004.幸福な時間は、いつか終わる
その日は、前世で兄が殺された日と同じような暑さだった。
僕とリリーはいつものように、庭で魔法の練習をしていた。
現在僕が修得している魔法で、最も消費魔力量の多い高威力”ファイアーボール”をひたすら空中に放ち続けるだけ。
毎日同じことを繰り返し続けているが、そろそろ飽きてきた。
早く他の魔法を使ってみたい。
もっと空を飛んだり、瞬間移動できたりしないものなのか。
まだ魔法についての知識が、少ないだけなのかもしれない。
しかし、今のところそんな超常的な魔法はできそうにない。
僕にはリリーゆずりの魔法の才能がある。
今後の成長に期待しておこう。
「…まだ魔力はあるの?」
「うん。まだまだあるよ。大丈夫」
「そう? 無茶しちゃだめよ?」
「うん、わかってる。もうちょっとだけ」
「頑張り屋さんね、誰に似たのかしら。……もうちょっとしたらお昼ご飯にしましょう」
「わかった!」
リリーの作るご飯は、日本で食べていた料理とは全く異なる、洋食みたいだった。
パンにスープにサラダ、肉料理。
リリーは料理が上手だ。
僕もたまに料理の仕方を教わっているが、料理の技術では彼女には一生勝てないだろう。
リリーは月に一度くらいの頻度で、屋敷から森を通り、街で食料を調達していた。
そうして得た食料を彼女の水魔法で作り出した氷で保存したものを、僕たちは食べている。
水魔法は非常に便利だ。
彼女の魔法のおかげで毎日風呂にも入れるし、飲み水に困ることはなく、氷を作り、攻撃魔法も多彩だ。
リリーいわく属性系魔法の中で、最も万能な魔法だそうだ。
僕も出来れば、水属性の適正があってほしかった。
属性系の魔法適正は、生まれた時から決まっている。
僕には水属性の才能はなかったということだ。
昼間でも大量に生い茂った木々のせいで、薄暗く、ジメジメとした森を一人で通る彼女は、非常に勇気があると思う。
僕ならビビッて、途中で引き返してしまうかもしれない。
森への出入りは、相変わらず禁止されている。
森の中を通る以外、この屋敷へ入る方法はない。
道がないのだ。森の中に、ポツンとこの家があるだけ。
こんな不便なところに家を建てた理由はわからない。
それに、一体どのようにして、こんな場所に、建物をたてたのか。
疑問は尽きない。
「!!!!」
僕の魔法特訓を優しい表情で見守っていたリリーが、突然立ち上がった。
彼女は、驚きと不安が入り混じった複雑な顔をしていた。
「? どうかした?」
なんだろう。何かあったのだろうか。
こんなリリーの表情は今まで見たことがない。
余程のことがあったのかもしれない。
「早すぎる! 何故バレたの!?」
バレた? 早い?
一体なんのことだろうか。だが彼女の様子が尋常ではない。
恐らくだが、僕たちに危険が迫っている。
それも命に係わるレベルの。
「い、急がないと! ヴィンス! ついてきなさい!」
「う、うん!」
リリーはそう言って家の裏手へと駈け出した。
僕は状況がつかめていなかったが、リリーの言葉に素直に従った。
何か嫌な予感がする。
今は彼女についていく他にない。
「おっと、待ちな。逃げてもらっちゃ困る」
「!?」
いざ森の中へ逃げ込もうというとき、僕とリリー以外の声が響く。
野太い男の声だ。
反射的に僕とリリーが振り向くと、家の庭に大勢の人間が入り込んでいた。
2、30人はいるだろうか。
皆、銀色に輝くずっしりとした甲冑を着込んでいて、顔は判別できない。
その中にただ一人、先頭に立つ真っ白な神父のような修道服らしき恰好をした男が、先程の声の主のようだ。
口を不気味に歪め、ヘラヘラとした笑みを浮かべている。
日本でよく見たDQNみたいにチャラチャラした奴だった。
その手には、刃渡り1メートルくらいの、宝石で装飾を施した一本の剣を持っている。
リリーの表情は先程と変わらず、非常に厳しいものだ。
間違いなく、こいつらは僕たちの敵なのだ。
それにしても、こいつらは誰なのだろうか。
もしかして僕が転生者だから、狙われているのかもしれない。
「いやー、まだ逃げられてなくてよかったわ。ここに居なかったら、また探さなきゃいけないし」
「どうしてここが!?」
神父服が言うと、リリーが叫んだ。
「ある筋からの情報でね。ここに”吸血鬼族”のガキがいるってな。………どーもはじめまして、そっちの女は知っていようだが、俺様たちは”オメトル神国所属、純人族派、聖騎士団”。で、俺はその副団長様だ」
「!?」
リリーが目を見開き、男の言葉に驚愕している。
オメトル神国は聞いたことがある。
本によると唯一神”オメトル”を信仰する教皇を国のトップにそえる、宗教国家だ。
吸血鬼族の子ども?
