001.異世界に、転生した
目を開くと眼前には、金髪の若い女性の顔があった。
それも明らかに日本人ではない、彫りの深い顔をした金髪碧眼の美女だ。
突然現れた彼女は何者なのかと考えているうちに、目を覚ます前の状況を何となく思い出した。
でも兄が息を引き取ってからの記憶がない。
ここは病院で、彼女は看護師さんなのだろうか。
吐いたときに、赤黒い血が混ざっていた。
覚えてはいないが、恐らく兄の次に僕が刺されたのだ。
そして僕は、病院に運ばれたのかもしれない。
兄も病院に運ばれて助かったかもしれない、と一瞬に考えた。
しかし、僕の無駄に豊富な知識が、その考えを否定した。
あのとき、兄は完全に事切れていた。
すぐに病院に運ばれたとしても、治療はできないし、助からない。
「うああぁぁぁぁぁぁ!」
兄が死んだ事実を思い出してしまい、僕はまた大声を上げて泣いた。
そんな僕を金髪美女は「あらあら」とうふうに苦笑いしている。
一体彼女はどういう神経をしているのだろうか。
もしかしたら僕の状況を、知らないだけかもしれないが。
「――…―…―……―…」
彼女は、よくわからない言葉を喋った。
まるで僕を安心させるような優しい声色で、赤子をあやすように。
「あぁぁぅ…………」
彼女の声を聴くと、なぜか心が落ち着き、僕は泣き止んむことができた。
相変わらず兄を失った悲壮感が消えないが、孤独感は霧散し、もう大丈夫なのだと本能が理解した。
もしも僕に母親がいたら、こんな感じなのだろうか。
金髪美女は泣き止んだ僕を見て、聖母のような明るい笑みを浮かべ、頭を撫でてくれた。
僕は無意識に、頭上の彼女の手を取っていた。
彼女の手は最後に触った兄の手と違い、血が通って暖かった。
「―…―…」
また彼女が僕に話かけてくれるが、何を言っているのかは、わからない。
容姿も金髪だし、外国人の看護婦さん?
瞳は澄んだ青色で、非常に整った顔立ちをしている。
実はハリウッド女優です、と言われても、なんら違和感がないほどに。
しかし、何故日本語で話してくれないのか、わからないな…。
ふとそこで、彼女の手に重ねた自らの手が目に入った。
小さかった。
あれ? なんでこんなに手が小さくなってるんだ?
まるで赤ん坊の手じゃないか。
僕の手は金髪美女の手の、1/4以下のサイズしかなく、そして猫の肉球のようにプニプニしていた。
な、なんだこれ!?
「あう、あうあう!?」
!!!
驚きすぎて、変な声が出てしまった。
それも赤ん坊の声のような。
お、落ち着け。
目の前に看護婦さんがいるじゃないか。
彼女に、今の状況を聞けばいい。
あ、あの、ここは病院ですよね?
「あ、あう、あーあううあう?」
!?
しゃ、喋れない!?
「う、あううう!?」
何故か喋れなくなっている。
もしかして、ナイフで刺されて障害でも残ったのだろうか。
慌てて目をキョロキョロと動かし、周囲を見渡した。
まず目に入ったのは、自身の体。
ちんまりとした、小さな足。
プニプニの、これまたちんまりした手。
小さな赤ん坊のような体。
なんだ、これ!?
僕の体は赤ん坊になっていた。
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僕が赤ん坊になったことを驚愕とともに理解した。
金髪美女は僕の頭に軽くキスをして部屋をでて行った。
さすが外国人さんだ。
日本ではありえない、スキンシップをしてくる。
こんな美女に額にとはいえ、キスをしてもらったはずだが、僕の心は平穏だった。
これも赤ん坊になった影響なのだろうか、何故か性欲がわかない。
彼女の言葉を理解できないのは、恐らく赤ん坊になったことが原因だろう。
赤ん坊は生まれたての時は耳が未発達で、音が聞こえないと聞いたことがある。
本当は音は聞こえていたが、まあそういうことにしておこう。
はあ…。一体なにがあったんだろうか。
兄が殺されて、僕も刺されて、その後なにが起これば、体が赤ん坊に変身するのだろう。
もしかしたら、僕は本当は死んでいて、ここは死後の世界なのかもしれない。
あ、そういえば確かWeb小説で異世界転生という話を読んだことがある。
トラックで轢き殺され、異世界に転生する、という話だった。
ということは、もしかするとここは地球ではない、どこか異世界なのだろうか。
確かめる必要があるが、今の僕の体は赤ん坊だ。
立てないし、起き上がれなし、喋れないため、確かめようもない。
このまま成長するまで、待つしかないのか…。
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それから3ヵ月が経過した。
最近はようやく兄が死んだ悲しみが、薄れつつある。
兄は僕のせいで死んだ、という罪悪感は相変わらず消えないが。
僕の赤ん坊の体は、とにかくすぐに眠くなる。
