第6話 待合室の4人目
接骨院の待合室は、だいたい同じ顔ぶれになる。
腰の痛い人、肩の上がらない人、膝の悪い人。自然と通う人は決まってくる。
朝の時間帯は、まるで町内会の集まりのようになることもある。
テレビを見ながら世間話をして順番を待つ。
そんな、いつもの朝だった。
その日も午前の診療はいつも通り始まっていた。
入口のガラス戸が開く。
「おはようございます」
声をかけて入ってきたのは、近所の大工の佐藤だった。
五十代半ば。腰を少し曲げて歩いている。
「腰ですか」
恒一が言うと、佐藤は笑った。
「いつものやつだ」
受付に名前を書き、待合室の椅子に座る。
そのあと、もう一人。
膝の悪い老婦人が入ってきた。
さらに、近所の会社員の男。
これで三人だ。
恒一はカルテを書きながら待合室を見て、眉を少しひそめた。
四人いる。いや、正確には四つの影がある。
椅子は三つしか埋まっていない。
だが窓際の端に、もう一人座っている。
古い着物を着た男。
六十代くらいだろうか。
時代劇に出てくる旅人のような格好で、草履を履き、小さな風呂敷を腰に下げて背筋を伸ばして座っている。
しかし、誰も気づいていない。
患者たちは普通に雑談している。
テレビの朝の情報番組が流れている。
恒一は小さく息を吐いた。
――今日はあれか。
こういうものは、たいてい理由がある。
ただ座っているだけなら、害はない。
問題は、誰についてきたのか。
「佐藤さん」
「おう」
「今日は早いですね」
「現場が昼からなんだ。昨日も重たい梁を持たされてしまってな」
佐藤は腰をさすりながら言った。
「もう若くねえな」
佐藤は笑った。
その後ろには、何もいない。
次に、膝の悪い老婦人。
こちらも問題なし。
最後に、会社員の男。
恒一はちらりと見た。
だが、その後ろにも何もない。
つまり、あの男は誰についてきたわけでもない。最初からここにいる。
恒一は待合室をもう一度見た。
男は微動だにしない。
ただ座っている。
まるで、順番を待っている患者のように。
しばらくして、佐藤の番になった。
治療が終わり、佐藤は帰る。
次に老婦人。
そして会社員の男。
午前の患者が一巡した。
待合室には誰もいない。
――いや。
1人だけいる。
窓際の椅子に。
古い着物を着た男。
恒一は待合室に歩いていった。
男は動かず、ただ座っている。
「……どこが痛いんですか」
恒一は聞いた。
男はゆっくり顔を上げた。
目が合う。
その目は、少し驚いたようだった。
そして、小さく言った。
「もしかして見えるのか」
「ええ」
男は少し笑った。
長い間、誰にも気づかれなかった者の笑いだった。
「ここは……医者か?」
「いいえ、接骨院です」
男は周囲を見た。
白い壁、治療ベッド、電気治療器。どれも見慣れないものばかりだろう。
「……そ、そうか」
男は立ち上がろうとした。
だが、少しふらついた。
恒一は言った。
「腰ですか」
男は苦笑した。
「昔からだ」
恒一はベッドの方を指さした。
「そこに横になってください」
男はしばらく迷っていた。
だが、ゆっくりとベッドに横になった。
体は半透明だ。
だが、触ることはできた。
恒一は腰を押してみた。
固くなった筋肉が石のように動かない。
「ずいぶん長いですね」
男は天井を見ながら言った。
「待っていた」
「誰を」
男は少し考えた。
そして言った。
「順番を」
恒一は黙った。
男は続けた。
「ここは昔、宿屋だった」
恒一はうなずいた。
それは聞いたことがある。
この土地はその昔、街道沿いの宿場町だった。
旅人が泊まり、馬を休ませる場所。
今の住宅街の下には、そういう古い道が眠っている。
「旅の途中だった」
男は静かに言った。
「腰をやってな」
「医者を待っていた」
そして、小さく笑った。
「医者が来るのを待ったまま、死んだ」
恒一は腰を押しながら言った。
「じゃあ、順番ですね」
男は少し驚いた顔をした。
恒一はゆっくり腰を回した。
身体を整える。
ゆっくり、慎重に。
そして。
小さく音がした。
コキ。
男の体がふっと軽くなる。
男は起き上がった。
驚いた顔をしている。
「……軽い」
恒一は笑った。
「順番、やっと終わりましたね」
男はしばらく立っていた。
そして、深く頭を下げた。
長い旅が終わった人のような顔だった。
「ありがとう」
その瞬間。
男の姿は、風に溶けるように消えた。
待合室には誰もいない。ただ椅子が四つ並んでいる。
恒一は受付に戻った。
カルテを書きながらつぶやく。
「待たせすぎだろ」
その夜。
恒一はまた夢を見た。
おかっぱ頭の少女。
少女は椅子に座っている。
そして、隣の椅子を指した。
空いている椅子。
まるで、そこにまだ誰かが座るのを待っているようだった。
恒一は夢の中で聞いた。
「……まだいるのか」
少女は何も言わず、静かに笑った。




