第11話 砂が教える距離
前回のあらすじ
突然の転移で砂漠へと落とされた凪。乾いた風と灼ける大地の中、商隊に救われ城塞都市へ向かう。見知らぬ世界の息遣いに触れながら、凪は自分の力で生き抜く決意を固めていく──
荷台がゆっくりと揺れている。 規則的な振動が背中に伝わり、凪はようやく自分が「移動している最中」なのだと実感した。
太陽はまだ高い位置にある。 だが砂漠の一日は短く、光の色だけがじわりと赤みを帯び始めていた。 隊列の先では、角と長い耳を持つ砂獣が低く鳴き、車輪が乾いた音を立てて砂を踏みしめている。
「無理に起きなくていい。まだしばらく走る」
低く落ち着いた声がかかる。 荷台の縁に肘をつき、こちらを見上げていたのは、褐色の肌に傷跡の残る大柄な男だった。
「水は少しずつ飲め。飲みすぎると、逆にやられる」
ぶっきらぼうだが、言葉の端々に気遣いがある。
(この人が……護衛の人かな)
凪が小さくうなずくと、男は満足そうに鼻を鳴らした。
「俺はガルムだ。ここの護衛をまとめてる」 「命が惜しけりゃ、余計なことは考えず俺の後ろにいろ」
言い切る口調に、不思議と怖さはなかった。 それは“守る”と決めた人間の声だった。
その横から、柔らかな声が重なる。
「急に砂漠に放り出されたんですもの。混乱して当然よ」
布で口元を覆った女性が、荷台の反対側から近づいてきた。 日除けのフードの奥から覗く瞳は穏やかで、凪を真正面から見ている。
「私はナディア。護衛の副をしてるわ」 「身体は? めまいはしない?」
「……大丈夫、です」
そう答えると、ナディアはほんのわずかに眉を緩めた。
「よかった。声、ちゃんと出てる」
そのやり取りを、少し離れた場所から見ていた男が一歩前に出た。 淡い色の外套、砂一つ付いていない靴。 戦士というより、都市の香りをまとった人物だ。
「私はレオンハルト。この商隊の責任者です」
丁寧だが、どこか距離を保った名乗り方。 場慣れした余裕が、その立ち姿に滲んでいた。
「状況を説明するのは、今は難しいでしょう」 「ですから一つだけ、聞かせてください」
レオンは決して急かさない声音で続ける。
「あなたのお名前を」
その言葉に、凪の胸が小さく詰まった。
名前―― それは元の世界と自分を結ぶ、はっきりとした証だ。 ここで名乗ることは、この世界に自分が“存在すると認める”ことのような気がした。
ほんの一瞬の迷い。 だが黙ったままでいれば、余計な疑念を生むだけだ。
凪は一度、唇を噛みしめ、小さく息を吸った。
「……凪、です」
絞り出すような声だった。
レオンはわずかに頷く。
「ナギ。承知しました」
理由も出自も、今は問わないという判断。 それ以上、踏み込んではこなかった。
その頃、太陽はさらに傾き、商隊は進路をわずかに変えて岩陰の多い場所へ向かっていた。
「今日はここまでだ」
先頭を行くガルムが短く告げる。 その声に、護衛たちが無駄のない動きで周囲の警戒を強めた。
移動を止める。 それだけで、空気が少しだけ緩む。
荷車が並べられ、獣が手綱を外される。 焚き火の準備が始まり、乾いた薪の匂いが砂の匂いに混じった。
(……野営、するんだ)
凪――いや、この世界では「ナギ」は、荷台の上からその様子を見ていた。 足元の砂はまだ熱を残しているが、風はわずかに冷たくなっている。
「無理に動くな」
レオンが静かに言った。
「水を飲んで、身体を休めてください。夜は思った以上に冷えます」
少し離れた場所から、ナディアが革袋を差し出す。
「水、もう少し飲んでおきなさい。ここではナギは客人よ」
その言葉に、護衛の一人が笑って口を挟んだ。
「そうそう。ナギはしばらく俺たちの“守り荷”だな」
――ナギ。
初めて、はっきりとこの世界の人間にそう呼ばれた。 胸の奥で、何かが静かに音を立てる。
(……戻れるのかな)
ふと、そんな考えがよぎる。 ポケットの中の紐飾りに指が触れ、かすかな温もりが残っていた。
◆
焚き火に火が入り、赤い光が夜の帳を押し返していく。 砂漠の夜が、静かに始まろうとしていた。
ガルムは焚き火のそばに腰を下ろし、剣を外して砂の上に置いた。
無言で刃の状態を確かめながら、ふっと短く息を吐く。
「……無事に越えりゃ、あと数日だ」
低い声だったが、ナギのいる荷台まで、はっきりと届いた。
「城塞都市にさえ着けばな」
ほんの一瞬だけ、厳しい表情が緩む。
「……娘が、待ってる」
その言葉に、焚き火のはぜる音が小さく重なる。
ナギは思わず、ガルムの背中を見つめていた。
すると、すぐ近くでナディアが小さく息をつく。
「ふふ、顔に似合わず、ほんとに子煩悩なんだから……」
布越しでも分かるほど、呆れと優しさが混じった声だった。
「うるさい」
ガルムは振り返らずに短く返す。
それを合図にしたかのように、周囲の護衛たちが小さく笑った。
「また娘さんの話かよ、隊長」
「帰ったら土産、山ほど要求されるんじゃないですか?」
「いやいや、もう用意してる顔だろ」
からかい半分の声が、焚き火を囲んで転がる。
「……仕事に集中しろ」
そう言いながらも、ガルムの声には強さよりも照れが滲んでいた。
ナディアは肩をすくめ、ナギの方をちらりと見る。
「ね? ああ見えて、帰る理由がはっきりしてる人なのよ」
ナギは小さく、うなずいた。
(……守る人が、いるんだ)
焚き火の向こうで揺れるガルムの背中は、
少し前よりも、確かに「急いでいる」ように見えた。
ナギは膝を抱え、揺れる炎を見つめる。 ここがどこなのか。 これからどうなるのか。 まだ何ひとつ分からない。
それでも―― この砂漠で生き延びるしかないという事実だけは、はっきりとしていた。
乾いた風が、焚き火の火を揺らす。 その向こうで、何かが静かに動き出していることを、ナギはまだ知る由もなかった。
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