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そして気づいた。
「……おい、じいさん。もう一人の弟子はまだ席を外しているのか?」
今まですっかりその存在が抜け落ちていた。というか、誰も彼女の不在についてつっこまなかったし。話の中に名前が出てきただけだった……よな?
俺の指摘を受け、じいさんははっとしたように顔を上げた。
「おー、そうじゃそうじゃ。サランを見かけないのぉ。どうした、この男に誑かされて一人、自室で枕を涙で濡らしておるのか……」
「じいさんは黙っててくれ。えーっと……シャリーさんか? サランさんはここにはいないのか?」
一番まともそうな見てくれの女に聞いてみると、シャリーは長い髪を揺らして首を傾げた。
「サラン? ああ、そうよ。あの子は外で馬を入れるよう頼んだのでしたわ」
「馬?」
馬、馬……そうだ、馬! クロウだ! すっかり存在を忘れていた! 本当は便所だけで帰る予定だったのに。壁に空いたかまぼこ形の窓から外を見れば、すっかり夕闇に覆われた木立が目に入った。
「クロウを呼んできてくれたのか?」
「ええ、きっとね」
シャリーの言い方からして、サランは馬の扱いも慣れているのだろう。だが、愛馬のことはやはり心配だ。待たせたことも詫びなければならない。
「悪い、ちょっと俺、馬の様子を見てくる」
「あら、逃げるつもりですか?」
「……それはもう諦めてる」
赤毛の女(確か、ユイ)に言い返し、
「おう! サランと逢い引きするつもりか! いかんぞ、それはいかんぞ!」
「じいさんは黙っててくれ」
ジジイは突き放し、俺は爆乳女(リンリンと呼ばれていたと思う)から厩舎の場所を聞いて早速、そこへ向かった。
外はすっかり暗くなっていた。もともと人里離れた場所に住居を構えているだけあって、近所の明かりや街角のランプも存在しない。ぼんやりと上空から照らしてくる月の明かりだけが街灯代わりになった。
目的の厩舎はすぐに見つかった。リンリンは爆発した見た目の割に説明上手だったようだな。
中にはまだサランがいるのだろう、豆球の明かりがぼんやりと外に漏れ出ていた。
俺がドアを開けて厩舎に入ると、はっと息をのんだような音が。
「……あっ、公子様……?」
惚けたような声で言うのは、腕いっぱいに飼い葉の束を抱えたサラン。クロウをつないだ厩の前でこっちをぼうっと見ていた。
「あの、姉様たちがあなたはフォードの公子だって……」
「ああ、そうだ」
短く返し、クロウに近づく。相棒は大いに鼻を鳴らせ、「どこに行ってたんだこの馬鹿」とばかりに俺の肩に軽く頭突きしてきた。
「……この子、なかなかあの場所から動いてくれなかったのです」
飼い葉を足下に並べ、サランはふうっと息を吐く。
「かといって私に威嚇するわけでもなく……ついさっき、やっと動いてくれたんです。とても公子様に懐いているのですね」
そう言われ、俺は初めてサランの顔をまともに見た。
肩胛骨までの茶髪に、茶色の目。美人だったり目立つ容姿が多かったりした後の四人と比べると、圧倒的に見た目は地味だった。四人の容姿や個性がきつすぎるのもあるんだろうが。
だが、あいつらよりずっと落ち着いていて、優しげな雰囲気がする。
「……ああ、クロウは俺の長年の相棒だからな」
「やはりそうでしたか」
そう言って、笑う。
どこか儚げに、笑う。
サランは一度クロウを見上げ、そして俺に視線を戻した。
「公子様は今夜、ここでお泊まりになるのですか?」
あ、そうだった。ずっとクロウの相手をしてたんだったら、あの騒ぎも聞きつけていないんだろう。
……というか、彼女の意見なしにあの話は進んでいたんだな。今考えれば、弟子は「五人」なんだ五5人揃う前に決定が下されたとは……。
「……まあ、そうだな」
「本当!? 実は今日の晩ご飯は私が作ったのです!」
何も知らないサランはぱっと表情を明るくして手を胸の前で合わせた。
「パンの焼けた匂い、したでしょう? 今日のは特にうまく焼けたので、みんなで食べましょう!」
「……そうだな」
クロウに別れを告げ、壺形の家までの暗い道を二人で歩く。
「師匠や姉様にお会いになったのでしょう」
俺の無言を肯定と受け取ったのか、サランは暗闇の中で小さく笑った。
「大丈夫です。姉様も師匠も皆、お優しい方ばかりです。きっと、公子様のことも歓迎してくださりますよ」
ええ、ものすごい歓迎を受けましたとも。嫁選びという名の、歓迎を。
婚約の件も嫁選びも何も聞かされていない彼女には酷かもしれないが……俺は少しだけ、これから始まる日々に望みが持てた気が、した。