俺とあいつの昔の話
冬コミ合同誌に出したのをなんか出したくなったので出しました
「そーいや父さん。父さんと母さんって、どうやって付き合い始めたんだ?つうか何で母さんが父さんと結婚してんの?もう三十路後半だっていうのに二十代後半くらいに見えるようなめっちゃ美人さんなのにさ。 逆に父さんはあんまカッコよくないし、だいたい中の上ってとこじゃん?」
ある日、家でのんびりと寝転がって休日を謳歌していると、息子から唐突にそんなことを言われた。
俺としては、そろそろ聞かれるだろうと、そう思っていたので、全く問題はなかった。
自分の中でまとめて置いたのだ。
なにせ、息子ももう高校一年生。むしろ今まで一度も聞いてこなかったことの方が驚きだった。
ただ、これを話すときは理央もいなくてはいけないと、そう約束しているので、理央が買い物に行っている現在、勝手に話すことはできないのだ。
だが俺としては、理央がいないうちにこっそりと話してやりたいのだ。
理央がいると、絶対にところどころで
「
話しちゃだめっ!」
てな具合で理央にとって恥ずかしいところは全部飛ばすことになってしまうだろうと、簡単に予想できるからだ。やはりせっかく話すのであるなら、理央の恥ずかしいとこも含めて全部話したいのだ。
・・・・・本音を言うと、俺が息子に自慢してやりたいだけであるのだが。こういう場でもなければ、鬱陶しがってきいてくれないであろうからな。
・・・・よし、話そう!理央に言わないようにしっかり言い含めておけば大丈夫だろう。
そう考えると、俺は息子に、どうやってあんな明らかに格上な理央と付き合うようになれたのかについてを話し始めるのだった。
「あれは、俺が入社八年目、二十八歳になったときのことだ。その年、高卒の新社員として、当時十八歳だった理央の教師役になったのがきっかけだった」
そう話を切り出すと、昔を思い出しながら語り始めた。
「あのー、先輩。ここ、どうやって処理するんですか?」
呼びかけられそちらを向くと、今年の春に高卒で入社し、現在俺が面倒を見ている後輩、本山理央がいた。
身長百七十センチていどと、日本男性の平均くらいの大きさの俺が少し見下ろした位置に理央の頭があった。理央は、身長が百六十前半くらいの身長しかなく、また、童顔でもあったので中学生に間違えられそうな外見をしていた。というかたまに誤解されることがあるらしいが。
そう思いながら、理央に説明してやる。
「ここはこうで・・・・。あ、そこはちがう。・・・・そうそうそんな感じで・・」
あまり使い慣れていないことが簡単に分かってしまうようなおぼつかないタイピングながら必死に書類を作っている姿には、とても感心させられている。こう思っているのは俺だけではなく、同期のやつや上司も理央のことを評価している。それに加えてこんあ容姿をしているので、早くも会社のマスコットになっていた。
俺としても、教えている相手が真剣にやって結果を出しているのは嬉しい。
ただ、やたら俺の後をついて来るのだけはよくわからない。多分、雛の刷り込みみたいなもんで、最初に理央に教えたのが俺だったからついてきているのだろうが。
こして理央に業務を教えたり自分の分をやったりしていると、チャイムの音が聞こえた。
「おっ、今日はこれで終わりかぁ……。ん、うーーん」
ちょうどやっていた仕事が終わったので、伸びを一回すると、机の上に広げていた書類をさっさとしまうと立ち上がった。そうしてそのまま自宅に帰ろうとした俺であったが、くいっとスーツの裾を引かれ立ち止まった。
はて、なんだろうか?とそちらを見てみると、何故か上目遣いでこちらを見ている理央と目があった。何とはなしに視線を固定していると、理央も俺の目をじーっと見てきた。
「な、なんだ。どうかしたのか梨央。裾引っぱたりして」
「あ、あの、藤崎先輩!こ、これから一緒にご飯行きませんか!?」
やけに勢い込んで言ってきたわりには、意外と普通なことで驚いてしまったが、別段この後に彼女と会うとかそういった予定があるわけでもないので―彼女いない歴=年齢というわけではない―ありがたく梨央の申し出を受けることにした。なんだかんだ言って、梨央と二人で飯を食いに行ったりどこかに行くなんてこと、いまだに一度もなかったので、せっかくなので部下とコミュニケーションをとっておきたいという理由もあったりした。
そういうことで理央の申し出を受けることにした。
「んじゃあ、俺は先にロビー行ってるわ。のんびり待ってるからしっかり終わらせてから来いよ」
後ろ手に手を振りながら出ていく俺に、理央は、これまた律義に
「はい!すぐに終わらせます!」
などと言ってきた。
・・・・・・・・俺、ゆっくりやっていいぞって意味で言ったつもりなんだがなぁ。まあ、理央っぽいっちゃぽいんだがな。
そうしてロビーでブラックコーヒーを飲みながら待っていると、階段から理央が駆け下りてきた。予想していた通りな行動をとってくれたことに苦笑しながら歩み寄る。そして、そのまま、頭にとうっとチョップを食らわせた。
「ひわぁっ!?」
「全く。俺の言葉聞いてなかったのか、お前は。のんびり待てるっつたろうが。
まだコーヒー飲み終わってねーしなぁ。それに、階段は走って降りるな。危ないだろうが」
少し言いすぎたのか、まるで捨てられた犬のようにシュンとしていた。すぐに励ましてあげたいところではあるが、一応注意をした手前慰めは出来なかった。なので俺は、なにも言わずに理央の手を取り引っ張っていった。
「えっ?えっ?ふ、藤崎先輩!?」
なんて、理央の動揺している声が聞こえたが無視してさっさとビルから出て行った。俺も、なれないキザなことをして、少しばかり恥ずかしかったのだ。とりあえず外に出てみたのはいいが、そういえば、俺は今日どこに行くのかを知らなかったことを思い出した。理央に聞いてみようと振り返ってみれば、何故か顔を真っ赤にしていた。
「どーした、熱か?しんどいならやめとくか?」
「あ、いえ!だ、大丈夫です!さ、さあ行きましょうそうしましょう!」
急な話題転換に違和感を感じたが、まあいいかと思うと、大人しく理央に連れて行かれることにした。
