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四つ目の願い

作者: シラウオ

 細かな花柄を散らした薄ピンク色の壁の、だだっ広い部屋。大きなチョコレートのような扉と、窓が一つ。広いのに、慢性的な閉塞感。

 部屋の中でひときわ存在感を放つ大きなベッドは、彼女がその昔憧れたもの。物語のお姫様のようなベッド。天蓋から下がる、透けたレースのカーテン付き。敷かれた布団はいつもふかふかで潜在の匂いがする。

 その下から、彼女は宝箱を取り出した。昔住んでいた家から持ってきたもの。彼女が唯一、自信を持って「私のもの」と言えるもの。蓋を開けると、中身はまだ空っぽだ。

 誰もが憧れるような、彼女もかつては憧れていた、お姫様の生活。彼女は今それを手にしていた。でも、それは思ったよりも優雅でなく、幸福でなく、ただ華美なだけであった。


 あの日、硝子の靴を持って追ってきた王子様は確かに彼女の虜だった。けれど、夫となった彼は、彼女の期待を裏切った。

 彼女はまだ王子を愛している。なのに、彼の愛情はあの日とは打って変わって薄れていた。毎日忙しい忙しいと彼女の話を聞かないし、結婚したばかりの頃は時々していたキスも最近では一切しなくなった。

 それどころか、この広い城では顔を合わせる日の方が少ないくらいだ。

 彼女は低い棚の上の花瓶に近づいた。差してあるのは白い薔薇。一ヶ月前、彼女の誕生日に王子がプレゼントしてくれた。けれど、それを届けたのは、彼の使用人。彼からの言葉は小さなメッセージカードだけ。「ハッピーバースデー。僕らの愛のように、永遠に枯れない白薔薇だよ」と。

 何が「僕らの愛のように」よ。と顔を歪めて舌打ちをした記憶はまだ新しい。

 一ヶ月前はまだ汚れなく美しかった薔薇も、花弁の端を茶色く濁らせていた。枯れないなんて、嘘っぱち。こんな薔薇、萎れるのも時間の問題ね。

 花瓶から一輪を抜いて、香りを嗅ぐ。そして、宝箱にそっと寝かせた。


 宝箱を両手に包み、彼女はベッドに腰掛けた。そして、ここに来たばかりの頃を回想する。最初はとても浮かれていた。夢じゃないかと何度も頬をつねった。そして結局、夢のような日々は、本当に夢だったかのように去っていってしまった。

 彼女を夢から覚ましたのは、厳しい「レディーのたしなみ」であった。

 ずっと貧乏で、雑務しかしてこなかった彼女には、一切縁がなかった世界。まずは言葉遣いから。それから、テーブルマナーに歩き方まで。

 それから、家事によって赤くささくれた手と、生活環境の悪さから荒れ放題であった肌と髪。それらまでも、「姫」に相応しくないと、されるがままに正された。まるで、全てを否定されるかのように。

 中でも、一番悲しかったのは指輪を取り上げられたこと。母が亡くなった時、形見に貰った指輪をいつも右の薬指につけていた。

 王子と婚約する際に、婚約指輪を貰った。その時に取り上げられたのだ。彼に悪気はなかった。ただ、「自分の妻に相応しくない安物」であっただけ。

 けれど、それは十分に彼女を傷つけた。

 どうせ言ってもわからないのだから、と言い出さないまま今日を迎えた。こんな気持ち、どうせ言えないのなら、どこかに閉じ込めてしまえばいい。

 彼女は王子には伝わらない悲しみを、宝箱に吐き出した。


 足元を見下ろすと、傷ひとつないぴかぴかの靴を履いた足が見えた。靴を脱げば、爪はきちんと整えられ、マニキュアが光っている。つま先が煤に汚れていることなどない。

 クローゼットを開き、底から深緑色の箱を取り出した。蓋を開ければ、硝子の靴。

 あの日この靴は、彼女の足をすんなりと迎え入れた。あの瞬間のときめきを回想するが、すぐさま虚しさにすり替わる。

 結婚式で履いて以来、履いたことはない。深い理由はないけれど、ただ、履くべきでないと思ってきた。そしてこれからも。

 彼女は再び蓋をすると、恭しく両手で持ち上げ、そっと抱きしめる。そして、これもまた、宝箱に入れた。


 宝箱に鍵をかける前に、幸せだった記憶を回想した。悪いことばかり思い返したけれど、でも、本当はいい記憶もあったのだ。

 まだこっちに来たばかりの頃、まだ、式も挙げていなかった、その頃に王子は城の案内をしてくれた。使用人が申し出たが「私がしたいのだ」と言って。

 広い庭園を彼と二人きりで歩いた。清い泉と、白いテラス。植え込みの木々はどれも丁寧に刈り込まれていた。花壇の花も美しく太陽を仰いでいた。

 彼女は、太陽を反射して虹色に光る泉に見とれていた。その時に、王子がこっちを見てごらん、と言った声をまだ覚えている。

 振り向くと、唇が触れ合った。彼女には初めての経験だった。顔が熱くなって、一瞬頭が真っ白になる。

 ただ、よくわからない悔しさと、確かな幸せを感じた。

『なに、するんですか……!』

はっとして抗議すると、彼は優しく微笑んだ。

『また、二人きりでここに来ような』

その約束は結局果たされないまま、今日を迎えてしまった。

 彼女はゆっくりと目を閉じた。他にも、探せばまだ出てくる。輝かしい日々の記憶。確かに、幸せだった。でも、ごめんなさい。

 彼女は目を開き、唇を引き締めた。宝箱に蓋をする。そして、鍵をかけた。いつまでも忘れない。けれど、もう開かないと決めた記憶。これは、次の未来を切り開く鍵となるの。

 宝箱を抱えると、窓を開いた。そして、手を二回叩き合図を送る。

 ぶわりと強い風が吹き、目の前に黒い衣装をまとった老婆が現れる。

「お久しぶりです、魔法使いのおばあさん」

「お久しぶりね。元気そうで何よりだわ」

目を細めて優美な笑みを浮かべる。

「本当にいいのね。この城を出て、ただの町娘になる。本当にそれが、あなたの願いね?」

「はい」

強く、ひとつ頷く。

「私が本当に望んでいたのは、それなんです。やっと、気づけたんです」

約束通り、彼女は宝箱を差し出す。本当は三つと決められた願い。これは、四つ目の願いの対価。

 魔法使いが口の中で何事かつぶやく。

 目の前がきらり、真っ白に輝き、全てが光に包まれた。次に目を開けばそこはきっと、望んだ世界。



 王子様。あなたは今でも私の憧れです。あなたと過ごせた日々、幸せでした。でも、さようなら。どうか、わがままな私をお許しください。私には、おとぎ話のヒロインは務まりませんでした。

 どうか、あなたが別の女性と幸せになりますように。これは、私の最後のわがままです。

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