1−1 教会
オリガは馬車の窓から見える街の様子を、窓に張り付くように見ていた。座席に乗り上げていないのは彼女が子供というには少しばかり成熟した女性だったからだろう。しかし、彼女のその好奇心に満ちた瞳は幼い子供と何ら変わりのないものだった。
アストリアル帝国の最北端の街エルド。帝国内で最も冬が厳しいその街では、他国の貿易品が集まる貿易港としても有名な街である。
帝都とはまた違う街並みにオリガは目を輝かせる。
帝都には初代皇帝が定めた美観法があり建築物の壁は白か青で統一されているため、帝都全体が整然とした格式の高い様相をしている。しかし、ここ、エルドではサーモンピンクやイエロー、スカイブルーなど色とりどりの建物が並んでいた。街は色が多彩でそれだけでも目が騒がしいのに、道行く人たちも何かに追われているかのように皆早歩きだったり小走りなのでなにだか忙しなかった。けれどその顔には笑顔があり、活気を感じさせる。異国の品々を売る商人や、服を広げる露天。食べ物を売る屋台屋楽器を弾くものが石畳に座り込んでいる。生まれも育ちも帝都のオリガにはそれがとても新鮮に見えてた。
「ポルドさん、ここまででいいです!」
心惹かれる街並みにオリガは我慢ができずに馬車の窓から顔を出した。
オリガの金髪がふわりと広がる。御者のポルドはオリガに言われた通り街角でオリガの荷物とオリガを下ろした。
「本当にこんな街中でよろしいので?」
ポルドの確認するような言葉にオリガはにっこりと笑った。楽しくて仕方ない、と言った表情にポルドは苦笑を浮かべる。たった半日しか彼女と接していないが滲み出る箱入り娘感を薄々と察知していたのだ。馬車を止められた時は何か苦情があるのかと思ったがそうではないのだろう。きっと馬車から見えた活気のある街並みに当てられたのだ。
「ええ。教会の前は細い道が多くて馬車ではいけないと伺っているので、後は歩いて行こうかと」
「そうかい。あんたが納得してるならいいよ」
「ええ、ありがとう。」
「荷物代込みで180セクトでいい」
オリガは急いで財布から100セクト銀貨を二枚出して御者に手渡した。御者がめんどくさそうに釣り銭袋と思われる皮袋を取り出すが、オリガは慌てて止めた。まさか返されるなんて思いもよらなかった。
「おいおい、釣りも出さねぇ悪徳業者にするつもりか?」
「い、いいえ!あの、チップです…」
「チップ?」
業者は不可思議なものを見るような目でオリガを見つめ、ああ、とやがて納得したように懐に銀貨をしまった。そういえば帝都では最近チップ文化が流行し始めていてここ数年ですっかり馴染んだと聞く。帝都からこんな田舎町にくる人間なんてほとんどいないからすっかり忘れていたが、妙な文化が流行しているもんだと仲間たちと笑ったもんだった。…この嬢ちゃん、帝都からのお客だったらしい。
「ごめんなさい、お手間を」
「いや、こちらこそすまん。何せ田舎もんでヨォ」
業者はへら、と笑いながらオリガの荷物を下ろしてやって気まずそうに御者席に戻った。
馬が寒そうに鼻先をぶるぶると鳴らす。ここ半日は走り通しだったというのに馬はまだまだ元気そうに見えた。
「ここまで本当にありがとうございました。どうかおかえりも気をつけて。星のご加護がありますように」
「へいへい。ぜひ、またのご利用を」
馬車を見送ってオリガは荷物を片手に歩き出した。街の住人たちが見慣れない顔のオリガを珍しそうに見ていたがみんな温かい言葉をかけてくれた。どの道を通っても住民が何かしらの品を売っていた。大通りはもちろん、細い路地裏にすら工芸品であるツボを売っている老女がいて驚いたくらいだ。みんな明るい顔をして商売をしている。
「ほら、いらっしゃいいらっしゃい!!おっ、そこの祈り手さん!パンが焼きたてだよ!」
ふありと鼻先をくすぐるバターの香り。
教会に着くまでは荷物を増やせない、と店先を冷やかすにとどめていたオリガは思わず足を止めてしまった。美味しそうな香りに釣られるように店へと近づく。店先に並べられた湯気の立つ様々な形のパン。ドーナツや見たことのないうっすらと赤いパン、綺麗な装飾の白パンに、見慣れた黒パン。バケッドまで取り揃えられていた。朝、朝食を食べたとはいえオリガも流石に小腹が空いていた。欲望に素直に従ってパン屋の前へと足を進める。
「えっ、10セクト?」
オリガは黒パンくらいは買おうかな、と近づいたもののその値段の高さに思わず目を瞬かせた。帝都では黒パンは6セクトくらいだ。焼きたて価格だとしても7セクトほど。白パンですら8セクトだというのに。ぼったくり、の言葉が脳裏に流れてそっと財布をしまう。バケッドに至っては大きさのせいか15セクトだった。
「ああ、びっくりするよねぇ」
「え?」
「あんた、よそからきた祈り手だろ?エルド以外から来た客はみんなパンの値段に驚くよ」
店の入り口付近で宣伝をしている恰幅のいい女が苦笑してオリガに話しかける。肌が小麦色の陽気な女である。手には客呼び用の鳴り物を持って、少しだけ煤けたエプロンをつけていた。くすんだ金髪がきっちりと三つ編みに編まれている。目尻の皺が可愛らしい女の人であった。
