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紅茶のポットは既に空になっていた。メイドを呼んで新しい紅茶を入れさせ、俺は自分のカップに何杯目か分からない紅茶を注いだ。それほど飲みたいわけではないんだが、唇を湿らしておきたかった。
「だが、そこから先はどうなんだ? 俺がジジイの家に行くようになったのは」
「わしに抜かりはない。ぜーんぶ、ワシの思惑通りじゃ」
「はぁ? だいたい俺がじいさんの家に寄ったのも、便所に行きたかったわけ……で……」
え、ひょっとしてそれも計算のうち?
どうやら図星らしい。ジジイはニヤリと嫌な笑みを浮かべた。
「ほうほう、便所を借りたくなったと。さては、ネッゾの町で水でも飲みすぎたな?」
水……水……そうだ!
買い物をした後、飯屋で軽食を取ったんだが、その時に出された飲み物をがぶ飲みしてしまったんだ。不思議な味がして、かなりおいしくて、ついつい……。
「あ、あれにもジジイの手が込んでいたのか!?」
「人聞き悪い言い方じゃのぉ。ただ、ウエイトレスに扮したユイが自作の膀胱刺激剤をちょーっと入れただけであって……」
「まじか!?」
ってことは、俺が便所で用をたすことも予測済みだったのか! 邪魔な従者は魔術で追い払い、うってつけな場所に家を据えて、しかもパンの焼けるいい匂いがすればそりゃあ、立ち寄りたくなるよなぁ……。
「で、貴様が家を訪れたら一番にサランが出迎えるよう、わしらは全員出払っておいた。吊り橋効果と言うからのぉ」
……そういえば、俺が便所を借りたと言っただけで「小の方か」とか言ったよな。そりゃ、分かっていたんなら言うよな。シャリー以下四人が妙に訳知り顔だったのも、ジジイの協力者だったからなんだな……。
「じゃああの理不尽な宣言も、全部計画通りだったんだな」
「うむ。シャリーたちもわしの期待した以上に動いてくれた。おかげで貴様は皆に振り回され、サランは貴様に同情するようになったんじゃ」
「同情?」
同情っていうのはどういうことだ?
俺の疑問を察したジジイは、空になったカップを手でくるくる回しながら頷く。
「わしはシャリーたちに言った。『あの公子につきまとえ。何かと尽くすが、サランへの気遣いを忘れないように』と。サランは知っての通り、控えめで後ろ向きじゃ。シャリーたちは思い思いの方法で貴様とふれあい、自分の魅力も伝えたじゃろう。貴様も思ったじゃろう? シャリーたちはいい女だと。嫁にするかしないかは置いておいても、皆個性があってすばらしいと」
「それは……確かに」
「それも狙いじゃ。だがサランは、振り回される貴様を見てきっと、不憫に思うじゃろう。意に添わぬ結婚相手探しをさせられて、内心悲しいんだろうと」
「……」
「そこで、わしが予想したサランの行動は二種類じゃ」
カップを降ろし、小枝のような指を二本立てる、じいさん。
「ひとつは、自分を犠牲にして偽の花嫁となる。わしらの気を紛らわせて、家を出たら立ち分かれ、とにかく貴様を屋敷へ帰らせる。こっちはサランの性格からしてまず、あり得ないだろうとは思っていたのだが……案の定、サランは第二案に転がってくれた」
立てた二本の指のうち、中指を折る。
「もうひとつ。貴様を逃がす手伝いをする。姉弟子を言いくるめ、貴様を見逃させるよう説得させようと。サランはこっちを選んだのじゃろう?」
「……そうだ」
結局、その作戦もリンリンの用事を引き受けたことでおじゃんになったはずなんだが……妙にタイミングが悪すぎると思ったら、やっぱりこれも作戦通りだったんだな。困り果てた姉の姿を見ればサランは放っておけないって。俺の花嫁用のネックレス、って言われたら従わざるを得ないもんな。
「まあ、結果貴様がどう出るかは分からんかった。だがうまいように事が進んだ。サランがああやってヒートアップとは思わんかったが、貴様もサランのよさに気付いたし、サランもまんざらでもなさそう。これで一段落付いたんじゃ」
「……そんなことがあったんだな」
ということは、この七日間俺があくせくし、個性的すぎる五人姉妹に振り回されていたのも、全部、ぜーんぶこのジジイの策略だったのか!
「……でも、なんでここまで俺に暴露したんだ?」
一呼吸置いて、ジジイに問う。
だって、いわゆるこれも「政略結婚」だ。その対象たる俺にここまでネタバレして万が一、俺の気が変わったりしたらどうするつもりなんだ?
だがじいさんはフンとひとつ鼻で笑い、持っていた例の書類をぴらぴらと振った。
「ここまで追いつめれば逃げようとは思わんじゃろう。それに……貴様も、少なからずサランのことは好いているんじゃろう?」
「……それは……そうだ」
そうじゃなけりゃ、いくらあんな状況でもサランの手を取ったりはしなかっただろう。
「好き……ではあるが、俺自身本当にサランを大切にできるか自信がないんだが……」
「相変わらずヘタレとるのぉ」
うっさい。
「顔をしかめるでない。わしは貴様に、選択肢を与えとるんじゃ」
じいさんは鬱陶しそうに手を振り、朽ち折れた木のような腕を組んだ。