そのまま流れに身を任せて連れて行かれついた先の店は、焼肉屋だった。とはいってもいわゆるチェーン店のようなものでは内容で、初めて見る店名だった。しかも微妙にわかりにくい場所にあって、よく見つけたなぁ、と少し感心するような店であった。理央は、やけに手馴れた様子で、さっさと店の中へ入っていった。きっと、常連なのだろうなとそう思いながら理央が入っていった店に入っていった。
店の中は、思っていたよりも混んでいて、ガヤガヤとしていた。といっても、理央が
「7時に来るって言ってたんだけど、席空いてるー?」
と言うと開けていてもらえたらしく、さっさと席に着くことができた。・・・・・・・・・・・入口のところに貼ってあった『予約はできません』の張り紙はなんのために貼ったんだ?いやまあそれでさっさと席につけるんだから、俺はいいんだけどさ。
「あ、先輩、こっちですよ。ここの席です」
空けておいてもらっていたらしい席は、二人がけの席だった。先に座っていた理央に言われるがまま対面に座った。何故かこっちをじーっと見てきている。
「おい、そんな見つめられても困るんだが。というか見つめられるなら野郎じゃなくて可愛い女の子がいい」
「あ、す、すみません!え、えっと、それじゃ注文しましょうか!?」
「ああ。んー、とりあえず俺はせせりと軟骨、タン塩、それとビールだな。理央は何頼むんだ?」
「僕は、そうですね・・・。カルビとロースにします。っと、ちょうどいいところに。注文おねがいします」
理央がタイミングよく通りかかった店員に注文をしているのを横目でみながら、店の中で放送されているニュースを見ると、なにやら特集が組まれていた。タイトルは『TS法施行30年~これまでとこれから~』とかいうのだった。ちなみにTS法とは、50年ほど前から現れ始めた、10代前半から20代前半までの人で100000人に1人程度の割合で発症する急性性転換病というものが確認されたおかげでできたものだ。確認された当初こそは大混乱していたらしいが、ホルモンの異常であるとわかると緩やかに収まっていったらしい。このらしいというのは、俺が物心着く頃にはメジャーなものになっていたからだ。と、そんなことをかんがえながらぼーっとテレビを見ていると、肉が届いた。
「おーし、久しぶりの焼肉だ、じゃんじゃん食ってくかぁ!今日はせっかくだ、俺がおごってやるから理央も食えよ!」
「あ、ありがとうございます!」
そうして話しながら箸を進めていくと、ふと、理央がチラチラと俺のビールを見ているのに気づいた。・・・ふむ、どうやら飲みたいらしい。まあ、理央ももう19だし、家も近いはずだし、飲ましてやるか。そう考えると、俺は思い立ったが吉日とばかりに、ビールを理央に渡してやった。
「ほい、ビールだ。飲みたいんだろ?まあ、今日は無礼講ってことで、半分くらいしか余ってねえが、やるよ」
「え、いえ!べ、別に飲みたいわけじゃないんですよ!ま、まあでも先輩が飲めって言うなら飲みますけどね!」
「おう、飲め飲め!この程度の量ならどんなに弱くても一気しなけりゃ大丈夫だろうしな。って、おい!理央何一気してんだよ!?だ、だいじょうぶか?」
「ひっく。だいひょうぶれすよー先輩ー。僕はよってまへんれすよー」
「酔っ払いはみんなそういうぞ・・・」
やばい、思ってたよりだいぶ弱かった。俺がいつも一緒に飲んでるやつらがザルなせいで、若干ずれたか?いや、今はそんなことはどうでもいいんだ。それより問題なのは、この酔っ払いをどうするか、だな。一応といっても送るしか選択肢はないと思うが。それに理央の家の住所は知ってるからな。一人で帰らせてぶっ倒れられてもなんだしなぁ・・。そこでちらっと理央を見てみれば、すでに船を漕ぎ始めていた。・・・・・・はぁ、送るかぁ。代金を払って店から出ると、携帯を取り出し、以前教えられた住所の位置を検索してみる。すると、予想通りすぐ近くにあった。
ぺちぺち。ぺちぺち。
「おい、起きろー。肩くらいなら貸すからさ。おーい、おーい!」
「にゅ、にゅ~」
・・・・・・どうやら起きる気は皆無でいらっしゃるようだ。ということで、しょうがなく背負うと、理央の家に向かった。・・・・・・何故か店員や客から「頑張れよー」「上手くヤるんだぞー」なんていう言葉も聞こえてきたんだが、俺は男で、理央も男なんだが。あれか?薔薇の花が咲きほこってそうな状況になれと?
うん、いやだ。俺はノーマルだし、理央もノーマルだろうし。いやまあ理央がTS病にかかって変わるってんならまだいいんだがな?いや、よくないのか?などと、どうでもいいことを考えていると、10階建くらいの大きさのマンションが見えてきた。俺が持っている梨央の住所によると、このマンションの3階に部屋があるらしい。
なんとか梨央をおぶって部屋の前までたどり着くと、揺さぶって起こすことにした。
「おい。おい理央。着いたぞ、お前の家だぞ。起きろー。鍵出してくれんとはいれんのだぞー」
「うにゃ、しぇんぱい~。はいどうぞ~」
「鍵開けろ、と?・・・・・たっく。しゃーねーなぁ」
鍵を開けさせて、後はさっさと帰るつもりだったのだが、どうやらもう少し理央の面倒を見なくてはいけないようだ。理央がいきなりビールを飲んで酔っ払ったおかげでまだそれほど遅い時間でもない。それに、俺の家もここから徒歩で15分程度のところにある。
これだけ状況がそろったのであれば、むしろ最後まで面倒を見ていくのは、人としてすべきことであろう。
とかなんとか理由づけしてみたりはしたが、結局のところ俺が、理央の面倒をみたいだけということだ。恥ずかしいので、絶対理央には言わないが。というか、そんなことを言って、理央にまた尊敬のまなざしで見られたら、軽く鬱になれる自信がある。
今現在ですらなぜかやたらに尊敬のまなざしを向けられているのだから。
そんなこんなで心中のもろもろをおしこめつつ玄関に入ると、まず理央を床におろす。ただ、靴を履いたままになっているので、脱がしておく。酔っ払って寝てる人ってのは、時としてとんでもない行動をしでかすことが多々あるからな。俺の親父なんて、昔酔っ払って帰ってきて居間で寝てたのに、いきなり起きだしてトイレの入り口まで移動してねてたからな。あれを思うとなにがおこるかわからんからな。靴ぐらいは脱がしておくべきだろう。
