3
こうなったら、木立でも見つけて何とかするしかないのか……。
ああ、従者に言ったらどんな顔をされるだろうか。
いや、逆に身を捨てる覚悟で、「こいつは旅先で……をした男です」という風に噂が立てば、結婚の件も解消されるんじゃないか? 「こんな下品な男に、うちの娘はやれん!」という流れで。
いや、そうすれば結婚は解消されるだろうが、親父の雷が落ちるだろう。親父も魔力がないはずなのに、なぜか雷魔法だけは得意なんだよな。今まで何度も、ひどい目に遭ってきたんだ。
そう、既に魂を飛ばしていた俺だが……ふと俺の鼻が、香ばしい香りを嗅ぎ取った。
パンが焼けたときのような、俺の好きな匂い。
いいや、決してパンを食いたくなったわけではない。俺は今、木立の広がる街道を走っているのだ が……人気のないように見えるこの辺りに、パンを焼けるぐらいの規模の家があるということだ。
家がある=便所がある=俺の体裁が守られる=俺の結婚は破棄されない
……うん、今は結婚云々より、便所だ。トイレだ! 俺のプライドだ!
「おい、悪いけどこの先で……」
少し休もう。
そう言いながら俺は従者たちを振り返り見た。のだが……。
俺の背後。そこには、夕暮れ近く太陽を浴びて茜色に染まる、草原のみが広がっていた。
……いない?
はぐれた? そんな馬鹿な。ここまではずっと一本道で、しかも俺は鈍足。はぐれるはずがないのだが……。
と、従者の安否を確認したいところだったが、俺はそれよりも重大な問題を抱えているのであり。
従者たちと、便所。
迷う間もなく、天秤にかけられた二者はガクンと便所の方に傾いた。
……すまん、従者たちよ……!
こうなったら、従者とはぐれたことは親父に正直に報告することにしよう。俺がちんたら走っていたのは事実だし、見失った奴らにも責任はあるはずだ、と。
よし、決まった所でいざ坑道! じゃなかった、行動!
香ばしい香りは、木立の中から漂ってくるようだった。一見すれば、広葉樹が隙間なくもっさりと立ち並ぶ小さな森のようだが、住む人があるだけあり、木々に埋もれるようにして細い獣道がうっすらと続いていた。そろそろ日暮れ近いため、立ち並ぶ木々はほんのりと赤く染まり、逆に木立の奥は夕日が届かず、しんと暗い空気が満ちていた。
とりあえずクロウから降り、手綱を引いて獣道に入った。何年もかけて踏みしめられてできた、といった感じの道は人間の足では通り心地がよかったが、さすがに俺よりずっと背丈があって体格のいいクロウを伴ってだと、横から張り出した木の枝や足下に伸びる木の根が邪魔でうまいようには進めない。
仕方ない。俺はクロウに軽く声をかけて、手綱を近くの木の枝に結びつけた。
「悪い……俺はちょっくら便所に行ってくる。すぐに、帰ってくるからな」
愛馬は俺の謝罪を聞いて、「仕方ないやつめ」とばかりに鼻を大きく鳴らせた。そして了解したように頭を振ると、俺から一歩離れた。
俺を気遣っているのか、それとも自分の鞍の上で何かされてはたまらないからか。とにかく、聞き分けのいいクロウには感謝だ。今日の飯はいつもより豪華にしてやろうか。