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「……んー! サランも認めたことだし、これで晴れて二人は婚・約・者! やっほーい!」
まるで自分のことかのように、手放しで喜びの声を上げるリンリン。ぴょんぴょん飛び上がるもんだから、俺の目の前で立派な胸までゆさゆさ揺れて、なんというかその、とても目のやり場に困る。
「そんじゃ、サランは出立の準備しないとねぇ……」
「あ、そ、そうですね。私、ここを出るんでした……」
この家を出ることと結婚とは少し切り離して考えていたんだろう、今更はっと気付いたようにサランが手を打ち、きょときょとと周囲の姉たちを見回した。
「えっと……すみません、姉様、ちょっと手をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろんですわ!」
「まっかせなさい!」
「と言いますか、サランはまだ朝食もいただいていないはず」
気を利かせたユイがさっと、テーブルの隅に鎮座していた真っ黒焦げのパンをサランに差し出す。
「シャリー姉様特製のパンです。まずら腹ごしらえですよ、サラン」
「そうだねー。まだコーンスープも残ってるみたいだし」
と、竈に掛けられた鍋の蓋を取って言うテディ。蓋を取ったとたん、もわっと紫色の湯気が立ち上がったんだが、テディは湯気を顔面に直撃してもけろっとした顔をしている。鼻を突くような毒の沼地の香りがここまで漂ってきた。
だがさすが、苦労人五女。今日の当番がシャリーだってことも熟知してるし、姉たちの行動予測も立っていたんだろう。やんわりとした笑顔で、ユイが差し出すパンを拒み、自分の腹をさすった。
「いえ、大丈夫です。実は、ネックレスのできあがりが遅くなったお詫びということで、職人さんが町の食堂を薦めてくださったんです。常連のお店らしくて、紹介で行った私も特別価格でランチセットを提供してくれました。だから朝ご飯は大丈夫ですよ」
「あらま、準備のいい子ね」
思いの外あっさり姉たちは引き下がり、パンやスープを勧めるのをやめて、サランの荷造りを優先させることにした。
「じゃ、上に上がりましょうか。トランクいっぱいに荷物詰めないとね」
「服もたくさん要りますよね」
サランを囲んで四人は楽しそうに話しながらキッチンを出て行った。五人とも全員そこそこ機嫌もよさそうで、とりあえずは一安心だな。
だが、華やかな五人がいなくなってしまった後には、俺とジジイが取り残された。さっきトラウマレベルのいたずらをされた分、なるべくこのじいさんと同じ空間に、二人っきりで居座りたくはない。
「……あー、じゃあ俺はクロウの準備してくるぜ」
やっと今日を以て解放された愛馬に馬具を付けなきゃならない。そう思ってじいさんに背を向けた。じいさんは何も言わないから、気にせずドアに歩み寄る、が。
「……貴様、何かわしに言うことはないんか」
ドアノブに手を掛けたとき、背中にジジイの声がかかった。面倒だから、首だけそっちに向けてやる。
「何だよ……悪趣味ジジイに話すことなんてないけど」
「馬鹿たれ。うちのかわいい弟子を嫁にするんじゃろうが。何か、言うことがあろうが」
……何だ。つまり、
「お弟子さんを俺にください!」
「いーや、かわいいサランは貴様にはやらん!」
「そこをなんとか!」
「そこまで言うか……ならば! わしを倒してみせよ!」テーテテテッテテー(ラスボスBGM)
「はいっ!」バキッ
「まだまだじゃ!」ドカッ
「うっ……ここ、までか……」ドサッ
「フハハハハ、まだまだ甘いな、青二才め!」暗転→ゲームオーバー
……みたいな展開を期待してるのか? ここで三文芝居を繰り広げろと?
だがまあ、タイマン勝負は持ちかけないにしろ、一応断りは入れておくべきか……。
ドアノブから手を離し、(不服だが)頭を下げてジジイに言う。
「タロー殿。お宅のサラン嬢を妻に迎えたいと思います。どうかお許しください」
「うむ、許さん。ションベン臭いガキには早すぎるわい」
……殴ってもいいですか?
「だが……しかし、サランもまんざらでもなさそうじゃし、わしから言うことはない」
ちょっと前に引き裂いた新聞を折りたたみ、じいさんは落ちくぼんだ目で俺をじっと見上げてきた。
「まあ、いくつか物申したいことはある。だがそれはまた後日じゃ。とりあえず、逃げだそうとさえ考えていた貴様がきちんと嫁選びをしたことは褒めてやろう」
「……そりゃあどうも。天下の大魔術師様に褒められて光栄ですよ」
全く感情を込めずに言ってやったが、ジジイは俺の言葉に青筋立てることなく、どこか考え深げな表情で顎に手をやった。
「……天下の大魔術師、かの。そういえばわしもそんな渾名を持っておったの」
「忘れてたのかよ」
「弟子の結婚を考えているときは、わしとて国随一の魔術師である以前に、一人の師匠じゃ」
なぜかすねたようにジジイは口をとがらせ、折りたたんだ新聞の残骸をテーブルの端に押しやった。あっ、シャリーの黒こげパンが新聞に押し出されて落下したぞ。
「これだけは言っておくが……わしが大魔術師である以前にただのジジイであるのと同じように、サランとて魔術師の弟子、そして公子の婚約者以前にうら若い娘なんじゃ」
「……」
そんなの分かっている、という言葉はのどのあたりでぐっと押さえた。ジジイの眼差しがいつになく真剣だったから、余計な口を挟むことさえ憚られた。
「……魔術師は一般人とは違う、と考える者も多いが……わしはそうは思わん。魔術師も、怒り、泣き、喜び、感動する。腹も減るし怪我をすれば血が出る。そして少しの衝撃でも、打ち所が悪ければ死ぬ。……少々変わった力を持つだけで、他は貴様らと何ら変わりがないんじゃ」
「……」
「だから、貴様はサランを他の娘とは違った生物だと、特別に扱おうとは思ってはならんぞ。異端扱い、異形扱いされることの苦しさはわしもよく分かっておる。サランが魔術師である以前に脆くて弱い女性であることを……一生、忘れるでないぞ」
魔術師である以前に。
俺はひとつだけ頷き、クロウを厩から出すべく、キッチンを後にした。