寝ぼけて脱がすのを邪魔してくる理央から何とか靴をはぎ取ると、玄関に転がした。そうしてひと段落つけると、俺も腰を下ろした。いくら理央の体が軽いとはいえ、れっきとした男なわけで、わずか数分程度とはいえ一度も休まずにここまで運んできたのだから、体育会系でもなかった俺の体力はそこをついていた。
呼吸が戻ってきたところで、ふと理央の方へ、視線を落とした。
みゅにゃみゅにゃとよくわからない寝言を言いながら猫のように丸まっているその姿は、なんというかこう保護欲とか父性とかをやたら刺激してくる。ただ、いつまでものんびりと観賞しておいて風邪をひかせたり廊下で寝たせいで寝違えられたりしてもなんなので、えっこらせと気合を入れなおし、ベッドまで運ぼうとしたのだが、寝室と思しき場所まで行ってあることが発覚した。
なんと、理央のやつ、ベッド派ではなく、布団派だったのだ。まったくもってけしからん。理央にはベッドのふわふわ感が理解できないのだろうか。
だとしたら、明日の昼休みにでも少しばかりO・HA・NA・SHI☆しなければいけないな。
などと、俺個人にとってはとても大切なことを考えながら布団を敷くと、そこに理央を寝させた。そのまま帰ろうと腰を上げると、なぜか駄々っ子のように腕にしがみついてきたので、放させようと引っ張れば引っ張るほど強くしがみついてきた。理央の子供のような様子に思わず苦笑をこぼした俺は、しょうがなくそのまま座って理央が手を放すのを待つことにした。
ちゅんちゅん、ちゅんちゅん。ちゅんちゅん、ちゅんちゅん。
「ん。うぁあ?あれ、知らねえ部屋だ。ここ、どこ、って・・・・・・ぁああ!!俺、ここで寝ちまったのかよ・・・。んで、理央はっと」
座ったまま寝てしまったせいでこちこちに固まってしまっているからだを、伸びをしてほぐしながら理央を探してみると、すぐに見つかった。まだ布団にくるまっているようで、布団の一部分だけが、やけにもっこりと膨らんでいた。どー考えてもそこにしかいないだろと、そう思った俺であるが、酔いつぶれてしまった、というかよいつぶしてしまった責任は俺にあるわけなので、朝食を作ってやることにした..
トントントントンと、リズミカルに包丁がまな板を打つ音が台所に響く。その音がやんだと思ったら、今度はカチッという音を立ててコンロに火を灯すと、フライパンに卵を一つわり、強火でささっと焼く。オーブンに突っ込んで置いた食パンと一緒に盛り付ける。
簡単にではあるが、朝食を作ってしまうと理央を起こしに行った。
「おーい、理央―。朝だぞー、飯できてるぞー。起きないとなくなっちまうぞー」
優しく声をかけてやるも、全く起きる気配がしない。2、3分ほどそのまま続けて声をかけ続けてみたりはしたのだが、なかなか起きない。むしろ微動だにしない。段々といらいらしてきた俺は、
「いい加減に起きんか!」
そう言って布団を引っぺがした。
そうしてようやく出てきた理央であったが、真ん丸になって震えていた。これが寒さで震えているのであったらどうでもいい、いや、むしろいらっとくるものだが、どうにも理央の様子がそれとは違っていた。何故なら、ひっくり返してみると、顔は真っ赤で服は汗でびしょびしょで、極めつけにすごくぐったりしていたからだ。一目見ただけで風邪とわかる様な理央の姿に、俺の中の罪悪感が成層圏を突破しそうであった。
俺は無言で布団をかけなおすと、そのまま台所に戻りお粥を作り始めた。
お粥を作り終え自分の分朝食をとったりして一時間ほどたったころ、理央が起きてきた。
ただ、その足取りは寝起きということを考慮してみても、明らかにふらふらしており、どこからどう見ても病人といった風であった。
「おー、起きたかー。つってもお前、今日体調かなり悪そうだし、お粥作っといたから、食えたらそれ食って水分とって風邪薬飲んで寝とけ。会社には俺からいっといてやるよ」
「僕も行きますー、って言いたいんですけど、先輩行かせてくれませんよね、絶対」
「ああ、当たり前だ。んないかにも風邪ですって感じで来られても迷惑だしな。大人しく寝て、さっさと直してから明日か明後日くらいから来い。わかったな?」
「はい、わかりました。今日はしっかり寝て回復してます」
「ま、そんな元気なら大丈夫だろ。んじゃ俺は会社行ってくっから。一応帰りに寄るつもりだけど何かあったらメールなりなんなりで連絡しろよな」
理央が起きてくるまでの間、お粥が焦げたり噴きこぼれてしまったりしないように見張っておいたおかげでかなりいい状態で保たれていたお粥を理央に任せると、俺は会社へ行く準備をのんびりと始めるのだった。
「あの、先輩。もう出社完了時刻まで20分きってるんですけど・・・・」
「それは早く言ってほしかったかなぁ!?」
訂正。
すごく急いで準備をして走って出て行った俺であった。
・・・・・・・・・・時間が過ぎ去るのって結構はやいんだなぁ・・。
急いで走っていき何とか会社についたのは、業務開始のチャイムが鳴り終わった後のことで、俺は久しぶりに上司に怒られることになった。理央のことは何も聞かれなかったので、俺から言ってみると、
「なんだ、やっぱり風邪だったのか」
と返された。何故か理央への信頼がやたら高いせいか、俺への評価が低いように聞こえてしまうのだが、きっと気のせいなんだろうと、そう思うことにした。
ただ、少しばかり真面目になろうと、そう思わせられる瞬間だった。
とまあ、思いがけない事実が発覚したりもしたが、理央の休みの手続きをさっさと終わらせ自分の席に着いた。
「・・・・・・・。これはあれか?少し前によくニュースで報道されてた職場いじめとかそうゆうやつか何かか?」
俺の机の上には、軽く20センチ以上はありそうな書類の山が、ピサの斜塔のようにそびえたっていた。しかもご丁寧に俺の今日片づける分の書類はその隣に10センチほど積み上がっていらっしゃった。つまり、このピサの斜塔は、要するに、つまるところ、俺の分抜きでこの量だということになる。
・・・・・・あれ、おかしいな、視界がゆがんで見えちまう。
これは嘘だよな、嘘だと言ってくれよパトラッシュぅぅぅぅぅぅぅ!!