一体どこに、そんな奴がいるのだろうか。
リリーに聞いた話と部屋の本から、この世界に人間以外の種族がいることは知っていた。
人族以外の種族は、まとめて”亜人族”と呼ばれているらしい。
長耳族や土人族、鬼人族、天使族、魔人族などだ。
吸血鬼族も人族以外の種族のひとつなのだろう。
しかし吸血鬼族なんて、今まで見たことないし、こいつの言う子どもなんて、この家には僕以外いないはずだ。
ん? あれ? それって、もしかして…。
「おい、お前だよ。吸血鬼のガキ。何とぼけたツラしてやがる」
神父服が苛立たしげに言いながら、指でさしたのは、やはり僕だった。
だが、当然僕には全く身に覚えなどない。
「!? ち、違うわ! この子は私の息子よ! 吸血鬼なんかじゃないわ!」
そうだ、僕は人族であるリリーの息子。それが吸血鬼なんて、あるはずがない。
きっと何かの勘違いだ。
「確かに女、お前は吸血鬼じゃないだろう。吸血鬼の特徴である長く尖った耳と、赤い瞳をもっていないからな。………だが、そのガキの父親はどうだ?」
「こ、この子の父親は、普通の人間よ!」
僕の父親の話は、今までリリーにはぐらかされ続け、結局聞けていなかった。
もしかすると、こいつの言う通り、父親が吸血鬼で、僕は人族であるリリーと吸血鬼族のハーフなのかもしれない。
しかし今まで一度も、日本で聞いた吸血鬼のように、血を吸いたくなったり、太陽の光を浴びて灰になったりしたことなんてない。
この世界での吸血鬼は、そんな習性はないのかもしれないが。
耳も尖って長くないし、今のところ僕が吸血鬼だという証拠はないはずだ。
「ガキの耳は…人族とそう変わらないな。瞳は、やっぱり赤色だな。お前やっぱり吸血鬼とのハーフだろ」
「ぼ、僕は父のことは知りません。それに、もしも吸血鬼とのハーフだったら、何だって言うんですか?」
「ヴィンス! あなたは何も言わないで!」
リリーが叫ぶが、たとえ種族が人族じゃないからといって、襲われるいわれはない。
もしかして、この世界では吸血鬼族は酷く嫌悪されているのだろうか。
もしそうなら、こいつらの目的は大体予想がつく。
「ほうほう、ヴィンスか。お前の名はヴィンセントか? ……吸血鬼だったらどうかだと? そんなの俺様たちが抹殺するに決まってるだろうが」
「!?」
やっぱりか。
こいつら騎士団は、僕を殺す目的でここにやって来たのだ。
だからリリーはこんなに焦っている。
やはりこいつらは、僕たちの敵だ。
神父服の背後に並ぶ全身甲冑たちは、静かにたたずみ、身じろぎひとつしない。
相手は全部で30人くらいか。
こいつらがどの程度の実力なのかは知らないが、うまく”ファイアーボール”を当てたとしても、5人くらいにしか効果がないだろう。
リリーの戦闘能力が高かったとしても、数の差がありすぎる。
これは非常に拙い状況だ。
「お前ら吸血鬼は、ずいぶん昔も起こった”魔災戦争”のときに暴れすぎた、その報いだよ。最強の戦闘種族かなんだか知らねーが、お前たちが強者を気取れる時代は終わったんだよ。今はお前たちが搾取される側だ。甘んじて神の裁きを受けるんだな。……最近は数もすっかり減ってきたと思ったが、ガキまで作っていたとはな。油断も隙もねーな、まったく」
魔災戦争。これも本に載っていた。
約1000年前にあったとされる、人族とその他の種族との300年以上に渡る激しい闘争のことだ。
人族以外の種族でも長耳族や土人族など、中立の立場をとった種族もいたが、とくに魔人族や鬼人族などは、人族に強く反発し、戦った。
反人族の立場をとった種族の中で、吸血鬼族は特に人間を殺しまくったらしい。
戦争から1000年たった今なお、根強く禍根を残すほどに。
そして”オメトル教”では教典に、吸血鬼族は悪であるとされている。
教典の教えに従い、悪である吸血鬼族を狩りに来たのが、目の前の聖騎士団というわけだ。
「目が赤いのは偶然よ! 人族でも目が赤い人くらいるでしょ!?」
よかった。目が赤ければ吸血鬼族だと、断定できるわけではないようだ。
家には鏡がなかったから、自分の顔をよく見たことがなかった。
僕の瞳が赤色だなんて、今初めて知った。
母親のリリーは綺麗な青色だから、父親譲りなのだろうか。
あれ? 僕、本当に吸血鬼族じゃないよな?
