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「さっきも言ったように、貴様はサランの思い出の人物じゃ。サランも少なからず、記憶の中の少年を慕っておる。だがもちろんあの子は、貴様が例の少年と同一人物であることには気付いていない。あえて伏せておいたからの」
だから、とじいさんは落ちくぼんだ目で俺をじっと見てきた。
「サランに言っても、言わなくてもいい。ずっと昔から好きだったと言えば、サランも喜ぶし、納得するじゃろう。記憶のこともきちんと話せば、戯れに交わした約束も口実にできるはずじゃ」
「……」
「だが、正直に話せばいいというわけでもないんじゃ」
いわゆる、弊害。
「昔の約束に縛られ、仕方ないから結婚する。そう理解されてもおかしくはない。女心は複雑じゃからの。昔の約束と、今の一目惚れ、どっちを大切にするかはわしらには分からん。わしらはあくまでも、お膳立てしただけじゃ。『七日間過ごして、サランのことが好きになった』と言った方が効果があるか、『ずっと昔の約束を果たしたいから』と言った方がよいのか、それはサラン次第じゃ。そして、貴様次第でもある」
確かに、じいさんの言うことにも一理ある。
今まで、七日間の契約上での婚約は強引すぎると思っていたが、一目惚れや電撃結婚はよくある話だ。実際、俺も七日間でサランのことがかなり気に入った。いきさつはともかく、出会ってからの時間はそう問題にならないことが多い。
逆に、幼い頃からの約束を果たしたと言って喜ぶ女性も多いだろう。今度こそきちんとした指輪を贈る、ずっと好きだったんだと言えば心は揺れ動くし、まっとうな理由にもなるだろう。
だが、どちらにも弊害は起こりうる。
しばらく黙って考え込む俺と、そんな俺を珍しくも黙って見守るじいさん。こちこちと、今の時計が時を刻む音のみがしばらく、部屋中に響き……。
「……様子を、見ることにする」
考えた末、出した俺の答えにじいさんの片眉がぴくりと上がる。
「だが、今の方針では過去のことは伝えないことにする。サランの性格からすれば……過去の記憶に縛ることの方が、気に掛けるだろうから。出会ってからの時間の短さなら、これから埋めることも可能だろう」
「……それが貴様の答えなら、わしは何も言わん」
吊り上げていた眉を元に降ろし、じいさんはこっくり頷いた。
「公爵殿は事を進めたがっているようだが……焦る必要はない。むしろ、焦ってほしくない。貴様の身はどうなっても構わんから、サランだけは大切にしろ」
……本当に、口の減らないじいさんだ。だが……。
俺だってただのヘタレじゃないんだぞ。
一撃喰らうのを承知で、ニヤリと不敵に笑ってみせる。
「……もし、サランにとって俺が、大切な存在になったなら……俺が『どうなっても構わない』身になったらサランも悲しむだろうな」
顔を上げれば、ぽかんと口を開いたままのじいさんの顔が。今まで、不機嫌な顔は幾度ともなくされだが、鳩が豆鉄砲食らったかのような顔をされたのは初めてだな。ちょっとした優越感に、胸が満たされた。
「……言うようになったの、青二才風情が」
「へっ、俺もこの七日間で成長したんだよ」
たらいを喰らう覚悟でそう言ってのけると、じいさんはチッと舌打ちし、いつものように不機嫌な表情に戻った。
「つまらんのぉ……貴様をいびるのがわしの楽しみであったのに」
「妙な趣味を作るな」
「まあ、よい。これ以上はわしの政略外の話じゃ」
つまり、「貴様とサランの今後の関係には口を出さないつもりだ」って言いたいんだな。
「だが、忘れんようにな。理由やいきさつは何であれ……サランを選んだからには、あの子を大切にするんじゃぞ」
その瞳は、枯れたジジイのものでも、大魔術師のものでもなかった。愛弟子を心配する、ひとりの保護者の眼差しだった。
俺は一つ、頷く。
「ああ……任せてくれ」
その後しばらくして親父たち帰宅。フォード領内を自慢しまくってご満悦の親父たちと……なかなかまんざらでもなさそうな表情のサランたち。よかった、親父たちの性格に耐えられる家族で……。
「サランさんのご両親はとても聞き上手だったのだよ」
出迎えた俺に嬉々として語る親父。
「我が領地のことにも興味津々でな、大変充実した時間を過ごせたよ」
「……そりゃよかった」
まあ、一番ご機嫌なのは言うまでもなくこの親父なんだが、五人ともそこそこ満足そうな顔をしているから、よしとするか。
「あ、アーク様」
背後から呼ばれる。振り返ると、頬を紅潮させて胸に手を当てるサランが。
「フォード公国のお散歩、とても楽しかったです! 知らない場所に行くのってとてもいいことですね!」
「……そうか。楽しかったんならよかった」
少し躊躇われたが、ふわふわと揺れるサランの髪に触れ、そっと撫でてみる。サランははっとしたように顔を上げたが、間もなく嬉しそうに微笑みかけてきた。
少し後ろに立つサランの両親は不安そうな表情をしていた。俺が軽く頭を下げると、二人も慌てて会釈を返してきた。
……俺たち、うまくやっていけそうだな。
サランだけに聞こえるように、耳元でそっとささやく。サランは顔を上げ、一瞬不思議そうな眼差しで俺を見上げてきたが、しばらくしてこっくり頷いた。
……はい。よろしくお願いしますね。
そう言って、微笑むサラン。
この笑顔を守りたい。そう、思えた。