「あ、それ、理央の分。今日休んじゃったからその分ねー。しかも理央、昨日何でか知らないけどすごく張り切っててね。大量に仕事を用意してたのよ。量が多いのはそのせいだから。まあね?本当なら明日とか明後日とか、復帰したときにやってもらうものなんだけど、ちょうどよく遅刻して、何かしらペナルティが要る人がいたからね。病み上がりにはきついだろってことでよろしくーってことになったのよ」
「今日遅刻した人、つまり俺か。・・・・・・なんで看病してやった奴の分やらされるんだろうな。俺は世の中の理不尽が不思議でたまらねえよ畜生!!」
くそっ、恩を仇で返すとはまさにこのことだな。
朝、体調が悪いとわかるとすぐにお粥を作ってやり、起きるまでお粥の面倒を見てやったりしたというのに、会社には遅刻するわ、自分の評価を知ってしまうわ、怒られるわ、いつもの三倍の量をやらせられるわで、まさに泣きっ面に蜂、弱り目に祟り目、踏んだり蹴ったりといったところだ。
いやまあ半分くらいは自爆だが、それでも今日はだいぶ不幸な日であると、そう思う。
しかも、だ。理央の家を出るときに『帰りに寄る』と、そう言ってしまったのだ。
そうなると必然、最低でも定時には仕事を終えて帰らなければいけない。いや、理央が風邪を引いてしまっていることを考えると、いつもよりも早く仕事を終える必要があるのだ。
だが、何度も言うようだが、現実問題、今日の仕事はいつもの三倍である。それをいつもより早く終えなければならないなど、正直新手の拷問か、もしくは超絶ブラック企業さんが降臨しやがったのか何かだとしか思えなかった。
ただ、いつもはだらだらやっているから定時までかかるのであって、休まずに昼食の時間なども返上してやるとしたら、おそらく何とかなることにはなるのだ。つまり、俺がいつもかなり手を抜いて仕事をやっているという事実がばれてしまい、今後の仕事が跳ね上がることを抜きにすれば何の問題もなかった。
「くそっ、今度絶対理央に飯おごらせてやる!高級焼肉店でバカ食いしてやるー!」
やっても減らない仕事と、普段との仕事の進み具合の違いに怒りを覚えているらしい上司の視線や先輩後輩同期の呆れや同情、それに若干の軽蔑の視線にさらされ続け、涙目になりながらもただひたすら仕事を続けること2時間。ようやく昼休みの時間になり、オフィスから人が出ていき一気に閑散とした場になったところで、ようやく俺は一息ついた。
「ん、んぅー。くあぁ。こりゃぁ間違いなく明日肩こってるだろうなぁ。つうかこんなに頑張ったのいつぶりだよ、って感じだな。まあ結果的にはかなりすすめれたし、いいんだけどな。まさか午前だけで四分の三も終わらせれるとはなー。自分の才能がこわいぜ」
予想をはるかに上回ることになった仕事の出来に、思わず自画自賛をしてしまう。このまま順調にいけば、おそらく15時前にはすべて終わらせれるだろう。そうなれば、理央のとこへもかなり早く行けるだろう、そう適当にこの後の予定を考えながら席から立ち、せっかく作りだした少しの休憩時間をしっかり使うために財布を手に取り、次いで携帯を手にとった。すると、ディスプレイが点滅しているのが目に入った。メールが来ているのを
そこに表示されたマークから読み取ると、ぱかっと開いた。
・・・・・・ガラケーなんだよ悪いかよ。頑丈だし電源長持ちするし、結構使い勝手がいいんだよ。まあ、スマートフォンが機能多すぎて使えなかった、ていうしょうもない理由もあるっちゃある。理央に気の毒そうな顔で見られたときは泣きたくなったがな。
とまあそんなどうでもいい俺のスマホ使えないんだぜ講義は置いといて、メールを見てみると、差出人の欄に『理央』とあった。
何かあったのかと思い、メールを開くと、ただ一言
『助けて!』
と、そうあった。
「まじか!?え、マジで何かあったのか?え、冗談じゃなくてか?うんそうだこんな時は素数を数えよう2,3,5,7,9,11,12って12はちがう!」
来るとは全く思っていなかった理央からのSOSに、俺は思いっきり取り乱していた。ちなみに、素数を間違えたのはわざとだ。異論は認めない。
っと、考えが脱線したな。今俺が考えるのは、ここでSOSに従って会社を抜け出して理央のところへ行くか、それとも気づかなかったことにしてこのまま仕事をするか、その二択だ。
まず、前者を選んだ場合のメリットは、理央を助けれるし、俺の良心も痛まない。デメリットは上司に怒られる。ただでさえ今日は遅刻しているというのにさらに途中で上がる。間違いなくぶちぎれる。俺でも切れる。んで、仕事もさらに増える。
逆に、後者を選んだ場合のメリットとデメリット。これは簡単だ。前者を選んだ場合のメリットとデメリットが反転するだけだからな。
さて、これは決まりだな。この条件ではこれしか選べないだろうし。誰だってそーする。俺もそーする。
さて、減給はないとうれしいなー。
ということで、脳内会議において全会一致で前者、つまり理央のとこへ行くことが決まったわけなんだが、一応連絡はいれておくべきだと思うわけだ。いやまああれだよあれですよ。社会人のマナー的な何かなんですよそうなんですよ。決してもしかしたらそれほど問題じゃないかもなー、なんてことを願っていたりするわけではない。ないといったらないのだ。
気を取り直して電話を掛ける。といっても抜け出すのがばれたらまずいので、人がいないところへ行ってからではあるが。
プルルルー。プルルルー。プルルル―。ぶつっ。ツー、ツー、ツー。
・・・・・・・・
・・・・・・
・・・・
・・
「喧嘩売ってんのか理央ぉぉぉぉ!!」
思わず叫んだ。いやさ、まさかね?まさか切られるとは思ってなかったんだよ。だって理央の方からSOS出してきたんだぜ?それが、出られないんじゃなくて切られるだぜ?恨み言の100や200は言っていいと思うんだが!・・・・・・・いややっぱ5個くらいでいいや。なんか100や200も言ったら理央、泣き出してそのまま電車に突っ込んでいきそうだし。