僕自身の種族なんて知らないし、わからないが、こいつらに殺されないためにも、人族であってほしい。
リリーの叫んだ言葉に、神父服はヤレヤレというふうに、首を左右に振って呆れている。
彼女の言葉を蔑ろにするなんて、本当にムカつく奴だ。
「…ガキが本当に吸血鬼かなんて、俺様には関係ない。どのみち殺す」
やばい。こいつはどうしても僕を吸血鬼扱いして、殺したいらしい。
こいつは殺人を楽しむタイプの人間なのだろう。
その顔は狂気に歪んでいる。
僕が日本で殺されるときのプリン頭みたない表情だ。
「な、何故!? 吸血鬼じゃないって言ってるでしょ!?」
その通りだ。
もしも僕が吸血鬼じゃなかったら、ただの人殺しになってしまう。
この世界の人殺しに対する倫理観は知らないが、それはダメだろう。
「ガキが吸血鬼なのか、そうでないのか。それは、我らが崇めるオメトル様が判断してくださる。……あの世でな」
なんだその魔女狩りみたいな理屈は!
結局、どっちかわからないから、とりあえず殺しとこうと言っているようなものじゃないか!
無茶苦茶だ。そんな理屈がまかり通る、こいつらオメトル教、純人族派とやらは、みんな頭がイカれてる。
後ろの銀甲冑たちには、ぜひ神父服の暴挙を止めてほしいが、無駄だろうな。
こいつら皆、イカれている。
「お前はガキの母親だろう? 二人まとめて殺してやるよ。おい、お前らは手を出すな。こいつらは俺の獲物だ」
「くっ! ヴィンス! あなたは逃げなさい!」
「い、いやだ! 母さんを置いてはいけない!」
「いいから行きなさい! 森を抜ければ街があるわ! 私のことは心配しないで、これでも昔は強かったのよ!」
リリーはああ言っているが、この人数を一人で相手するなんて自殺行為だ。
聖騎士団から守るように僕に背を向けるリリーと、前世で殺された兄の背中が重なって見えた。
日本での僕は、兄に守られてばかりで震えて何もできなかった。
あの時は力がなかった。理不尽に立ち向かう力が。
しかしこの世界では違う。
僕は魔法を手に入れた。
僕が魔法を覚え、毎日魔力を鍛えていたのは、理不尽に立ち向かうためだ。
今度こそ絶対に家族を守る。
兄のように、無惨に殺させるようなことはしない。
「おーおー、美しい家族愛。………まったく反吐がでるよ」
「――集え、猛る灼熱の炎よ、我が手に集いて、敵を貫け――”ファイアーボール”!!」
神父服の言葉につい腹が立ち、僕はリリーの言葉には従わず、問答無用で魔力を最大限込めた直径1メートル近くの炎の玉を、聖騎士団に向けて放った。
しかし、燃え盛る炎の塊を前にしても、聖騎士団の団員たちに焦りはなかった。
「おらよっと!!」
先頭にいた神父服が、間抜けな掛け声と共に手に持つ剣をふるうと、僕が放った火炎球はあっさりと真っ二つに切れ、霧散した。
そ、そんな!?
