それまで―ルーク視点―
本日二話同時に投稿しています。
ルーク視点です。
「向こうの世界は、常に魔物の脅威に晒されていました」
月明かりの下を歩きながら、初めてユリさんに自分の世界のことを話した。
生まれ育った世界とこちらの世界は、何もかもが異なった。
文明も、生活様式も、何よりも魔物の存在しない世界に、初めは安心より戸惑いの方が大きかった。
それくらい、向こうの世界では魔物の恐怖が隣り合わせだった。
「十数年に一度、魔物の数が増える年があって、魔物を倒すためにはどうしても異世界の聖女様の力が必要でした」
「聖女……」
隣からユリさんの声が聞こえてくる。
けれど顔を見ることはできなかった。
ユリさんの大事な友人を異世界に召喚したのは、我々魔術師だから。
「子どもの頃から魔物を倒すことが夢だったので、王宮魔術師として魔物討伐の任につきました。魔物討伐は危険を伴うので、家族とは二度と会えない覚悟で挑みました」
「そんなに危ないの……?」
「はい……あっ、でも聖女様には危険が及ばないよう万全を尽くしています。それが我々の役目ですから」
ユリさんを不安にさせないように慌てて言い足すと、どこか不機嫌そうな声で、「そういう問題じゃない」と言う声が聞こえてきた。
いつもと同じどこか素っ気ない声だけど、心配してそう言ってくれていることはすぐに分かった。
「聖女様を召喚する儀式で代わりに異世界へ渡る役目に選ばれ、名誉ある役目を必ず成し遂げようと強く誓いました」
あのときのことは、今でもはっきりと覚えている。
魔物討伐を終えた後に聖女様を元の世界へ戻すためには、誰かが向こうの世界へ渡る必要があった。
前例のないことだったけれど、だからこそ重要な役目に選ばれたことが誇らしくて、聖女様の世界へと転移した。
「……けど、こちらの世界に渡ったあの日、本当は不安でした」
目を開けると、見知らぬ場所だった。
儀式を行っていた広間に比べると狭い部屋の中は、見たことのない物があふれていた。
カーテンの向こうからは聞いたことのない音が聞こえてきて、見知らぬ部屋の中で一人になってはじめて、それまで感じなかった……おそらくは目を背けていた不安が一気に押し寄せてきた。
「見たこともない景色に、知っている人のいない世界……。でも、我々は自分たちの都合で聖女様をそんな風に召喚してきたのだと思うと、弱音を言う資格などありませんでした」
そう思いながらも不安に押しつぶされそうになっていたとき、突然扉が開いて光が差し込んだ。
「そんなときに、ユリさんと出会いました」
こちらの世界で、初めて出会った人。
「突然現れたぼくは不審者でしかなかったはずなのに、ユリさんは食事を振る舞ってくれました。あのとき初めて食べた味はとても美味しくて、温かくて……不安だった気持ちが落ち着きました」
「あぁ、カレー……」
異世界から来た経緯を説明すると、ユリさんは怪しいものを見る目をしながらも、温かい食事をふるまってくれた。
とても不思議な女性だと思った。
初めて食べる味が美味しくて夢中で食べていると、お代わりまでさせてくれて、さらにテレビで見たものが気になっていると連れて行ってくれた。
「初めてイルミネーションを見たとき、こちらの世界の明るさに驚きました。あの明るさの中で、手を引いて前を進むユリさんは、女神のように美しかったです」
「……その異世界セリフ止めて」
「ぼくにとってユリさんは、こちらの世界で導いてくれた女神です」
「……そんなの、たまたま私だっただけで、他の人だってそうしたかもしれないし……」
ユリさんは口調はそっけないけれど、この半年間一緒に過ごした中で、今は照れているということが分かるようになった。
あまり笑ったりしないけれど、イチゴのケーキを食べているときは嬉しそうだったし、桜の下で一緒に撮った写真ではいつもより少しだけ笑っていた。
「でも、ユリさんでした」
ほかの誰でもない。
「ぼくがこちらの世界で出会った人はユリさんです。こちらの世界に来て不安だったけど、ユリさんが色んなことを教えてくれて、色んな場所に連れて行ってくれたおかげで、ぼくはこちらの世界が好きになりました」
本来は聖女様が魔物討伐を終えて戻るときを待つだけで良かった。
けれど、こちらの世界には見たことのないものがあふれていて、気がつけば夢中になっていた。
それはきっと、ユリさんと一緒だったからだと思う。
「魔法陣の前で言った言葉は本当です。きっと、初めて会ったときから好きになっていました。だから、こちらの世界に残ることを決めたのは、本当にぼくの望みなんです」
ユリさんはきっと、ぼくが気を使ってこちらの世界を選んだと思っているかもしれない。
けれど、こちらの世界に残りたい理由がきちんとある。
「勝手に残ることを決めてすみません。ユリさんに迷惑をかけないようにしますので、どうか一緒にいさせてください」
こちらの世界に残ることを決めた後にこんなことを言うなんてずるいだろうけど、でもユリさんと一緒にいたかった。
初めは不安だったこちらの世界が、今では離れたくないと思うほどに好きになっていた。
どうか、この世界でユリさんと一緒にいさせて欲しい。
祈るような気持ちでそう思っていたとき――。
「……良いよ。私も、ルークが帰ると思ったとき、寂しかったし……」
そんな言葉が聞こえて思わず振り返ると、薄暗い灯りの中でも分かるくらい、照れた顔のユリさんがいた。
嬉しくて、気づいたときには抱きしめていた。
「ユリさん。これからも、よろしくお願いします」
「……よ、よろしく」
腕の中で声が聞こえる。
温もりを感じて、こちらの世界にいることを実感できた。