とりあえず、もう一回かけてみる。きっと何かの間違いだとおもうからな。
そう思い電話帳を開くと同時に、タッタラッター、タッタラ―。タッタラター、タッタター。某考古学者さんのメインテーマが流れ出した。そして、それと連動してディスプレイに『理央』の文字が。どうやら折り返してきたようだった。
すまん、やっぱ間違えたんだよな。ひねくれててごめんな、理央。お前が俺からの電話を意図して切るなんてありえねえもんな。
そう心の中で理央に平謝りしながら電話に出ると、風邪のせいか、いつもより聞き取りづらくなっている理央の声が聞こえてきた。
「す、すみません先輩!!間違えて切る方押しちゃいました!」
「ははっ、だと思ったよ。んで、一体どうした?助けて!なんて。しっかり文も入れてくれなきゃなにをどうすりゃいいのか全くわかんねーぞ」
「メール送ったときはすごく気が動転してて・・・。えっと、何があったか直接話したいんですけど、会えますか?」
「おう、問題ないぜ。なにせ、今からお前の家に行こうと思ってたんだしな」
「あ、その、それは、ありがとうございます」
「いいってことよ。で、今から言って大丈夫か?」
「あ、今外にいるので、そこまできてもらえますか?場所は――――」
何故か家にいないらしい理央から、今いる場所を聞くと、俺はすぐに携帯を閉じて自分の机に戻った。そして書類をささっとまとめると、ノートパソコンなどの私物を鞄に入れた。と、その瞬間。ポン、と肩に手を置かれた。嫌な予感をひしひしと感じる俺であったが、そちらを振り向かず無視する、なんてことができるはずもなく、そちらをおそるおそる振り返った。そこには、にっこりと、とてもいい、されどまるで目が笑っていない、いろんな意味ですばらしい笑顔を浮かべた上司がいた。
どうやら俺は、この強大すぎる壁を、乗り越えていかなければいけないようだった。
「さて、藤崎。今からお前は、なにをするつもりなのかな?」
上司が問いかける。納得できない答えを言った瞬間、お前を殺すぞと、その目で語りながら。
俺は答える。魔王に挑む勇者のように。俺は必ず勝ってみせるのだと、そう心に決めて。そうして、覚悟を決めると、ゴクリとつばを飲み込み、言った。
「い、いやー、昼飯食ってなかったんで、ちょっと外に食いに行こうかなーと」
・・・・・・最初から下手に出てる理由は察してくれるとうれしい。
「ほう、ならば財布だけ持っていけばいいのではないか?わざわざ鞄ごと、それ
も荷物を全て持っていく必要はないだろう?」
「い、いえいえいえいえ!さ、最近はどこも物騒じゃないですか。だからやっぱり自分のものは自分で管理しないと、ね?そうおもいませんか?」
「確かに、一理ある。だがな、そもそも、お前は一つ勘違いをしている」
「へ?勘違いですか?」
「ああ、そうだ。時計を見てみろ」
そう言われた俺は、腕時計を見た。そこの時計の針は、12時50分過ぎを指していた。ちなみに、昼休みは13時までだ。つまり、俺は、残り10分もないこの状況で、外食をしてくると、そう言っていたわけだ。
これ、絶対ばれてるよな?わかったうえで俺の言い訳聞いてたよな。あれ、この部屋さっきまで少し寒いくらいだった気がするんだけどな。いきなり室温が一気に上がった気がするわ。なんか汗がだらだら流れてとまらねえもん。まあ、多分これ、汗は汗でも冷や汗って類の奴だろうがな。企みを看破されてしまった俺は、必決の手段を使うことにした。その名も、DO・GE・ZAである。
「さて、それではもう一度聞こうか。今からお前は、なにをするつもりなのかな?」
そういわれた俺は、鞄を横に置き、椅子をどけスペースを作ると、そこに正座をした。そんな俺を、いきなりなにをやってるんだこいつはと、ぎょっと引きながら見ている上司の顔をしっかり見上げると、そのまま勢いよく頭を下げ、手をそろえて床に付けた。我ながら、かなりの完成度を誇っている土下座だとそう思えた。
「お願いがあります!どうか、今日の仕事、さぼらせてください!」
俺の声が、オフィスに響いた。不思議なことに、俺の声がやまびこのようになっていく音以外には、何も、それこそ物音ひとつしなかった。少しか、それともかなりの時間がたってから、上司が口を開いた。
「すっごい綺麗な土下座。これほどのは、初めて見たわ」
「じゃ、じゃあ!?」
「ええ、だめ」
「は?だ、め?この流れで拒否?マジですか?正気ですか?実はSAN値振り切ってるんじゃないんですか?」
「殺すぞ、藤崎。まあ、あれだ。どんだけ綺麗な土下座しようが、遅刻してる時点で無理なわけ。というかむしろ今までの勤務態度でよく許可でると思ったな。逆にそこまでポジティブなお前すごいよ」
「なら許可くださいよー」
そう言ってみる俺だが、すでに気づいていた。失敗したということに。
くっ、まさかいつもの行動が裏目に出てしまうとは!不覚だ。ちっ、しょうがあるまい、最後の手段を使うしかないということかよ。
そう思うと、そのまま大人しく従うことになった。俺には、もう一つ計画があったのだ。諸刃の剣で、デメリットしかない最悪なものなので使わずにいたが仕方ない。さっきの電話でした話の中で、13時過ぎには行くと言ってしまったので、急がないといけないのだ。
「わかりました、やりますよ、やればいいんですよね。ただ。トイレに行っといていいですか?荷物は置いてきますから、ね?」
「あー、まあ、それなら、いい、かな?」
「じゃ、行ってきますねー」
とりあえず、第一関門突破といったところか。だが、ここからが大変だ。なぜなら俺の考えている脱走経路とは、トイレの窓から抜け出す、という方法なのだから。玄関から出て行こうとすると、入り口の人からあの上司に連絡がはいってしまう恐れがあるため、玄関以外から出ていかないといけないのだ。トイレをチョイスしたのは、100パーセント俺のロマンだけどな。なんかこうトイレの窓から脱走するって燃えるんだよな。
それで、何が問題かっていうと、このビル、2階から上にしかトイレがないのだ。だからこそ余計燃えるんだがな!