あれは魔力を最大限込めたLv.2の魔法だぞ!?。
それが、こんなあっさり無力化されるなんて…。
やばいな。こいつは予想以上に強い。
「やっぱりお前、吸血鬼族だな。…その歳でLv.2魔法を使うなんて、人族にはできない。だが、威力はまだまだだな」
「ヴィンス、ダメ! あなたは早く逃げなさい!」
「お前たち吸血鬼族は、本当に強い。強すぎて貧弱な俺様たち人族では、相手にならないほどにな。……だがこの”聖剣”があれば話は別だ」
そう言って神父服が掲げた剣は、まるでリリーが治癒魔法を使ったときのように、白く発光していた。
聖剣というと、なにか普通の剣と違い、なにか特殊な能力があるのだろう。
「騎士団の幹部には、それぞれ特別な装備が与えられている。俺様にはこの”魔王殺しの聖剣”を神より授かった。この剣は、刃周囲の魔法を消滅させる。今見せたみたいにな。俺様自身も魔法が使えなくなるところが難点だが、剣だけの勝負なら吸血鬼族にだって俺様は対抗できる。……どうだ、それでもまだ歯向かうか?」
魔法を消滅させるなんてチートすぎる。
僕に魔法以外の攻撃手段はない。
リリーも武器は使えるのかもしれないが、今この場にはないし、彼女も魔法だけで戦うしかない。
しかし、それでは魔王殺しの聖剣には通用しない。
この場は逃げるしかない。
何とかして、リリーを連れてこの最悪の局面を脱しなければ、僕たちの命はない。
「ヴィンス、聞きなさい」
リリーは敵を見据えたまま、僕だけに聞こえる微かな音量で話かけてきた。
「私がこいつらの気をそらせる。その隙に家の地下へ向かいなさい」
地下? そんな場所、今まで行ったことがないし、あることも知らないかった。
もう8年も住んでいる家だ。
知らない場所なんてなかったはずだが…。
「地下への入り口は、あなたの部屋の本棚の裏よ。地下へ行ったら転移魔法陣がある。そこに魔力を込めなさい」
どうやら、あらかじめリリーはこうなることを予測して、事前に逃げ道を作っておいたようだ。
緊急時に逃げ込パニックルームみたいなものだ。
転移魔法陣がどこへ繋がっているのかは知らないが、今はそれしかない。
「か、母さんは?」
「心配無用よ。あなたの後に必ず行くわ。…だから先に行ってなさい」
「絶対?」
「ええ。可愛い息子に嘘なんてつかないわ。…ほら、走って!!!――清らかなる水よ、我が我が意に従い霧となれ――”ウォータミスト”!」
僕は彼女の言葉に従い、家の方へ全力で走った。
リリーが魔法を唱えると、騎士団の周囲に濃い霧が発生し、僕たちの姿を隠す。
「クソ! 厄介な! 範囲が広すぎて、聖剣の魔法消滅の効果が薄い!」
どうやら魔法を消滅させる魔王殺しの聖剣は、広範囲の魔法にはあまり効果がないらしい。
よく見えないが、霧の魔法が消滅しているのは聖剣を持った神父服の周囲半径1メートルくらいまでだ。
あれが聖剣のもつ魔法消滅の効果範囲だ。
霧が濃くて、やつらから僕たちは見えていない。
家の裏口に着くと、後ろからリリーが走ってくるのが見えた。
よかった。彼女もついてきている。
リリーの魔法で騎士団の一瞬の隙をつき、家の中へ僕たちは入ることができた。
そして急いで二階へとあがり、僕の部屋へ駆け込み、背の高い本棚を乱暴に倒す。
今までお世話になった本たちを、こんなに乱雑に扱うのは心が痛いが今は緊急時だ。
本棚を倒すと彼女の言う通り、今まで隠れていた壁には通路があり、下へと降りる階段が見えた。
「…ヴィンス、先に行きなさい」
「一緒にいこ――」
リリーの方へ僕が振り向いた瞬間、聖剣を握る神父服と彼女が対峙しているのが目に入った。
一瞬で追いつかれた。
こいつは強い。
リリーだけでは、倒せないかもしれない。
「母さん! 僕も!」
「いいから行きなさい! ヴィンス!」
「で、でも!」
「あなたがいると、足手纏いなのよ!」
!!!
そう言ったリリーの表情は、僕の位置からは伺えなかった。
確かに僕の使う魔法は奴には通じない。
他に攻撃手段のない僕は、彼女の言葉通りお荷物でしかなかった。
くそっ!!! 僕はまた、家族の一人も守れないのか!!
今度も兄の時と同じく僕は守られる側で、足手纏いだ。
また僕のせいで、家族が危険にさらされる。
生まれ変わって世界が変わっても、僕自信は何も変わっていなかった。
「――凍てつく氷槍よ、我が意に従い、敵を貫け――”アイスランス”!!」
「ははは、無駄だ」
僕が自己嫌悪して、茫然とその場に立ち尽くしていると、リリーは素早く詠唱し、Lv.2の水魔法を放った。
彼女が放った氷の槍は、男を貫くべく真っ直ぐ放たれるが、やつが聖剣を構えるだけで魔法は跡形もなく霧散した。
「さあ、行って!!!!」
「うあああああああ!!!!」
僕は叫んだ。
自分の無力さ、未熟さを悔やむように。
このまま、あの場にいれば僕が彼女の足手纏いになる。もう進むしかない。
階段を降りた先には、彼女の言った通り魔法陣があった。
それも床一面に広がるような大規模なものだ。
僕は陣の中に入り、手をかざし魔力を込める。
すると魔法陣は白い光を放ち、巨大な転移魔法陣は発動した。
僕の体は、一瞬の浮遊感とともに、地下室から忽然と消失した。