寮って色々といわくがあるらしいよ。ユーレイか何かがあんたの部屋のドア、ノックしてるんじゃない?」

「そんなまさか、非科学的な……」

「だってそうじゃん。大体さ、そんなウワサでもなかったら、いくら条件が悪いからって低価格が売りの寮から入寮生が消えたりするはずがないでしょ?」

 確かに、その通りではあるのかもしれない。考えてみれば私、どうして他の人たちがあの寮を立ち去ったのか、誰からも聞いたことがない。

 でも、だからって幽霊とやらが実在する確証があるわけでもない。

「お祓いでも頼んでみたら?」

 友達はあくまで他人事だった。もやもやした疑問を解消できないまま、私はまた今夜も、あの寮に帰ることになった。




 自分の寮に、幽霊か……。

 帰る道すがら、私は密かにため息を漏らした。

 信じたくはなかった。だってあの寮、ボロくて汚くて使い勝手が悪いことには違いないけど、私にとって十分な住み処であることに変わりはないんだもの。私だってそれなりに、あの寮に愛着を感じていたんだもの。幽霊は怖いけど、できるなら出ていきたくないよ。

 でもそんな私の思いも空しく、部屋に入ったわずか三秒後、背後からあの音がした。


 コンコン。


「…………」

 黙って私はドアを引き開けた。

 そこに人の気配はなかった。ただ、引き開けるのに使ったエネルギーの残像だけが、ドアノブの描いた軌跡の上をゆったりと漂っていた。

 悲しくなって、泣きたくなって、私はまたドアをそっと閉めた。




 もしも本当に、幽霊なのだとしたら?


 私は何か、幽霊の興味を引くようなことをしてしまっていたの?




 布団を頭からかぶっても、眠れなかった。

 ドアがノックされるたび、全身の鳥肌が立った。ドアを開けることはおろか、目の前に立つのも今は怖くて、私はずっと布団にくるまって本を読んでいた。


 どれくらい経っただろう。ふと、喉の乾きを感じて、私は身体を起こした。

 冷蔵庫に飲み物がない。ああ、最悪だ。台所に水を汲みに行くしかないか……。

 ドアを見た。もうかれこれ一時間近く、ノック音はしていない。

 急いで通過すれば、恐怖も誤魔化せるだろうか?

 自分に尋ねると、答えはすぐに返ってきた。よし。ごくりと息を呑み、ドアノブにまた手をかける。それから思い切って、開いた。

 しめた。外には誰もいない。普段と同じ静寂をたたえた灰色の廊下が、そこには横たわっている。駆け足で私は、廊下のすぐ向かい側の台所のドアを開けた。

 廊下に料理の匂いが充満するのを嫌がった人がいたとかで、この寮の台所にはドアがついている。コップを手に握って、シンクの栓を捻った。透明の水が流れ込む様を眺めていたら、冷たい水を口に含んだら、少しずつ早鐘のようだった拍動も落ち着いてきたような気がする。

 はぁ。私、何してんだろ……。

 情けなくなったその瞬間、右から聞こえた音に私は凍り付いた。


 コンコン。

 

 なんで。

 なんでここでも、あの音がするの。


 右を向くと、開け放っていたはずの台所のドアが閉まっていた。

 それだけでもう、私の小さな心臓は縮み上がっていた。それでも覚悟を決めて、ドアを開けてみた。

 もう何度、この展開を繰り返しただろうか。廊下には誰もいない。

「もう、嫌……」

 口からこぼれた本音を拾うこともしないで、私はドアを閉めた。それはもう、何気なく。何も考えずに。


 コンコン。


 ドアが閉じた途端、そんな音をドアが立てた。


 あれ、と思った。今の音だ。今日まで私がノック音だと感じていたものと、今の音は全く同じ響きだった。

 だけど、なんで……?

 試しにドアを何回か開閉させてみた。閉まるたびにドアは『コンコン』と音を上げて、それは私の予感を確信へと徐々に仕立て上げてゆく。

 どうやらこのドア、立て付けが悪いみたいだ。ドア枠と若干のずれが生じているようで、閉める時に枠とドアが接触して、閉まる時のものと相まって『コンコン』というノックのような音が発生している。

 まさか、今の今まで私はこの音を、ノック音だと勘違いしていたんじゃ……。

 だけど私、一度もこの台所を使ったことはないのに。誰がこのドアを閉めて音を立てていたの? ──そんな疑問が浮かんだけれど、すぐに解決した。台所の奥の窓が網戸の状態になっていて、そこから風が出入りしていたんだ。きっと他にも風の出入り口があって、風圧の都合でドアが勝手に閉まっていたのに違いない。


 ……なぁんだ。

 たったそれだけのことだったのか。


 へなへなと床に座り込んで、私は苦笑した。

 ただの自然現象じゃない、びっくりして損したよ。だいたい何がユーレイよ。そんなのやっぱりいないのよ。

 幽霊の正体見たり枯れ尾花、よね。これで今夜は、久々に枕を高くして眠れそうだ。安堵が身体を動かす力に変わって、鼻唄を歌いながら私は部屋に戻った。 また背後からノック音が聞こえたけれど、もう怖くなんてないものね。

 布団の中はまだ温もりが残っていて、潜り込むとすぐに私は、眠りの淵へと落ち込んでいった。











 後日、ふと考え直した私が即刻退寮の手続きを済ませ、足早にあの寮を後にしたことは、言うまでもない。




 これは、リノベーション工事を予定していたはずが急遽、跡形もなく取り壊されてしまい、ちょっと大袈裟なんじゃないかと思えるほど大々的に地鎮祭が行われて、今は新しいマンションが建設されてしまった、かつてここにあったあの寮の、私の中の最後の記憶だ。







お読みいただき、ありがとうございました!

作者の蒼旗悠です。


久しぶりにホラーを書いてみたのですが、ちゃんと怖かったでしょうか。←

本作はいわゆる『意味が分かると怖い話』です。……とは言え、作者はホラー執筆が超絶苦手人間なので、お読みになられた方はすぐにおかしい点がお分かりになったとは思いますが。








では、そんなホラー執筆苦手作者が、どうして本作を急に書いたのかというと。











…………。










……この小説がある程度、実話に基づいているからなんですね。






蒼旗悠

2016/4/16

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[良い点]  文章がとても丁寧で読みやすかったです。  設定もしっかりと作られていて状況が頭に浮かんで来ました。 [一言]  面白かったです。  ネタバレしない様に余計な事は書きませんが、オチを明かさ…
[一言] 意味が分かると怖い話なのに意味が分かりませんでした(^^;; もう一回読んで考えます……。 本編も怖かったですけど、それよりもあとがきの最後の一言の方が怖かったです。 夜読んでたら多分寝れ…
[良い点] 本気で怖かったです。 刹那の高校は古い高校だったので、入学してすぐ、小体育館と呼ばれていた建物が取り壊されました。 そこは、いつもひんやりしていて涼しいと言うよりも、鳥肌に二の腕をさする感…
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