そうこうしているうちに、件のトイレの窓までやってきた。窓を開けてしたをのぞいてみる。
「あれ、思ったより低い?せいぜい4,5メートルくらいしかないぞ。しかもご丁寧にいい感じの足場もどきまで完備だし。ここまでいい状況だと、逆に不安になるぞ、はめられてんじゃねえのかなって」
と、そんなことを考えて回りを念入りに見てみはするものの、思い違いであったらしく、特に問題は見当たらなかった。そうして安全を確認すると、窓から体をだし外の出ると、するすると降りていく。結局本当になにも起こらずに降りれてしまった・・・・。
勘ぐった俺、バカみたいだな・・・。
っと、それよりさっさと理央のとこ行かねえと。確か理央の家から2,3分、ここからだと10分くらいのとこの喫茶店だったっけか。あんま余裕もねーし、さっさと行くか。そう思うとそのまま走り出した。
そこそこのペースで走って行ったおかげで、なんとか約束した時間につくことができた。入り口から入っていき、理央の座っている席へと向かう。店の奥の方、注意しないと気づけなさそうな席に、入り口に背を向けてパーカーのフードをかぶって、うつむいて座っていた。それに少しばかりの不信感を抱きながらも、理央の正面の席に回り込んで座る。
「よっ、理央。で、どうした?病院でも行って何か言われたか?」
「あの、先輩。驚かないで聞いてくれますか?」
「おう、大丈夫、大丈夫。なにがきてもどんと受け止めてやるよ。で、なにがあった?」
机に身を乗り出し理央に近づきながら答えを待つ。そうして言われたことは、俺の予想をいろんな意味で裏切ることだった。
「あの、実は僕・・・・・・TS病に、かかっちゃったみたいなんです」
そう言いながらフードをおろして現れたのは、いつもとは違う、梨央の顔だった。
今朝会ったも童顔で顔全体に丸みを帯びてはいたが、今の理央の顔は子供っぽい丸みではなく、女性っぽい丸みといったものになっていた。それに、改めてよくよく体全体を見てみれば、肩幅も狭くなり、心なしか、座高も若干低くなっているような気がした。というか、髪が一気に長くなってロングになっていた。そして、なによりも極め付けなのは、そう、今朝はなかった、胸部の膨らみがあったのだ。といっても実に微々たるもので、しっかり見ないとわからないようなものではあるが。ただ確かなのは、胸部に、わずかとはいえ、服を押し上げるものがあるのだ。思わず2回も3回見直して、5分くらい頭を抱えて今起きたことを整理し終えると、顔を上げた。
「あー、今俺も確認したが、まじか?」
「はい、まじです・・・。どうやら朝の熱、あれはTS病の前兆だったみたいです。実際にその、あそことかも、確認しました」
うつむき加減で顔を真っ赤にしながらそんなことを言っている理央を見ながら、俺は、理央かわいいなー、もう女になったらあれとかこれとかしてもノーマルだー、やったー、などと現実逃避をしていた。
しばらくして現実に戻ってくると、俺は理央と今後のことについて話し合い始めた。
実際、TS法が成立してからすでに30年たっているとはいえ、もうふつうに処理されるようなことになったわけではない。社会人でなく学生だったりすると、さっさとTSしてしまった人用の学校へ通ったりするのだが、高卒で未成年とはいえ、理央はれっきとした社会人である。そう簡単に会社を変えるなんてことはできないのだ。
「で、理央、確か、両親祖父母はみんな早死にしちゃって兄弟もおらず親戚もなしの天涯孤独なんだっけ?」
ここで重くのしかかってくるのが、理央の家族構成だ。通常なら、家族から社会復帰までの支援を受けて何とかするのだが、理央はその家族がいない。この事実が、とても大きいのだ。
「一応、仕事は続けるつもりです。それと並行してこのからだのこともなんとか慣れてくつもりです」
「聞くが、それ、本気か?お前、むりだぞ、それ。多分1か月かそこらでがたがきてぶっ倒れるぞ」
「でも、僕、あんまり知り合いとかいませんし・・・・・・。女の人の知り合いなんて皆無ですし」
「まどろっこしいのは嫌いだから、ストレートにいくぞ。俺が面倒見てやるよ」
理央の動きが完全に停止した、俺の動きも停止した。
・・・・・・・・・なんかこれ、告白みたいになってねえか?気のせいか?きのせいだよな?うんそうだ気のせいだ。これは後輩が困っているから助けてやろうってだけでやましい気持ちは全くないんだそうなんだよ。っておい理央。なんで真っ赤になってる。その反応は予想できたけど!できたけども!やめてくれ!なんかもういいんじゃないかなってなるから!
「で、どーする?理央がいいなら俺の家ひっこすか?一軒家だし、理央と同い年の妹もいるし、いろいろきけていいだろ」
「え、あ、あの、本当にいいんですか!?いいんですよね!?行きます!引っ越します!もうダメって言われてもひっこしますから!」
軽い気持ちで言ってみたら、すっごく目をキラキラさせて、若干引いてしまうぐらいの勢いで迫ってきた。なんというか、性別が変わるなんていうとんでもないことが起きたっていうのにこのテンションの高さは、大したものだ。素直に尊敬する。
「んじゃ、俺の家族に話通したり会社に連絡入れねえと。あ、理央。俺、今日脱走してきたから、フォローよろしくな?」
「え、今度は脱走なんてしたんですか?ちゃんとフォローしときますから、安心してください!」
「おう、頼むぜ。まあでも、ならいいや。ここの分俺が払っとくよ。理央は先に店の外で待っててくれ」
「え、あ、はい。わかりました」
そうして、理央を先に店から出す。俺は、理央が店から出て行ったのを見計らって、携帯を取り出すと、家族に、一斉送信でメールを送った。もちろん理央のことだ。十中八九許可は出るだろうから、事前に根回しをして、驚かしてやるつもりだ。
なんせ今回のことでは、終始俺は理央にひっぱりまわされたのだから、これくらいのサプライズは許されるはずだ。
俺の家族に許可をもらいに行ったときに、素手に許可が出ていると知った時の理央の驚きの表情を想像しながら代金を払う。思ったより高くてお財布ケータイの残高が500を切ってしまった。
そんなことに一喜一憂しながら店の外に出て、待たせていた理央をさがっしてみると、2,3人の男に、ナンパっぽいことをされていた。わずか数分の間にまた面倒事を・・・。今日はもしかしたら厄日なのかもしれん。割と本気でそう思いながら、止まることなく理央のところへ歩いていく。
すると、男たちに囲まれて、あわあわしていたはずの理央が、俺に気づいた瞬間、一瞬でぱあっと、太陽のような笑顔になった。
