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ドアを開けたら、そこは空中でした。
まさに、そんな感じだった。
吹きすさぶ風。灰色に淀んだ雲。ほとんど日の差さない空。
ここはどこだ?
「公子様、下見てみなよ」
後ろからどこか楽しそうなテディの声がした。彼女の声に従って下を見て……。
そこには、千尋の谷が広がっていた。
諸君に説明しよう。まず、右手の人差し指をまっすぐ上方に立ててくれ。で、その指の先に、手近にある本や箱を乗せてみる。
……ぐらぐらするし、支えとなっている左手を離すと本は落ちてしまうだろ?
今まさに、そんな感じだった。
標高三千メートルが平均の、バヌ山脈。しかも山は針のように尖っていて、登山には向いていない。まさに、剣山みたいな山なんだよなーハハハ。
……ハハハ。
そう、今この部屋はその剣山の針の一つに刺さり、標高四千メートル近い最高峰から地上を見下ろしているのだった。
あ、でも地上は見えないけどね。遠すぎて。眼下にかすかに見える紐みたいなの……あれが川かなぁ?
「……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
思わず、がっしとばかりにドアに張り付く。だって、標高四千メートルだぞ!? しかもむちゃくちゃ安定悪そうな所にいるんだぞ!?
死ぬよ! 落ちたら俺死ぬよ!
「おおおおお、おい! 戻れよ、早く、戻るんだ、ジジイ!」
腰も砕け、開け放たれたドアに張り付くようにしている俺。だが俺以外は誰一人として動揺していなかった。
「やだ、情けない男ねぇ、姉様」
「ですね。しかし免疫がないので当然と言えば当然ですが」
「あーあ、公子様って言うくらいなんだから、高いとこもへっちゃらだと思ったのにー」
なんて会話してやがる!
くそっ……慣れの問題なのか!? 慣れれば大丈夫ってレベルなのか!?
ジジイなんて、これ見よがしにケタケタ笑ってやがる! この……っ!
「ジジイ! もういいんだろ! 早く帰ろうぜ!」
「だったらドアを閉めんかい」
……あーあー、分かりましたよ! 閉めますって!
このドアが内開きで本当によかった。外開きで限界まで開いたドアを閉めるなんて、俺には無理だった。ということで既にガクガク震える足を奮い立たせ、ドアを閉めるとジジイの手によって俺たちは家に帰還できたようだった。
……今日は本当に、格好悪い場面しか演じてないな……。
くすくす笑う女どもに背を向け、俺は深ーい深ーいため息をつくのであった。
で、その後リンリンは見事、絶海の孤島へ移動し、テディは年中雪に覆われたノーステッド公国への移動を命じられた。
だがどうもテディはさっきの俺の失態が相当悦に入ってたらしく、呪文詠唱の時に一瞬、思い出し笑いしてしまったらしい。
結果、ドアを開けたテディを猛烈な吹雪が襲い、テディは等身大の雪だるま化。内開きのドアに対して外から猛吹雪が押し寄せるので、ドアを閉めようにも閉められない。
部屋の中が雪で埋まってはならないと奮闘した結果、ユイの手によってドアが閉められ、俺たちは家に帰還。地下室は雪まみれだしテディは氷付けだしで今日の授業はここまでとなった。
「……おい。テディは大丈夫なのか?」
その後、俺たちは温かい飲み物で体を温めていた。全員雪まみれで体の芯から冷えていたのでキッチンには時季外れのストーブが焚かれ、サランが全員にココアを配っていた。ジジイは凍り付いたテディを解凍しているらしく、ここにはいない。
シャリーは赤くかじかんだ手を丸めながら首を傾げる。
「そうですね……きっと大丈夫でしょう。あの子は人一倍体は丈夫ですし、ちょっとやそっとでは死にません」
うっ……何げに厳しいお言葉が返ってきた。姉が言葉足らずだったと察したのか、ユイが横から補足する。
「今までもこういうことはありましたから。吹雪はもちろん、灼熱の砂漠や……」
「そうですね。そういえばリンリンが来たばかりの頃、一度海中に移動したこともありましたね」
海中……だと?
「ああ、そんなこともあったわね」
リンリンは陽気に笑う。
「あれにはびっくりたわ。だってドアを開けたとたん、海水がどばーって。当然、ドアは閉まらないし部屋はあっという間に海水で埋め尽くされるし。さすがに死を覚悟したわねー」
そう、からからと笑うリンリンだが。
「……リンリン、さすがにそれは笑い事ではありませんわ」
静かな、しかし怒りを讃えた声に一同、凍り付く。振り返れば、いつもと変わらない笑顔を浮かべて……だが、背中からはとんでもない黒いオーラを放ったシャリーが……いた。
「マ・リンラ。あの事故はあなたにとっては『びっくり』で済む話だったのですね。そうですか。リンリンには少しばかり、おしおきが必要のようですね……」
「あ、い、いえ! 滅相もないですわ、姉様!」
ぎくりと身を震わせ、ココアを持ったままその場に土下座するリンリン。
「申し訳ありません! あれは私の失態でした……お許しください!」
うわぁ……あのリンリンを土下座させるなんて……。シャリーはやっぱり、かなりの大物ボスなんじゃないのか……?
しばし、頭を下げるリンリンを見、とばっちりで凍り付いた俺たちを見、シャリーはふうっと息をついた。
「……いいですのよ、リンリン。これからは不用意なことを言わないように」
その一言を皮切りに、俺たちをフリーズさせていた呪縛がフッと解かれた。
恐怖で身をすくませる妹たちと、先ほどまでの殺気はどこへやら、フンフン鼻歌交じりでココアをすするシャリー。……やはり彼女はいろんな意味で「外道」のようだった。
誰にともなく頷き、俺はココアをすすった。
あ、ココアも凍ってる。




