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屋敷に帰ってからはそりゃあもう、上から下まで大騒ぎだった。この日に俺が帰ってくることはジジイによって伝えられてたから、使用人や番兵も総出で俺たちを出迎えてきた。
緊張でガッチガチ、馬車から降りる時も俺の腕にしがみつき、年代を感じさせる正門を見てきょときょと瞳を動かすサランを見るなり、出迎え軍の先頭に立っていた親父と母さんは大喜び。「君がアークの婚約者かね!」「まあまあ、かわいらしいお嬢さん」とか言いながら俺の腕から素早くサランを引っぺがし、ぽかーんとする彼女を半ば引きずるようにして屋敷の中へと連れて行ってしまった。ずるずると後ろから引きずられるようにサランが連行された後、残されたのは満面笑顔の使用人たちと、俺と、諸々の荷物たち。
親父たちを見送り、俺の世話役でもあったじいやが歩み出て、にこにこしながら会釈する。
「お帰りなさいませ、アーク様。七日間お疲れ様でした」
「た、ただいま……」
「公爵様と公妃様のことならお気になさらず。タロー殿の伝令が届いて以来、ずっとあのご様子だったのです」
「それは……想像に難くないな」
「ええ、それはもう。アーク様もお疲れのことでしょう。荷物や馬は我々に任せ、アーク様もゆっくりお体を休めてください」
「そうする。ありがとう」
ああ、公子らしい待遇を受けるなんてもう何日ぶりになるんだろう。ここ数日、穀潰しだの雑用係だの言われていた俺にとってはなんだかむず痒くて、腑に落ちない点もあった。
だが、じいやの申し出は有難く受け入れることにし、俺は使用人たちに軽く挨拶しながら七日ぶりに自宅へと足を踏み入れた。
「これはねぇ、私の秘蔵品の絵画の一つなのだよ」
「まあ……これはどこかの田園風景ですか?」
「そうよ。フォード公爵領内、南端の農村の風景ですわ。ほら、おいしそうなお野菜も描かれているでしょう?」
「そのようですね。とても長閑で素敵な絵ですね。見ているだけで心が落ち着いてきます」
案の定、サランは親父たちに引き回されて屋敷内ツアーに強制参加させられていた。うちはそのへんの公家と違って装飾品や豪華な家具が少ない方なんだが、それでも親父はいろいろ自慢したいらしい。家に飾っている絵や壺や、隣国から取り寄せた絨毯なんかを一通り解説していた。
適当に流せばいいのに、サランもサランで、素直に感想を述べるから親父も母さんもたいそうご満悦の様子だった。
「おお、君はとても物わかりがよいのだな! アークとは大違いだよ」
「そうでしょうか……?」
「そうよ。感受性豊かな娘ができるなんて嬉しいわ。ねぇ、あなたは何か趣味とかないのですか?」
「ええと……お裁縫やお菓子作りは好きです。あと、お散歩や読書……お薬作りも好きな方です」
これまた親父たちのツボにはまったのだろう。二人は顔を見合わせ、ニヤリと妙な笑みを浮かべた。どこか底冷えすら感じさせる、いやーな笑い方。
「ほうほう……なるほど、大魔術師の弟子に恥じない娘だな」
「まったくですね」
「これは行く先も明るいな、アイリーン」
「そうですね、ロバート」
だめだこりゃ。この夫婦、すっかり頭にお花が咲いている。いや、お花一輪どころじゃなくて春のマックリーン顔負けの咲き乱れ具合だな。
……それはいいとして。
「……なあ、親父も母さんも、あんまりサランをいじめるなよ」
仲睦まじげな両親にひとつ、注意の言葉を投げかけた俺だったが。
「おお、そういえば二階には先日届いたばかりのプリザーブドフラワーがあったではないか」
華麗にスルーされた。
「そうでしたわ。サランさん、お花はお好き?」
「あ、はい。小さなお花が特に好きです」
「ではドンピシャだな! 今回のはかすみ草などをあしらっているのだよ。見てみないかい?」
「はい、ではお願いします」
と言うもんだから、サランは再び親父と母さんに連行されてしまった。
……なんだか、すごく疲れた。
仕方ないから、サランのことは両親に任せ、俺はじいやの言葉に甘えて少し体を休めることにした。
帰宅初日は俺は完全無視されるしサランはあちこち連れ回されるしで、ゆっくり語り合う暇がなかった。晩飯でさえ、一応全員で食卓を囲んだのに俺が首を出すゆとりは、一切なし。円形の食卓を俺、親父、サラン、母さんの順に円になって座ったんだが、俺をスルーして三人で話に花を咲かせている。三角形に会話がぽんぽん弾むから、俺はどうしようもなく、黙々と晩飯を口に運んでいた。
ちなみにサランは二階の一等客間を自室として与えられた。中庭に面した、他の誰よりも立地のいい部屋だ。それほど、親父も母さんもサランのことが気に入ったんだ。
しかし、だ。
「……先に言っておくが、結婚はまだ遠い先の話だからな」
何か言われる前に先手を打ってそう言うと、とたんに二人ともはっとして俺を見てきた。まともに目を合わせられたの、今が初めてだった。
「どういうことだね? アークは婚約者としてサランさんを連れて帰ったのだろう?」
「それはそうだが……」
「まさか、結婚する気もない女性を強引に誘拐したのかね?」
「や、そうじゃないけど……。これには結構複雑な事情があるんだよ。サランだってまだ心の準備ができていないだろうし、お互い深く知り合ったわけでもない。もうちょっと、時間をもらってもいいだろう?」
俺たちが七日間で決定された婚約者同士だってことも、親父たちは承知しているはずだ。それでも納得いかないのか、親父はフォークを置いて不服げに俺を見つめてくる。
「だがなぁ……」
「サランだって、もうちょっと時間がほしいよな?」
親父たちはサランには甘いだろう。そう予測して話題をサランに振ったところ……。願った通り、サランはおずおずと首を縦に振った。
「はい……公爵様方がお許しくだされば、もうすこし、お時間をいただきたいです。私も、もっとアーク様について知る時間がほしいのです」
緊張の口調でそう言ったサランだったが、俺の予想通り効果覿面。むう、と唸り、親父は肩を落とした。
「サランさんが言うなら仕方ない……もう少し我慢しようかね、アイリーン」
「そうしましょうか、ロバート」
……やれやれ。
プレート上の肉をナイフで切りながらふと、正面のサランを見つめてみると、サランは照れたように微笑み、ふいっと目を反らした。
恥ずかしいんだろう、頬が赤く染まっている。
……あっ、かわいい。
力みすぎて、ナイフがプレートを擦ってギチッと音が鳴った。