少し考え事をすると眠くなり、動こうとしもがくと眠くなる。
トイレの処理は、金髪美女が全部やってくれた。
もしかしたら彼女は、僕の母親なのかもしれない。3ヶ月もたったのに、未だ彼女以外の人間に出会わないのは不思議だ。
そして僕はついに、ハイハイという移動手段を修得した。
といっても現在移動できる範囲は最初にいた、本棚とタンスのような家具しかない部屋だけだが。
赤ん坊の体では身長が低く、窓からの景色は青空しか見えない。
なんとかして部屋の外へ出たかったが、ドアノブにすら手が届かなかった。
勝手に部屋の外に出られては、金髪美女さんに迷惑だろうから、もう少し成長するのを待とうと思う。
彼女が話す言葉は、相変わらず聞き取れていない。
初めは耳が未発達のためだと決めつけていたが、3ヶ月過ごし、ようやく日本語ではない言語であるため、理解できないのだと気が付いた。
英語でもないことも、すぐにわかった。
そして、ここが病院だという線は、完全になくなった。
未だに信じられないが、ここは日本ではないどこかで、もしかしたら本当に異世界転生かもしれない、と最近では思っている。
聞いたことのない言葉、僕が死んだかもしれないという状況、赤ん坊になった体。
全てが小説通りの異世界転生と同じ現象だ。
僕自身、そうだったらいいな、と思っている部分も若干ある。
異世界転生は日本人の憧れだ。
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僕がハイハイを修得してから、約半年が経過した。
僕は自力で立ち上がるより前に、本棚に上る技術を習得していた。
本を少し引き出し、階段のようにして、ハイハイを駆使して登るのだ。
そして僕はついに、窓からの景色を見ることに成功したのだ。
どんな光景が広がっているのかと、ワクワク興奮したが、なんのことはなかった。
視線の先には、日本でも見られるような、緑あふれる庭、そして深く暗い森が広がっていた。
どうやらここは街などから離れた僻地のようだ。
何故こんな人里離れた場所に住んでいるのか。
喋れるようになったら、彼女に聞いてみよう。
未だに、ここが異世界だ、という確信がいまいち持てない。
本当に僕は、赤ん坊に転生したのだろうか。
仮にそうだとすると、あの金髪碧眼美女が僕の初めての母親だろうか。
あんな優しそうな美人が母親なら、僕じゃなくても嬉しいはずだ。
なんて考えながら、上った本棚の上で妄想していると、気が抜けて本棚から手を離してしまった。
やばい!
「あう!!」
ドタンッ!!
大きな音がして、気がづくと僕は床に寝転がっていた。
全身が熱く、ズキズキと痛み、手足は動かなかった。もしかしたら、骨が折れているのかもしれない。
本棚の上から落ちたと言っても、3メートルくらいしかないから、落ちても大丈夫と思っていたが、甘かった。
僕の体はまだまだ未発達で、貧弱な赤ん坊である。
全身が痛すぎて、息をしようとしても、うまく吸えない。
これは本当に拙い状況だ。
体は動かないし、どこか内出血でもしていたら、死ぬかもしれない。
助けを! 彼女を呼ばないと!
「あう!あうあーーう!」
必死に声を出すが、彼女に聞こえているのかは、わからない。
普段、彼女がどこにいるのか、何をしているのか僕は全く知らない。
もしも、この部屋の近くに居なければ、僕の命は最悪ここまでかもしれない。
バンッ! と、そこで部屋の扉が勢いよく開いた。
「―…!」
慌てた様子で入ってきたのは、僕の母親(仮)の金髪美女だ。
よかった。どうやら聞こえたみたいだ。
でも、これで助かるはずだ。
赤ん坊の体で、もしも骨折なんてしていたら、それだけで重症なはずだ。
だが、病院に連れてってもらえば、なんとかたるのではとも思う。
出来ればこれ以上痛くないように、治療してほしい。
「…―――…―――!?」
「あうあーーあう」
なんとか体の状況を、彼女に伝えようとするが、相変わらず言葉にならない。
こんなことになるなら、もっと早くに言葉を覚え、喋れるようになっておけばよかった。
「―、―…――…」
!!!
彼女が何か呟いたと思った次の瞬間、彼女の体から淡い白色の光が放たれた。
彼女から放たれた謎の光は、僕の身体全体を包み込むように覆った。
痛みが…消えていく?
ズキズキとした、全身の激しい痛みが突如和らぎ、そして体を覆う光とともに完全に消えた。
なんだこれ。
どういう仕組みなんだ?
光に包まれたと思ったら、痛みが消え、手足も動くようになった。
もしかして、魔法?
これは漫画やゲームで出てくる、あの魔法なのだろうか。
少なくとも地球の科学では、こんな現象は起こせるはずもない。
怪我を一瞬で治すなど、まさしく奇跡と呼ぶにふさわしい現象だ。
僕はようやくここが地球ではなく、どこか別の異世界なのだという確信をもつことができた。