「先輩!」
俺の名前を呼ぶ理央に、片手をあげて答えると、男たちと理央の間に割り込み、言った。
「悪いな、こいつは、俺の彼女なんでな。ほかにあたってくれ」
理央の手を握り、自分の体に引き寄せながらにやりと笑ってみると、どうやら挑発になってしまったようで、沸騰したように顔を真っ赤にさせると、つかみかかってきた。
「逃げるぞ、理央!」
「え?あ、はい!」
掴み掛ってきた手をひらりとかわすと、理央の手を握ったまま走り出した。後ろからは、追いかけてくる男どもの怒声が聞こえ、横を見ると、びっくりした顔をしながらもしかっりと俺の手を握り返してくる理央がいた。なんだかそれを見ると、守ってやりたいようなそんな気持ちになる。そのせいか、どんどん走るペースが上がっていき、途中から追いかけてくる声も聞こえなくなったというのにそのまま走り続けた。
「はぁ、はぁ、はぁ。や、ば、い。死、にそー。ひ、さし、ぶ、り、に、よく、走った、わ」
「そ、ですね。ぼ、くも、つか、れ、ました。という、か。なんで、と、つうから、おい、かけるの、いなくなった、のに、走って、たん、ですか?」
「そりゃ、おま、え。なん、か、楽しく、な、ったからだ、よ」
「そー、ゆう。もん、ですか」
「そー、ゆう。もん、だ」
息が続かず、切れ切れに話続ける。俺は何とか立ってはいるが、ひざに手をついてるし、もともと体も小さく体力がある方でもなかった理央は、TSして女になったせいか、さらに身体能力全般が落ちたらしく、あおむけで地面に大の字寝をしていた。呼吸をするたびに動くあれがとても眼福です。
欲望にまみれまくった視線で理央を見ていると、ひじを立てて上半身をあげ、もう片方の手で髪を払いながら、こっちを向いた。
不覚にも、そんな何気ない動作にドキッとする俺がいた。
「先輩、さっき、僕のこと、彼女って、そう、言いましたよね?」
「あ、悪い。嫌だったか」
「あ、い、いえ違います!その、とっさとはいえ、僕なんかのことを、か、かか
かか彼女ぉ!・・・な、なんて言ったりして。あの、読んだりしちゃって迷惑でしたか、やっぱり」
「ああ、迷惑だな。いきなり呼び出されたり、追いかけられたりな」
「やっぱり、ですか」
そう素直に答えてやると、理央は、みるみる泣きそうな顔になっていき、目の端に涙をどんどんためていった。それを見た俺は、ひざから手を放すと理央の方にゆっくり歩き始めた。一歩ずつ近づいていくたびにびくっとなる反応が妙に面白く、つい歩くペースを遅くすると、理央も気づいたようで、泣きながらふくれっ面をしたせいで、さらに面白い顔になっていた。それがまたおかしくて、声を出して笑ってしまった。
「あ、先輩、なに笑ってるんですか!なにがそんなにおもしろいんですか!」
「お、やっとなきやんだか。たっくよぉ、仮にも社会人なら、人に迷惑の一つや二つかけた程度で泣くんじゃねえよ」
「うっ、そ、そんなのわかってますよ!泣いちゃったのは、その、相手が先輩だったからです。先輩に嫌われたくなかったんです!」
「理央、おま、女みたいなこと言うなぁ。って今は女か。まあ、なんだ。さっきも言ったがな、今日は本当にさんざんだった。いや、昨日からか?って、おいおい泣くな泣くな」
「だ、だっでぇ。ぜんばい、ぼぐのこど、ぎらいになっちゃったんでずよねぇ?」
止まったと思った理央の涙が、また流れ始めた。俺は、このタイミングを待っていた。最高にかっこよく決めれそうな、このタイミングを。
機は熟した、そう見て取った俺は、さらにもう一歩 理央の方へ近づく。すると、またびくっとなり、今度はうつむいてしまった。それを見て俺は、苦笑しながら、手をポン、と理央の頭の上に置き、なでなでをした。やられた理央はというと、なにが起こっているのか全く分かっていないようで顔をあげてこちらを見て、ぽかんと口を開けてぼけっとしていた。
どうやらうまくできたようだった。
そう、俺がやりたかったこととは、泣いている理央に近づき、何も言わずに頭に手を乗せ撫でてやり、理央を慰めてやるということであった。やろうと思った理由は実に単純で、おととい家で読んだ妹の少女マンガの中のワンシーンにそんなようなものがあって、なんかこうむしょうにやってみたくなったからだ。今のは、シチュエーションも、タイミングも、けっこういい感じで決まっていたと思う。実際理央はなきやんだし、後はここからどう声をかけるか、だ。
「たくよお、いきなり泣き出したかと思えばぷんすか怒ったり、泣き止んだと思ったら、また泣きだしたり。ほんっと、めんどうくさいやつだなぁ、理央は」
「うぅぅ・・・。や、やっぱ「でもな?」・・・へ?」
「でも、な。それは、面倒なだけで、いやってわけじゃあ、ねえんだよ。確かにさ。ほかのやつらにこんなんやられたら、いやでいやでしょうがねえけどな、理央ならさ、べつに構わねえんだよ。お前なら、迷惑かけられても、いいんだよ」
「へ?そ、それは、どうゆう意味、ですか?」
「んなもん、言葉の感じから察しろ、バカ。男が女にこんなこと言ってんだよ。わかるだろ」
このあたりで俺のなけなしの覚悟は崩れさり、そっぽを向いていた。羞恥心という名の、強大無比な敵によって、俺の顔は真っ赤になっていた。こういうとき、マンガとか小説とかでは、夕日とか暗いとか、そうゆう状況で顔が赤いのは相手に分からないものだが、残念ながら今はまだ昼過ぎ。太陽はしっかり頭の上あたりにいた。つまり、バレバレなわけだ。ただ、横眼でちらっと見てみた感じでは、理央の方は情報過多で頭から湯気が出ていそうな雰囲気で、こっちのことは、全く目に入ってきなさそうであった。
そうしてしばらく時間がたち、俺と理央の両方の頭が冷えてきたあたりで、ようやっと会話が再開した。
「あの、先輩。いつからですか?」
「あー、多分、一目ぼれ。理央が男あったときから、女になったら好みだなーとか思ってたけど、実際に見たらどストライクで、中身も知ってるし、あ、これおちたわ、みたいな感じ。理央は?」
「僕は、その、引かれちゃうかもしれませんけど、入社して、面倒みておらうようになってから、すぐです。あの、つまり、男のころから、好き、でした。やっぱり気持ち悪い、ですか?」
「うーん、まあ理央が男だったら、ないわーみたいな感じに、なった、かなぁ?むしろウェルカムだったかもしれねえけど、もう過ぎた話だし、どうでもいいだろ」
「そ、そうですか?結構、僕、結構勇気振り絞って言ったんですけど・・・・・・」
