第13話 城門が分かつもの
前回のあらすじ
砂漠の商隊に加わったナギは、初めての野営の夜を迎える。守られる側としての疲れと不安の中、焚き火や人の気配に生を実感するが、炎の揺らぎや胸に残る微かな熱が、静かな異変を告げていた。やがて遠くに城塞の影が現れ、旅が転機へ向かい始める。
城塞都市が見え始めたのは、夜明け前だった。
砂漠の地平線に、わずかな凹凸が浮かぶ。
最初は岩山かと思ったそれは、近づくにつれ、明確な形を帯びていった。
高い石壁。
角張った防壁と、等間隔に並ぶ見張り塔。
飾り気はなく、ただ「守る」ためだけに築かれた巨大な構造物。
(……城、というより)
要塞だ。
凪は荷台の上で、小さく息を呑んだ。
その中で、ただ一人――
レオンだけが、地平線の方角から目を離さずにいた。
星明かりの下、遠くの闇に、かすかな輪郭が浮かんでいる。
岩でも、雲でもない。
人の手で築かれたものの影。
レオンは、誰にも聞こえないほど低く息を吐いた。
「……もう、見えてきたか」
城塞都市は、まだ遠い。
だが――
この旅が「通過点」ではなく、
分岐点へ向かっていることだけは、確かだった。
◆
太陽が昇る頃、商隊は城門の前で止められた。
城壁が近づくにつれ、空気が変わる。
人の声は多いはずなのに、どれも低く、張りつめている。
分厚い石と鉄で補強された二重門。
その前に、槍を持った衛兵たちが無言で立っていた。
「商隊名と積荷を」
感情のない声。
レオンが一歩前に出る。
「レオン=ヴァルディ。
ヴァルディ商会の定期隊だ。
積荷は香辛料と乾物、登録証もある」
革の証書を差し出すと、衛兵は一瞥し、隣の者に何かを小声で告げた。
「……通行を許可する。
水の持ち込みは申告通りだな?」
「ああ。規定は守っている」
それ以上のやり取りはなかった。
重い音を立てて、門が開いていく。
凪は、無意識に指先を握りしめていた。
◆
門の内側は、思っていたよりも暗かった。
高い壁が陽光を遮り、
石と砂の色しかない街並みが続いている。
鼻をつく匂い。
香辛料、獣、汗、鉄。
生きている人間の匂いが、濃く混じっていた。
人は多い。
だが、誰も歓迎していない。
視線は向けられるが、すぐに逸らされる。
興味と警戒が、入り混じった目。
(……人が、たくさんいるのに)
なぜか、孤独を感じた。
「ここからは、荷から離れるな」
レオンが振り返らずに言う。
「街は安全だが、油断できる場所じゃない」
その声は穏やかだったが、
言葉には、確かな重みがあった。
凪――いや、ナギは、小さく頷いた。
守られている。
けれど、安心はできない。
(……助けられた、だけなんだ)
城塞都市は、
受け入れる場所ではない。
立ち止まった者を、
ふるいにかける場所――
そんな感覚だけが、胸に残った。
◆
商隊が進むにつれ、景色はさらに濃くなっていった。
露店。
倉庫。
酒場らしき建物から漏れる声。
活気はある。
だが、どこか荒い。
水を売る者の前には、短い列ができていた。
値段を聞いて、ナギは思わず目を伏せる。
(水が……自由じゃない)
◆
城内を進む間、
凪は何度も、周囲の様子を確かめていた。
視線は感じる。
だが、絡まれない。
商隊の荷は目立つ。
人数も少ない。
それなのに――
誰も声をかけてこない。
近づきすぎない。
値踏みする目だけが、一定の距離で止まる。
(……おかしい)
露骨な好奇心も、
試すような悪意もない。
ただ、
「触らない方がいい」
そんな空気だけが、はっきりとあった。
凪は、無意識にレオンの背中を見る。
彼は歩調を変えない。
周囲を警戒する素振りもない。
それが、かえって不自然だった。
◆
ガルムは、周囲を一瞥しただけで、何も言わない。
手は武器から離れている。
だが、緩んではいない。
ナディアも同じだった。
視線は柔らかく、
それでいて、街の「流れ」そのものを読んでいるようだった。
誰かと目が合えば、
軽く会釈するだけ。
それだけで、相手は一歩引く。
(……知ってる)
凪は、はっきりとそう感じた。
この街を。
この空気を。
そして――ここで起きる「厄介ごと」の種類を。
◆
小さな路地を横切ったとき、
一瞬だけ、ざわりとした気配が走った。
誰かが、
何かを言いかけた――ような。
だが、すぐに消えた。
理由は分からない。
ただ、その男が、
商隊の後ろ姿を見送るように、目を伏せたのだけは見えた。
(……今の、何?)
凪がそう思うより先に、
ナディアが、ほんのわずかだけ息を吐いた。
安堵でも、警戒でもない。
**「済んだ」**という反応。
◆
「……不思議か?」
前を歩いていたレオンが、
振り返らずに言った。
凪は、一瞬迷ってから、頷く。
「……誰も、何もしてこないから」
レオンは、足を止めない。
「それは、いいことだよ」
穏やかな声。
だが、それ以上の説明はない。
「街ではね、
何も起きない時ほど、
“もう話は付いている”ものなんだ」
凪は、その言葉の意味を、
まだ理解できない。
けれど――
背中が、少しだけ冷えた。
◆
商隊は、何事もなく外郭へ向かう。
トラブルは起きなかった。
誰も傷つかなかった。
誰も怒鳴らなかった。
それなのに凪は、
はっきりと感じていた。
(……守られてる)
でもそれは、
誰かの優しさじゃない。
この街の“仕組み”が、
この人たちを、
――正確には、レオンを中心にした何かを
避けているのだと。
理解できないままでも、
それだけは、確かだった。
「今日は外郭で止まる」
レオンの声が、前方から届いた。
「まずは街に慣れろ。
急ぐ話は、それからだ」
ナギは荷台から街を見渡す。
石と砂と影の街。
守られているが、閉じ込められそうな場所。
(ここで……生きる)
それは、まだ実感にはならない。
けれど――
この城塞都市が、
自分にとって避けられない場所だということだけは、
はっきりと分かっていた。
商隊は、ゆっくりと街の奥へ進んでいく。
城門の影は、すでに遠い。
戻る道は、もう見えなかった──
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。砂漠の旅路を越え、物語はいよいよ城塞都市へと踏み込みました。凪がこの街で何を選び、何を失い、何を得るのか。引き続き、静かに見届けていただければ嬉しいです。




