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これから―魔術師がうちにいる―




「百合先輩、もう帰るんですか?」

「定時だから帰るよ」


 職場の終業時刻は十八時。

 私は十八時一分にはパソコンの電源を落としてネームプレートをしまい、退勤体勢に入る。

 うちの職場は繁忙期以外は残業がないのでみんなサッサと帰るし、隣の席の後輩も話しかけながらパソコンを落とす準備をしていた。

 さて、帰ろう帰ろう。


「そっか! 彼氏が待っているからですね!」


 と思っていると、後輩がひらめいた顔でそう言ってきて、思わずカバンを落としそうになった。


「な、何で……!」

「今までもすぐ帰っていたけれど、最近は特に早いし、インドア派の先輩にしてはよく出かけているみたいだし」

「別にそういうわけじゃあ……!」

「あ、だからこの前、チケットのことを聞いてきたんですね。珍しいと思ってたんですよ、先輩がディズニ――」


 思わず後輩の口を両手でふさぐ。

 少し前に、この後輩に夢の国のことを聞いた私がうかつだった。

 テレビで特集を見たルークが行きたいと言い出し、私は人込みが大の苦手なので断ったけれど、夢の国の魅力を延々と訴えかけられ、根負けして行くことになったためだ。

 最近のテーマパークは下調べなしに行くと並んでいるだけで一日が終わると噂されているので、大ファンで年に何度も行くらしいこの後輩に助言を賜ったのだが、察しが良すぎた。


「今度ランチおごるから、他言しないで」

「飲みが良いです」

「了解」


 後輩に口止めをして、帰宅するべく会社を後にする。

 外に出ると水たまりはあったけれど、運よく雨が止んでいて、そろそろ梅雨も終わりだろうかと考えながら、傘を閉じたまま駅に向かう。

 まあまあな込み具合の電車に揺られ、アパート最寄りの駅で降りると少し早足になるのは、別に早く帰りたいからとかそういうわけではなく、急にまた雨が降り出したら困るからだ。

 そうしているうちにアパートに着き、玄関を開けるとすぐに声が聞こえた。


「ユリさん、お帰りなさい」

「ただいま」


 ルークが笑顔で出迎えてくれる。

 別にこの笑顔を見たいから早く帰ってきたわけではないけれど。


「夕食できていますよ」

「ありがとう。お腹空いていたんだよね」


 鳴りそうなお腹を押さえつついそいそと靴を脱ごうとしたとき、靴箱の上に置いてある写真立てが視界に入った。

 写真立てなので当然写真が飾られているわけで、先ほどの後輩に聞いて下調べをして行った夢の国で撮った写真だ。

 写真には、あの特徴的な黒い耳のカチューシャをつけた笑顔のルークと、いつも通りの私が写っている。

 私はそういうキャラじゃないので、カチューシャは断固として拒否した。

 そのときに撮った写真が、いつの間にか現像されて先日から玄関に飾られており、最初見つけた時には私は家主なのに驚いてしまった。

 誰が現像したかなんて、もちろん一人しかいない。

 本当に色々覚えてくる。

 ちなみに、耳のついた黒いパーカーも見つけて、「こちらの世界にも魔術師のローブがあるんですね」と言ってお土産に買っていた。

 本人が働いて得たお金で買っているし、向こうの世界のことを言われるとちょっと口を挟みづらい。

 やっぱり未練があるのかな……と思ったら、普段ゴミ捨てに行くときに着ていこうとしていたので全力で止めた。

 家の中だけで着るよう厳命した結果、ときどき室内で黒い耳つきパーカーを来た成人男性を見かけるようになった。

 まぁ、こんな風にして、ルークはこちらの世界を非常に楽しんでいる様子だ。


「あ、ユリさん」

「ん?」


 ルークに呼ばれて、靴を脱ぎつつ顔を上げると、額に温かい感触がした。

 ……ルークが私の額にキスをしていた。


「今日はまだしていなかったので」

「毎回帰ってくるたびにしなくていいって……!」

「でも、やっとユリさんと会えたので」

「朝も会ったよね?」


 こちらの世界が気に入っただけで残ったのではと思えていたルークだったけど、そこはちゃんと恋愛感情だった。

 ルームメイト(代理)だったときとは打って変わって、そういうスキンシップが増えた。

 あまりに多いから「慣れてる?」と聞いたら、「母と姉たちから、好意は言葉と態度で表すよう言われました」と返ってきた。

 姉が五人いるらしく、ルークと下の弟はレディーファーストを叩き込まれたようで、それを聞いて色々と納得した。

 ルーク曰く我慢していたようで、私の方が照れくさくてちょっとついていけてない……。


「お腹空いた! ご飯食べよう!」


 色々と照れる気持ちをごまかして、靴を脱ぎすてて中に入る。


「今日の夕食はオーナー直伝スープカレーです」

「え、すごい!」


 そうそう、ルークはこちらの世界に定住するにあたって、最近からカフェで働き始めた。

 手伝いをしていた占い師のおじいさんというのは、駅前にある占いカフェのことだったらしい。

 身分証明証やらなんやらは、魔法の力でどうにかしたらしい。

 どうにかという部分は聞いても理解できないので、あまり詳しく聞かないことにしている。

 稼ぎが増えるのは良いことだから。

 あと、ルークの料理の腕に、カフェ仕込みのレパートリーが増えたことも大変良いことだ。

 ちなみに働く時間が増えたことで、任せていた家事は当然分担ということになった。

 まぁ、でも一緒にやるのも、それはそれで楽しい。

 台所に二人で並んで、ルークが作ってくれていたスープカレーをお皿に盛り付け、あとは生野菜のサラダを準備しながら、他愛のない話をする。


「ユリさん。夏になったら海に行きましょう。海の家で、ヤキソバとカキゴオリを食べたいです」

「どっちも家で食べられるよ」

「いいえ、海で食べるのは格別だとテレビで言ってました」

「相変わらずテレビ好きだね」


 どんどんこちらの世界のことを学んでいく異世界の魔術師は、今日も新しいことを知っては楽しもうとしている。


 海か……一体何年ぶりだろう。

 行くんならUV加工のパーカーと、日焼け止めを用意しないと。

 夏はイベントが多いから、きっとどれも行きたがるはず。


 秋になったら、春みたいに世界が赤と黄色になったと言い出しそう。

 その様子が想像できて、思わず笑いそうになった。

 私の故郷も紅葉が綺麗だから、ちょっとうるさい家族だけど、久しぶりに帰ってルークを紹介しようかなと思った。

 ちょっとどころか、かなりうるさくなりそうだけど……。


 そのあとは、出会った冬がもう一度巡ってくる。

 また一緒にあのイルミネーションを見に行くのも良いかもしれない。


 あと、ほかには……すぐには思い出せないけれど、ルークに見て欲しい場所はたくさんある。

 選んでくれたこちらの世界を、もっとたくさん見て知って欲しい。

 こちらの世界にいて良かったと思って貰えるよう。

 いつまでも一緒に。


「ルーク、これからもよろしくね」

「はい。よろしくお願いします」



 これからも、魔術師がうちにいる。




読んで頂きありがとうございました!

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