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外でガラガラと馬車の車輪が音を立てる。窓の外を見ると、フォード家所有の大型馬車が発車していったところだった。親父と母さんの性格からして、帰ってくるのには相当時間がかかるだろう。
「……厄介払いってところか?」
ぽつりと、問うてみると珍しくジジイはニッと笑ってきた。
「そうじゃ。ぼんくらの割には賢いの」
「……そりゃ、こんくらい俺にだって分かるさ」
気の利くメイドが、ジジイと俺用の紅茶を入れてきた。メイドにはきちんと礼を述べ、丁寧にカップを受け取るあたり、このジジイの慇懃無礼はやはり俺に対してのみなんだと実感させられた。
「今日、サランの両親を連れてきたのにも訳があるのか?」
俺の問いに、紅茶をスプーンでかき回していたジジイは頷いた。
「まあな。いずれ貴様もサランの両親と面会する。その時のためにと思って今日は来たんじゃ」
「……それは……この一連の出来事についてか」
ぴたりと、ジジイの手が止まる。だがそれは一瞬のことで、すぐにまた、無意味にくるくるとかき回し始めた。
「貴様は思ったほど馬鹿じゃないようじゃの。これならサランを任せてもよいかもしれん」
「そりゃどうも」
「そうじゃのう……貴様も、わしの申し出にはうすうす不信感を抱いていたんじゃな?」
「そりゃあ……いきなり言いがかり付けられて婚約者を選べなんて言われたら、誰だって不審に思うって」
確か、「責任を取れ」みたいなことを言われたはずなんだが、あまりにも唐突すぎると、内心反抗していた。まあ、この七日間は充実していたし、六日目の夜まではその感情も押し込んでいたんだけど。
ジジイは紅茶を混ぜるのをやめ、スプーンを降ろしてひと口、紅茶をすすった。
「むう、よい茶葉を使っておる。後で少し、分けてくれ」
「まあいいよ。母さんのお気に入りなんだが、多分喜んで分けれくれるな」
それで、と俺はジジイに詰め寄る。こうなったら、一連の話を聞き出さなければ胸の奥がすっきりしない。
「何か考えあっての発言だったんだろ? さては、うちの金鉱目当てだったとか」
「馬鹿たれ。誰が金とかわいい弟子を天秤に掛けるものか」
ごいん、と頭部で鈍い音と、鈍い痛み。俺の後頭部に命中して、今はカーペット上に転がっているのは金色の鍋……いや、たらい。
どこから出したんだ、っていうツッコミはもう野暮だろう。とりあえず、邪魔になるからたらいは近くの棚に置いておき、ジジイの話に耳を傾けることにする。
「それは悪かった。じゃあ、何だったんだ?」
「まあ、言うなら金鉱はおまけじゃ。さらに言うなら、いいダシじゃ」
紅茶を飲み干し、自分で新しいのをカップに注ぎながらジジイは言う。
「この話は、七日前に急きょ決まったんじゃない。事の始まりは……そうじゃな、今から二年前になるかの。サランが入ってきて数ヶ月経った時じゃ」
当時、かなり大きくなってから入門し、何かと戸惑いがちなサランをシャリーを初めとした姉弟子たちは優しく受け入れ、妹分として可愛がってきた。
五人は一緒に魔術の授業を受け、とある日、記憶についての文献を読んだ。
その書物によると、人間の記憶とは不思議なもので、遥か昔のことを断片的に覚えていたり、ばらばらな記憶がつなぎ合わされたりするものであり、魔術師の魔法の中には、人の記憶を分析するものもあるのだという。
それを聞いたサランがその日の夜、タローの部屋を訪れたそうだ。
「不思議な記憶があるから、その記憶を解析してほしい」と。
記憶の解析は、術者一人で成し遂げられるものではない。当然、その記憶の持ち主が存在する。記憶分析の術を行う際は、その持ち主の同意も必要なのだという。無理に記憶を引き出そうとすれば持ち主の精神が崩壊したり、記憶の鎖が断ち切られたりするため、大抵の記憶分析は持ち主の依頼によって行われるのだ。
タロー自身も、新人弟子の申し出には興味を抱いた。そこで、彼女をベッドに寝かせて早速、記憶分析術を行ったのだという。
まず、見えてきたのは夕暮れ時の草原。両親と共に草原を歩く少女。
少女はにこにこ満面の笑顔で花をむしり、簡単な花束を作って両親に差し出す。
両親は草原に座り込み、少女は両親を置いてひとり駆けだす。誰もいない草原に、茶髪の少女がひとり、走っていた。
ふと、少女は歩みを止める。前方に、小さな影。少女と同じように走る、小さな姿。
二人の目が合い、互いの動きが止まる。
……え?
そこまで聞き、俺は言い様もないデジャブに襲われる。
夕暮れの草原。
出会った二人。
ずっと昔の記憶。
「心当たりがあるんじゃろ?」
尋ねる、というより確認するようなジジイの声。そりゃ、そうだ。三日前、夢で見たのと全く同じ光景なんだから。
確かめたい。だがそれよりも、ジジイの話を聞くのが先決だろう。
立ちあがりかけた俺が再び腰を据えたのを見、ジジイは紅茶で唇を湿し、再び過去の話に戻った。
「君はだれ?」
その影が問う。まだ幼い、少年の声だった。少女はふるふると首を振り、どうしようかと考えあぐねる。父の元へ戻るか、ここに残るか……。
だが、答えは少年の方から出してきた。少年はにっこり笑い、手を差し出した。
……少女の記憶の中の少年は、顔がなかった。目の部分を中心に、濃い霧が掛かったかのように見えなかったのだ。ただ、口元だけが嬉しそうに笑っていた。
「一緒に遊ぼう」
少年は言った。少女は頷き、その手を取った。
二人はオレンジ色の草原を遊び回る。花を摘み、たわいもない話をし、じゃれあい。
少年は名前を明かさなかった。だから、少女も名を名乗らなかった。
遠くから、知らない大人の声がする。少年を呼んでいるのだろう。少女が残念そうな子をすると、少年は作りたての花冠を少女の頭に乗せ、口元だけで微笑んだ。
「また、遊ぼうね」
本当に? 確信の持てない約束に少女が不快な顔をすると、少年はこっくり頷き、今度は野花で編んだ花の指輪を差し出し、少女の右手薬指にはめた。
「これ、結婚の約束。大きくなったら、結婚しよう。そうしたら、ずっと一緒に遊べるよ」
そう言われ、少女は嬉しそうに笑った。約束よ、と指を差し出せば、約束だよ、と指切りを交わされる。
そこまででサランの記憶は終わっていた。目覚めたサランに聞いてみると、この記憶が断片的に思い出されるのだが、一体どこなのか、この少年が誰なのか思いさせないのだという。そして、できることならもう一度、少年と会いたいと。
その風景からしてマックリーンの丘であるとはタローはすぐ分かったらしい。だが、少年については判明できず。結局、「もし分かれば伝える」とだけ言って、その日はサランを帰したのだという。