「エルドの中じゃうちのパン屋は一番安いパン屋さ」
「そうなんですか?」
「ああ。パンより魚や肉の方が安い。黒パン一つで今朝仕入れた魚が二匹買えるよ」
女は肩をすくめて向かいの屋台を指し示した。魚の鱗がひかる真正面の屋台では確かに魚は一尾3セクトの看板が建てられている。港町だから魚は仕入れやすくても小麦の仕入れが大変なんだわ、とオリガは遅ばせながら気づいた。機械化が進み物流が良くなったとしても帝国は広い。エルドのような最北端に位置する帝都から遠い街にまでその利便性は及んでいなかった。
「また今度もきておくれよ!」
オリガは結局10セクトで黒パンを買って道に設置されたベンチに座って黒パンを食べた。拳大の食べなれた味だ。教会に入ってからはずっと黒パンを食べて生活していたが、やはり白パンの美味しさを知っていると物足りなくなってしまう。贅沢は罪というけれど、食事くらい贅沢しても神様も怒らないのではないだろうか。
「…いけないわ、オリガ。もう見習いではないのだし、しっかりしなくちゃ」
オリガは黒パンを飲み込むように食べて、さっと手荷物を持って歩く。
少女のように興味が惹かれるまま街を歩いていたオリガはようやく教会を目指して歩き出した。
街の住人に道を訊きながらも、オリガは重たい旅行鞄を手に坂道を息を切らせながらも登り切った。
細い入り組んだ道が多かったものの、ようやく教会らしき建物が見えた時は安堵の息をついたほど長い道だった。眺めるほどだったウェルデ大山脈は見上げるほどになっていて、坂を上り切って教会の門が見えた頃、思わず後ろを振り返った。高低差のある街はここまで登ってしまえばとても小さく綺麗だった。街の中からは見えなかった海が見えてオリガは目を大きく見開いた。
とても美しい光景だった。青い空に対比するように海は氷河に覆われて真っ白だった。海鳥が風を切って力強く飛び、漁船の旗が煌めく。色とりどりの建物は真っ白な海に対比するようで鮮やかな美しさがあった。
「あれが、海…」
感動してポツリと言葉をこぼす。エルドの冬は雄大で美しいと評した画家がいたことをぼんやりと思い出す。自然が近い街だから当たり前だろう、とオリガは至極冷静に考えていたが、目の当たりにするとその意味がよくわかる。海と大山脈が近いこの街があまりにも美しい。
オリガはしばし景色に見惚れて立ち止まっていたが、その感動を引きづるように背を向けて歩き出した。
坂の下から見た時は可愛らしい大きさの教会であったが、いざ近づいてみるとかなり大きい。教会の上には切り立つヴェルデ大山脈の姿が連なり、それが宗教画の如く神秘的な姿に見えた。
帝国の教会の中でも最も清貧と敬虔を追求したエルド教会。帝都の教会とはまた違った凄みがあり、オリガは気圧されて生唾を飲み込んだ。チャイムに近づく指先が微かに震える。オリガは深呼吸を3回もした後、ついにチャイムを鳴らした。リンゴーン、と思ったよりも軽快な音が鳴り響く。
「思ったよりも早く到着しましたね」
教会から顔を覗かせたのは、優しい表情をした男性であった。
栗毛色の髪に緑色の瞳。肌は白く健康的な色をしている。細いフレームのメガネが太陽を反射してチカリと光った。紺色の制服に、右胸に月と竜のバッチ。…祭祀である。
「お待ちしておりましたよ、オリガ」
「っあ、お、お初にお目にかかります!祭祀様!」
オリガは一気に顔に血が昇って慌てて頭を下げた。
祭祀は教会の中でもトップクラスの地位を持った人間を指す。全体の約2%の人材が星の導きによって選ばれる教会の先導者である。現在の祭祀は約15人。うち10人は世界に散らばって教えを解いたり、国内の聖地の管理などを行なっている。確かにエルデには聖地であるヴェルデ大山脈があるが、まさか、祭祀が身を寄せているのがこのエルデの街の教会だったなんて。エルデの近隣の街にはエルデよりも大きな教会がいくつかある。てっきりそっちに身を寄せているだろうと高を括っていた。
先輩はエルデの教会にいるなんて、そんなこと一言も言ってくれなかったのに…!とオリガは帝都で自分に教えを解いてくれた先輩に心の中で文句を言った。赤毛が美しい祈り手の先輩は憎たらしくもニコニコ笑っている。これも修行のうちです、とでも言いたげな表情であった。
「そう緊張しなくてもよろしい。教会が勝手に決めた地位ですからそう畏まらなくていいんですよ。本来、私たちには地位による格差などありません。皆、平等に竜神様の加護のもとで生きているに過ぎません。私のことは父と思ってタメ口で接してくれてもいいんですよ」
「め!滅相もございません。ま、まさか、祭祀様のもとで祈り手として経験を積めるなんて…!感激です…!」
「ふふ、何だかそこまで喜んでくれると面映ゆいですね。ああ、雪が降っていますね。中に入りなさい。外は寒いでしょう」
「はいっ、失礼いたします」
オリガは興奮で赤くなった頬をそのままに教会の扉を潜った。
エルドの街に来て1日目。オリガは未来への希望に溢れていた