「ま、俺という人間の器を見誤ってたということだ。ふ、惚れた男のことくらい、信じてみろ、な?」
・・・・・・・やっべえ!!めっちゃ恥ずかしい!!なんか理央からの、
「はい!信じます!疑いません絶対に!」
なんて言葉が、心にグサッと来る。だいぶかっこつけて言ってみたら、自爆したよ畜生。く、今更だが、訂正するべきか?今までの言葉は基本、先輩として、一人の男として格好つけたいからだった、なんていっちゃうべきか?いや無理だろ。是対無理だ。見限られないかもしれないけど、でも理央から憐みの視線を受けたくない。うん、言わないでおこう。というか、あれ?もしかしなくても俺、まだ理央に告ってない?あれ、あれあれ?うん、ちょーっと整理しようか。俺は理央に一目ぼれして、理央はもともと俺が好きだった。で、両想いだってことが、両方わかって、好きって気持ちも伝え合った。うん、ここだ。ここがおかしい。まだ告白してないよな、俺と理央。なんかもう気持ち伝え合ったけど、あれ、やってないな。うん、やっぱやるべきだな。うん、やろう、頑張ろう。
「あ、あー。ご、ごほん!」
「どうしたんですか、先輩。話始める前の校長先生みたいなことして」
「たとえが若いな、くそ、うらやましい!俺なんか、高校生活なんて10年以上前だぞ畜生ぅ!!・・・・・・って、違う!話がずれた!」
「え、あ、はい。すみません?それで、なんの話ですか?」
「うん、まあ、何だ。今ちょっと考えて気づいたんだがな。まだ告白してなかったよなーって、さ」
「・・・・・・はひゅぅ!」
俺が言った言葉を理解すると同時、奇声をあげて飛び上がった。今しがた、もっ
と恥ずかしい話をしていたということはすでに忘却の彼方なのか、耳の先まで真っ赤に染めていた。
「え、え、えぇぇぇぇ!!今、今さっきしたじゃないですか!なんでまたやるんですか!」
「いや、だってさっきは間接的に言ってただけだしさ。結局してないだろ?んじゃあしっかりやっとくかっていうことだよ。あ、もちろん、俺からいくからな?こういう時は男に花を持たせてくれよな」
「う、うぅぅぅぅぅぅ!!しょ、しょうがないですね。先輩がそんなにしたいって言うなら、させてあげます!」
何故かツンデレっぽくなった理央。しかもそっぽ向いてるし。これはあれか?俺にやってほしいってことだよなそうだよな?
・・・・・・・・・・・・ふっふっふっふっふ!そこまでされちゃあやるしかないだろう。今度も格好よくびしっと決めてやるぜ。
そう思い、気合を込めると、一度、今から言おうとしている言葉を、頭の中で反復してみる。いくらなんでも、ここでセリフを噛むとかどもったりするのは、絶対にいただけないからな。しっかりと頭の中で練習をすると、閉じていた目を開き、目の前にある理央の顔を両手でつかむと、優しくくるっと正面を向かせる。いきなりそんなことをされてとまどっている理央だったが、すぐに落ち着きを取り戻すと、まっすぐに俺を見てきた。
すぅ、っと大きく息を吸い込むと、言った。
「本山理央さん。あなたのことが好きです。付き合ってください!」
その俺の想いをしっかり受け止めるかのように、理央は、一度目を閉じ、少しそのままにしてから目を開けると、俺の目を見て、言った。
「はい、僕でよければ。これから、よろしくね、藤崎伊織さん」
そう、にっこり笑いながら返してきた理央に、俺は見とれてしまった。
本当に、かわいかったかったから
「とまあ、俺と理央が付き合い始めたのは、こんな感じだな」
俺が、あの時の理央の笑顔を思い出してにやにやしながら息子に話し終えると、何故か微妙な顔をしていた。なんかその態度が癪に障った俺は、息子を小突いてやった。
「おいおい、せっかく話してやったっていうのに、なんだぁ、そのたいどはぁ。お前、もしかして、嘘だとおもってんおか?ふふん、本当なんだぜ、これ」
「いや、うん、まあ、うたがってはいないけどさ・・・。父さん、ようするに、会社、無断で逃げ出したんだよな?社会人としてどうなんだ?というか、どうしてクビになってないんだ」
そう息子に言われた瞬間、もう20年近く前のことだというのに、次の日出勤したときのことを思い出してしまった。あの日のことは、今でもたまに夢に見る。本気で切れた上司の怖さを肌で感じた。まじで怖かった。全方位土下座をくりかえしてようやくなんとかなったという、想像をぜっするものだった。理央がいなかったらやばかった。だが、そんなことは言わない。ただでさえやたら低い俺の株を下げたくはないのだ。
「そりゃまあ、俺という人材を手放したくなかった会社側が折れたんだよ」
「へー、父さんが、ねー?」
「な、なんだお前、信じてないな!?」
「あー、はいはい信じてます信じてます。・・・・・・で、父さん、もっと重要なことあったよね?母さんが元男だなんて、俺、知らないんだけど」
「そりゃ、言ってねえし。というか、理央の昔のアルバム見て気づかなかったのか?」
「てっきり髪短くしてるのかと思ってたよ・・・。で、そこはまあいいや。正直違いわかんねえし。で、問題、なに、父さん一目ぼれって。当日告白って。早すぎでしょ、行動。しかも男だったら拒否て、人としてどーなんだよ」
息子の、ジトーっとした軽蔑の視線にさっさと音を上げた俺は、続きを話すことにした。
「いやー、あそこで取り逃がすと、やばい気がしてなー。なんせ、理央かわいいだろ?なにごとも先手必勝ってわけだ。それにあれだ、なってから言ったんだから問題ねえ」
そう俺が言うと、息子は、
「オレの理想と違いすぎるこの人。しかも人間として最低だ・・・」
などとつぶやいていた。それにいらっときた俺は、もう一つ理央とつきあって得したことをして言ってやることにした。
「せっかくだから、一ついいことを教えてやろう。しってるか?TS病で性別が変わった相手だと、すごいんだぞ?何せ元は同じだから、相手の喜ばせ方をよく知っているわけだ。それに、少しくらい無茶をいっても答えてくれる。さいこうだぞー」
俺が話している最中、だんだん息子の目線が上がっていき、最後には、俺の頭の上あたりで止まった。
「父さん。後ろに母さんいるよ。・・・で、こういう時、どうすればいいのさ?」
「簡単だ、抱きしめて、大好きって言ってやればいいんだよ、な?」
そう言って、振り向きざまに抱き着こうとしたら、頭をはたかれた。はたかれたところを抑えていると、理央が隣にしゃがんで、
「今日の夜、よろしくね?」
などと言ってきた。
うん、やっぱり理央は最高の嫁だ。そう思いながら今日の夜へと思いをはせるのだった。
楽しんでいただけたら幸いです