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そんな感じで、よく分からないまま俺たちの生活が始まるかと思った。
……思ったんだが、翌日、早速その予測は裏切られた。
「おはよーじゃ! サラン、元気かのー!?」
朝一番、朝食も済んでさあ今日の活動開始……と思いきや、ノックもベルもなしに、ばあんと屋敷のドアが開かれる音がした。
……この無遠慮さと、この枯れ木のような声は……。
「……じいさんかよ」
「むっ、やはりその口の悪さは変わっておらぬな」
朝っぱらから拝んでも嬉しくも何ともない、世紀の大魔術師タロージジイの登場だ。昨日別れてから数時間しか経ってないのに、えらい久しぶりに会う気がする。
多分、馬車じゃなくて例の移動魔法を使ってきたんだろう。開け放たれたドアの向こうに馬車の姿はなく、代わりに、ジジイの背後には見慣れない一組の中年の男女が佇んでいた。不安げな表情で、こっちを伺う二人は……雰囲気からして、夫婦だろう。
……この二人は……?
まあ、とりあえず客人対応すべきかと口を開きかけた俺だったが。
「アークー、どうしたのだー?」
「あら、お客さんですの?」
音と声を聞きつけて、親父と母さん登場。あっ、この二人を見たとたん、ジジイが連れている夫婦の顔が強ばったぞ。
親父はまず、偉そうに仁王立ちするジジイの姿を目に留めたらしく、ぽんと手を打った。
「おお! あなたが噂に高いタロー殿! お会いできて光栄ですぞ!」
「うむ、面と向かって話すのはこれが初めてじゃな、フォード公爵殿」
今までの慇懃無礼な態度と正反対に、ジジイは礼儀正しく腰を折って親父と母さんに会釈する。本当に、このじいさんは俺だけに対してえらそーなんだな。
「今日はサランのことでお話しがあって。急な訪問をお許しいただきたいのじゃ」
そう思うなら一報ぐらい寄こせよ。
と、背後からぱたぱたと軽い足音が。
「公爵様、メイドのアリシャさんが……」
メイドの言付けを伝えに来たらしい、サランがひょっこり廊下の角から玄関へ顔を出したとたん、例の男女の顔がぱあっと綻んだ。
と同時に、サランの方もはっとした顔になり、手に持っていた布巾をぽとりと取り落とす。
「父さん、母さん!」
満面の笑顔でそう叫び、だっと玄関の男女の元へ駆けだそうとするサランだったが、親父たちの目の前、ぐっと前傾姿勢になって踏みとどまり、慌てて元の位置に戻る。
だが親父たちは気にした様子もなく、むしろ安心したような笑顔で手を振った。
「そうかそうか、こちらの方々はサランさんのご両親であったか……我々のことは気になさらず、ゆっくり再会の喜びを分かち合いなさい」
親父の許可も下りたためか、サランはほっとした顔になり、俺の前を通り過ぎて玄関に立つ両親に飛びついた。
「父さん、母さん! 来てくれたの!?」
「ああ……タロー殿から誘われたんだ」
中年の……俺の親父と同じくらいの年と思わしき、背の高い男性がそう言って、サランの頭を撫でる。短い髪の色はサランと同じ、明るい茶色だ。
「結婚することになったそうだな?」
「うん、そうなの……」
「私たちも一言、挨拶がしたくてね」
そう言うは、サランより少し背の低い女性。どことなく目元がサランと似ていた。
「素敵なお家に招かれてよかったわね、サラン」
「うん!」
和やかに再会を喜び合うエルーゼ親子。ほっこりと、胸の奥が暖かくなるような光景なんだが……。
……あれ? そういえばサランの親権ってご両親にあるんだよな?
その存在を今までずっと忘れていたんだが、つまり両親に相談したり報告したりすることなく、サランの結婚が決められてしまったんだよな?
ちらと、ジジイを横目で見てみる。ジジイは俺の心情を知ってか知らないでか、ツンと俺から顔を背けている。
……やられた。
ふと、サランの父親と目が合う。彼は俺をじっと見……どことなく、疑うような眼差しを寄越してきた。
そりゃそうだよな……。修行として魔術師に預けていた娘が、自分の知らない間に婚約者を作ってたなんておもしろくないよな……。というか、疑ってもおかしくないよな……。
だが、「七日間で婚約者を決めろと言われたので」なーんて言ったら不興を買うぞ。いくらそれが事実だとしても、親としては嬉しくないだろうな……。
さて、どう言い出すべきかと考えあぐねていた俺なのだが、ふいに親父がぽんと手を打った。
「では、両者の家族が揃ったことですし、少し散歩でもしながら会話の機会でも持ちませんかね? サランさんのご両親にもうちの領内を案内したいのでな」
やっぱり自慢したいのかよ!
自分勝手な振る舞いに内心舌打ちしかけたのだが、そこでさっとジジイが挙手した。
「それはすばらしい考えだと思うんじゃが……すまんが、そちらの息子殿を少しお借りしてもよろしいかの? 一つ二つ、話したいことがあるのでな」
ジジイの様子から、何か込み入った事情があると察したんだろう。親父は心得顔でひとつ頷き、サラン親子に向かってほほえみかけた。
「では、こうしましょう。私とアイリーン、そしてサランさんとご両親でフォード領内散策ツアーへ。うちの息子とタロー殿は屋敷に残るということで」
……まあ、一応俺もここの住人なんだし、一人ぐらいは残っていた方がいいよな。
皆も納得したのか、全員わらわらと動きだした。親父と母さんはサランたちを外へ連れ出し、ジジイは俺の襟首を引っ張って居間へ上がりこむ。
「……じいさん、本当に俺に対しては遠慮しないんだな」
「何を。貴様に礼儀正しくして何の価値があると言うんじゃ」
「……はいはい、ごもっともです……」
我が物顔で居間に入り込み、どっかりと貴賓席に座るジジイ。本当に、遠慮の欠片もないな、こいつ。